コメント
 
 
 
Unknown (むにゅ)
2009-09-07 03:21:06
すご~い!よくぞ、全景撮ってくださってました!
この建物の写真アップしてるとこ、ほんとにないんですよ。今では、このお宅は歯医者さんをやめてしまって、ここは普通のアパートに建て変わってしまってるんですよね・・・トラックバックさせてくださいね!
 
 
 
Unknown (むにゅ)
2009-09-07 03:27:15
もしかしたら、福地さんのこと少しわかるかもしれないです。実家に帰らないとわからないのですが、実は実家に下谷付近の大工の棟梁たちを描いた日本画の掛け軸があるのです。それには、この付近一帯の棟梁たちの名前と屋号(あったはず・・)、町名が描いてあるんです。数年前まで実家の床の間に掛けてありました。恐らく、かけ替えてはいないはず・・・実家にはなかなか近寄れないアタシですが、いずれは帰って実家を継ぐことになるので、その時まで首を長くして待っててくださいね。この人のことが何かわかるかもしれないです・・・
 
 
 
>むにゅ様 (流一)
2009-09-07 18:37:06
早速のコメントをありがとうございます。
正面の写真はもう少し引いて1枚に収めればよかったのに、気の利かないことです。下段の写真を撮ったときは日光が一部だけにあたっているのと自動車がじゃまで、また今度、とでも思ったようで、結局は載せた4枚しか撮っていませんでした。
「棟梁たちを描いた日本画」というのはなんとも珍しいものではないでしょうか。「福地さん」は別としても、「むにゅ’sのぉと」で解説をお願いしたいものです。
 
 
 
Unknown (むにゅ)
2009-09-08 23:26:00
あれ、確か錦絵です!なので、刷った物ではないでしょうか??恐らく、神田、上野、鳥越、浅草あたりの大工の棟梁たちのお宅にあったのではないでしょうか?時代がわからないのですが、うちの屋号が神田●●ではなくて下谷●●になってましたので、もしかしたら元浅草で開業していた時代(昭和以前??)かもしれないです。だと、したら福地さんも載ってるはずですよね。首を長くして待っててくださいね!
 
 
 
Unknown (むにゅ)
2011-09-21 18:19:36
これ、どうも自家設計というか、大工さんと相談してこのお宅の方が設計されたようです。
まだ、福地氏の錦絵は実家に近寄っていないので確認できてません・・・
 
 
 
>むにゅ様 (流一)
2011-09-23 09:38:38
『むにゅ’sのぉと>すでになくなってしまった建物』の「追記」を拝見しました。「昭和3年築、設計・古屋紀一氏・昭彦氏(建物所有者)、施工・ふくちさくえい氏」。
歯科医院の先生と家族だか親戚の人が大工の棟梁を交えて、あれこれ図面を描きながら検討したのでしょうか? 関東震災後のバラックから人の目を引くような建物を建てられまでに立ち直ったということなのでしょうね。
 
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