トモコパラドクス・66
『……なれの果て』
三十年前、友子が生む娘が極東戦争を起こすという説が有力になった未来。そこから来た特殊部隊によって、女子高生の友子は一度殺された。しかしこれに反対する勢力により義体として一命を取り留める。しかし、未来世界の内紛や、資材不足により、義体化できたのは三十年先の現代。やむなく友子は弟一郎の娘として社会に適応する「え、お姉ちゃんが、オレの娘!?」そう、友子は十六歳。女高生としてのパラドクスに満ちた生活が再開された! 娘である栞との決着もすみ、久々に女子高生として、マッタリ過ごすはずであったが……いよいよ夏休みも終り。さあ、いよいよ九月だ!。
なれの果てからメールが来た。
友子は、またムナクソが悪くなってしまった。
昨日の九月一日は防災の日で、あちこちで防災訓練などが行われた。
しかし、一般の高校生である友子には関係なく、そぼ降る雨の中、演劇部の城中地区の地区総会に部員全員……と言っても、妙子と紀香の三人で参加しにフェリペ学院高校まで、地下鉄で行った。
友子はおぼろにに感じる土地の記憶に、センサーの感度を上げた。
土地や空間というものは、激しい事件や、事故があると、記憶として焼き付いてしまうことがある。夏休みに軽井沢大橋で見た女性などは、まさにそれで、勘の鋭い人には見えてしまい、幽霊と勘違いされる。
東京は、あちこちの空間が戦時中の記憶を持っており、感度をノーマルに設定していても、そういう記憶がよく飛び込んでくる。
でも、昨日は違った。阿鼻叫喚地獄ではあったが、それは関東大震災のそれであった。三年前の震災もひどかったが、リアルに見える友子には、火事で焼け死ぬ人が多く、所によっては、東京大空襲のそれよりも悲惨なところもあり、友子は、そっとセンサーの感度を下げた。紀香も同様に下げたのか、目が合って、思わず互いに顔を伏せてしまった。
地区総会会場のフェリペ学院は、東京でも名うての名門演劇部で、総会の前にフェリペ学院の作品の参考上演がある。昔は、総会の定足数に達するまでの時間、先に来た学校の人たちが退屈しないように、簡単なエチュードを見せるだけだったが、あまりに上手いので、近年は、フェリペ学院の自信作を見せるようになり、フェリペ学院の演劇鑑賞会のようになってきている。
「まあ、良くも悪くも勉強になるから」
紀香の、その言葉で妙子も友子も付いてきたのである。
客電が落ち、会場が暗くなると、薄いブルーのライトが微かに点いて、雨合羽にビニール傘を持った女の子達が観客席に八人ほど現れ「ジャスト レイニング ジャスト レイニング……と、あどけなくではなく、幽霊のように陰鬱に唄う。そして、カットオフしたかと思うと……。
ドーン!!
特大の和太鼓を叩いたような音が暗闇のなかで、響いた!
