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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




大沼商店。品川区東大井6-10。2017(平成29)年6月24日

見晴し通りの商店街の中ほどで、菓子問屋の大沼商店の右(北)は「国際クリーニング」だった店、その右は「三木たばこ店」(1981年の地図では「三木雑貨店」)。左の駐車場には「ウエハラ」という肉店があった。大沼商店の建物は片流れ屋根と切妻屋根の2棟の家からなる。戦後に建て直した家だろう。右の2棟の看板建築も、古い航空写真を見ると、やはり戦後の建物のようだ。



亀屋万年堂。東大井6-11。2017(平成29)年6月24日

大沼商店近くの横町を西へ入ったところの民家。亀屋万年堂といえばナボナで有名な和菓子店だが、どう見てもただの民家で、その店と関係があるのかどうか分からない。
ブロック塀に「大井関ヶ原町会掲示板」が架かっている。こんな場所で関ヶ原とは驚いたが、「大井関ヶ原町」は旧町名で、昭和7年に成立し、昭和39年の住居表示変更で消滅した町名だった。ちなみに見晴し通りの東の東大井3丁目は「大井元芝町」だった。「品川区立関ケ原公園」「関ケ原シルバーセンター」などにその地名が残っている。
第Ⅰ章 品川区の景観特性と課題』に「町の中心を南北に流れる立会川の川筋に水車の堰(せき)が作られ、開拓された水田に水を送 っていたことからこのあたりのことを堰ヶ原と呼ぶようになり、「堰」が「関」に変わった。」とある。

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左:神山菓子店、品川区東大井3-2。右:松井畳店、東大井3-11。2017(平成29)年6月24日

JR大井町駅の東、東大井6丁目と3丁目の境の道路に「見晴し通り」と名前がついている。「見晴し通り商店会」の旗を吊るしたすずらん灯が並ぶ商店街だが、今はそこの商店は住宅やマンションに替わってきている。駅前の繁華街の商店や大型店には対抗できないわけだろう。
見晴し通りの名称はいつごろからあるのか分からないが、古くからある道のひとつで、かつては品川の海や富士山まで見えたという。戦前築の商店も数軒だが見受けられる。南北に通っている道で、西も東も見渡せたわけで、台地の尾根筋の道である。台地は目黒台の東端であるが、立会川に削られて南に垂れ下がったような形の高台になっている。その標高は15m位。西から流れてきた立会川は大井町駅のところで南に向きを変え、見晴し通りと東海道本線の間の谷を作っている。その部分が暗渠になって「遊歩道公園」になった。
写真の銅板張り看板建築は左のほうが1981年の住宅地図に「神山菓子」とある。横の自販機はその名残だろうか。
もう1軒の銅板張り看板建築は神山菓子店から200m南へ行ったところ。たぶん戦前からやっている畳屋と思われる。



横山アパート。東大井3-11。2017(平成29)年6月24日。松井畳店のすぐ南を東へ入る横丁にある古いアパート。

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金子商店。品川区南大井1-9。2015(平成27)年5月30日

旧東海道の、立会川に架かる浜川橋を南に渡って130mほどのところに残っている古い商店建築。銅板葺きの洋風看板建築だ。1981(昭和56)年の住宅地図に「金子商店」とあるが、残念ながらなんの商売をしていたのかは不明。
大井町昭和今から>昭和写真館』の「大井の風景」に「大井どんたく」の「昭和38年ミスどんたく」のパレードが写真の家の前を進む写真が載っている。道路はまだ未舗装だ。金子商店の右(北)は「浜川荘」で、タイル張りの洋風に見える2階建てアパート。その右は出桁造りの商店だが看板の文字が読めない。写真はその家の前から撮っていて、吉田商店はやはり細かくは分からない。
「大井どんたく夏祭り」は1954(昭和29)年に阪急百貨店の主催で開催された。今年で63回になる。大井町駅前の阪急百貨店の開業は1953年11月で、社長の清水雅が1年前に見た博多どんたくの印象が強かったからという。昭和38年のミスどんたくも、今では当時のことを孫に自慢していたりすると楽しい。


