ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




冨士屋。埼玉県川越市幸町7。1989(平成元)年9月18日

甘味処の冨士屋から一番街を北向きに撮った家並み。「鳴海印刷」の看板の右が「蔵造り資料館」。
冨士屋の看板には「自慢焼 中華そば、小倉アイス」が読める。自慢焼きというのは今川焼のこと。現在は寺子屋グループの「茶和々」という抹茶スイーツの店に替わった。その店のオープンは2014年9月だが、その直前まで富士屋は続いて来たらしい。
冨士屋の右は仕舞屋のようだが、今は「菓匠芋乃蔵」という和菓子店が2010年6月に開店した。その右に幅2間くらいの平屋の家があって、それが「鳴海印刷」。今は2012年1月に開店した「荒井武平(ぶへい)商店」という自社で醸造した味噌を売る店になっている。



銀パリ、太陽堂書店、冨士屋。川越市幸町7。1984(昭和59)年5月4日

理髪店の銀パリと太陽堂書店が入るのは、川越市指定有形文化財(1981年指定)の「平岩・水飼家住宅」。明治26年に建った「蔵造りの意匠を施した町家建築」。「正木屋」の屋号で「糸繭製茶煙草問屋」の家だったという。糸繭・製茶・煙草と切るのだろうか、地元の作物を加工するような業務を営んでいたと想像できる。
太陽堂は今は和装小物店のような店頭になっているが、創業昭和10年(1933年)の書店であると貼紙がしてある。銀パリは昭和41年に開業したというから、こちらもすでに老舗だ。

追記(2022.10.30)
銀パリと太陽堂の前面は大きな日よけのテントと窓が2つの垂直な壁で、本来の蔵造りの外観を隠している。冨士屋も同様だ。『川越の建物 蔵造り編』(仙波書房、2022年9月、税込2,200円)によると、昭和30年代に入ると、蔵造りの外観は古くさくてよくない、というイメージが一般に広がり、蔵造りの建物の前面を改装して最近建ったかのように見せることが行われた。太陽堂は1階庇の上に増築して、看板建築風に改造した。昭和31・32年頃のようだ。元に戻す改修工事をしたのが1986(昭和61)年。その際、2階の格子窓は通りがよく見えるように横長のガラス窓に変更した。現在は本屋とは見えない店先だが、川越に関する本棚が充実しているという。
本書によれば、銀パリは1963(昭和38)年の開業。

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コメント
 
 
 
写真の転載のお願い (黒木工務店 黒木 肇)
2021-01-19 10:47:13
はじめまして、大工の黒木と申します。
昔川越市の太陽堂書店と鳴海印刷の改修をした大工です。この度還暦大工なのですが、息子がホームページを作ってくれました。資料として鳴海印刷の映っている写真と太陽堂の映っている写真を使ってもよろしいでしょうか?ご検討よろしくお願いします。
 
 
 
>黒木工務店様 (流一)
2021-01-20 10:14:18
当ブログの写真の流用は承知しました。トリミングなどの加工もかまいません。
還暦というお年ならまだまだ働けますね。
 
 
 
追記 (流一)
2022-10-30 10:48:15
『川越の建物 蔵造り編』から得た知識を、追記しました。
 
 
 
ありがとうございます (黒木工務店)
2023-01-23 07:43:18
今更ですが、ご承認ありがとうございます。なんとか頑張って大工やってます。Facebookに近況をぼちぼち載せていますので覗いてみてください。https://www.facebook.com/kurokihajime/?show_switched_toast=0&show_invite_to_follow=0&show_switched_tooltip=0&show_podcast_settings=0&show_community_transition=0&show_community_review_changes=0&show_community_rollback=0&show_follower_visibility_disclosure=0
 
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