ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

モーツァルト 『アヴェ・ヴェルム・コルプス』

2007-08-26 | BS、CS、DVDの視聴記
会社は違うけれど、まさに私の盟友とも言うべき大阪在住の友人の奥様が、先週急逝されました。
死因は「くも膜下出血」。
まだ49歳の若さでした。

仕事の関係もあって、どうしてもお通夜にも告別式にも参列できなかったのですが、先週末大阪の自宅を訪ね、お参りさせていただきました。
友人は予想外に気丈に振舞ってくれてはいましたが、もともと大変な愛妻家で、家族を人一倍大切にしていた人だけに、秘めた悲しみはいかばかりだったでしょう。
また、お嬢さんはもう就職されているのですが、下の息子さんは中学3年生だそうで、まだまだショックが抜け切れないようでした。
奥様は1年半ほど前に「くも膜下出血」の手術を受けていましたが、最近は随分回復して車の運転もできるくらいになっていたそうです。
神様は、ときにこのようなむごい試練を与えてくれます。
本当に仲の良い素敵なご家族なので、残された3人で力を合わせて、必ずやこの試練に打ち勝ってくれると思いますが、しばらく時間が必要でしょうね。
辛いと思うけど、がんばってね!

友人の信じる神道では、亡くなった人の霊魂は肉体を離れて自然に帰り、守護神として子孫を見守るそうです。
すでに神様になられた奥様を偲んで聴く音楽は、もはやレクイエムではなく、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』しか考えられませんでした。
CDでも良かったのですが、今日聴いたのは教会で演奏された映像。
細かくは書きません。
宗派を超えたピュアな感銘を受けました。
蛇足ながら、このコンサートで採りあげられている曲は、いずれも素晴らしい作品ばかりです。


《ローマ教皇ベネディクト16世就任祝賀コンサート》
<曲目>
■パレストリーナ:教皇マルチェルスのミサ曲~キリエ
■ラッツィンガー:聖年のミサ曲~サンクトゥス
■メンデルスゾーン:オラトリオ『エリヤ』~主は天使たちに命じられた
(詩篇第91篇)
■モーツァルト:モテット『アヴェ・ヴェルム・コルプス』K.618
■リスト:オラトリオ『キリスト』~ペドロよ
■プフィッツナー:『パレストリーナ』~第1幕前奏曲&第3幕前奏曲
■ヴェルディ:聖歌四篇~テ・デウム
■ワーグナー:歌劇『タンホイザー』序曲

(+教皇ベネディクト16世のお言葉)

<演奏>
■指揮: ローラント・ビュヒナー/クリスティアン・ティーレマン
■演奏: レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団/アテスティス合唱団
<録音> 2005年10月20日 ヴァチカン、パウロ六世記念講堂
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燃える神宮・・・

2007-08-22 | その他
今日は音楽のことではなくて、野球のお話を・・・。

昨日、会社から5分ほどの場所にある神宮球場で久しぶりにナイターを観てきました。もちろんタイガースの応援です。
バックネット裏の2階席(B指定席)がうまくゲットできたのですが、全体が見渡せて風通しもいいし、いざというときは屋根もあるし、ほんと素晴らしい席でした。

試合は、先発のジャンが乱調で、2回で早々と7点のビハインド。
テレビ観戦だったら、迷わずチャンネルを切り替えていたでしょう。
しかし勝負は分からないものです。
スワローズの若い松岡投手は、この7点を守りに入ってしまったんですね。
鳥谷選手の2ランホームランで5点差になった後は、完全に流れが変わりました。

そして、無死満塁で「代打桧山」のコール。
毎年逆境と戦い続け、今シーズンは2軍落ちも経験した桧山選手。
1軍に戻り「代打の切り札」「中年の星」といわれながらも、正直ここまでは「チャンスに凡打」が多かった。
そんなこんなで、私も必死で声援を送るものの、本音は「三振だけはやめてな。何とか外野フライくらいは打ってや!」という感じでした。

ところが、奇跡は起きました。
真っ芯でとらえた打球は、追い風にものって、何とバックスクリーンに飛びこみます。
代打満塁ホームランです。
やったー。やったー。
あまりに絶叫しすぎて、声もかすれて出なくなってしまいましたが、そんなのどうってことありません。
ここまで彼がどれだけ必死で努力をしてきたか、どんなに真摯な姿勢で取り組んできたかを思い出すと、私はしばらくの間、涙が止まりませんでした。
「よかったなぁ、ヒーヤン。ほんま、よかったなぁ」
ふとみると、周りでも目頭を押さえている人が何人もいました。

その後、タイガースは逆転し、最後は金看板のJFKがすべて3人ずつで片付けるという今季最高のピッチング。
もし、もしもですよ、今年タイガースが優勝できたとしたら、この日の試合は必ずエポックメイキングなゲームとして語られることでしょう。

