明神男坂のぼりたい
4分の5拍子のリズムはむつかしい。
♪♩♪♩♩♩
分かる、このリズム?
タ・タン・タ・タン・タン・タンてな具合で、メッチャ難しい。あたしたちは、これを『テイクファイブ』いう有名な曲でやらされた。
あたりまえだけど、学校の授業じゃないよ。
AKRのレッスン。
こんなリズムは、アイドルグループの曲の中では絶対出てこない。それをなんでノッケからやらせるのか?
自信を崩すため……一昨日のレッスンで夏木先生が、全員アウトになったあとに白い歯をむき出しにして言う。
「あんたたちはね、2800人の中から選ばれたから、どこかで自分は特別だと思ってんのよ。確かに、既成のアイドルグループのコピーは上手いわよ。でも、それって、やっぱ、ただのコピー。英語の曲が歌えるから英語が喋れると誤解してるようなもの。どんなリズムでも刻めるようにならなきゃ、オリジナリティーのあるプロにはなれないのよ」
と手厳しい。
「これで、自分は素人だという自信が湧いてくるでしょ」
アハハハハハ(;'∀')
引きつった笑いが起こる。
さすがにプロのインストラクター、自信を崩すのもノセルのも上手かった。
これで、わだかまりなく素人の意識から謙虚にレッスンを受けられるようになった。
でも、あたしとカヨさんは、ここから恐怖が蘇ってきた。そう、あの難波の事故。
事故直後は、わりに平気だった。目の前にRV車が突っ込んできて、10人の重軽傷者が出た。一番近くに転がってたオッチャンなんか、壊れた人形みたいに不自然な格好で倒れてた。だいたい道路で人が転がってること自体がシュールで怖いよ。
それが、五拍子のリズムができるようになった途端に「怖いこと」として、頭の中でフラッシュバックするようになってしまった。
もともと勉強が嫌いなところにもってきて、このフラッシュバック。試験が全然手につかない。
そんなあたしの様子に気づいてくれたんは麻友だった。
「あんな事故目の前にしたら、気持ちが入らないよね……」
見透かした上で寄り添ってくれた。美枝とゆかりも気づいたみたいだけど、こういう時は大人数でゴチャゴチャ言うよりは、訳の分かった者が一人で相手にするほうがいいと、二人きりにしてくれた。
ありがたかった。
試験中だから、レッスンまでには4時間ほどある。
一人で勉強できる状態じゃなかったので、おおいに助かった。
麻友というのは、ブラジルからの帰国子女。
見た目はうりざね顔のベッピンさんなんだけど、それが中身はコテコテのラテン系。
この子のお蔭で、文化祭ではリオのカーニバルをやることになっている。プールで着替える時も、クルリとスッポンポンになって、鏡で自分の体を点検してから、チャッチャっと着替える。最初のプールで、真っ先にプールに飛び込んでガンダムに怒られもした。
だけど、事故で顔に怪我した宇賀先生には、真っ先に労わりの言葉をかけていた。
まだ、転校してきてから一か月足らずだけど、うまいこと馴染んでいる。
「……だから、ここは、この公式をそのまま使って。あとは、ただの応用。試しに、この三番目の問題やってごらんよ」
麻友は、数学オンチのあたしに噛んで含めるように教えてくれる。
「そうかあ、こういうアプローチの仕方があったんだな……」
「うん、よしよし。ま、これで70点は固いよ。あとは……」
「あ、ダメだレッスンの時間だ!」
教室の時計がタイムリミットを指していた。
あたしは良くも悪くも反応が早い。脳みそが働く前に体が反射する。
「どうもありがとう! ほんと助かった!」
机の上のあれこれを鞄に突っ込んで、立ち上がった拍子に麻友の鞄を蹴飛ばしてしまった。
アッ!
勢いで鞄の中身が床に散らばってしまう。
「ああ、ごめん!」
急いで、飛び散った中身を拾い集める。二つ折りの定期入れが開いていた。
その開かれたとこに、麻友によく似た、日焼けした男の子が白い歯で笑ってる写真が入ってるのが見えた。
「あ、いい、いいよ。自分でやるから。アスカ時間でしょ。急いで!」
麻友が珍しく動揺している。で、あたしの興味津々な助べえ根性を急いでなだめるように付け加えた。
「一つ年上の兄き……ただ、それだけ」
それだけじゃないのは、逆に、よく分かったけど。触れられたくないのも、それ以上に分かった。
で、それ以上にレッスンに遅刻しそうなので「ほんとごめんね!」を背中で言いながら、あたしは駅に急いだ……。