せやさかい・284
うちはお寺の子やけど、毎日仏さんに手を合わせることはしません。
テイ兄ちゃんは本業の坊主なんで、毎朝、お祖父ちゃん、おっちゃんと三人でご本尊の阿弥陀さんに手を合わせて、念仏を唱えます。
詩(ことは)ちゃんもおばちゃんも、おっぱん(高坏に盛ったごはん)をお供えする時には手を合わせるけど、お念仏を唱えることはしません。
お祖父ちゃんは住職としては引退してるんで、朝のお勤めが終わったら、しばらく本堂に居てることが多い。
このごろは、春めいてきたんで、本堂の縁側に出て、胡座をかいてボーっとしてます。
「なんや、仏さんみたいになってきはったねえ」
お寺の婦人部長である田中のお婆ちゃんは、そない言うて縁側のお祖父ちゃんに手を合わせたり。
「フフ、なんだか、即身成仏」
詩ちゃんは、そんなことを言いながら、それでも田中のお婆ちゃんにはきっちりと頭を下げて大学へいきました。
「お茶でも持って行こうか?」
気配りの留美ちゃんは、お盆に湯呑と急須を載せて、うちはポットをぶら下げて、本堂の縁側に行きます。
内陣の方から縁側に向かうと、もう田中のお婆ちゃんは山門を出ていくとこ。
「すみません、遅くなってしまって」
こういう時の返事も留美ちゃんは行き届いてます。うちやったら「ええ、せっかく持ってきたのにい!」とプータレルとこです。
「ああ、すまんなあ」
「お祖父ちゃんだけでも飲む?」
「しょんべん近なるからなあ……二人で飲みいや。日向ぼっこにはええ日和やでえ」
これは、ちょっと相手していけということ。年寄の間接話法と頷きあって、お祖父ちゃんよりも一段低い階段のとこに腰を下ろす。
下ろしたお尻が仄かに温い。その仄かな温もりのままにお祖父ちゃんがポツリ。
「卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
留美ちゃんの反応は早い。
卒業式付き添いのくじ引きは、おばちゃんと詩ちゃん。
けっきょくは、急なお葬式と専念寺さんのお手伝いが入って、とても卒業式どころやなかったんやけどね。
「どないやった?」
「はい、3月11日だったのを忘れてました」
「ほう……」
え、なんか禅問答?
「一昨日は東京大空襲、昨日は東日本大震災について触れられました」
あ、思い出した。校長先生の話や。
たしかPTAの会長さんの祝辞のあとに言いはったんや。
「心温まる祝辞、身に余る謝辞をいただきまして、まことにありがとうございます。生徒たちの門出の姿に胸が熱くなりますが、11年前の今日、この姿を見せることも目にすることなく大勢の人たちが逝かれました……そう、あの東日本大震災であります……」
二分ほど震災に触れはった。要は、普通に卒業して卒業生を見送ることが、どれだけ幸せなことかという話。
「アニメは、あまり観ないのですが、若い先生に言われて感心した場面があります。アイドルグル-プが合宿の為に震災後数年目の釜石を訪れるところです。メンバーは『こんな被害を受けたんだ』『復興はまだまだなんだ』と神妙な気持ちになります。民宿のおばさんにどんな言葉を掛けようかと迷いますが、おばさんの言葉はこうでした『よくお越しくださいました。ずいぶん復興しましたでしょう。こうして、お客さまをお迎えできて……』とすこぶる付の笑顔なんですね。人の身に立つということが、よく現れたエピソードだと思います……」
ええ話やねんけど、式も終わりに近くって、うちは、正直寝かけてましたけどね(^_^;)。
「校長先生……ひょっとして、定年なんとちゃうか?」
「「え?」」
なんで分かるのん?
「うん、年寄りの勘やねんけどな、卒業式の校長の話としては、微妙に踏み込んでる気ぃがするんや。大事な話やけども、門出に語るには、ちょっと言う感じやなあ……で、みんなの反応は?」
「あ、うん。神妙に聞いてたなあ」
寝かけてたことは棚に上げます。
「実は……」
留美ちゃんは前日の予行の時の大空襲の話も付け加えた。
「そうかあ……最後にええ話しはったんやなあ……ヨッコイショっと」
お祖父ちゃんは立ち上がると外陣のご本尊さんの前に行きます。
静かに数珠を出すと「なまんだ~ぶ なまんだ~ぶ」とお経を唱え始めました。
うちらも、お祖父ちゃんの後ろに座って手を合わせます。
経机の上には『お布施・田中』と書いた不祝儀袋。
後で聞くと、お婆ちゃんの従姉妹さんが仙台で亡くならはったということです。従姉妹さんは、震災後は一人で介護施設に入ってはったとか。
お婆ちゃんは、デイサービスの時間が迫ってるんで、お布施だけ置いて家に戻らはったということでした。