今日も日帰りで大阪出張です。
我が故郷ながら暑い。本当に暑いです。昔からこんなに暑かったかなあ。
珍しく背広を着ないで出かけて大正解でした。
ところで、私が長年秘かに(「熱烈な」という声も一部にありますが・・・)応援している大阪本拠のプロ野球チームも、ここに来て4連敗を喫してしまいました。大丈夫かいな・・・。
昨日昼休みに神宮球場に8月19日からの3連戦のチケットを買いに行ったところ、何とか特別指定席だけが若干余っていたので早速ゲットして応援に行くことにしたんですが・・・。
気合入れて、がんばってや!
さて、ジュリーニのモーツァルト40番。ジュリーニを追悼するかのように急遽リリースされた、87年のザルツブルク音楽祭のライブ録音です。自宅と新幹線の車中でじっくり聴きました。
<曲目>
モーツァルト:交響曲第40番ト短調
<演奏>
カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
<録音>1987年8月2日、ザルツブルク祝祭大劇場ライヴ
全体的には、91年に録音されたベルリンフィルとのスタジオ録音盤と比べて、音楽の作り方はほとんど変わりません。
第一楽章はほんと遅い。とてもアレグロモルトとはいえないテンポ。だからといってロマンティックな演奏ではないんです。淡々と進むなかに悲しみが封じ込められているような感じというんでしょうか。ベルリンフィル盤でも同様の印象を持ちましたが、ウィーンフィルはさすがに音に色気がありますね。したがって、より微妙なニュアンスに富んでいるところが特徴でしょう。また、あの有名なメロディに先駆けて刻まれるビオラのリズムが、最後までとても印象に残ります。こんな風に感じたのはセルの演奏以来です。(まったくテンポもスタイルも違いますが・・・)
第二楽章では、テーマに戻る前の木管楽器の表情が妖しいまでに美しい。
最後の第四楽章も遅いです。どこがアレグロアッサイなんだというくらい遅い。しかし不思議です。徐々に聴き進むにつれて、速いんだか遅いんだか分からなくなってきます。格調の高さってこういうことを言うんだなぁと実感させてくれる演奏です。ラストもまったくテンポをあおることなく、終始インテンポを保ちつつ緊張感だけを高めてエンディング。これはまさに名人の技です。
なお、フィナーレは繰り返しをしているために12分近くかかっていますが、さすがにちょっと長いかなあと感じました。
このスケールの大きさ、ゆったりしたテンポ、密度の濃さ、これらは晩年のジュリーニの演奏に共通する特徴ですが、やはり晩年のクレンペラーと相通ずるものがあるように感じました。
違うのは、ジュリーニは最後までカンタービレの指揮者であったことでしょう。同じように遅いテンポをとりながらも、どんな場合も各声部は丹念に歌いこまれ、全体の大きな流れの中で心地よさそうにふるまっています。やっぱりジュリーニだけの刻印です。この表現をしたかったから、あの遅いテンポになったのだと思いました。
P.S
同じに演奏された「大地の歌」も1回通して聴きましたが、これも素敵な演奏です。特に終楽章が印象に残りました。
詳しい感想は、また日を改めて・・・。
我が故郷ながら暑い。本当に暑いです。昔からこんなに暑かったかなあ。
珍しく背広を着ないで出かけて大正解でした。
ところで、私が長年秘かに(「熱烈な」という声も一部にありますが・・・)応援している大阪本拠のプロ野球チームも、ここに来て4連敗を喫してしまいました。大丈夫かいな・・・。
昨日昼休みに神宮球場に8月19日からの3連戦のチケットを買いに行ったところ、何とか特別指定席だけが若干余っていたので早速ゲットして応援に行くことにしたんですが・・・。
気合入れて、がんばってや!
