丸ノ内八重洲ビルヂング。千代田区丸の内2-6。1986(昭和61)年9月23日
『ウィキペディア』から引用すると、丸ノ内八重洲ビルヂンは1928(昭和3)年に竣工した。三菱合資会社所有で、1937(昭和12)年に三菱地所株式会社が設立されると、そこが管理するようになる。1945(昭和20)年3月に三菱地所に譲渡された。戦後は1946(昭和21)年4月に占領軍に接収され、米空軍宿舎「八重洲ホテル」として使用される。1956(昭和31)年2月3日に返還された。
建物は鉄骨鉄筋コンクリート造8階建地下1階塔屋付き。外観は小松石の粗石積みによる基壇部、平坦な壁に小さめの窓を並べた中層部、アーチの窓の上層部という3層の意匠で、北東角の尖塔がアクセントになっていた。石積み部分はヨーロッパの中世の城郭を思わせる。設計は三菱地所部(藤村朗)、施工は大林組。1928(昭和3)年3月31日の竣工で、当時の名称は「八重洲ビルヂング」。住所が「東京府東京市麹町区八重洲町一丁目1番地」だった。
1962(昭和37)年に 増築工事がおこなわれている。裏側の低層部分にフロアを積み上げたのだろうか? 同年名称を「丸ノ内八重洲ビルヂング」に改称した。
丸ノ内八重洲ビルヂング。左:1986(昭和61)年8月17日、右:1986(昭和61)年12月30日
三菱地所が、丸の内2-6にある「古河ビルヂング」(9階建、1965年)「三菱商事ビルヂング」(15階地下4階建、1971年)「丸ノ内八重洲ビルヂング」の3棟をまとめて建て替える計画を発表したのが2004(平成16)年3月。解体は2006年7月から。2009(平成21)年4月に34階地下4階の「丸の内パークビル」と「三菱一号館」が完成した。
三菱一号館の復元だが、旧建物(二代前)が建っていた同じ位置(正確には1.6mセットバックされているという)に、外観はほぼ正確に復元されている。コンドルを偲ぶ巨大な記念碑と考えれば、これはこれでいいのかもしれない。
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