ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

小澤征爾&サイトウキネン ブリテン:「戦争レクイエム」 in 松本

2009-08-30 | コンサートの感想
サイトウキネンの「戦争レクイエム」を聴いた。
「音楽」の持つ底知れない力に、私は大きな感銘を受けた。
松本を訪れたのも初めてなら、サイトウキネンの実演を聴くのも、そしてこのブリテンの大作を生で聴くのも初めてという、文字通り「初物ずくめ」だったが、このコンサートを聴けた僥倖に感謝しなければ・・・。
今まで何種類かのディスクを聴き、ブリテン自身が室内オーケストラを指揮した1964年の映像も観てきたが、今回の小澤さんたちの演奏を聴いて、私は初めてこの曲の真髄に触れたような気がする。


<日時>2009年8月27日(木) 19:00開演
<会場>長野県松本文化会館
<演奏>
■ソプラノ:クリスティン・ゴーキー
■テノール:アンソニー・ディーン・グリフィー
■バリトン:ジェイムズ・ウェストマン
■合 唱:東京オペラシンガーズ,栗友会合唱団,SKF松本合唱団・松本児童合唱団
■管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ
■指 揮:小澤征爾

ステージに登場してきたメンバーを見ていると、内外で活躍する日本のトップ奏者たちに加えて、ベルリンフィルのゼーガスがいる、バボラークもいる。
本当に豪華なメンバーだ。
イギリスの詩人オーウェンの詩の内容を表現する「室内オーケストラ」を指揮台の周りに集め、第2列目からが本来の「フルオーケストラ」という配置。
もちろん、どちらのオーケストラも小澤さんが指揮をする。
それからティンパニとハープは中央前方、テノールとバリトンは指揮者のすぐ横、ソプラノは遠く合唱団の最後列中央に陣取ってそこから神の声を響かせるというイメージ。
この日は、25日に亡くなったE.ケネディ議員の死を悼んで、聴衆も含めた全員で黙とうをささげた後、レクイエムが始まった。

「永遠の安息を」では、2つ・2つ・2つ~3つ~2つ・2つ・・・とくる音型がまことに印象的。
合唱が滅茶苦茶上手い。
不協和音が連続する中、最後の最後で初めて登場するヘ長調の和音に、「救われた」とお感じになった聴衆もきっと多かったに違いない。
迫力十分の「怒りの日」の後、「オッフェントリウム」冒頭のオルガンと児童合唱だけの素朴な歌は、中世的というよりも、さながら日本の雅楽のようだ。
このあたりから、私はホールでコンサートを聴いているというよりも、偉大なモニュメントを前に言葉もなく立ちつくす人間のような不思議な感覚を味わっていた。
「サンクトゥス」のソプラノ独唱も、生で聴くと本当に天からの声のように聴こえる。この感覚を体験した後でCDを聴くと、今度は生で聴いた経験がイメージを補ってくれるので、また違った感慨を得ることになる。

この日のクライマックスは、終曲「リベラ・メ」だった。
とくに第2部のオーウェンの詩に基づくテノールとバリトンの緊張感に満ちたやりとりは秀逸。
だからこそ、2部の最後に歌われる「もう眠ろうよ」という歌詞がいっそう意味深く感じたのだろう。
余談だが、私は聴きながら、ふとブリテンが書いた唯一のギター曲である「ノクターナル」を思い浮かべていた。
このノクターナルという曲は、変奏曲でありながら主題が最後の最後に登場するという奇抜な仕掛けをもっているのだが、その主題はジョン・ダウランドの「来れ、深き眠りよ」というリュート伴奏の歌曲からとられている。
戦争レクイエムとノクターナルの間に無理やり共通点を見出すような強引な考えは毛頭ないが、どこか同じ雰囲気・匂いを感じないでもない。
この言葉の直後に聴こえる児童合唱は、まさしく天使の声。
鐘の音が響いた後は、もうひたすら祈りの音楽だ。
心洗われるような静かなエンディングのあと、ホールに居合わせた全員が再び黙とうをささげているかのような沈黙の時間を経て、サイトウキネンの戦争レクイエムは終わった。