さて、ジュリーニのモーツァルト40番。ジュリーニを追悼するかのように急遽リリースされた、87年のザルツブルク音楽祭のライブ録音です。自宅と新幹線の車中でじっくり聴きました。
<曲目>
モーツァルト:交響曲第40番ト短調
<演奏>
カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
<録音>1987年8月2日、ザルツブルク祝祭大劇場ライヴ
全体的には、91年に録音されたベルリンフィルとのスタジオ録音盤と比べて、音楽の作り方はほとんど変わりません。
第一楽章はほんと遅い。とてもアレグロモルトとはいえないテンポ。だからといってロマンティックな演奏ではないんです。淡々と進むなかに悲しみが封じ込められているような感じというんでしょうか。ベルリンフィル盤でも同様の印象を持ちましたが、ウィーンフィルはさすがに音に色気がありますね。したがって、より微妙なニュアンスに富んでいるところが特徴でしょう。また、あの有名なメロディに先駆けて刻まれるビオラのリズムが、最後までとても印象に残ります。こんな風に感じたのはセルの演奏以来です。(まったくテンポもスタイルも違いますが・・・)
第二楽章では、テーマに戻る前の木管楽器の表情が妖しいまでに美しい。
最後の第四楽章も遅いです。どこがアレグロアッサイなんだというくらい遅い。しかし不思議です。徐々に聴き進むにつれて、速いんだか遅いんだか分からなくなってきます。格調の高さってこういうことを言うんだなぁと実感させてくれる演奏です。ラストもまったくテンポをあおることなく、終始インテンポを保ちつつ緊張感だけを高めてエンディング。これはまさに名人の技です。
なお、フィナーレは繰り返しをしているために12分近くかかっていますが、さすがにちょっと長いかなあと感じました。
このスケールの大きさ、ゆったりしたテンポ、密度の濃さ、これらは晩年のジュリーニの演奏に共通する特徴ですが、やはり晩年のクレンペラーと相通ずるものがあるように感じました。
違うのは、ジュリーニは最後までカンタービレの指揮者であったことでしょう。同じように遅いテンポをとりながらも、どんな場合も各声部は丹念に歌いこまれ、全体の大きな流れの中で心地よさそうにふるまっています。やっぱりジュリーニだけの刻印です。この表現をしたかったから、あの遅いテンポになったのだと思いました。
P.S
同じに演奏された「大地の歌」も1回通して聴きましたが、これも素敵な演奏です。特に終楽章が印象に残りました。
詳しい感想は、また日を改めて・・・。
4連敗のおかげで私も朝刊を見る楽しみがありません。神宮では特別応援しますよ。あっジュリーニとは関係ないコメントでしたね。でも大阪は暑いでしょう。今夜は横浜でも暑くなって欲しいものです。
いつもありがとうございます。
いやー、昨日は良かったですね。今岡さまさまです。久しぶりにデイリーが買えました。
これで、明日はじっくり落ち着いて音楽が聴けそうです。
>速いんだか遅いんだか分からなくなってきます
面白いです(笑)きっと彼の演奏の密度の濃さがそうさせているのでしょうね。私も彼の演奏の魅力に改めて引きこまれています!
いつもありがとうございます。
「疾走する悲しみ」という感じではないのですが、この格調高さは特別のものがあると思います。
カンタービレが徹底されているにもかかわらず、音楽が立体的に聴かせてくれる、やはりジュリーニですね。
コロンビア響、ブロムシュテット/ドレスデンが愛聴盤ですが、是非買ってみようと思います。
こんばんは。いつもありがとうございます。
ジュリーニのテンポですが、確かに晩年になるほど遅くなっていますね。このVPOとの40番もきっと最初は「遅いなあ」と感じられると思いますが、各声部が丹念に磨きこまれていますのでとても味わいがあります。聴いているうちに、テンポ感がだんだんなくなってきて、モーツァルトの音楽だけが浮かび上がってくるような気がしました。是非お聴きになっていただければと思います。
第4楽章のアレグロ アッサイですが、遅いですが、遅さが気になりません。全体として、「統制」という言葉に無縁の演奏のように思いました。響きはウィーンフィルの方が美しいですね。40番はワルター、ブロムシュテット、クーベリックなどが好きですが、ジュリーニ盤もそれらの仲間入りです。
レクイエムも、ほんとに素直な、飾りのない真摯な演奏ですね。因みに「怒りの日」はさすがに遅くはなかったですが、無用に高ぶることもなく、淡々と進められているように感じます。全体的には「静謐」という言葉がふさわしいように思いました。逆説的ですが「指揮者はどこにいるのだろう?」ジュリーニに関しての私の率直な印象です。
こんばんは。素晴らしい感想ありがとうございます。
私も全く同感です。レクイエムについては、新盤も良い演奏ですが私は今日に対する集中力という点で、旧盤のほうがしっくりきます。
でも、ジュリーニは、スケールの大きさと精妙さと歌の3つが共存している稀有のマエストロだったと改めて感じています。
こんばんは~!
ケルテスの〈リンツ〉をエントリーしました。
サイト内を検索してみたのですが、ケルテスの〈リンツ〉をヒットできませんでしたので、モーツァルト繋がりでこちらにTB&コメントを送信致します。
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尚、こちらの記事をリンク紹介しましたので、時間の都合がつきましたらお寄り下さい。
私の持っているCDで聴くと、やはりリンツは高域が少しきつめで、ウィーンフィルらしさがあまり感じられませんでした。終楽章もケルテスにしては少しせかせかした印象が・・・。
しかし、35番のハフナーと39番は素晴らしい演奏ですね。改めてその瑞々しい音楽に心打たれました。