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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



旧山吉デパート。埼玉県川越市仲町6
1989(平成1)年9月18日

一番街の仲町交差点のすぐ北に建っている3階建てRC造のビル。建物名はネットでは「旧山吉(やまきち)デパート」が多いのでここでもそうした。埼玉銀行川越支店(旧国立八十五銀行本店、大正7年)と同じ保岡勝也の設計、安藤組の施工で1936(昭和11)年の竣工。4本のイオニア式オーダー、壁面の唐草模様のレリーフで飾られた、ルネッサンス様式と言われることが多いデザインのビルだ。正面1階の上には「別府ステンド硝子製作所」が製作したステンドグラスがはめられている。
山吉デパートの次に入ったのが「丸広百貨店」だが、ネットではどちらも高級百貨店のように記されていてややこしい。『高度経済成長期以降の川越地域における大規模小売店の開店・進出と商業活動調整協議会』(松本和明)という論文のPDFファイルが読める。それには割と詳しく丸広百貨店の歴史が記されているので、以下、ぼくが理解した範囲でまとめてみた。

丸広百貨店の前身は大久保竹治が創業した「丸木商店」(丸木衣料品店)で、1939(昭和14)年に入間郡飯能町に創設した衣料品卸・小売業。1950(昭和25)年に川越への進出を企図したとき、鍛冶町919番地(現・仲町) で呉服・洋服の販売をしていた「山吉百貨店」の渡辺吉右衛門から用地の提供を受けた。山吉デパートはいわゆるデパートではなかったようで、「デパート」を称していたかも怪しいことになる。また、「用地提供」で、売り場は2階建てとしているので旧山吉デパートの店舗だったかどうか不明だ。想像だが、旧山吉デパートの1・2階を借り、その裏(現在は駐車場)に売り場を造ったような気がする。
丸木商店川越店の開業は1951(昭和26)年10月。「丸木百貨店」として開業したのかもしれないが、社名を丸木百貨店と変更したのは1956(昭和31)年11月である。そうとう繁盛したらしい。1964(昭和39)年10月に新富町の新店舗を開設して移転した。
丸木百貨店が移転した後は空家になっていた時期が長かったらしい。『日本近代建築総覧』には「グランドキャバレー月世界(旧山吉デパート)」で載っている。1970年代のある時期に、キャバレーが入った時があったわけだ。
2007(平成19)年3月に1936(昭和11)年の竣工時の姿に復元され、同年、山吉デパートの創業者のお孫さんが「保刈歯科醫院」を開業した。

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