古屋歯科医院。台東区小島1-7。1987(昭和62)年3月8日
台東区小島1丁目は、おかず横丁のある鳥越1丁目の北にある。写真の医院は清洲橋通りから1歩東に入った場所にあった。正面の玄関は、四叉路の隅切りした部分に向いている。四叉路といっても食い違いのある道で、隅切りで三角にしたところが高さに比べて底辺が長い形になっている。昔は清洲橋通りあたりに三味線掘りがあり、そこから鳥越川が東に流れ出ていたという。食い違う道路はその水路に影響された跡なのかもしれない。
『日本近代建築総覧』に「建築年=S4~5、木造2階建て、設計施工=ふくちさくえい、いわゆる看板建築、アールデコ風」として載っている。
棕櫚の木とベランダの組み合わせで南洋の占領地に建てられた司令部のようにも見える。
「むにゅ’sのぉと>すでになくなってしまった建物(2007.02.15)」では、建築関係の職人や棟梁が多く暮らしていた地域なので「ふくちさくえい」氏もそういう一人だったかもしれない、と推定している。
横から見るとかなり平べったい建物だと分かる。1988(昭和63)年12月31日
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この建物の写真アップしてるとこ、ほんとにないんですよ。今では、このお宅は歯医者さんをやめてしまって、ここは普通のアパートに建て変わってしまってるんですよね・・・トラックバックさせてくださいね!
正面の写真はもう少し引いて1枚に収めればよかったのに、気の利かないことです。下段の写真を撮ったときは日光が一部だけにあたっているのと自動車がじゃまで、また今度、とでも思ったようで、結局は載せた4枚しか撮っていませんでした。
「棟梁たちを描いた日本画」というのはなんとも珍しいものではないでしょうか。「福地さん」は別としても、「むにゅ’sのぉと」で解説をお願いしたいものです。
まだ、福地氏の錦絵は実家に近寄っていないので確認できてません・・・
歯科医院の先生と家族だか親戚の人が大工の棟梁を交えて、あれこれ図面を描きながら検討したのでしょうか? 関東震災後のバラックから人の目を引くような建物を建てられまでに立ち直ったということなのでしょうね。