ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

バッハ:「プレリュード、フーガとアレグロ」 BWV998 by リヒテル(p)

2012-10-13 | CDの試聴記
今週は、山中教授のノーベル賞受賞というビッグニュースから始まった。
そして翌日には、アニキ金本の引退試合。
お二人に共通するのは、稀にみる偉業を成し遂げたことと同時に、その人となりが何ともいえず素敵であること。
天才としか言いようのない研究成果を挙げながら、謙虚にそして誠実に話されていた山中教授の「感謝と責任」という言葉。
そして、引退の挨拶で金本選手が語った「悔いや心残りはたくさんあります」という言葉。
自分の心身を徹底的に鍛え上げ世界に冠たる記録を遺したアニキのことだから、きっと、「やることは精一杯やりました。悔いはありません」というようなコメントになるだろうと勝手に思い込んでいたので、とても驚いた。
しかしよく考えてみると、二人とも過去の栄光にしがみつくような姿勢は微塵もなく、目線がしっかり前を向いていることも共通している。
こんな二人の言葉だからこそ、千金の重みを持つのだろう。
どちらも、私の心に大きくそして深く響いた。
あまり軽々に使いたくないが、彼らこそ本当に日本の誇りだと思う。

そして、音楽の関係では、二つ出来事があった。
一つは、14日に聴きに行く予定のウィーン国立歌劇場来日公演の「サロメ」。
指揮をするはずだった音楽監督のウェルザー・メストが、体の故障で降板してしまったのだ。
歌手は殆んど知らない人ばかり。しかしメストとウィーンフィルがきっと濃密な音楽を聴かせてくれると確信してチケットをとったのに、何たることだ・・・
しかし、ピンチヒッターのペーター・シュナイダーは、今回フィガロも振るしサロメも得意にしているマエストロだ。
素晴らしいリヒャルト・シュトラウスを聴かせてくれるかもしれない。
いや、きっと聴かせてくれるだろう。
一昨年のプレートルのような、代打逆転ホームランを期待したいと思う。

もう一つは、何回かブログにも書いたが、私が愛してやまないバッハの佳曲「プレリュード、フーガとアレグロ」のこと。
何と、あのリヒテルが演奏した録音が残っているらしい。
リヒテルのバッハといえば、私の場合、何と言っても平均律の「インスブルック・ライブ」だ。
もうこの演奏は、私の心のバイブルと言っても過言ではない。
そのリヒテルが、あのBWV998を弾いている・・・。
これは、何としてもディスクを探しださなければ。
ネットを使って必死で調べて、幸い何とかCDをゲットすることができた。
早速聴いてみる。
ピアノによる演奏を聴くのは初めてだが、やはり素晴らしい。
プレリュードは、ギターあるいはリュートのような撥弦楽器の方がファンタジーを一層よく表現できるような気がしたが、圧巻はフーガだった。
すべての声部が見事なまでに浮かび上がってくる。しかもリヒテルの手にかかると決して表情が冷たくならない。
ウェットで暖かい質感を伴いながら格調高く表現された素晴らしいバッハ。
こんな素敵な演奏をリヒテルが遺してくれていたなんて・・・
ブログのコメントで情報をくださった方に、心から感謝です。

<リヒテルの晩年の至芸>
<曲目と録音日時>
バッハ(1993年7月9日 ボン ライブ)
 ■プレリュード ハ短調 BWV 921
 ■プレリュード, フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV 998
 ■幻想曲 ハ短調 BWV 906
 ■アダージョとフーガ BWV 968 (BWV 1005による)
ブラームス(1992年10月5日 ケンペン ライブ)
 ■2つのバラード Op. 10 (抜粋)
 ■4つの間奏曲 Op. 116,119 (抜粋)
ベートーヴェン(1991年2月11日 ケンペン ライブ)
 ■ロンド ハ長調 Op. 51 No. 1
<演奏>リヒテル(p)
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庄司紗矢香&カシオーリ デュオ・リサイタル(10/7) @彩の国さいたま芸術劇場

2012-10-08 | コンサートの感想
先週後半は大阪出張だった。
今回ほど悪い体調で臨んだ出張は、ほとんど記憶にない。
前兆らしきものはあったのだけど、次第に頭痛と喉の痛みが激しくなり、熱も相当あったと思う。
絶対外せない出張だったので無理を覚悟で決行したものの、肝心の金曜日の行政折衝のときには、ほとんど声が掠れてでない最悪の状態に。
しかし、何が幸いするかわからない。
熱のせいで目も据わっていたと思うし、きっとどすの利いた声に聴こえたことだろう。
「○○という解釈で、何とか△△の取り扱いを認めていただけないか」と出ない声を振り絞って懇請した私をみて、「よくわかりました。私の権限で認めます」と即答してくれたのだ。
相当難度の高い案件だったので、本当に嬉しかった。
ただ、その一瞬で体が燃え尽きてしまったらしく、帰りの新幹線では爆睡。
帰宅後も体調は一向に回復せず、6日の朴葵姫さんのギターリサイタルは涙を飲んでキャンセル。
とても楽しみにしていただけに、本当に残念。