金子商店。南大井1-9。2015(平成27)年5月30日

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清和荘。品川区東大井2-25。2017(平成29)年6月24日

京浜急行立会川駅付近で、京急の高架線と旧東海道との間の、小さな製作所も多く混じる住宅街にあるアパート。何だか知れないが「清和荘」という名前がしっくりとくる。左写真右奥のアパートは「藤ハウス」、左裏は「三喜荘」。



看板建築の民家。東大井2-19。2015(平成27)年5月30日

前の通りは第一京浜と旧東海道を結んでいる通りで、写真右へいくと旧東海道沿いの大石電機工業の前に出る。建物はモルタル仕上げの看板建築で、なにかの製作所の事務所兼住居だったような感じだ。裏は平屋でそこが工場だったのではないかと思う。
下の写真は看板建築の横を入ったところにある平屋の製作所。地図には「殿塚工芸所」と出てくる。看板の文字の製作をしているようだ。


殿塚工芸所。東大井2-19。2015(平成27)年5月30日

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立会川橋。品川区東大井2-23・3-28
2015(平成27)年5月30日

立会川橋は第一京浜(国道15号線)の、立会川に架けられた橋。一応、親柱と欄干があるのだが、橋長、つまり川の幅は10mしかないので、車で通行する場合は橋を渡っているという認識する間もなく通過してしまうだろう。
『ウィキペディア>国道15号』によると、第一京浜は1885年(明治18年)に国道指定にされた「1號國道」がもとになっている。大正期になると交通量の増大で改築が必要になり、神奈川県が1918年(大正7年)に工事に着手、東京府も1920年(大正9年)に八ツ山橋から六郷橋までの工事に着手する。東京側の工事は1927年(昭和2年)11月28日に完成した。なお、1919年(大正8年)と1921年(大正10年)に幅員を広くする工事変更を行っている。「一級国道15号」に指定されたのは1952年(昭和27年)12月4日。



立会川橋。左:2015(平成27)年5月30日、右:2017(平成29)年6月24日

「1号国道」に架かる橋ではあるが、ごく短い橋のせいか、「大正十三年八月竣工」の銘板がある親柱も、コンクリート板のような欄干もごく簡単な造りだ。

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浜川橋。品川区東大井2-27・28。2015(平成27)年5月30日

浜川橋は旧東海道が立会川を渡している橋。浜川とはこの辺りの地名だったもので、浜川小学校、浜川中学校、浜川公園、新浜川公園、浜川ポンプ所、などが立会川の両岸に点在している。
天祖諏訪神社>東京あれこれ』で『大正風俗スケッチ 東京あれこれ』(竹内茂雄 画/文、1987年、国書刊行会)という本の、立会川に関係した6作品を見ることができる。大正3年の日付のある「なみだ橋と立会川河岸の魚市」の絵があり、その文章には「歴史的背景を知ってか知らぬでか大正時代に大井町役場は橋標を「はまかわばし」に代えてしまった。なみだ橋では昔の暗い史実を忌み嫌ったのかもしれないが残念な事である。」として、「それから五十年経っても「はまかわばし」といっても知る人は少ない「なみだ橋」といえば知らない人は無いくらい、庶民に馴染み深く溶け込んでいる。」のだそうだ。
欄干はコンクリート製で三連アーチを並べた低いもので、かさ上げしている。「昭和九年十二月竣工」のプレートが親柱にはまっている。親柱の上の街灯は複製されたもので、平成19年3月末に設置された。


浜川橋。2015(平成27)年5月30日



弁天橋。大井2-28・24。2015(平成27)年5月30日

浜川橋の一つ上流に架かるのが弁天橋。南に渡ると(上の写真は北を見ている)天祖諏訪神社があり、境内には厳島神社も祭られていて、そこからの命名らしい。親柱に「昭和六年八月竣工」のプレートがはめられている。欄干は浜川橋と同様に低いので、四角い鉄パイプでかさ上げしている。欄干の柱の間に鉄枠をはめているのが珍しい。


弁天橋。2015(平成27)年5月30日

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西村電設。品川区東大井2-4。2013(平成25)年9月22日

