ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




三木ビル(並木座)。中央区銀座2-3。1997(平成9)年4月13日

昭和12年に建ったビルで、現存している。ただし建築時からは増築改修されていて元の面影はほとんどない。『震災復興〈大銀座〉の街並みから―清水組写真資料』(銀座文化史学会編、平成7年、1942円)によると、「施主=三木株式会社、設計=島田工務所、施工=清水組。昭和11年6月1日着工、同12年25日竣工。RC5階地下1階」。
載っている写真を見ると、今は正面の各階は1か所の窓だが、元は正方形の窓が2つ並び、5階は丸窓が2つ。壁はタイル張り。正面左側の壁は階段室らしいが、そこに縦に1つにまとまった窓があり、その上のパラペットの外側に取り付けた十字の飾りから旗のポールが立っている。4階の上の壁にある「理研アルマイト工業」の字はテナントの会社だろう。昭和30年頃の火保図では7階建ての記載なので、6・7階の増築は昭和20年代のことらしい。
以下、『…街並みから』の記事の内容を紹介する。
三木株式会社は印刷会社で、当所、地下に工場を設置した。戦後、工場は虎ノ門に移り、空いた地下室の用途について、映画『青い山脈』を制作した藤本プロダクションの藤本真澄と読売映画社社長の田口助太郎に相談した。三木株式会社は三木ビルの裏に「旅館三木」を経営していて、二人はそこのなじみ客だった。そうして、邦画の名画座をつくることに決まった。昭和28年10月8日のオープンでは越路吹雪がシャンソンを歌ったという。つまり、並木座の運営はビルのオーナーであり、最初から名画座だった。平成10年9月22日で閉館したが、「並木通り」に名前を残す?

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