ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




市田邸(表門と母屋)。台東区上野桜木1-6。2013(平成25)年11月6日

東京芸術大学の敷地の北を東西に通っている通りに面して、表門を構えている屋敷。以下、『東京都の近代和風建築』(東京都教育庁編集、2009年)の「市田家住宅」の記述を紹介する。
市田邸のある一帯は、寛永寺の支院のひとつである松林院の土地だったのを、明治中期に寛永寺が100坪単位で貸地・分譲し、次第に宅地化された。隣の「上野桜木会館」と共に屋敷町の歴史的景観を伝えている。
市田邸は明治40年(1907)に、日本橋で布問屋「市善商店」を営む市田善平衛により建てられた。善平衛は60歳になったのを機に長男に店を任せて、隠居所を建てて引っ込んだらしい。そこに家族の誰かが入り込んできたのか、大正初期に2階を増築する。『たいとう歴史都市研究会>市田邸』には「当初は平屋の建物でした。大正期に家族が増えたため、 平屋当時の桁に床梁をのせ2階を増築した「おかぐら形式」です」とある。
戦後は東京芸術大学声楽科の学生が多く下宿し巣立っていった家である。既サイトには「30名程」とある。「出船の港」なんかが通りに漏れ聞こえたのかもしれない。
家の配置と間取りは「敷地全体を塀で囲い、南東隅に腕木門、南半に庭を設け、起り屋根の玄関が取付く木造2階の母屋を中央に配置する。母屋は、南側を庭に面した縁側と座敷の接客空間とし、北側を居間・台所・風呂・女中部屋などの生活空間にするなど、当時の小規模な屋敷型住宅として典型的な姿を残す」「北西に木骨煉瓦造2階建の蔵」。
平成13年より、NPO法人「たいとう歴史都市研究会」が借り受け維持管理をし、地域の芸術文化活動の拠点として活用するようになった。平成17年に国登録有形文化財になった。



市田邸(蔵と母屋)。台東区上野桜木1-6。2013(平成25)年11月6日

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