旧東海道の松本レジン向かい側の家並み。TOTOの看板のビルが長良商会、その左のビルは松本レジン営業所。手前の家はしもた屋のようだが、1981年の地図では「西村電設」となっている。下の写真がその横の写真で、奥に一列に家が並んでいて、店舗の後ろに住居を配置したものらしい。昭和22年の航空写真では、西村電設とその後ろの裏通りに沿った5・6軒の家がなくなっていて、爆弾でも落ちたのかというように見える。強制疎開の跡かもしれない。
今、ストリートビュー(2016年1月)を見ると、下の写真の1列が取り壊されていた。


西村電設。東大井2-4。2013(平成25)年9月22日



鳥海米店。東大井2-4。2013(平成27)年5月30日

1枚目写真左端に1階の軒先だけかろうじて写っている。建物左の軒下に米屋の看板を残しているが商売はやめたらしい。通り沿いに1階部分が伸びているのが珍しいが、立派な出桁造りの商家だ。『東京都の近代和風建築』(東京都教育庁編集、2009年)には「元鳥海米店、構造=木造2階建切妻造瓦葺、建築年=明治末~大正初期」となっていて、関東大震災以前の建物である。
写真右の家は八百貞青果店。

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越中屋精肉店。品川区東大井2-5。2013(平成25)年9月22日

旧東海道の日鮮技研の信号のある交差点から南へ50mほどのところ。写真左手前が越中屋精肉店だが看板がなくて廃業したように見える。



松本レジン。東大井2-5。2015(平成27)年5月30日

1枚目写真の中央に写っている出桁造りの家。『東京都の近代和風建築』(東京都教育庁編集、2009年)では「松本レンジ株式会社、分類=商業、種類=その他(商業)工場兼店舗、構造=木造2階建切妻造瓦葺、建築年=明治末~大正初期」となっている。
「レジンresin」とは樹脂(松やになど)あるいは合成樹脂のこと。『品川区>製造業者DB>松本レジン』によれば、プラスチック製品製造業で、射出成型機で磁気テープの巻取り用リールやその関連の部品などを製造しているらしい。設立は1963年4月。写真の家の裏に工場が別棟であり、向かい側のビルに事務所があるようだ。

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日鮮技研。品川区東大井1-23。2013(平成25)年9月22日

旧東海道と、西へ行くと第一京浜国道の大井消防署前交差点を結ぶ通りとの交差点で、その角に日鮮技研という小籠包を売る店がある。建物は看板建築風だが古いものなのかそうでもないのか分からない。1981年の住宅地図では「キッサプリンス」で、旧東海道側の隣は今は日鮮技研だが、1981年では「中村菓子店」。


三上タバコ店。東大井1-23。2013(平成25)年9月22日

日鮮技研の角を西へ曲がると、隣が出桁造りの家で、前面を料亭の通用口のような外観にしている。その先が冨貴寿司の3階建てビルと3階建ての集合住宅。そして、裏通りとの角にタバコ屋だった出桁造りの長屋風建物と並ぶ。この並びは、古い航空写真を見ると、二軒長屋が3棟くっついて並んでいたようだ。料亭風の家はその1棟で、三上タバコ店だった家は長屋の半分が残っているのだと思う。

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かどやカメラ店。品川区東大井1-2。2013(平成25)年9月22日

京浜急行の鮫洲駅の駅前にある日本家屋。右の通りを奥へ行くと旧東海道に出る。建物の正面右側はかどやカメラ店。中央の玄関の横に「小唄教室」の看板がかかっていて、家自体が検番の建物のような外観だ。



平屋の民家。東大井1-3。2009(平成21)年4月12日

鮫洲駅から旧東海道に出たところにあった平屋の家。元は酒屋だか米屋だか、とにかく商家だったのだろう。現在はファミリーマートに建て替わっている。左の3階建てアパートは「クシダハイツ」で、1階は「串田米店」。こちらも建て替わった。



サメズコインランドリー。品川区東大井1-2。2015(平成27)年5月30日

旧東海道の鮫洲駅への横丁から北へ少し行ったところにある出桁造りの商家。北から旧東海道を来て、東大井入ってから初めて出会った古い日本家屋である。1981年の住宅地図では「肉屋」と「サメズコインランドリー」。

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