そんな体調だったけど、このコンサートだけは何としても聴きたいと思って出かけたのが、昨日の庄司さんのリサイタル。
当初オール・ベートーヴェンプロの予定だったが、かなり大胆に曲目変更されている。
たしかにベートーヴェンを集中的に聴いてみたい気持ちもあるが、このプログラムなら私的には満足だ。

この日、庄司さんは、淡いピンクの衣装でステージに登場。
日本一の庄司さんファンを自認されているM氏のお話によると、新しいドレスらしい。
会場は休日の午後ということもあって満員。
やはり庄司さんの人気は凄い。

冒頭におかれた曲はヤナーチェクのソナタ。
村上春樹さんの「1Q84」ですっかり有名になったヤナーチェクだが、7~8年前まで私にとってどうもしっくりこない作曲家だった。
それが、当時読響のシェフをしていたアルブレヒトの一言で理解できた。
アルブレヒトは、あるレクチャーコンサートで、聴衆にこう説明したのだ。
「ヤナーチェクの音楽は、ビター味のチョコレートのようなものです」
私は思い切り腹落ちした。ヤナーチェクの音楽を素直な気持ちで楽しめるようになったのは、このときからだ。
庄司さんの演奏は、アルブレヒトの言葉を体現するものだった。
とくに終楽章が、ガラス細工のような繊細な美しさと、それを否定するかのような苦みの両面を鮮やかに使い分けていて、実に見事だった。
ベートーヴェンは、立派な演奏だったが、正直あまり印象に残っていない。

後半は、ドビュッシーで始まった。
庄司さんお得意の意外性が随所に発揮されていて、興味深かった。
ここは歌わせるはずだと思う箇所であっさり系の表現をしたかと思えば、思い切ったアーティキュレーションで驚かせてくれた。
またカシオーリのピアノが素晴らしい。
前半では音の粒立ちのよさが際立っていたが、後半のドビュッシーでは色彩感が何とも見事だ。
庄司さんの意図と上手くマッチしていたのではないだろうか。

そして、この日最も素晴らしかったのが、最後のシューマン。
以前トリフォニーホールで、ルノー・カプソンとアルゲリッチの協演を聴いたことがあるが、そのときはあまりにピアノの存在感が大きすぎて、いささか異質なシューマンだと思った。
その点、庄司さんとカシオーリのコンビでは、まったくそんな懸念はない。
緊密なアンサンブルを基軸にしながら、意外なくらい情感豊かに奏でられたシューマンだった。
シューマンはこのくらい濃密にやってもらわないと、欲求不満が残る。
終楽章だけは、もう少しスリリングな演奏が好きなんだけど・・・

鳴りやまない拍手に応えて、アンコールは2曲聴かせてくれた。
とくに2曲目に弾かれたシュニトケのパントマイムが印象に残っている。
全力を出し切って泳いだスイマーが、最後にクロールでゆっくりゆっくり流しているかのような音楽。
あのシュニトケの音楽とは、ちょっと聴いただけではわからないだろう。
途中ヴァイオリンがお約束の不協和音を奏でても、まったく違和感を感じない。
「この日のコンサート、お楽しみいただけたでしょうか」と庄司さんたちからのメッセージのように私には感じられた。
そして、そのメッセージは確実にこの日の聴衆に伝わっていたと思う。
だって、終演後のサイン会の行列が半端じゃなかったから・・・

この日は生憎の体調だったので、会場でminaminaさんはるりんさんにお目にかかったが、挨拶しようにも肝心の声が出てこない。
大変失礼しました。
本当はサイン会も打ち上げもご一緒したかったのだけど、果たせず早々に帰宅することに。
返す返すも残念。
次回は是非とも・・・

<日時>2012年10月7日(日)15:00開演
<会場>彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
<曲目>
■ヤナーチェク: ヴァイオリン・ソナタ
■ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ第10番 ト長調 作品96
■ドビュッシー: ヴァイオリン・ソナタ ト短調
■シューマン: ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ短調 作品121
(アンコール)
■バッハ:「音楽の捧げもの」からカノン風フーガ
■シュニトケ:「古典様式による組曲」からパントマイム
<演奏>
■庄司紗矢香(ヴァイオリン)
■ジャンルカ・カシオーリ(ピアノ)
コメント (4)
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