素晴らしい体験だった。
前述した合唱の見事さに加えて、小澤さんの明晰な分析力と弾力性をもったリズム感がこの感動的な名演を生み出した大きな要因だが、それ以上にソリスト・オーケストラを含めたメンバー全員が「信頼」という2文字で固く結ばれていたことのほうが大きいだろう。
ラテン語で書かれたレクイエムの典礼文と英語で書かれたオーウェンの詩を合わせて一つの音楽を作り上げるというブリテンのアイデアは、歌詞と音がどれだけ一体になれるかにかかっている。
その意味でも、今回の演奏は申し分なかった。
テレビカメラも入っていたので、後日オンエアされると思うが、ホールで体験した感動がはたして伝わるだろうか。
楽しみでもあり、心配でもある。
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イーゴリ・オイストラフ&ザンデルリング  ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2009-08-27 | CDの試聴記
数週間にわたって準備してきた年金セミナーが、昨日無事終わった。
いままでで最も多くのお客様が来られたことと、初めてのテーマだったこともあって、さすがに講演前は少々緊張したが、幸い好評裏に終えることができてほっと一息といったところ。
年金の問題集の改訂作業も数日前に終わったし、なんだか急に肩の荷が下りた感じだ。

頭を整理したり、ちょっと根を詰めた作業が続いたので、バッハを聴いている時間がとても多かったが、そんな中でふと気分転換のつもりで聴いてみて、とても感銘を受けたのがこのディスク。
「ベルリン交響楽団 記念BOX~ザンデルリングの最後の演奏会 完全収録~」と題された5枚組のボックスセットの1枚で、何年も前に買っていながら聴いたのは今回が初めて。
他の4枚は一度ならず聴いたのに、なんとこのディスクだけ聴いていなかった・・・

やっぱり、オイストラフはオイストラフでも、ソリストが息子のイーゴリだったことが原因かなあ。
ダヴィッドが弾いていたら、たぶんこのボックスを開けて真っ先に聴いただろう。
しかし、今回聴いてみて、私は自分の不明を恥じた。
父ダヴィッドがロジェストヴェンスキーと共演したBBCの名盤と比べても、決して見劣りしない演奏だ。
演奏のスタイルは随分違う。父ダヴィッドの温かさ・豊潤さに代わって、息子イーゴリには真摯でストレートな感性の閃きを感じる。
しかし、決して冷たくないところがいい。

このコンチェルトのクライマックスは、間違いなく3楽章のパッサカリアにあるのだけれど、あのインディージョーンズにでも出てきそうな冒頭のテーマとコラール風の管楽合奏に続いて、第2変奏でソロヴァイオリンがはいってくるときの表情が儚いくらい美しい。すぐに勇気を出して弾き進めていくものの、どこか寂しげだ。無常感を感じさせるといってもいいかもしれない。
この楽章は最後に難所のカデンツァが置かれているのだが、「さあカデンツァだ。一丁行くか」というよりも、それまで連れ添ってきた仲間(オーケストラ)が一人また一人といなくなって、「とうとう最後に一人ぽっちになってしまったよ」とでも呟いているように聴こえる。
腕に覚えのあるヴァイオリニストが、無音状態さえ武器にしながら自己を強烈にアピールするのとは対照的だ。
しかし、そこからイーゴリが自分の心を奮い立たせ、緊張感を高めながら次第に高揚した音楽を創り上げていくさまは、まさに圧巻。
そして終曲は、そのままの高いテンションで一気呵成にエンディングまで持っていく。
素晴らしいショスタコーヴィチだと思った。
もちろん、ザンデルリングの重厚でスケールの大きな伴奏も見逃せない。
録音も素晴らしいし、こんな演奏が遺されていたのかと思うと、胸が熱くなる。

さあ、今夜は松本でサイトウキネンのブリテンを聴く。
ちょっと遅い夏休みになったけど、実はこのフェスティバルを観るために遅くしたようなものなので、こちらも本当に楽しみだ。

ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
<演奏>
■I.オイストラフ(vn)
■ザンデルリング 指揮 ベルリン交響楽団
<録音>1966年10月3日 メトロポールテアター、ベルリン
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ハイドン:交響曲第93番二長調 by C・デイヴィス&ロイヤルコンセルトへボウ

2009-08-16 | CDの試聴記
さすがに暑い。
でも、最近続いた不気味な地震や異常気象を考えると、お盆特有の暑さもむしろ懐かしく感じる。
浜松に赴任中の息子も帰省してきたが、しばらく見ないうちに少し立派になったかな。
やっぱり苦労しているんだと思う。
いい話もあるようだし、なんでも経験だと思って頑張ってください。

