ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




明治生命館。千代田区丸の内2-1。1986(昭和61)年12月30日

1934(昭和9)年竣工の日本の近代建築の末尾を飾る建物である。一般のオフィスビルなら、古典的な様式にするにしても、より省略された外観にすると思うが、金融・保険の本社ビルである以上、信頼性を感じさせる形としてオーダーを使った古典系のデザインが選ばれたのだろう。
鉄骨鉄筋コンクリート造8階地下2階建、設計=岡田信一郎、施工=竹中工務店。1930(昭和5)年9月の起工、1934年3月31日の竣工。岡田は1932年4月4日、48歳で亡くなったから遺作である。



千代田ビル、明治生命館
左:1986(昭和61)年12月30日
右:2000(平成12)年4月1日

丸の内2-1の街区は、「丸の内MY PLAZA」という名称で整備され、明治生命館が「動態保存」され、他にあった3棟のビルが「明治安田生命ビル」の30階建ての高層ビルに建て替わった。明治生命館と日比谷通りに向いて並んでいたのが「千代田ビルヂング」、後ろにあったのが「明治生命別館」、馬場先通り沿いに並んでいたのが「明治生命新館」。
千代田ビルはウィキペディアに項目がある。それによると、1959年より三菱地所が「丸ノ内総合改造計画」を開始、ビルの工事を着工するとともに、裏の丸の内仲通りに面した「三菱仲11号館」の解体にはいった。1961年1月に日比谷通り沿いの部分が竣工、次いで11号館跡地での第2期工事を着工、1962年7月に全面完成した。大成建設の施工。本館の後ろに回り込むようなL字型の平面だった。
明治生命新館は1枚目写真の右に少し写っている。『三幸エステート>都市の記憶』によると、本館に軒高を合わせてファサードも似せている。昭和43年の竣工。
明治生命別館については情報は得られなかった。

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丸ノ内八重洲ビルヂング。千代田区丸の内2-6。1986(昭和61)年9月23日

『ウィキペディア』から引用すると、丸ノ内八重洲ビルヂンは1928(昭和3)年に竣工した。三菱合資会社所有で、1937(昭和12)年に三菱地所株式会社が設立されると、そこが管理するようになる。1945(昭和20)年3月に三菱地所に譲渡された。戦後は1946(昭和21)年4月に占領軍に接収され、米空軍宿舎「八重洲ホテル」として使用される。1956(昭和31)年2月3日に返還された。
建物は鉄骨鉄筋コンクリート造8階建地下1階塔屋付き。外観は小松石の粗石積みによる基壇部、平坦な壁に小さめの窓を並べた中層部、アーチの窓の上層部という3層の意匠で、北東角の尖塔がアクセントになっていた。石積み部分はヨーロッパの中世の城郭を思わせる。設計は三菱地所部(藤村朗)、施工は大林組。1928(昭和3)年3月31日の竣工で、当時の名称は「八重洲ビルヂング」。住所が「東京府東京市麹町区八重洲町一丁目1番地」だった。
1962(昭和37)年に 増築工事がおこなわれている。裏側の低層部分にフロアを積み上げたのだろうか? 同年名称を「丸ノ内八重洲ビルヂング」に改称した。



丸ノ内八重洲ビルヂング。左:1986(昭和61)年8月17日、右:1986(昭和61)年12月30日

三菱地所が、丸の内2-6にある「古河ビルヂング」(9階建、1965年)「三菱商事ビルヂング」(15階地下4階建、1971年)「丸ノ内八重洲ビルヂング」の3棟をまとめて建て替える計画を発表したのが2004(平成16)年3月。解体は2006年7月から。2009(平成21)年4月に34階地下4階の「丸の内パークビル」と「三菱一号館」が完成した。
三菱一号館の復元だが、旧建物(二代前)が建っていた同じ位置(正確には1.6mセットバックされているという)に、外観はほぼ正確に復元されている。コンドルを偲ぶ巨大な記念碑と考えれば、これはこれでいいのかもしれない。

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東京中央郵便局。千代田区丸の内2-7。1986(昭和61)年9月23日

『日本近代建築総覧』では「建築年=昭和8(1933)年、構造=SRC5階建、設計者=吉田鉄郎、施工=銭高組/大倉土木」。竣工時の住所は「東京市麹町区丸ノ内2-3」である。
2006年5月に日本建築学会が日本郵政に出した『保存要望書』で、もう少し細かく見ると、建物が竣工したのは1931(昭和 6)年12 月25日、地下1階塔屋付きというが、塔屋がどれになるのか判らない。機械を据え付けるなどの内装工事に手間取ったのだろう、竣工のちょうど2年後、1933(昭和8)年12月25日に営業を開始した。
土木建築工事画報昭和7年12月号』の「東京中央郵便局新築工事概要」によると、基礎工事が銭高組、建物が大倉土木の施工になるようである。
「要望書」を見ると、東京中央郵便局が、郵便物の集配と仕訳、配送という物流センターとしての機能という、一般の事務所ビルにない機能があったことに改めて気が付く。一方で、東京駅前広場の景観を受け持つファサードのデザインにも意を凝らしていることも重視している。ぼくは東京中央郵便局に特にこれという感慨はもったことはなかったのだが、今になって「吉田鉄郎の傑作、代表作」という目で見るようになった。
1-3階と4-5階ではその高さが異なる。1-3階は仕訳や集配送などの業務の空間であるためで、それが窓の大きさに現れている。4-5階の間の軒の水平線によって、視線が横にいってしまうことで、その高さの違いに気が付かないという効用があるような気がする。


東京中央郵便局。1986(昭和61)年9月23日


左:1992(平成4)年3月8日
右:2003(平成15)年1月4日

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久保田病院。豊島区西巣鴨3-19
1990(平成2)年1月14日

旧中山道の庚申塚通りの掘割交差点に近いところに「東京種苗株式会社」と硝子戸に文字が残っている古い商家がある。その隣が「久保田クリニック」の3階建てのビルで、写真はそのビルに建て替わる前の建物。
推測だが、写真左の3階建てのビルが新館、写っていないがその後ろに旧館(あるいは本館)、駐車場奥の2階建ての洋風の家は院長宅になるかと思う。写真右の長屋風の家はそば屋の「むさしや」。
久保田クリニックは「1943年に久保田医院として開業、その後1953年に久保田病院となり、2010年には現在の久保田クリニックに」ということなので、写真の洋館は1943年頃に建ったのかもしれない。

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