ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




東源正久日本橋店。中央区日本橋本町1-6。1987(昭和62)年5月24日

写真右の道路は昭和通りの歩道で、右奥のビルは日本橋大和ビル。このビルは1961年に竣工したものだが、2005年に全館改装して別のビルのように生まれ変わった。東源正久(あずまみなもとのまさひさ)の建物左のゴム印の看板の店は東京コーブンドー。
東源正久は本店が築地場外にあってマグロを解体する包丁で有名らしい。そのHPによると、「源正久」は大阪の刀鍛冶で、そこの次男が明治9年に「東源正久」を名乗って日本橋魚河岸に店を構えたという。昭和6年に魚河岸の築地移転に伴って築地店を開設し、そこを本店とする。「日本橋店」は撮影時には引退した二代目が切り回していたようだ。
『神田倶楽部ログ>高級料理包丁店「東源正久」の移転(2007.03.02)』には「(2007年)3月末日をもって近所に移転」とある。日本橋小舟町の、裏が堀留公園になるマンションに移ったようだ。
『日本古写真倶楽部(2006.02.27)』に昭和20年代の昭和通りを撮った写真があって、東源正久を含む家並みが記録されている。(2010年7月27日改訂)


竹内金属箔粉工業
日本橋本町1-8。1989(平成1)年10月1日

昭和通りの裏通りである。通りの向かい側は日本橋小舟町で、富士銀行小舟町記念館(現小舟町記念会館)のそばだ。この道路は大震災後、西堀留川を埋立てた跡になるようだ。
写真右が清水ビルでその隣に常磐稲荷神社という神社がある。大震災前は日本橋魚河岸の長浜町にあったはずだから、昭和通りを通したり、西堀留川を埋立てたりした際に少し動かされたのだろう。
写真の洋風の建物は正面をかなり変えられているが現在も残っている。よくよく見ないと分からない。右の清水ビルはそのままで残っているのでそれが目印だ。

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