さて、私はというと、8月の終わりに予定されている大きなセミナーの準備や年金のテキストの改訂作業に追われているのだが、そんな中で聴いた一曲がこのハイドン。
大好きな93番の二長調シンフォニーで、サー・コリン・デイヴィスがロイヤルコンセルトヘボウを振った演奏。

素晴らしい。
もう言葉にならないくらい素晴らしい。
温かくて、優しくて、それでいて透明感に溢れている・・・
もし、この演奏を初めてお聴きになる方がいらっしゃれば、ぜひ2楽章から聴いてみてください。
冒頭の弦楽四重奏の何と美しいこと。清潔なフレージングとアーティキュレーションで奏でられる敬虔な表情に、きっと驚かれることだろう。
そしてトュッティがテーマを引き取ったあとの自然な呼吸感と弾力性をもったリズムを聴いていただければ、マエストロ・デイヴィスとコンセルトヘボウの優れた音楽家たちが、どれほどハイドンの音楽に敬意をもって接しているかがお分かりいただけると思う。
柔らかな弦の響きの中にくっきり浮かび上がる木管の美しさ。
フォルテもたっぷりと響くが決して重くならない。
そして、ハイドンの刻印ともいえるユーモアのセンスも抜群。
他の楽章も、これらの特徴はまったく同じで、私はすべての点において理想的なハイドンだと評したい。

この素晴らしいディスクを聴きながら、私は2月に聴いたブリュッヘン&新日フィルのコンサートを思い出していた。
前日にプローベも聴かせてもらって、大きな期待をもって臨んだ本番。
期待をはるかに上回る感動的なハイドンだった。
93番のフィナーレを聴きながら、そして求道者のようなブリュッヘンの姿を目の当たりにして、不覚にも私は涙が溢れてきて止まらなかった。
何一つ悲しいところはないのに、不思議にこみあげてきたあの涙はいったい何だったのだろう。

このディスクにもそんな面影がある。
でも、涙は出ない。
ひょっとしたら、コリン・デイヴィスたちが作るハイドンが、幸福感という点でほんの少し勝っていたのかもしれない。

<曲目>ハイドン
■交響曲第93番二長調
■交響曲第94番「驚愕」、97番、99番、100番「軍隊」、101番「時計」
<演奏>
■コリン・デイヴィス(指揮)
■ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
<録音>1981年11月(第93番)ほか
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トップランナー 庄司紗矢香

2009-08-08 | BS、CS、DVDの視聴記
昨夜のNHKの番組「トップランナー」で、ヴァイオリニストの庄司紗矢香さんが登場していた。
独特のアルトで、言葉を選びながらゆっくり喋るその語り口に、思わず引き込まれてしまう。
そして、話の内容にも、26歳とはとても信じられない説得力がある。
持って生まれた性格もあると思うが、思慮深さ、物事と対峙した時の真摯さ、そして感性の豊かさが並外れているのだろう。

庄司さんの話の中で印象に残ったのは、やはり音楽への真摯な姿勢だった。
彼女は言う。
「演奏家として重要なのは、作曲家が何を伝えたいのかを汲みとること。
ヒントは自筆譜にある。自筆のスコアは作曲家自身の手紙のようなものだ。
線の書き具合、どこの音符に心がこもっているか等、すべてが自筆譜に隠されている。」
そして、次のように総括する。
「作曲家の意図をくみ取り、そこに想像力をはたらかせて、曲の魅力を今生きている人に伝えることこそ演奏家の使命。
演奏家のために作曲家があるのではない。作曲家のために演奏家がある。」

何と素晴らしい言葉だろう。
そして、それを単なる言葉としてだけではなく、ヴァイオリンという楽器を使って、ものの見事に体現できているところが彼女の凄さ。
この日、スタジオで2曲演奏してくれたが、私はとりわけ「愛の挨拶」に痺れた。
大変ポピュラーな曲だけど、これほど優しさにあふれ、官能的な演奏には、そうお目にかかれない。
現在の愛器は、ストラディバリウス「レカミエ」(1729年作)だそうだが、彼女自身の言葉を借りると、「深くて、甘美な音色」の名器。
庄司さんは、以前ストラディバリウスの「ヨアヒム」(1715年作)を使っていたと記憶しているが、最近変えたのだろうか。

