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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




浅草観音温泉。台東区浅草2-7
上:1988(昭和63)年5月14日、下:2015(平成27)年12月25日。右下は浅草寺の五重塔から


『ウィキペディア』によると、浅草観音温泉は1957(昭和32)年の開業。温泉は「重曹泉(ナトリウム-炭酸水素塩泉)で26.3℃から加温、循環式、黒湯だが濾過して淡黄色」。『立ち寄り湯みしゅらん>浅草観音温泉★★』には浴場に掲示してある成分表に「地下3000尺、湯涌量1日8000石、温度28度」とあるそうで、つまり「地下909m、湧出量100ℓ/分となる。実際はもっと浅いらしい」としている。
開業した1957年というと2月に石橋湛山内閣から岸信介内閣に変わった年で、10月にソ連がスプートニク1号を打ち上げた。アメリカ大統領はアイゼンハワー。流行語はなんといっても「太陽族」。ネットで潜入レポートを見ると、外観も内部の施設もその当時からほとんど変わっていないようである。1枚目の写真では屋上に「娯楽と憩いの霊泉」のネオンサインが残っている。この頃は後ろに四角柱の煙突がまだあった。今はビルを覆うまでになった蔦も入口の看板の下を這っているだけ。
玄関の上の看板に「唄と踊りで今日を楽しく」とあるのは3階の大広間演芸場があったからで、歌と踊りはプロの芸を見るのではなく客が自分で演じて楽しむものだったのだろう。今は土日に休憩室として利用できるだけだ。それでも看板を替えないのが今や客を呼ぶ要素といっていい。看板には「酒は大関」と「男は黙ってサッポロビール」の文字もある。大関株式会社とサッポロビール株式会社が看板の設置費用を折半したのかもしれない。大関のほうは「酒は大関こころいき」としたほうがTVコマーシャルとはっきり判るし、サッポロとの文字数のバランスもとれたのではないかと思う。「酒は大関」の歌は1965(昭和40)年からのCMかららしい。「男は…」のCMは1970(昭和45)年の登場。


ひさご湯。浅草2-24
2005(平成17)年7月16日

花やしきの裏手にあった銭湯で、ひさご通りの中ほどから横町を東へ入ったところ。2006年6月15日で廃業したそうだ。今は「ライフピア浅草(10階建て28戸、2012.03築)」というマンションに建て替わっている。ひさご湯の創業や写真の建物をいつ建てたのかは不明。
周辺は言問い通りのすぐ裏手で旅館や料亭が多くあった場所だ。ひさご湯の隣の駐車場は1986年の地図では「旅館なみ寿」となっている。今もひさご湯(現・ライフピア浅草)の裏に「旅館やなぎ」と「旅館夕月」だった古い建物が残っている。

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コメント
 
 
 
子供のころの遊び場 (toki)
2022-08-23 14:54:48
ここのひさご湯は幼稚園から小学校の仲良しの友達の家でした。よく遊びに行って、開店前は脱衣所で鬼ごっこをしたり、おばあちゃんが小銭をくれ隣の花やしきで遊んでいました。当時は花やしきは入園無料だったし、ひさご湯の友達と一緒だと、顔見知りなので、いろいろな乗り物もフリーで乗れました。
ひさご湯前にも当時は出入り口があり、そこから入るとスリラーカーとかマジックミラーハウスなどがあったと思います。
 
 
 
>toki様 (流一)
2022-08-27 10:11:54
なんだか素晴らしい環境で育ったようですね。花やしきが入場料をとるようになったのは昭和60年からなので、tokiさんが遊んだのは昭和50年代のことでしょうか? 
わたしが一度だけ入ったのは昭和34年、すでに中3でしたが年下のいとこ達と一緒に。昔のことなので憶えているのは鬼にボールをぶつける遊びだけ。
 
 
 
昭和の頃 (toki)
2022-09-14 13:44:22
ひさご湯の友達とは小学校まで一緒だったのですが、一緒に遊んでいたのは主に昭和40年代ですね。
鬼にボールをぶつける遊び、覚えています。
あと、園内中央付近に池があり溶岩で作った壁面に滝があったような…。
いまはJRAになってしまった新世界とともに、幼いころの六区の思い出ですね。
 
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