ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




人形町交差点。中央区日本橋人形町2-6。1982(昭和57)年

人形町交差点から人形町2丁目の方向を見たもの。歩道にはアーケードがかっている。写真中央右よりのいちばん高いビルが柴川ビルで、そこまでが6番地だが、この範囲では通りの前面に並ぶ建物は現在もあまり変わっていない。店が変わって建物は改装されている場合が多いから、ファサードは変わってしまうが、いまだビル化していない。しかし後方はビルがだいぶ建っただろうから、どんな様子になっただろうか。
人形町通りでは人形町交差点から水天宮前交差点までが歩行者天国を実施している。「人形町プラプラプラザ」と称する。通りの中央に進入禁止の標識がある。この大通りを一方通行にしたのはいつからだったろう。都電が走っていたときは当然ながら双方通行だった。
店は写真左から、カトレア洋菓子・喫茶店、パーラー・ワコー、人形町通りに向いて、キリンヤ洋品店、栄松堂書店、フジヤ(藤屋)洋品店。



キリンヤ、栄松堂、フジヤ。1983(昭和58)年5月

キリンヤは『東京日本橋人形町キリンヤ洋品店』によると、創業は大正13年10月。建物も創業時のものなのだろうか。
栄松堂書店は東京と横浜に10軒くらいの店舗をもつ会社の人形町支店。現在は「カレーハウス」に替わった。本屋はいつ頃閉店したのかとネットで調べてみると『近野十志夫のページ』に記されていた。2003年8月の日付で「九月半ば突然閉じられた栄松堂のシャッターに貼り紙があった。/明治二十三年から続けて参りましたが/ここに閉店することになりました。/きちんと分類され小さいながらも手に取る本は多く、/こんな本が入ったとよく声をかけられもした。」とあり、2002年9月だったと分かる。ぼくもこの本屋は規模の割には商品の内容が充実していたと感じる。それにしても明治23年の創業とはすごい。
建物自体は4軒長屋のようだ。なにかの本で見たが、楕円形の看板は「週刊文春」の文字が入っていて、建物の上には、「週刊新潮」の看板もあった。

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