「5歳でバイオリンを始め、出場したコンクールはすべて優勝!」というようなキャッチフレーズからは、早熟の天才のように思われがちだが、彼女の音楽はきっと齢を重ねるごとに味わいを深めていくことだろう。
私の中でも、ヒラリー・ハーンと並んで最も期待するヴァイオリニストである庄司さん。
今後の活躍が、ますます楽しみである。
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小澤征爾&サイトウキネン ブラームス:交響曲第1番 (1992年 松本)

2009-08-02 | BS、CS、DVDの視聴記
時間を見つけては、こつこつと録りだめたビデオテープからDVDへダビングをしているが、一向に進まない。
でも、その作業の中で久しぶりに出会った名演奏に、しばし我を忘れて見入ってしまうことがある。
サイトウキネンのブラームス全集も、まさにそんな一枚。
この1番は、1992年9月の松本でのライブである。

<日時>1992年9月5日
<会場>松本文化会館
<曲目>
■ブラームス:交響曲第1番ハ短調
■モーツァルト:ディベルティメントK.136から第2楽章

サイトウキネンのブラームスの1番といえば、FMで聴いた1990年のザルツブルグのライブ、DVDでも残されている同年のロンドン公演における演奏が、いずれも白熱のブラームスと評したくなるような素晴らしい名演だった。
とくにロンドン公演の方は、プロムスという独特の雰囲気もあって、エネルギーの迸りがもの凄かった。
今回とりあげたのは、その2年後の1992年に松本で行なわれたコンサートの映像。
1992年といえば、サイトウキネンオーケストラが、本拠を長野県の松本に構えた年だ。
2年前のヨーロッパ公演のときとはメンバーも勿論交替しているが、コンミスの潮田益子さんを始めとして、主だったメンバーは変わっていない。

天皇、皇后両陛下ご臨席のもと開かれたこの1992年のコンサート、結論から申し上げると1990年以上の出来ではないだろうか。
確かに燃えるような熱さという点では、1990年のヨーロッパでの演奏に軍配が上がるかもしれないが、この松本の演奏は造形の確かさやスケールの大きさ、そして音楽のしなやかさという点において群を抜いている。
ボストン時代からの盟友であるエヴァレット・ファースの圧倒的な存在感をもったティンパニにも支えられて、終始緊張感を保ちながらも豊かな歌に包まれたブラームスは素晴らく魅力的。

なかでも、管の何と魅力的なこと!
フルートの工藤さん、オーボエの宮本さん、ホルンの水野さん、この日本を代表する名手たちが、いずれも精緻でかつ情熱的な演奏を聴かせてくれている。
この3人が揃ったサイトウキネンの演奏は、もう聴けないのかと思うと、やはり寂しさを感じる。



そして、この才能豊かな奏者たちを見事に束ねていたのはコンミスの潮田さん。
映像を見ながら、私が最も痺れたのは、実はコンミスの潮田さんの表情だった。
献身的といいたくなるような、本当にいい表情。
腕っ節でオケを引っ張るのではなく、ともに斎藤秀雄のDNAを受け継いだオケのメンバーたち、そしてマエストロ小澤さんをひたすら信じることで、自分たちが目指す方向を自然に指し示したリーダーの姿がそこにあった。

彼らのブラームスを、「とても美しいけど個性に乏しい」という人がいるかもしれない。
確かに、ウィーンフィルやコンセルトヘボウ、ベルリンフィルといった、ほんの少し響きを聴いただけでわかるような強烈な個性はない。
でも、サイトウキネンのピュアでひたむきな演奏は、間違いなく私の心に強く響いた。
日本的な・・・なんて表現を使うと、笑われるだろうか。
また、小澤さんとサイトウキネンの関係は、ある意味でアバド率いるルツェルン祝祭管弦楽団とよく似ている。
アバド&ルツェルンの来日公演で聴いたマーラーは、私が実演を聴いて最も感銘を受けたコンサートだったが、聴きながら「このオーケストラ、アバドが引退したら一体どうなってしまうんだろう」と思ったものだが、同じことがこのサイトウキネンにも言えるかもしれない。
それほど、小澤さんの存在は大きい。

今月末に、私は松本で初めてサイトウキネンの実演を聴く。
演目は、ブリテンの「戦争レクイエム」。
果たして、どんなメッセージを伝えてくれるのだろうか。
今から楽しみである。
コメント (4)
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