勝ったことも嬉しいけど、あんなに大差のついた試合を投げ出さないで、全員が一丸となって素晴らしいプレーをみせてくれたことが、なによりも私は嬉しかった。
素晴らしいゲームを、本当にありがとう。

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シュタルケルのバッハ:無伴奏チェロ組曲第1番、第4番

2007-08-19 | CDの試聴記
連日の猛暑の中、甲子園では高校球児たちが本当に熱い戦いを繰り広げています。
今年は、中田翔選手擁する大阪桐蔭は大阪府大会決勝で早々と涙をのみ、155キロ右腕の仙台育英:佐藤投手も2回戦で姿を消しました。準々決勝まで勝ち上がったチームをみていると、スター選手がいるチームというよりも、チームワークに秀でたところが多いようです。
昨年の早稲田実業vs駒大苫小牧のような、超ど級のエースを中心としてがっぷり四つの横綱相撲も面白いけど、今年のように、文字通り「ひたすら白球を追って、全員一丸で戦っている」ゲームも、感動を与えてくれます。
とにかく悔いが残らないように、平常心で頑張ってください。

さて、今日は仕事も一段落したので、ゆったりした気分でバッハを聴いています。
曲は無伴奏チェロ組曲。
チェロの神様カザルスが楽譜店でたまたま譜面を見つけて、ライフワークとしてとりくんだ作品としてあまりにも有名です。
今日、CD棚から取り出して聴いたのは、ハンガリー生まれの巨匠シュタルケルの録音。
シュタルケルは、何と4回に亘って無伴奏の全曲(年代順にEMI、マーキュリー、SEFEL、RCA)を録音しており、彼にとってもこの音楽がどれだけ大切なものであるかが分かります。
ところで、第一回目の全集であるEMI盤(1958年頃の録音)より前にも、シュタルケルは1951年に無伴奏を録音していました。
残念ながらこのときの録音は4曲にとどまり全集にはならなかったのですが、今日ご紹介するディスクは、先月アインザッツレーベルからリリースされた、まさにこの最初の録音です。

シュタルケルの最初期の録音というと、なんと言ってもコダーイの無伴奏。
ピリオドレーベルに録音されたその演奏は、演奏の迫真性もさることながら録音の生々しさで、「松ヤニが飛び散るのが分かる音」と評されました。
この録音を担当したのが、偉大な作曲家ベラ・バルトークの次男のピーター・バルトーク。
このバッハの無伴奏も、コダーイの無伴奏が録音された翌年に同じコンビで収録されました。
(ちなみに、シュタルケルとピーター・バルトークは、同じ1924年生まれです!)

一聴して感じるのは、音の生々しさ。
その後に録音された全集以上に、シュタルケルの熱い思いがよりストレートに伝わってきます。
第1番では、雄渾なプレリュード、音が実に溌剌と動くクーラント、躍動感に溢れたジーグ等、シュタルケルの特長がここでも存分に発揮されていますが、私がとくに感動したのが第2曲のアルマンド。
ときに「達者だけど、面白みに欠ける」というような評も聞きますが、このアルマンドを聴いたら誰もそんなことは言わなくなるでしょう。
「この曲を何とか美しく演奏しよう」ではなくて、「もとから美しい音楽なのだから、そのまま表現しよう」とシュタルケルは考えていたのではないでしょうか。
こんなに深々とした、そしてピュアな美しさを持ったアルマンドは、聴いたことがありません。

それから、この演奏で強く感じることがあります。
それは、知と情のバランスでいうと、シュタルケルにしては珍しく「情」の部分がやや強めに出ているのではないかと。
もちろん、ロマンティックなバッハという意味ではありません。
むしろテンポは全体に速くなっているのですが、節度を持った様式感の中で、自分の思いをかなりストレートに表現しているように思うのです。
たとえば、プレリュードの後半、カンパネラを伴って上昇して箇所の熱さを持った描写や、登りつめたあとの微妙なテンポの揺れに、私はそれを感じます。
さきほどのアルマンドの美しさやサラバンドの伸びやかさも、この思い切りのよさゆえかもしれません。

このようなことをつらつら考えておりますと、これは、録音当時シュタルケルがメトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席チェロ奏者だったことと関係があるかもしれません。
その後、彼はシカゴ交響楽団の首席を経て、いよいよ1958年からはソリストとしての道を歩むわけですが、当時この名門歌劇場で日々演奏してきたオペラが、自然にこの「情」の表現につながったのではないでしょうか。
邪推かもしれませんが、そんなことを考えると、ますますこの最初のバッハ無伴奏というのは貴重に思えるのです。

<曲目>
J.S.バッハ作曲
■無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV.1007
■無伴奏チェロ組曲第4番ヘ長調 BWV.1010
<演奏>
■ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
<録音>1951年

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ポートレート『カルロ・マリア・ジュリーニ』

2007-08-13 | BS、CS、DVDの視聴記
昨日、ついに愛用のパイオニアのDVDレコーダーが壊れてしまいました。
私の酷使に耐え、4年間本当に毎日しっかり働いてくれたので、「何で・・・」という怒りの思いはまったくありません。
とくにクラシカ・ジャパンを見れるようになってからは、まさしく業務用のようなハードな使い方をしておりましたが、画質・編集機能ともにアナログレコーダーとしては一級品でした。
「ありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいです。
もちろん修理に出す予定ですが、サービスセンターもお盆休みに入っており、果たして修理できるかどうか・・・。
心配です。

ところで、このレコーダーで録画した最後のプログラムが、ご紹介するジュリーニの映像です。
ひょっとすると、このレコーダーの遺作になってしまうんだろうか?

