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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





平屋の借家。足立区西新井1-1
2007(平成19)年1月27日

東武大師線の大師前駅の南がバス停・車庫で、そこと環七通りとの間にあった民家。写真奥に高架駅の屋根と電車が写っている。
写真には平屋の民家が2棟写っているが、それらの取り壊しが始まっていた。右には工事の囲いが写っているが、同じような民家が取壊し中。昔の航空写真を見ると、大きさはそろっていないが同じような民家と思われる家が10棟あまりかたまっている。借家としてまとめて建てられたような感じだ。



1枚目写真奥の家。2007(平成19)年1月27日

現在は、1枚目写真の民家の右の通路はそのまま残り、その道から左(西)は「アコレ」が入る低層のビル、右は「ファーストレジデンス西新井」(2008年11月築、14階101戸)というマンションが建っている。

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大長商店。足立区西新井1-6
上:2006(平成18)年2月2日
左:2007(平成19)年1月27日

環七の北の裏通りのような西新井大使参道に、大長(だいちょう)商店と伊勢末酒店が向かい合っている。この東西方向の参道は、元は農道だったのだろうが、明治の地図にも見える、東の本木堀(もときぼり)と西の西新井堀に沿った各道路をつなぐ道として、ほぼ現存している古い道だ。昭和初年頃のことだと思うが、この参道に南西から伸びてきた都道307号線(このあたりでは「江北バス通り」)がぶつかり、それが環七に移るまでは都道307号になったようなので、江北バス通りの旧道といってもいいと思う。

大長商店は煎餅とだるまを売る店。明治元年創業という。建物は昭和初期に建てられた銅板あるいはトタン貼りの看板建築かと見える。『戦災焼失区域表示帝都近傍図』を見ると、焼失区域になっているから、戦後の建物かもしれない。昭和22年の航空写真には写っている。


伊勢末酒店。西新井1-5。2006(平成18)年2月2日

伊勢末酒店は右側の入口の「赤ちょうちん」という「角打ち(かくうち)」の店が有名。赤ちょうちんという店名があるのなら居酒屋ではないかと思うのだが、どうでもいいか。ペンキのはげ落ちた看板が評判で目印でもあるから、いまさら塗り直しもできないらしい。『テリー・イシダの東西酒場探訪案内所>新井大師前赤ちょうちん』には「昭和10年開業」とある。となると、建物も同じだろうかと思えるのだが、戦災に遭って建て直しているのだろうか?


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茜堂。足立区西新井1-7。2007(平成19)年1月27日

西新井大使山門から門前の参道を南に行くと、環七に出る手前に四辻がある。横の通りも「西新井大使商栄会」の商店街で、参道になるようだ。都道307号線(この辺りでは「江北バス通り」)の旧道でもある。その四辻の角に平家の看板建築のような「茜堂」という和風雑貨の店がある。建物は戦後まもなく建てた仮店舗だろうか。2003年では「アガリスク茸と雪国すっぽんの店」(健康食品の店?)だったから、2005年頃の開店かと思う。西新井大使参拝の記念に、あるいは土産に適当なものがあるかもしれない。



浅香家。西新井1-7。2005(平成17)年1月17日

環七から西新井大使参道交差点を北へ入ってすぐのところにある煎餅屋。建物を見ると、昭和初期か明治期まで遡るのか、と考えてしまう。『 E-TYPEのガレージPart 2>圧巻!西新井大師「浅香家本店」馬目焼!!』に、浅香家の女将さんに尋ねたところ「この辺りも空襲被害に遭ったが為に戦後のもの」とのことだったと記してある。
戦後の建築とは意外だった。また、『戦災焼失区域表示帝都近傍図』を見ると、東武西新井駅の西から西新井大使にかけて焼失している区域がある。1944年11月24日に西新井警察署管内に被害が出ている(『未来に残す戦争の記憶』)から、その時だろうか。

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小柳家。足立区西新井1-9。左:2006(平成18)年2月2日、右:2007(平成19)年1月27日

