ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




マルナカマート。北区滝野川6-33。2018(平成30)年6月21日

滝野川銀座商店街(旧中山道)の南の裏通りで、滝野川6丁目と7丁目の境になっている。.撮影位置の左後ろに北区立谷端小学校がある。埼京線の板橋駅から東へ歩いて5分ほどのところ。木造2階建てモルタル壁のアパートのような建物にあるオレンジ色の日よけの店が「マルナカマート」という肉屋。1974年の地図に載っているから古くからやっている店だ。横の路地を入ると滝野川銀座商店街に出る。肉屋の日よけのテントにはオレンジ色のものが多いようにふと思ったのだが、気のせいかな?
写真の裏通りを千川上水が流れていた。『ウィキペディア>千川上水』に「1928年(昭和3年) ― 滝野川から板橋までが暗渠化される」とある。東西に通っている流路跡の裏通りは、この辺りでは南方向が低くなっていて、南から裏通りに合流する道路は坂道を上がってくる形になる。谷端川の谷になっているためで、写真手前の横町を約300m行った北区と豊島区の境になっている通りに谷端川が流れていた。千川上水はこの辺りでは谷端川の谷へ落ち込まないようにその崖っぷちを通したことになる。
千川上水跡の裏通りは左(西)へいくにつれ、カーブして旧中山道へ近づく。下の写真は旧中山道の埼京線の踏切から90m東の交差点で、ここでは旧中山道と千川上水とは家一軒分しか離れていない。




上:協立コーポレーション
左:ロッキー、花健
滝野川6-85。2018(平成30)年6月21日

上写真の右奥へいっている道路が千川上水跡の裏通り。その表側、滝野川銀座商店街(旧中山道)の側が左写真。裏通りが一段高くなっているのは千川上水の土手を平らにしたからなのかもしれない。
1974年の地図に「花健」の記載があり、1984年の地図には、スナック・ロッキーが「Gパンロッキー」となっている。

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山田屋酒店。北区滝野川6-59。2018(平成30)年6月21日

滝野川銀座商店街(旧中山道)の埼京線の踏切から東南へ220m、つまり板橋駅から歩いて5分ほどのところ。写真右の門は「帝京大学若葉寮」で、1984年の地図では「天理教滝之(ママ)川分教会」である。
山田屋酒店はネットには出てこないので廃業しているのだろう。グーグル古地図の昭和22・38年の航空写真に写っている建物と思えるので、戦前の建物かもしれない。だとすると、手前にもう1軒分があった二軒長屋だったようで、そのもう1軒は1984年の地図では「泉商店」。裏に見える2階建て木造の家は山田屋とは別の、戦後の建物。



龍 丼丸(どんまる)滝野川店。滝野川6-63。2018(平成30)年6月21日

山田屋酒店から西へすぐのところ。2014年6月に3軒右へいったところから移ってきたという。「寿司屋が始めた海鮮丼」というから、どこでやっていたのか分からないが、店主はすし屋からの転職?である。
建物は古い航空写真を見ると二軒長屋だったようで、隣の三階建ての民家は長屋の左部分を建て直したものだ。1984年の地図では「扇食堂」と「青山文具店」(写真左の看板建築、現・順ハウジング)の住居。

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井戸のある民家。台東区池之端4-22。1990(平成2)年2月18日

言問通りの上野消防署谷中出張所の辺りの南の裏通りにある民家。この辺りから清水坂の下までは「谷中清水町」といったが、1966年に現行の池之端4丁目に替わった。写真の民家は2005年に「イングリッシュティーハウス ペコ」という紅茶のカフェを開業した家である。玄関と隣のレンガ塀の間に、現役ではないが手押しポンプが残っている井戸がある。
写真左の家は今は建て替えられて、それが下見板の古い洋館風のものなので、イングリッシュティーハウスならむしろこちらだろう、という感じである。



遠友庵道場。池之端4-26。2011(平成23)年11月9日

1枚目写真の裏通りを左(東)へ行くと崖下で行き止まりだが、谷中清水町公園へ上る階段がある。写真手前の金網がその階段の手すり。今は取り壊された長屋があった。古い二軒長屋に見えるが、裏にもう1軒あるらしく「看脚下」の貼紙をした入り口がある。3軒長屋としてよさそうだ。「大道学舎 遠友庵道場」が長屋の2軒分を使っていたのだろう。

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