無垢な妙子は、これ一発で、芝居の世界に引きずり込まれたが、スレている友子と紀香は、ご大層な客の掴み方をするものだと、かえって、あとの展開を心配した。プロ、アマ、高校演劇にかかわらず、こういう幕の開け方をして、肝心の芝居で崩れるところが多いからだ。
闇の中で、緞帳が開き、薄暗がりのなかで、這いつくばったような十人ほどのコロスが、「ヘーイ、へーイ……」と口々に観客席の方に手を伸ばし、誰かに呼びかけている。
――ああ、これは……津波の芝居だなあ――
――みたいね、ちょっと違和感だけど――
友子は紀香と、CPU同士で会話した。
――『ツー・ナミ』って、タイトルだから、もっかい津波の描写があるわよ――
紀香が見切ったように言った。
話は、こうだ。震災の被災地から「波」という名前の小学生が、東京に疎開してくる。波は津波の中、避難中に姉の「海」の手を放してしまい、姉はそのまま行方不明になってしまう。波は、姉の手を放してしまったことがトラウマになってしまい、ほとんど口をきかない子になってしまう。夜になると、時々押しつぶしたような声で独り言を言う。その声が、姉の海とそっくりなのである。
そんな波を、疎開先で不憫な目で見る大人達、同情しながらも気持ち悪がる子供たち。
その子供たちの中に奈美子という同年配の女の子がいる。この子だけは、波のことを、ちゃんと友だちとして扱ってくれる。
そして、奈美子は、姉の手を放してしまった罪悪感から波を解放してやろうと、その瞬間を再現してみせる。
今度は、ソヨソヨ、ヒタヒタという音がしだいに大きくなり、耳を圧するほどになり、照明は、それに反比例して、暗くなる。そして、波は気づく。
「手を放して! 波まで津波にさらわれる……」
そう言って、姉の海は、自分から手を放して行った……。
「わかったでしょ波。お姉ちゃんの気持ちが……」
「でも、でも、あたしが海姉ちゃんの手を放してしまったことに変わりはない。あたしが悪いんだ」
「お姉ちゃんは後悔してないよ、波を助けられたんだから。それにお姉ちゃんは独りぼっちじゃない」
奈美子が、そう言うと、数人の子供たちがやってくる。
「あたしたちもね、不慮の事故で死んだ子達なんだよ。みんな、新宿やら環八やらで、交通事故で死んだんだ。お姉ちゃんも、あたしたちも同じ。仲間なんだから、そして仲良くやってるんだから!」
と、同化と友情のカタルシスで幕が降りる。
「いかが、でしたか。感想があったら遠慮無く聞かせてください!」
演じ終わった充足感いっぱいに部長がマイクを握った。
「凄かった」「感動した」「迫力ありました」「上手かったです」などの感想が続いた。
「一言いいですか」
紀香が手を上げた。
「はい、乃木坂学院さんですよね?」
「ええ、部長の白井紀香っていいます」
「はい、どうぞ」
「津波で亡くなった子と、交通事故で亡くなった子とでは、死の意味が少しちがうと思うんです。この芝居は、共感と、そこから来るカタルシスを見せんがために、作られたもので、作る動機が……ちょっと違うと思うんです。カタルシスのために津波を素材にしただけ、津波の効果も、劇的な効果を狙っただけで、被災者の方々の実感とはかけ離れています」
その時、顧問の先生が舞台に上がり、語り始めた。
「そりゃあ、完ぺきだとは言わないけども、こうやって津波のことを取り上げることは意味があるんじゃないかなあ」
今度は、友子が発言した。
「先生は、この作品を書くにあたって、また、作るにあたってフィールドワークされたんですか?」
「そ、それは……」
その言葉で、友子にも紀香にも分かってしまった。このR学院の先生は若いころに劇団Sにいた、思うところあって高校の先生になり、自分のクラブを劇団にしてしまったのだ。友子も紀香も、場や空間の記憶として、かつての災害や、戦災をじかに知っている。だから違うと感じた。この人と、これ以上話しても無駄だと感じた。
「ま、芝居の作り方って、それぞれですから。どうぞ、これからもご精進ください。失礼しました」
それで、終わらせるつもりだったが、その後の総会が終わったあとも、友子達を論破しようと、この先生は口に泡をとばした。
友子も紀香も穏やかに聞き役にまわり、最後は、メアドの交換までやった。
「演劇青年のなれの果てだね……」
「あんな言い方しなくても、よかったんじゃない?」
と、妙子は、乃木坂学院の良心を代表するように、控えめに言った。
「でも、あんなの誉めてたら、東京の高校演劇がダメになっちゃうよ」
すると、妙子が意外なことを言った。
「ダメになるんなら、一度潰れてみてもいいんじゃないかな」
で、友子は、今朝、ムナクソの悪いメールを持て余しているのであった……。