西新井大使参道にあった草だんごと鰻がメインの割烹料理店。写真の建物は昭和22年及び38年の航空写真に写っている建物とは異なるようなので、昭和40年頃に建てたものだろうか。店は明治28年の創業という。
現在、小柳家は建物が取り壊されて空地になっている。店は廃業したのだろうが、ネットではそのへんの事情の情報が出てこない。ストリートビューでは2015年4月で現状になっているが、2015年11月投稿の記事や2016年6月撮影の写真が見つかる。



すずきや。西新井1-5。2005(平成17)年1月17日

中田屋の隣、小柳家の向かいにある手焼き煎餅の店。達磨も売っている。間口が広く、それを生かしたファサードのデザインがかっこいい。

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中田屋。足立区西新井1-5。2006(平成18)年2月2日

西新井大使(總持寺(そうじじ))の山門に相対する場所にある、草だんごと割烹(看板に書いてある)料理店。割烹というと高級な感じで、建物も料亭みたいだが、近年は大衆食堂に近いのではないかと思う。中田屋は文化2年(1805年)創業という。ネットでは、向かいの清水屋とだんご販売合戦を演じているのだという。
写真の建物は昭和22年の航空写真に写っているものとは異なるようだ。その後建直しているとすると、昭和30年頃に建てたものかと考えられる。

現在、写真の建物は解体されてビルに建替え中である。5階建て60室の介護付有料老人ホームになる。中田屋はそこの1階の角に入る予定だ。観光地の真ん中に老人ホームが建つような感じだが、門前町に老人がいるのは普通のことだから、かまわないだろう。ぼくは、もし老人ホーム入るのなら、郊外より人通りの絶えない場所の方がいい。周辺を散歩してカフェに立ち寄ったり、月に一・二度は鰻を食べる贅沢をする、などと夢想するが、現実は自力では歩けなくなってからホームに入る場合がけっこうあるようだ。


中田屋。2007(平成19)年1月27日

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伊勢金酒店。荒川区南千住3-33。2019(平成19)年4月13日

明治通りの白鬚橋西詰を北に行くと「南千住地域安全センター前」交差点に出る。地域安全センターとは廃止になった交番のことで、「南千住三丁目東交番」が2007年4月に替わった。管理監督は南千住警察署が行うが、警察官OB・OGによる地域安全サポーターが勤務し、地理案内や防犯相談などを行っている(『ウィキペディア』)。
交差点の東北角が「伊勢金酒店」。出桁造りの店舗の1階をコンビニ風に改装している。
写真後ろの団地は「リバーフェイス」の2棟のマンション(2009年3月築、20階建303戸)。スーパー堤防と一体で建てられ、地下の床が元の地面になるらしい。
リバーフェイスになる前は「全農墨田川連合農業倉庫」があって、隅田川貨物駅からの引込み線が入っていた。『元鉄ちゃんのフォト☆ライブラリー>隅田川駅今昔』に、1989年に撮影した引き込み線の門と、倉庫の間をカーブして引かれていた線路を撮った写真が載っている。



矢口理髪店。南千住3-32。2019(平成19)年4月13日

伊勢金酒店の交差点の南東角は「三河屋」というそば屋だった家で、波トタン張りの古い家が残っている。その3軒南が写真の二軒長屋で、その左側が2013年までは「矢口理髪店(推定)」だった。

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豊田運送店の五軒長屋。荒川区南千住3-24。2019(平成31)年4月13日

旧東京ガス千住工場の敷地の東と北に沿った通りが交わる信号のある交差点がある。その交差点の北西角に古い五軒長屋が残っている。長屋の前の通りの街路樹が桜で、北の南千住地域安全センター前交差点までの間に7本が並んでいる。長屋の端の家には、看板に「豊田運送店」の文字がかろうじて読める。北側の端の家は、1986(昭和61)年の住宅地図に「八百坂」とあるから八百屋だったらしい。
五軒長屋の北に、以前は同じ規模の長屋が路地を介して直列で並んでいたが今は個々に建て直されている。2010年のストリートビューで、古い長屋のうちの2軒が見られる。



