ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




クレインヒル日本橋ビル。中央区日本橋馬喰町1-13。2011(平成23)年12月18日

靖国通りの浅草橋交差点から江戸通りを小伝馬町の方へ入ってすぐのところ。写真右手のバス停は「浅草橋」、江戸通りの下にはJR馬喰町駅がある。「クレインヒル」とは衣料品卸売りの「鶴岡株式会社」の別名かと思うが、単にビルの名称というだけのことだろうか。
ビルの外観は、見る人が見れば銀行だった建物か、と気がつくだろう。『鶴岡株式会社>概要』に、「1979(昭和54)年 中央区日本橋馬喰町にクレインヒル日本橋ビルを開設」とあり、「銀行(三和銀行)当時のクレインヒル日本橋」の写真が載っている。三和銀行馬喰町支店は1950(昭和25)年12月4日の開業(『三和銀行の歴史』)ということなので、写真のビルもその時の建設としてもよさそうだが、昭和30年頃の火保図を見ると、ビルの平面が異なる。ビルの右側3分の1は増築かもしれない。
写真左の「タオル三上」のビルは最近(2021-22年)取り壊された。タオル三上は同じ通りの馬喰町交差点の先に本社ビルがある。

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日鉄日本橋ビル。中央区日本橋1-13。2013(平成25)年5月19日

昭和通りと永代通りが合わさる江戸橋一交差点の北西方向。写真左の高層ビルはコレド日本橋。角のビルは「日鉄日本橋ビル」で、1966(昭和41)年竣工で、9階地下2階建。立て替えのため、テナントはほぼ撤退した時期の撮影。
「日鉄」は「日本製鐵」のことらしく、富士製鐵の本社だったビルらしい(『新日鉄興和不動産2019 年3月22日』)。建て替わったビルはやはり「日鉄日本橋ビル」という。2019年3月築で18階地下3階。
日鉄日本橋ビルの右に続くビルは「日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業」で、2021年に取り壊された。日鉄日本橋ビルの右は「第2柳屋ビル」(8階地下1階、1972(昭和47)年6月築)。次いで「野村不動産第3江戸橋ビル」(9階建、1980(昭和55)年1月築)、右端が「第1江戸橋ビル」(9階建、1965(昭和40)年築)。

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日本橋西川ビル。中央区日本橋1-5。2017(平成29)年1月25日

西川布団店のビルがあった地区は現在、「日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業」で、すっかり様変わりしてしまった。再開発は2020年に開始され2026年3月完成予定という。52階高さ284mの超高層ビルが建つ。
日本橋の西川布団店は会社名としては「日本橋西川」というらしいが、地図では「西川商店、西川布団店、西川ふとん」などとしてある。
日本橋西川ビルは1962(昭和37年)年12月の建築。カーテンウォールの外観は当時の先端のデザインだったのかもしれない。写真右のコレド日本橋のビルが一部、西川ビルのデザインを踏襲しているように見える。

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山田商会(和紙問屋)。中央区八重洲2-6。1987(昭和62)年12月31日

外堀通りと中央通りの間の通りで、昭和63年に「柳通り」の愛称が付いた。鍛冶橋通りから入って80m程のところ。写真の建物は、戦後間もなく建てたものと思える。
現在はこの通り沿いの写真の一画は、建物は全て取り壊されてコイン駐車場になっている。ストリートビューを見ると、2009年には駐車場に「再開発事業予定地」の看板が出ているが、2013年にはそれが無くなっている。駐車場に替わったのは2007年頃ではないかと思われる。山田商会を検索すると、八重洲の住所で2005年、2006年にアップされた記事が見つかるからだ。
1986(昭和61)年の住宅地図から、写真の一画を書き出してみると「中央ソバ/京橋中央不動産、ブルーベル、豊屋ビル、山田商会、-、たつ屋、三富一誠社」、写真右端が「パウリスタ」となっている。

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並木印刷。中央区新富1-14。2004(平成16)年10月16日

