ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




上野労働相談所。台東区上野7-3。1983(昭和60)年頃

JR上野駅の正面玄関前の広場の北に沿った家並み。1986年の地図では左から、昭栄ビル、上野労働相談所、福田アドセンター、寿屋、八ツ目漢方薬局、昭和通りの上野駅東交差点。
1958(昭和33)年の区分地図では、上野労働相談所は「上野公共職業安定所(車坂25)」なので、元は職安だったのを、台東区役所のそばにその職安を移して、こちらは「労働相談所」という位置づけにしたのかと思う。
『日本近代建築総覧』では「上野労働相談所、建築年=1925(大正14)年、構造=RC3、設計=下谷兵事会、昭和14年以前は市民食堂」。「兵事会」というのは、ネットにある記述から想像すると、徴兵をスムーズに実行するための末端の組織か、それに携わる人のようである。イメージとしては在郷軍人会ともダブって来る。なぜ設計者として出てくるのか不思議だ。
「市民食堂」として建ったらしい。後に職安になったという経過は、深川の 「内職補導所」(現・深川東京モダン館)と同様だ。建物自体のデザインもなんとなく共通するものがある。
冷たい月の陽炎LIBERTSTYLE 深川モダン(2010.04.10)』を参照すると、1918年の米騒動をきっかけに、下層階級の救済のために東京市は市営の食堂(公衆食堂)を設置する。関東大震災後もその必要性は増して、最盛期には都内に16箇所が存在したという。そのうちの「上野食堂(下谷区車坂町)」がこれだ。1936年から役目は終わったとして順次閉鎖していったという。


小泉ビル
上野7-2。1983(昭和60)年頃

写真右に写っているのは昭栄ビルで、上の写真左に写っているビル。このビルは今も健在。「政治結社日乃丸青年隊」の看板と窓に「青思会」の文字があるのは小泉ビル。窓の間の壁はスクラッチタイルだから、元は全面にそのタイルが貼られていたのだろう。
現在は「南大門上野駅前ビル」というのに替わった。やはり主に飲食店が入っている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )