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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




フランセ、西川商店。台東区台東3-44。1992(平成4)年3月22日

台東3–44は昭和通りの台東三丁目交差点を東へ入った3ブロック目。東北角に「武蔵野和菓子店」があった街区。その東側の家並みである。建物はどれもまだ残っている。右(北)から、カットルームおかち、フランセ(コーヒー&ランチ)、しもたや、西川商店の3軒長屋。
1986年の住宅地図では、右から「石川、フランセ、ライオン」となっている。『昭和の東京2台東区』(写真:加藤峯夫、デコ、2013年、1800円+税)の1968年撮影の武蔵屋の写真に「疊石川」の看板が見える。



稔金属工業。台東3-34。2003(平成15)年10月23日

西川商店の三軒長屋の角は、1966年の住宅地図では「皆川製作所」で、その角を西へ入ったところから撮った写真。1986年の地図では左の家が「稔金属工業」。写真では緑の日よけに「コアフィル マキ」と読める。ストリートビューを見ると2017・8年頃、右の家と共に「丸幾(まるいく)商会」のビルに替わった。

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會田商会。台東区台東3-41。2003(平成15)年10月23日

右奥が昭和通りで、その台東三丁目交差点の1本南の横丁。會田商会(室内電気工事)は銅板貼りの看板建築、奥の毎日新聞専売所は石積み風に見せたトタン?貼り壁面の看板建築だ。新聞店の建物には昭和通りに面した表側に「民華」という中華料理店も入っている。
『台東区近代洋風建築調査報告書[データ編]』(平成8年)に「60、中華民華他、台東3–41–5、木.2、2棟」「61、あいだ他、台東3–41–7、木.2、銅板貼り、2棟」で載っている。これだけでは写真で分る以外の情報はない。「2棟」というのは2軒長屋形式ということだろう。
民華はかなりの有名店だったらしく、ネットに大量のサイトが出てくる。『アド街ック天国、仲御徒町2009.12.19放送』では14位で、解説に「昭和22年に創業した中華料理屋。戦前は製麺所」とある。
ストリートビューを見ると、2015年頃には民華の隣の「東慶商会」のビルが取り壊され、同年11月に民華は火事で焼失、2018年に「松屋」がなくなっている。それらの跡地に建ったのが「ホテルマンデープレミアム上野御徒町」で、2020年4月の開業。


左:會田商会、1988(昭和63)年12月31日
右:民華の並び。ストリートビュー(2013年7月)より

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手の字屋染張店。台東区東上野5-5。1991(平成3)年6月30日

鮒忠東上野店の交差点から東へ行った通りで、写真右奥は浅草通りの下谷神社前交差点に出る。1986(昭和61)年の住宅地図(セイコー社)では、右角から左へ「手の字屋/染谷、梅村、沼津屋、ウエストインパート14上野」。1966(昭和41)年の地図では角の家が「染張/召手の字屋」。2018年に取り壊される前は、建物右のショーウインドーが取り外され、欄間に「シャンテール サロン・ド・ベア」の看板がついていた。
現在は、写真の木造の3棟が「Brillia上野プレイス」(2020年9月築、14階建39戸)というマンションに建て替わった。

写真左のマンションの隣には「下谷税務署」があった。ストリートビューの2010.01に見られる3階建のビルがそれらしい。2013.07では更地になっている。1991(平成3)年7月に「東京上野税務署」に名称変更しているから、そのときに東上野から池之端に移ったのだろうか。

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町田本院。台東区東上野5-6
上:2008(平成20)年9月5日
左:1989(平成元)年7月23日

鮒忠東上野店の交差点を東へ行った南側。空襲の被害を受けなかった地域なので、古い木造家屋は戦前からある建物だ。1986(昭和61)年の住宅地図では上の写真右から「光電舎(右の駐車場)、森設備、中田アパート、町田本院、荒川ビル(1階に長寿庵)」。手元にある1966(昭和41)年の地図では「KK光電舎東京営業所、山室商店、町田医院、立川/花島、やぶそば」。
ストリートビューで見ると、2019年5月には町田本院と荒川ビルが解体されたところで、2020年3月では町田本院の右の建物がなくなって駐車場になっている。現在は跡地に建物が建つこともなく、駐車場と自転車置き場になっている。

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陰山美容室。台東区東上野5-13。1991(平成3)年6月30日

