ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




銚子市公正市民館。千葉県銚子市新生町(あらおいちょう)2-1。2003(平成15)年7月20日

公正市民館は「財団法人公正会」の本館として、大正15年(1926)に竣工した建物。公正会とは浜口儀兵衛商店(現ヤマサ醤油株式会社)の第10代店主悟堂氏が、社会への報恩のため社会教育事業経営を目的として設立した。その活動拠点が公正会本館である。以後、活発な事業活動によって文化の殿堂のように言われた。戦後、公正会は解散し、施設は銚子市に寄贈された。市は昭和24年9月、「銚子市公正市民館」及び「銚子市公正図書館」を開設した。昭和58年5月に公正市民館の裏に図書館を新設し、平成13年11月に「中央地区コミュニティーセンター」と改称した(まいれぷ銚子>銚子市公正図書館)。
建物は『ウェブ版千葉県近代建造物実態調査報告書』によると、「大正15年(1926)4月の竣工、設計者は高橋清輔、施工者は銭高組、構造はRC2階建て」である。「設計者の高橋清輔は東京の商事会社の営繕技師といわれ」、「ゼッションを基調としたデザインは、現在に至るまで大きな変更もなく保たれている」。

銚子は空襲によって大半が焼けてしまった。1945年(昭和20年)7月19日の空襲では、B29・91機の編隊によって攻撃され、300人近い死者と1000人の負傷者を出し、4000戸が焼失したという。漁港と醤油の町が終戦間際に焼き尽くされるとは、とても納得できることではない。
公正市民館はRC造ゆえに焼けなかったのかもしれないが、周辺も焼けなかったような感じもする。ストリートビューで見ただけだが、公正市民館裏の路地に建っている「黒田商店(畳材料、わら工品)」、「宮銀水道設備」、「マルフク味噌」のホーロー看板を付けた民家の3軒はかなり古い家に見える。また、『日本近代建築総覧』には「沢井商店、銚子市新生町1-57、木造、いわゆる看板建築」が載っている。



復興橋。銚子市新生町2-末広町。2003(平成15)年7月20日

公正市民館の前の通りは県道244号戸川港線で、銚子駅の北、銚子駅前交差点から始まり、銚子電鉄本銚子駅付近で南に向きを変えて犬吠駅を通って戸川(とがわ)漁港に達する。
公正市民館の横に短い橋が架かっている。「復興橋」という昭和31年竣工の橋。滑川を渡している。
滑川はただの溝にしか見えない小さな川で、350m北で銚子漁港になっている利根川にそそいでいる。自然河川を改修した川なのか、ほぼ真南に直線で流れているので農業用水として掘られた川なのか判断に迷う。地図で源流までたどることでき、そこはほとんど銚子半島を横断して屛風ヶ浦の海岸に出てしまう辺りだ。屛風ヶ浦を造っている山に突き当たる形で終わっている。

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