幸食堂の長屋。南千住3-24。2019(平成31)年4月13日

1枚目写真のところから北へ戸数で5・6軒先の場所。二階が引っ込んだ二軒長屋があるが、元はその造りで5・6軒長屋だったと思われる。二軒長屋の右の看板建築は、長屋を改装してのものかもしれない。1986(昭和61)年の住宅地図に二軒長屋(の左?)が「幸食堂」となっている。
写真の長屋の裏には古い長屋が3棟、平行に並んで残っている。1棟が十軒長屋位になりそうな細長いものだ。

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民家、長屋。荒川区南千住3-23、24。2019(平成31)年4月13日

旧東京ガス千住工場の北を東西に通っている通りにある古い木造家屋。昭和22年の航空写真に写っているので、戦前からある建物と思える。上右写真は四軒長屋のように見えるが、一軒一軒が改装されていてはっきりしない。
その四軒長屋の右(東)が下写真の二軒長屋。建物本体と道路の間が三角形になっているのを1階部分で埋めている。二軒長屋の右の、緑に塗ったトタン葺きの家は豊田運送店の五軒長屋の横側。
グーグルマップの航空写真を見ると、南千住3-23には、戦前からの長屋がまだ何棟も残っているように見える。



二軒長屋。南千住3-24。2019(平成31)年4月13日

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四軒長屋。荒川区南千住3-27。2019(平成31)年4月13日

明治通りの清川二丁目交差点から白髭橋の間の北側は広大な東京ガスの工場である。現在は「東京ガス千住工場」はなくなって、グーグルマップでは「千住水素ステーション」など、幾つかの東京ガス関連の事業所名になっているが、分かりやすく「東京ガス千住工場」の名称を使うことにする。その千住工場の敷地の北半分を囲む形で民間の住宅や工場が立ち並んでいる。古い長屋もわずかに残っていて、昔の航空写真を見ても戦災を免れた地区と思える。上の写真の長屋は東京ガス工場の西北、下は東北の、工場を囲む道路沿いで見つけた。
1枚目写真の長屋から左(北)へ3軒先に東京ガスの門がある。すぐ内側に平家の建物があって門に「東京ガスコミュニティルーム」の表札が架かっている。この門が、かつて隅田川貨物駅からの引込み線が工場内に入っていた場所だ。
都市ガスの原料は1970年頃までは主に石炭だった。また、隅田川駅は常磐炭鉱の石炭を受け入れるための場所だった。昭和38年の航空写真を見ると、工場敷地の半分が石炭置場のように見える。その積替えに山谷からの労働者が多く従事していたという話もある。


三軒長屋。南千住3-25。2019(平成31)年4月13日

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福島クリーニング店。荒川区東日暮里4-24。2006(平成18)年4月9日

根岸の御行の松不動尊の近くである。割と広い通りが東西に通っていて、写真右(西)へいけば尾竹橋通りに出る。左はすぐ信号のある交差点で、そこを南へ曲がるとすぐ御行の松で、すなわちかつて音無川が流れていて台東区との境である。写真の通りの北側は、街区が東西と南北の道路によってきちんと整備されている。1925(大正14)年3月18日の日暮里大火後の土地区画整理事業によるものかもしれない。昭和22年の航空写真を見ると、写真の通りを境に、南側が空襲では焼かれずに済んだ地域だ。
写真の長屋は、福島クリーニング店の三軒長屋とみどりや調剤薬局の三軒長屋とが接するように建っている。左端の壁は窓がないので、もう1軒あったものを取り壊して駐車場にしたものだろう。各戸ごとに改装されている。
わりと最近まで残っていたが現在は同じデザインの3階建てのアパート2棟に建て替わっている。そのうちの1棟が不動産のサイトに載っている。「コンフォートヒロ」というマンションで、2014年5月築、3階建6戸。



みどり調剤薬局。東日暮里4-24。2006(平成18)年4月9日

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