ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




富士製本所。台東区小島1-6。1992(平成4)年6月6日

清洲橋通りの佐竹通南口交差点の角に台東小島アパートが建っているが、その北側の横丁である。写真左手はすぐ清洲橋通りで、写真右端の家は古屋歯科医院の裏の家。
富士製本所は建物もそのままで現在も続いている。銅板貼りの家は二軒長屋のようだが、右の家が今も残っている。




上:金岡印刷。小島1-8。1989(平成1)年1月29日
古屋歯科の前を東へ行ったところ。写真左端のビルが台東小島アパートでそのすぐ右に古屋歯科が写っている。写真右の二軒長屋が金岡印刷。写真左のほうで日除けを出しているのが山崎食料店。
現在も写真の家は改装されたりしているがだいたいは残っている。

左:民家。小島1-4。1987(昭和63)年12月31日
2枚目の写真の道を右へ行って、次の交差点との角。現在は建替えられた。

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芳屋印刷。台東区小島1-4。1988(昭和63)年12月31日

古屋歯科医院の前を東へ少し行ったところ。住宅地図では右手前から、三ツ和新建材、芳屋印刷、金の星荘ソーコ、宗像工務店、及川印刷所……。
「金の星社」という大正8年に設立された子供の本の出版社が写真の道路の南側の道路にある。1936(昭和11)年に浅草区小島町に移転してきている。金の星荘というのはその会社の社宅だか倉庫なのだろうか?
現在、ここに写っている古い家はほとんどなくなって、建替えられたり空地のまま駐車場にしていたり、という状態だ。


宗像工務店の右側には路地が通っている。1986(昭和61)年4月6日



金の星荘ソーコがなくなって、路地に向いた宗像工務店の横側が見えている。駐車場奥の看板は「金の星駐車場」。2003(平成15)11月16日

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姫の湯。台東区小島1-6。1986(昭和61)年10月27日

手前は清洲橋通りで、佐竹商店街のある台東3丁目の向かいである。姫の湯の正面入口の写真を撮っておかなかったのが残念だ。
この辺りが低湿地だった大昔は「姫ヶ池」という池があったそうで、そこを整備して三味線掘にしたらしい。銭湯の名前はそれにちなんでいるのだろう。

清洲橋通りの看板建築群。小島1-6。1988(昭和63)年12月31日

清洲橋通り沿いに、姫の湯に並んで看板建築の商店が立ち並んでいる。写真右の家がなくなったが、6軒が今も大通り沿いに残っているのが不思議だ。
姫の湯から右へ。千葉商店(電動工具)、佐々木商店(板金・打抜・建設工具)、ユタカ商店、森貞、民家?、民家?。町工場向けの商店が多いようだ。

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古屋歯科医院。台東区小島1-7。1987(昭和62)年3月8日

台東区小島1丁目は、おかず横丁のある鳥越1丁目の北にある。写真の医院は清洲橋通りから1歩東に入った場所にあった。正面の玄関は、四叉路の隅切りした部分に向いている。四叉路といっても食い違いのある道で、隅切りで三角にしたところが高さに比べて底辺が長い形になっている。昔は清洲橋通りあたりに三味線掘りがあり、そこから鳥越川が東に流れ出ていたという。食い違う道路はその水路に影響された跡なのかもしれない。
『日本近代建築総覧』に「建築年=S4~5、木造2階建て、設計施工=ふくちさくえい、いわゆる看板建築、アールデコ風」として載っている。
棕櫚の木とベランダの組み合わせで南洋の占領地に建てられた司令部のようにも見える。
「むにゅ’sのぉと>すでになくなってしまった建物(2007.02.15)」では、建築関係の職人や棟梁が多く暮らしていた地域なので「ふくちさくえい」氏もそういう一人だったかもしれない、と推定している。

横から見るとかなり平べったい建物だと分かる。1988(昭和63)年12月31日

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田辺啓太郎商店。中央区月島2-9。1989(平成1)年12月31日

清澄通りの初見橋交差点の南を東南に入ったところで、写真左の2階屋が大内製作所、そのさらに左が東湯だった。写真右の「大成交易」の看板のビルは、森永牛乳販売店の平石乳業がオーナーだろうか。
田辺啓太郎商店は左官道具を扱う商店らしい。


左:1989(平成1)年12月31日、右:1991(平成3)1月20日

1階上の「田邊啓太郎商店」の文字の左右にグリフィンのレリーフがある。また、3階の窓の間には商号のようなものが貼り付けてある。富士山の下に「啓」の字だが、住宅地図には「富士田辺」の記載になっている。1枚目の写真ではガラス戸に「富士啓」の文字が読める。

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東湯。中央区月島2-9。2005(平成17)年3月26日(2枚とも)

清澄通りの初見橋交差点の南を東南に入ったところにあった銭湯。玄関は清澄通りに平行した通り(月島東仲通り)に面している。昭和25年頃の火保図には「石川島浴場」、戦前の火保図には「天徳湯」となっている。「風呂屋の煙突東湯」に内部の写真と共にわりと詳しく紹介されている。
現在は取り壊されて更地になっている。



清澄通りからの横丁に面した東湯の横と裏側。写真右のコインパークは大内製作所の跡。

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都庁西1号庁舎。千代田区丸の内3-5。1985(昭和60)年11月10日(4枚とも)

当ブログ前回は丸の内にあった東京都庁の西1号庁舎を外の通りから見た。今回は都庁の敷地の中から撮った写真である。中央の玄関部分から北側だけで全体を写した写真がないが、4階部分があるのは増築によるものだろうか。
上の写真右奥の煙突がある建物は日赤東京都支部。



このビルは主に建設局が使っていたようで、住宅地図には「西1号庁舎(建設局)、東京都職員信用組合」と記載されている。案内板によると、「建設局――総務部、用地部、公園緑地部、河川部、再開発部、職員互助組合(食堂、売店)」。

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