ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



2010年頃から、東大本郷キャンパスの再整備が急に進みだしてようで、今も工事中の建物が幾つもある。本郷キャンパスの建物はその配置計画も含めて、関東大震災後に内田祥三(うちだよしかず)によって造りあげられたといっていい。なんとなくいつまでもそのままの状態でいくような気がしていたが、当然、そういうことはない。なくなった建物があれば、まったく新しい建物も増えた。そこで、東大の建物を本ブログにまとめてみることにする。参考資料として最近出版された『東京大学本郷キャンパス』(東京大学出版会、2018年、2800円+税)を多用する。


安田講堂。文京区本郷7-3。左:1988(昭和63)年1月30日、右:2012(平成24)年4月28日

安田講堂(東京大学大講堂)は関東大震災前に計画され、工事が着手された建物だ。『東京大学本郷キャンパス』には、正門からイチョウ並木の先に大講堂を置くという構想は濱尾新(1849-1925、帝大第3・8代総長)から出たものという。1912(大正1)年には正門が完成し、イチョウ並木も整備された。1921(大正10)年に安田善次郎から100万円の寄付があり、建設が具体化していく。
「ウィキペディア」では、「内田祥三が基本設計を行い、弟子の岸田日出刀が担当した。……1921年(大正10年)に起工し、関東大震災による工事中断を経て1925年(大正14年)7月6日に竣工」。鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)、地上7階地下1階。
『近代建築ガイドブック[関東編]』(東京建築探偵団著、鹿島出版会、昭和57年、2300円)では「設計については諸説あるが、学生時代から縦線を強調したデザインをよくした若き岸田日出刀と思われる。ゴチックのコンセプトと、表現主義的なモチーフをおりまぜた、様式より近代への懸樋である。全体のまとめは師の内田祥三であろうが、岸田の代表作となっている」としている。
「LIXIL」が発行している『LIXIL eye』という冊子の『生き続ける建築-6 内田祥三』には、内田の大講堂正面外観の図が載っていて、そのキャプションに「実施案以前の内田案には、「goth式ガ余リニ鮮明ナルコトガ如何ナルモ□□ヤ佐野」と付されている。この後、岸田のE.メンデルゾーン好きにいささか閉口させられる内田だが、大講堂で自案を捨て、似た構成で外観の異なる岸田案を推すに至る背後には、佐野〈利器〉のこの意見があったことになる。……」とある。




上:2007(平成19)年12月15日
左:2012(平成24)年4月28日

「ウィキペディア」によれば、1968(昭和43)年の東大紛争後、20年間も閉鎖されていたが、1988(昭和63)年から1994(平成6)に修復工事が行われた。富士銀行など旧安田財閥ゆかりの企業の寄付があった。1991(平成3)年には講堂での卒業式が復活している。
『東京大学本郷キャンパス』によれば、閉鎖中の1976(昭和51)年に、渡邊定夫教授の設計によって、安田講堂の前の広場の地下に中央食堂が建設された。
2011(平成23)年の東日本大震災の被災を調査した結果、躯体の耐震性と天井などの安全性が懸念された。創建当時の姿に戻す復元を目指す改修が行われる。ただし、講堂としての機能性を重視し、改変も許容するという柔軟な方針がとられた。創建時は自然光を構内に導いていたが、それを復活したのが特筆に値する。創建以来、最も大規模なものになったこの工事は2014(平成26)年に竣工した。



2007(平成19)年12月15日

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