ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




コニ・ビオラ。台東区三筋2-1。2008(平成20)年3月1日

写真の通りは蔵前小学校通りという東西の通りで、右の3階建のビルが「株式会社コニ・ビオラ」という会社の社屋で、新堀通りとの蔵前4西交差点角に建っていた。左の住居はコニ・ビオラの社長宅だったらしい。1969(昭和44)年の住宅地図では住宅の「小西」とコニ・ビオラの旧社名「古西商店」とが「=」で結んである。
コニ・ビオラのHP』によると、ねじなどの小さな金具を製造販売する会社で、創業は1872(明治5)年としている。関東大震災で事業は中断していたらしいが、1953(昭和28)年に「株式会社小西商店」を設立して再開したという。1992(平成4)年に「株式会社コニ・ビオラ」と改称した。
現在は「クリオラベルディ蔵前」(2021年7月築、12階建39戸)というマンションに建替えられて、その1・2階に入っている。

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難波(なんば)仏具店。台東区寿2-8
2008(平成20)年4月2日

浅草通りの菊屋橋交差点(かっぱ橋道具街入口)の一つ東の横丁との角にある仏具店。浅草通りの南側に沿って、上野駅交差点から寿4交差点まで、点々と建つ仏具店の1軒。なんともユニークな外観で人目を引いている。
『日本近代建築総覧』によると、「建築年=1929(昭和4)年、構造=RC造、設計=榎本徳蔵、施行=戸田組、戦後内装数回改築、塔屋付」。
文化庁>国指定文化財等DB>難波商店店舗兼主屋』には、「RC造3階地下1階。昭和43(1968)年増築、昭和52(1977)年改修」「一階を店舗、地下一階と二階を倉庫、三階を居室とする。外壁は色モルタル塗で、縦長窓と丸窓を開き、緑色の瓦や高欄を廻し意匠性に富む。塔屋は反りの強い屋根を二重に架け、独創的な外観を形成している」とある。設計者の榎本徳蔵という人のデザインなのだろうが、この人がどういう人なのか、ネットでは分らない。建物は隣の寿ビルの後ろに回り込んでいて、L字形平面をしている。寿ビルの裏は増築部分なのだろうか。

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リボン、戸谷プランニング。台東区東上野3-32。2006(平成18)年11月29日

写真の大通りは清洲橋通りで、右(北)へ少し行くと浅草通りとの稲荷町交差点。写真左の看板建築の二軒長屋の左は成就院(じょうじゅいん)の山門。その二軒長屋の右の「リボン」は婦人用品店。出桁造りの家が2棟あり、その右が「戸谷プランニング」という不動産屋。その右の看板建築は何の商売だか分らないが「E.N.J」の看板。写真右端は日よけに「(有)ウチヤマ・フラワー」の字が残っている「内山生花店」だった家。
現在は出桁造りの2棟が、2019年に竣工した10階建のマンションのようなビルに替わった。Googleマップでは「エヴァーグリーンホテル上野」。



コバヤシ、エンゼル工芸社。台東区東上野3-32。2006(平成18)年11月29日

成就院の山門の左(南)にあった看板建築にした三軒長屋。コバヤシは看板に「ハンカチーフ/タオル製品/製造卸」としているが見たところ小売店に見える。
ストリートビューを見ると2012年頃に取り壊されて駐車場(三井のリパーク)になってしまった。

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フレンド。台東区東上野3-33。2006(平成18)年11月29日

写真の通りは清洲橋通りで、右(北)へいくとすぐ浅草通りとの稲荷町交差点。地下鉄銀座線の稲荷町駅があるから「稲荷町」というのが分りやすいだろうか。
横丁との角の家は、「プレミアム稲荷町」(2014年12月築、4階建)という集合住宅に建替えられて、2軒の店もそれに伴って廃業したようだ。左のほうの店は写真では定食屋のようだが店名が分らない。右の「コーヒー・軽食」のフレンドはレトロな喫茶店ということでいまだにネットで見かける。そのなかに1975年頃の開店という記事があった。1969(昭和44)年の住宅地図では「大森、コーヒー章」、1986(昭和61)年では「久乃園、フレンド」。フレンドの前も喫茶店だったらしい。

