ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




伊勢兼酒店。中央区日本橋人形町1-7。1987(昭和62)年6月7日

人形町通りの甘酒横丁交差点から甘酒横丁とは反対の西へいったところ。通り沿いに、快生軒(喫茶)、来福亭(洋食)、玉ひで(鶏料理、親子丼)、小春軒(洋食)と有名な老舗が並んでいる。写真は玉ひでの横の向かい。家は手前から「伊勢兼酒店、喫茶レモン、笠原家、友和工業㈱」。
いずれも看板建築のような外観だが、戦後の建築と思われる。昭和22年の航空写真では、通りの北側が、甘酒横丁から小網町まで、建物疎開になった跡のように見える。
伊勢兼酒店は「伊勢兼ビル」(1992年1月築、8階地下1階)に建て替わった。酒店はいつのことか判らないが廃業している。
レモンは昭和48年の開店という。それ以前は「池田屋」という肉屋だった。今も「昭和の喫茶店」という位置づけで営業が続いている。「中央区芳町1-4」の住所が入ったマッチはまだ在庫があるのだろうか。
笠原家と友和工業は「笠原ビルディング(笠原歯科)」(1991年8月築、9階地下1)になった。「日本橋グリーン歯科」の笠原院長がHPで生い立ちを語っている。笠原氏の祖父は昭和9年に両国から当地へ移ってきて肉の卸商を始めたが10年ほどで亡くなった。「空襲による延焼を防ぐ為、店は強制取り壊しとなり、閉店」という記述がある。戦後笠原氏の御父上が菓子店を始め、昭和40年頃笠原氏の母上が亡くなって廃業したと思われる。当時笠原氏はまだ高校生だった。そこから努力しての現在があるのだと思う。

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