ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




鳥辰。中央区月島1-5。1988(昭和63)年1月17日

清澄通りと月島西仲通りへ向かう横丁の交差点の角。写真左奥へ行くと、西仲通りの看板建築「第三鹿島酒店」の角に出る。鳥辰の右は千鶴美容院。
現在も店は入れ替わったり廃業したりしているが、角の看板建築の家とその奥の二軒長屋の建物は変わらない。



二軒長屋。1989(平成1)年10月29日

写真右の看板建築が鳥辰の入っている家。二軒長屋の右側は稲見炭店。黄色の丸い看板が懸かっているが、練炭の看板である。ガラス戸には「木炭」と書いた紙が貼ってある。長屋の左は「長沢自転車店」だった家。
下の写真では稲見炭店の右のブロック塀に「ダイヤアイス」と書かれている。さいころ状の氷のことで、氷も売っているのだ。あるいは氷屋といったほうが正確なのかもしれない。戦前の火保図に建物の「炭ヤ」の注の書き込みで「のしろ氷屋(冬はたいこ焼屋)」とある。



稲見炭店。1991(平成3)年1月20日

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コメント
 
 
 
月島一丁目 鳥辰 (川和治子(旧 西賀))
2017-08-04 20:23:18
懐かしさでいっぱいです。

今はもう、無くなってしまった実家!

生まれ育った場所!

写真を撮って下さりありがとうございました。
 
 
 
>川和治子様 (流一)
2017-08-08 12:25:25
当ブログをご覧いただきありがとうございます。晴海通り側の写真は天候のせいもあるでしょうが、なんとなくぼけてますね。現在のマンションは2015年に建っていますので、鳥辰の建物が取り壊されたのは2012年頃でしょうか。
昭和25年頃の火保図という地図では「西賀仕出しや/小坂」と出ています。元は仕出し屋をなさっていたようですね。鳥辰は居酒屋だったようですが、ご実家で経営されていたのですか? 小坂家は家内工業所のようにも見えますが、なにかご存知でしょうか。
 
 
 
月島一丁目鳥辰 (マック)
2018-04-06 12:20:43
鳥辰は二代、続いた飲食店。
おじいさんの西賀五郎の時代は鳥料理などを
出していたようですが、当時アメリカ軍の兵隊さんの希望で手作りマヨネーズやフライドチキンなども、提供したようです。
その後、息子の勝兵になってからは、
天ぷら屋さんに変わりサラリーマンなどが、集う店になりました。
 
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