
東京温泉。銀座6-13。1985(昭和60)年6月3日
戦後、瓦礫を放り込んで埋め立ててしまった三十間堀の上に建てられた。戦後の建築だが、憶えている人も多いと思うから取り上げてみた。
今は銀座ウォールビル(1989年6月竣工)が建つ。「東京温泉」でネット検索したら、「東京温泉株式会社の再生計画の支援をしてきた東誠不動産が平成17年10月にビルを取得した」というような公告があった。どうやら東京温泉は貸しビル業に事業を変えて最近までやってきたらしい。
『銀幕の東京』(川本三郎著、中公新書、1999年刊)の「銀座化粧」(成瀬巳喜男監督、田仲絹代主演、1951=昭和26年)の章で、東京温泉を「昭和26年4月1日開業、平成5年閉館」としている。この映画はぼくも有線テレビで見た。建築工事中の東京温泉を塀の穴から覗くシーンがあった。また、京橋川の築地橋の河岸を歩くシーンには、旧区役所の建物や橋を渡る都電も映っていたように憶えている。

東京温泉。1985(昭和60)年頃
『東京案内記』(木村毅編、黄土社、昭和26刊)に「銀座センター」と題するコラムがある。古い本なので全文を紹介しておく。
銀座に風呂屋が出来た。しかも四階建ての堂々たるビルである。詳しくは東京温泉株式会社センターと称しトルコ風呂、千人風呂、砂風呂、坊主地獄、コンヨク?さてはキヤバレー、ホール、麻雀クラブ、食堂酒場の類に至るまで、モダン浮世風呂といつた設備バンタン湯女にあらずミス・トルコ五十余名が色とりどりのサーヴイスで料金百円から御用とお急ぎでない方は「一度はおいで、お湯のなかにも花が咲く」と謳う。都電三原橋、地下鉄銀座下車。
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玄関の部分が円形のデザインになっているところなど、当時の建築のモダンさを感じます。
「東京案内記」の案内文は興味深いです。
これによると、東京温泉にはいろいろなお風呂があり、トルコ風呂はそのうちのひとつだったということでしょうか。
「ミス・トルコ五十余名が色とりどりのサーヴイス」、開業当初からミス・トルコという呼び名が定着していたようですね。
(当コメントが別の記事に出てしまったため、こちらで投稿のやり直しをしました。本来の投稿時間2007.10.13 08:12:56です。流一)
東京温泉のサービス内容は開業時と閉店の時期ではずいぶんと変わってきているのでしょうね。ぼくはなにも知らなかったので「東京温泉」という名前から健康ランドのようなものを考えていました。
始めて飲みに行った時、銀座の裏通りにそびえたつ東京温泉にどぎもを抜かれました。「東京温泉」のネオンがなんだか禍々しく輝いていたのが忘れられません。
もうないんですね、、、、
なつかしくて心が疼きます
東京温泉の夜の様子は知りませんが、写真を見ると入口上に「東京温泉」のネオンを置いて電球を2列に並べた柱を半円形に並べていますね。写真でいいからそれが輝いているところを見たいものです。
業務としては東京駅の公衆浴場の運営を行っていました。東京駅の公衆浴場がが2007年に建て替えのため閉鎖されてからは会社を分割して清算され、2011年にはその分割された会社も清算されました。
東京温泉株式会社が2011年まで、とにかく存続してきたとは意外でした。
写真の野次馬は近所のバーのホステスなんでしょうね。事件直後ではこんなに現場には近づけないように思いますが、昔のことなのでどうなのでしょうか? 温泉マークは連れ込み宿の看板に使われました。それもいつ頃からなのか知りませんが、たぶんそれではないでしょうか。
メッカの場所ですが、「新橋1丁目の細い横丁」「有名な美容整形外科」などとあるので、外堀通りと新橋第一ホテルの間になりそうです。