ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




寿湯。千葉県浦安市堀江2-5。2009(平成21)年3月13日

浦安の町は漁師町だった集落が起源で、境川が船溜まりだったから境川の両側、新橋から江川橋の間に家が立ち並び、その外側を田んぼが広がっていた。1969(昭和44)年3月に東西線が開通して、浦安の繁華街は浦安駅のほうへ移ってしまった。1971年には漁師は漁業権を放棄し、海の埋め立てが進んでいく。
境川の南に川に沿って通っている「堀江フラワー通り商店街」は古くからある浦安きっての商店街だったが、浦安駅ができて以来衰退がはじまり、50年が経った今は住宅街の通りに幾つか商店がある、というのが実態である。
長さ約400mのフラワー通りに、撮影時には3軒の銭湯があった。漁師は仕事を終えるとまず銭湯に駆け込んだそうで、3軒の銭湯はその名残だ。
寿湯は境橋の袂にあった銭湯で、2014年8月頃に廃業し(『なるとの銭湯ブログ』)、今は取り壊されてトランクルームとしてコンテナが置かれている。
風呂屋の煙突>寿湯』によると、写真の建物は昭和54年に改築されたもの。



米の湯。浦安市堀江2-5。2009(平成21)年3月13日

寿湯の並び、75mしか離れていない米の湯。正面からの写真では分からないが、横から見ると寿湯とそっくりな形で、同じ設計図で建てたものではないかと疑われる。
フラワー通りは1985年に『天才・たけしの元気が出るテレビ‼』というテレビ番組で、衰退した商店街の活気を取り戻そうという企画があって取り上げられた。ぼくはたぶん見ていなくて分からないのだが、『 Go!Go!キョロちゃん>あれから26年…』というサイトに、当時の写真まで載せて紹介している。そこで「たけし 猫招き湯」「元気が出る湯」の看板の米の湯の写真を見ることができ。

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