新大橋通りの入舟町一交差点の北の横丁を西へ入ったところ。波トタン貼りの家が「並木印刷」、その右が写真では「Swissセンターキッチン」。1986(昭和61)年の住宅地図では「須藤印刷/並木印刷、日本設計」下の写真に続いて「宇佐美、有山、藤、第一産業(株)」。空襲では焼失しなかった地区に入るから、建物は何れも戦前に建てられたものかもしれない。
現在、並木印刷の建物は「STUDIO南八丁堀」という2013年4月築の3階建マンションに替わった。その右は次の四つ角まである「いちご八丁堀ビル」(8階建、2010年1月築)というオフィスビルになっている。


宇佐美家、有山家。新富1-14。撮影日不明

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木台製作所。台東区東上野3-28。2006(平成18)年11月29日

写真左の石垣は下谷神社で、浅草通りの南の裏通りにあった波トタン貼りの看板建築。ストリートビューを見ると2014年6月には取り壊されていてコイン駐車場に替わっている。フロン工業の建物はそれ以前に3階建ビルの住居に建て替わっている。
1966(昭和41)年の住宅地図では「木台製作所」。「木台」は商品のようにも思える。写真右に出桁造りの家が写っている。同地図の「青山工務店」だろうか。

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居酒屋カンジン。台東区東上野3-27。2008(平成20)年9月5日

手前の四つ角の右は下谷神社前郵便局。この郵便局は下谷神社の境内に建てられたビルを借りているのだと思う。戦前築の看板建築が並んで残っている。現在も家並みは変わっていない。
ストリートビューを見ると、「カンジン」は2010~13年に「タンポポ」、2018~2019年に「仙玉家(ソンオクヤ)」という店に替わった。いずれも「韓国家庭料理・居酒屋」「韓国風居酒屋」だ。
写真左の電柱の後は「東上野宮元町会事務所」。宮元町は旧町名かと思ったが、昭和39年以前は「南稲荷町」である。町会のHPに、平成8年に使い出した町会名で、「下谷神社宮元の町会であることから「宮元」と呼ばれることが多く」て改称したとあった。「宮元町」ではなくて「東上野宮元」だった。

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中村時計店。台東区東上野3-25。1989(平成元)年7月23日

浅草通りの東上野三交差点(下谷神社前交差点の西)から1本西の横丁を南へ入ったところ。現在も写っている範囲は不思議とそのままで変わっていない。
現在、中村時計店は営業中なのか怪しい感じだが、袖看板は付いたまま。同じ建物の右側は撮影時で住宅のようだが、1966(昭和41)年の住宅地図では「プロセス印刷」。その右の銅板張り看板建築は現在、「エコハート」の表札を出しているが、ガラス戸には歯科医院だったときの「堀内」の金文字が残っている。

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坂森七宝、ニシヤ商会。台東区東上野3-9。2008(平成20)年9月5日

浅草通りの東上野3交差点(下谷神社前交差点の1本西)から南へ100mのところ。戦前築の二軒長屋と銅板貼りの看板建築が並んで残っている。看板建築から左へ4軒の家は、個々に改装されているが四軒長屋かも知れない。
ガラス戸に「坂森七宝」と入っている家は「坂森七宝工芸店」の自宅だか社員寮だろうか。会社と店舗は浅草通りの元浅草1にある。
写真左の「エルザ」の赤い日よけの家は外観からして喫茶店だったと思うのだが、『相沢米店、他』の昭和62年頃の写真では「フードショップ・エルザ/和洋食材料卸・西谷商会」の袖看板があって、喫茶店だったという証拠がない。エルザの日よけは2017年には破れてしまい、取り替えられて遂にエルザの店名は消えてしまった。

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東部自協組合館。台東区台東4-14。2008(平成20)年3月1日

昭和通りの台東四丁目交差点から南へ150mほどの横丁を東へ入ったとところ。写真左(西)へ行くと御徒町公園。
写真のビルには玄関の両側とその左に円柱があって、玄関の上部に「東部自協組會舘」の建物名称と「東部自転車工業協同組合」という団体名が書いてある。建物はRC造のようだが2階建。奥行きは裏の道路まである。戦後まもなくの建築と思われる。
ストリートビューでは、2010.01では玄関に「多慶屋自転車修理受付入口」の看板。2013.07では「多慶屋本部ビル」と変わっていて壁の色がグレーに塗り直されている。2017年頃に取り壊されて駐車場になった。



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