鮒忠東上野店」の北の裏通り。「陰山美容室」は美容室の看板も床屋のポールも出ていないので、窓は開いているがすでに廃業していたのかも知れない。現在は半分は空き地、半分は3階建の住宅になっている。ということは、1階の軒(のき、庇)が共有しているので、二軒長屋だろうか。
写真左の家はモルタル壁の看板建築で、トタン張りの横を見ると出桁造りかと見える。その家の左は「小松屋・馬橋豆腐店」で、正面は看板建築。この2軒は戦前からある家だろう。看板建築の部分がそう古そうに見えないので、戦後の改修なのかも知れない。

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芳屋印刷第一工場。台東区東上野5-22。2008(平成20)年3月2日

清洲橋通りの裏通りで、手前の路地を右(東)へ抜けると清洲橋通りの上野小学校(旧清島小学校)のすぐ北に出る。路地との角の看板建築は住居になっているようだ。外壁がきれいで戦後の建築のようにも見えるが、改修してのものかも知れない。
写真奥は2階が後退した三軒長屋。建物左が平屋になっているが、元は四軒長屋だったのだろうか。2013年のストリートビューではガラス戸に「芳屋印刷第一工場」と読め、その一社で使っていたようだ。2015年頃取り壊され、2020年8月に「minn東上野」というアパート型ホテル(8階建8室)が建って開業した。


北から撮影。2013年8月3日

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三松(みまつ)。台東区東上野5-12。2013(平成25)年8月3日

浅草通りの下谷神社前交差点を北へ入って200m程の裏通り。2階が後退した和式長屋、装飾のない簡便な看板建築。昭和までならこの辺りにいくらでもあった家並みだ。二軒長屋は2020年に取り壊され、写真左の看板建築と共に、「ルフォンプログレ上野マークス」(2023年2月築、13階建49戸)というマンションが建った。
古い航空写真を見ると、通り沿いに2軒長屋が並んでいたようなので、三松の長屋の左も二軒長屋の正面を改修したものかもしれない。その左の家は1986年の地図で「いろは(中華)」。

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鮒忠東上野店。台東区東上野5-7。2008(平成20)年9月5日

当ブログ前回の元八百屋と同じ四つ角の東北角。2018年には隣の長屋と共に取り壊され、「リビオレゾン上野」(2019年11月築、15階建47戸)というマンションが建った。鮒忠はそこに入っている。
鮒忠」が浅草千束町に店を構えて鰻屋を始めたのが1946(昭和21)年9月で、冬場のつなぎに売った焼き鳥も当たったという。1960(昭和35)年には、支店は35店になっていて、東上野店もそのなかにあったと思われる。建物は戦後のものかとも思われるのだが、昭和22年の航空写真では、角で折れ曲がった看板建築にした壁が認められる。



鮒忠に続く三軒長屋と家内工業所のような1軒。東上野5-7。2008(平成20)年3月2日

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元八百屋。台東区東上野5-6。2008(平成20)年3月2日

増田たばこ店のある台東保健所前交差点を南にいった次の信号のある交差点。右奥に行くと浅草通りの東上野三交差点に出る。現在は写っている建物は、2012年頃に完成した「東上野5丁目ビル」という東京メトロ関連の会社などが入るビルに建て替わって、1棟も残っていない。
1986年の地図では写真左のビルが「上野職員クラブ」(1969年の地図では「帝都高速度交通上野寮」)、その裏に「帝都高速度交通営団」のビルがある。
角の家は、1969年の地図に「八百□」(肝心の3文字目が読めない)。木の台が置いてあるが、八百屋だった名残らしい。その右は、1986年の地図では「紅葉堂」と「宝ステンレス」。

追記(2023.07.21)
八百屋が営業中の写真があったので公開します。撮影日は2003(平成15)年10月24日。


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増田たばこ店。台東区東上野4-18。2008(平成20)年3月2日

JR上野駅の東の昭和通りから東へ入って150m、台東保健所前交差点角に残っている戦前築の家並み。台東保健所は写真右奥のビル。1997(平成9)年6月の完成で、それ以前は昭和通り沿い下谷1-2に「下谷保健所」があった。台東保健所が建つ前は、看板建築の六軒長屋、裏側にもやはり六軒長屋があった。その当時の写真の交差点は「東上野四」。
増田たばこ店の建物は、片流れ屋根の三軒長屋の通り側を看板建築にしたもの。建物左の家は、1966(昭和41)年の地図に「戸田とうふ店」で載っている。下の写真、通りの東側には「台東石材店」があるが、2014年には閉店したようだ。その右の家は、1966(昭和41)年の地図では「みどり薬局」。



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