
岡田商事。墨田区両国1-11
1988(昭和63)年2月21日
隅田川に架かる両国橋の東の袂に近いところに今も残っている洋館の事務所。『日本近代建築総覧』に載っていて「木造、設計・施工=自社」の記載で建築年は不明らしい。
岡田商事は主にスクラップを扱う鉄鋼関連の会社らしいのだが、駆逐艦・不知火(しらぬい)の解体を請け負ったときに、記念に錨を保存しようと思い至ったのだろう、それを両国小学校(両国4丁目)に寄贈した。寄贈したのが昭和初年ということで、いつ解体したのかははっきりしないが、同時期のことと思える。学校の北西角に、芥川龍之介文学碑と並んで今も保存されている。説明板で「岡田菊治郎商会」という旧社名が判る。
岡田商事は事務所の裏手、隅田川に沿って倉庫を持っていた。現在、そこは広い駐車場になっている。いつ取り壊されたのか知らないが、1990年の航空写真では取り壊されて間もないといった様子だ。古い航空写真を見ると倉庫は5棟くらいが接して建っていたようだが、その倉庫群の南の端に「両国劇場」という八角形のレンガ造りに見える建物があった。とはいってもぼくは見ていない。
『東京人 1991年6月号』に「消えてゆく風景」(絵と文:藪野健)という記事があり、建物の絵が載っている。貴重な記録であり、他に資料があるかどうかも知れないので、両国劇場に関する記述を引用しておく。
(東京の)もう一つの中心、両国も戦災に会い、昔日の風景とは程遠いが、意外なところに、とんでもなく良質の建物が残っている。その中でも両国劇場は、うっかりすると誰も発見出来なかっただろう。本体は隅田川のカミソリ堤防で隠され、上を高速道路が走る。ようやく水上バスから、屋根組のほんの一部が一瞬見えただけだ。八角堂の赤煉瓦の珍しい光景は、もし見える場所にあったなら、名所となっていただろう。人知れず姿を消していった。 『大東京繁昌記〈下町編〉』(昭和51年、講談社、950円、昭和2年に新聞連載したものを復刻)にある芥川龍之介の「本所両国」に両国劇場のことがちょっとだけ書かれている。「この表忠碑(今も両国橋袂にある大きな石碑だと思う)の後には両国劇場という芝居小屋の出来る筈になっていた。」とあって、芥川は見ていないのだが、両国橋からでは倉庫の陰になって見えない。
『東京人 1991年6月号』「消えてゆく風景」(絵と文:藪野健)より
絵のキャプションは「旧両国劇場:墨田区千歳 明治中期頃に建築され、その後岡田商店に移管され一部が使用されていた。この絵は昭和61年(1986)に描いたもの」
「千歳」は竪川の対岸になる。たんなるミスで、千歳にあったのを移設したという意味ではないらしい。「岡田商店」も「岡田商事」の間違いだと思う。「使用されていた」とは、倉庫として、だろうか。
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