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森田商会。台東区東上野3-5。2013(平成25)年7月14日

下谷神社の裏側の通りに残る出桁造りの二軒長屋と看板建築の家並み。下谷神社の周辺は空襲の被害を免れた地域で、戦後80年が経っても戦前に建てられた商店・家内工業所・住宅がけっこう残っている。写真の家並みは今も変っていない。
写真左の二軒長屋は「中柳建設株式会社」と、テントや看板などの工事の「森田商会」が入っている。その右(西)は看板建築が5棟並ぶ。戦前の建物には見えないが、改修されているのだろう。中華料理の「福寿」はいつ頃の開業だか分らないが、2019年9月で閉店した。その告知の張り紙には「老巧化のため」「先代の頃より」とあり、あるいは建物が建替えになるのだろうか。

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海岸ビルヂング。兵庫県神戸市中央区海岸通3-1。1992(平成4)年8月5日

海岸通りのメリケン波止場前交差点から西へ250m程のところに、正面を海岸通りに向けた明治末に建てられたビルが残っている。貿易会社兼松商店(現・兼松)の本店として1911(明治44)年に建設された。「日豪館」という名称だった。「日豪会館」という資料もある。兼松商店(兼松房治郎)の貿易業がオーストラリアからの羊毛の輸入を主としたところからの命名。
設計は河合浩蔵で、海岸通り沿いの「海岸ビル」(現・神戸メリケンビル)と同じ建築家だ。名称は「海岸ビルヂング」と「海岸ビル」で区別できる。正面は花崗岩とタイル貼りなのでRC造のように見えるが構造はレンガ造3階建。横の奥と裏側はレンガがそのまま見えている。正面のデザインについて『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では「正面玄関両脇の装飾は直線化、幾何学化された、ややセセッション風であるが、2階と3階との間の装飾は様式主義的な名残が見られる。大正7年の海岸ビル(三井物産神戸支店)よりも重くドロクサイ感がある。毎日新聞社と三つ並べてみると、一貫してセセッション風のモチーフを追求していることがうかがえる」としている。
1945年の空襲で内部が焼け、屋根も焼失した。竣工時の姿は『兼松房次郎の伝記』で見ることができる。戦後、兼松は日豪館を現在のオーナーに売って東京へ移る。改修が施されたのは昭和25年で、『建築紹介・建築探訪録>海岸ビルヂング』のコメントによると、「日建設計工務の設計管理で耐震補強を含む改修が実施」「駒形断面のスレート葺屋根からコンクリート造陸屋根に改造」「一部階段通路を廃するなどした上で耐震壁を追加」したという。その効果があって、1995(平成7)年の阪神淡路大震災では被害は軽くて済んだ。それにしても、レンガ造の3階建のビルが倒壊せずに残ったのは素晴らしい。



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隆源ビル。兵庫県神戸市中央区海岸通2-3。1992(平成4)年8月5日

海岸通りの三栄ビル(橋本汽船)があった横の道路を北へいって、乙仲通(おつなかどおり)との交差点角にあった建物。『近代建築撮影日記>震災前の神戸 その2』の1995(平成7)年の阪神淡路大震災後の写真では目立った被害は受けなかったように見える。しばらく放置された後取り壊されたという。現在はTimesの駐車場になっている。残っていれば、隣の昭和ビルと共に、レトロな裏通りとして注目されるようになったらしい乙仲通の中心的名所になったのではないだろうか。
明治末から大正期に建てられたRC造レンガ風タイル張りのビルに見えるが、『近代建築撮影日記』では、柱は木造で「木骨煉瓦」としている。古い航空写真を見ると寄棟屋根だ。


上右写真は今も残る「昭和ビル」の裏側。玄関の上に入居している会社が書き出してあったが、12社を数えた。

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三栄ビル。兵庫県神戸市中央区海岸通2-1。1992(平成4)年8月5日

