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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




インペリアルビル。神奈川県横浜市中区山下町25。2009(平成21)年7月26日

一見、どうということのない普通のビルである。隣の上田ビルは1972年に建ったものだが、同じ頃のビルにも見える。これが1930(昭和5)年に建った、大さん橋入口の「ジャパンエクスプレスビル」や海岸通りの県庁向かいの「昭和ビル」と同じ設計者による、関東大震災復興期の建物と分かると、改めてつくづくと眺めることになる。
『日本近代建築総覧』では「インペリアルビル、中区山下町25、建築年=昭和5年、構造=RC4階建、設計者=川崎鉄三、施工者=白井工務店」。
はまれぽ.com>…「インペリアルビル」に突撃!(2015.09.29)』、及び『ウィキペディア』によると、外国人専用アパートメントホテル(長期滞在型のホテル、24室)として建てられた。終戦後は約10年間米軍に接収された。その時期に5階部分の増築がなされている。
川崎鉄三は生没年不明というのが不思議で、親族などはどうなっているのだろう? 1912(明治45)年、東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築科卒業。1925(大正14)年に「若尾ビル」建築のために横浜に来た。川崎鉄三が横浜で手掛けたのは7棟という。当ブログでは今まで挙げてきた他に「加藤電気工業」を収録している。
インペリアルビルは当時としては超モダンな外観だったと思われるが、そのデザインはどこから出てきたものなのだろう? 施主の意向なら、施主が建築の最先端の動向について知識があったことになりそうだが、施主は保守的であることが通り相場だ。余計な飾りはなくていいから、という注文だったのだろうか?
写真では1階に楕円形の窓があるが、今はビルオーナーの意向で原形に戻す形に改装された。『神奈川の近代建築探訪インペリアルビル』には、楕円形の窓が4個ある時の写真が載っている。
ビルの裏側にあった駐車場にはビルが建って、今はビルの裏側は見られなくなった。

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