写真のビルは海岸通りの神戸郵船ビル(現・神戸メリケンビル)の一つ西の街区にあったビル。現在は「カイセイ神戸海岸通2」(2005年7月築、11階地下1階建、88戸)というマンショに替わっている。
『近代建築ガイドブック[関西編]』(昭和59年、鹿島出版会、2800円)では、「朝日ビル(橋本汽船本社)、設計・施行=竹中工務店、建築年=大正6年(1917)、鉄筋コンクリート造3階建(4階建の間違い?)」。『兵庫県2』では、名称が「三栄ビル」である。写真でも「SANYEI GROUP」(サンエイインターナショナル株式会社)の広告塔があるように、「三栄産業株式会社」からの名称だろう。
近代建築撮影日記>震災前の神戸 その2』によれば、1995(平成7)年の阪神淡路大震災では破損はしなかったが、2005年頃までに取り壊されたという。

堂島ビルヂング>100年史』によると、橋本汽船の元祖は九州の金物商・橋本雄造(ゆうぞう)の「橋本商店」が1877(明治10)年に開設した船舶部である。日清戦争後にはロシア軍艦の引揚げ、中国との定期航路など事業を拡大する。一方、橋本雄造の兄・半平の次男が喜造(きぞう)といい、雄造の養子になって、橋本商店で働くようになる。喜造は1906(明治39)年に、佐世保に「橋本喜造商店」を立ち上げて独立する。当時は日露戦争後の不況だったが、中古船を次々に買い受け、南洋諸島に目を向けて成功する。第一次世界大戦の勃発で海運市場は活況に転じる。
1916(大正5)年に、事業拡大のために神戸へ移転する。1918(大正7)年、橋本汽船株式会社を設立し、自社ビル「橋本汽船ビル」を建設する。設計は藤井厚二(こうじ)としている。「アメリカ流のオフィスビルの普及を見越したテストケースでもあり、この頃、堂島ビルヂングに結実する高層ビルの計画を立てる」とある。
神戸のビルがいつまで「本社ビル」だったかは不明だ。橋本汽船の事業は海運業の他に大阪市西天満の堂島ビルの運用の二本柱であったらしい。現在は堂島ビルが会社の所在地である。『堂島ビルヂング>100年史』の年表には「1991平成3年、パナマ船籍を売却、海運会社としての運営を休止」とある。

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オール商会。兵庫県神戸市中央区波止場町(はとばちょう)3。1992(平成4)年8月5日

海岸通りのメリケン波止場前交差点の南西角に建っているビル。建物の詳細は分らない。
近代建築Watch>旧オール商会ビル』によると、「オール商会(Aall & Company Ltd)」は、ノルウェイ資本の海運会社で、その後「丸亀組」という海運会社が使うようになった。丸亀組に替わったのはいつだか知らないが、ストリートビューの2009年の画像では、海岸通り側の三角形の看板を、「marukame」と文字を変えただけで使っている。
SVの2017年では「中谷商運」になった。船舶業務部の事務所になっているらしい。
玄関が階段状の枠になっているが、左の部分が円柱状になっているところに注目が集まっているようだ。



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神戸郵船ビル別館。兵庫県神戸市中央区海岸通1-1。1992(平成4)年8月5日

神戸郵船ビル(現・神戸メリケンビル)の西に隣接して建っていたビル。郵船ビル本館では手狭になったため建てられたのだろうが、その時期などの詳細は不明。昭和になってからだろうか。2階上のコーニスと軒の水平線が本館と合っているので、本館の外観に合わせたデザインかと思うとそうでもないようで、本館よりも壁が平面的で簡略化されている。
写真では耐震工事のフェンスで囲われているが、実際に工事が行なわれたのだろうか。建物が解体されたのは、阪神淡路大震災の前なのか後なのか?
cocoDoco>神戸郵船ビル別館』に、昭和27年撮影と思われる写真が載っている。装飾の詳細やビルの裾がよく分る。


神戸郵船ビル別館、本館。1992(平成4)年8月5日

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