前置きが長くなってしまいました。
このポートレート『カルロ・マリア・ジュリーニ』という映像、わずか50分足らずの作品ですが、ジュリーニ・ファンならずとも垂涎の内容です。
ジュリーニの音楽観を彼の肉声で聴けることが、何よりも貴重でしょう。
そして、この映像では全編をとおして「田園」のリハーサル風景が流されるのですが、これが前回『最後の田園』のCDとしてご紹介したオルケストラ・ジョヴァニーレ・イタリアーナとのリハーサルじゃないかと思えるのです。
あくまでも想像ですが・・・。

それにしても素晴らしいリハーサルです。
抽象的な表現は極力控えて、ジュリーニは実践的な言葉と指示で若いオーケストラを引っ張っていきます。
そしてジュリーニの簡潔な指示によって、みるみる音楽が充実していくのです。
ジュリーニの音楽づくりの秘密の一端に触れた思いがしました。

また、ジュリーニの語りの部分は、そのすべてが重みのあるものでしたが、とくに印象に残った部分をご紹介します。

「開演前は恐怖ですが、慣れて恐怖を感じないのはもっと恐ろしいことです。舞台で音楽に向き合ったとたん恐怖は音楽に昇華します。」

「私は平凡な人間です。天才の作曲家の意思を楽譜から読み取るためには人生経験や時間が必要です。作曲家が表現したことをきちんと理解し、それを音という形で再現しなければなりません。演奏者や聴衆に伝えるには熟考が必要なのです。」

「オーケストラの演奏者は一人残らず演奏に参加することに恩恵を感じるべきでしょう。(中略)全員が自分を脇役と感じることなくそれぞれが音楽作りの恩恵・責任や楽しみを感じるべきです。大事なのは共感すること。指揮者と奏者が同じ気持ちで音楽を作ることなのです。一緒に音楽を作っていることを全メンバーに感じてほしい。共同作業なのです。」

「演奏中、音楽を作りたいと感じる瞬間があります。その時私はオーケストラの世界に入り込み、団員は私の世界に入っています。こうして気持ちを一つにして音楽を作るのです。」

「胸の痛みは人間らしい感情でしょう。しかし、悪意や憎悪、すさまじいほどの苦悩は私には理解できません。心の痛みや苦しみならば実感できるものなのでどんなものか分かります。悲しい時や苦しい時も必ず希望はあるものです。希望があるから私たちは救われるのでしょう。喜びはともかく、希望は永遠にあるものです。」

「人は善行を心がけねばなりません。音楽というのは、確実に善行だと思っています。」


音楽家としてももちろんですが、一人の人間としてなんと素晴らしい人物なんだろう。
これらの話をきいて、私はジュリーニのことがますます好きになりました。
しかし、このジュリーニの人間味溢れる暖かいキャラクターは、誰かを思い出させませんか?
そうです、ブルーノ・ワルター。

そういえば、ジュリーニは映像の中でこんなことも言っていました。
「私の好きな指揮者は、ワルターとクレンペラー、そしてデ・サバータです。」
全ての人が、「あー、なるほど」と大きく頷かれることでしょう。


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ジュリーニ&オルケストラ・ジョヴァニーレ・イタリアーナ:ベートーヴェン交響曲第6番『田園』

2007-08-09 | CDの試聴記
ようやく普段の生活に戻りました。
しかし暑い。本当に暑いです。
スーツなんか着た日には、我ながらはっきり言ってクレージー。
クールヴィズなる風習が、ありがたく感じます。

昨日は我が愛するタイガースによるトラ祭りの日でした。
そして、9日のデイリースポーツに、岡田監督の面白い話がでていました。
題して「岡田の法則」。
「自分が黙っていたら、相手が勝手にしゃべる」
「自分が動かなかったら、相手が動く」
「相手が動くと、対策を立てられる」
「サインを出すから、見破られる」
「(サイン)出さんかったら、見破られない」
「めったに打たん選手が打ったら、次は打つ確率は低い」
「ずっと打ってる選手が打てなかったら、次は打つ確率が高い」
「出番の少ない選手が打ったら、続けて使って凡退するよりも、ベンチに下げていい感触を残したままの方が、次の出番でいい結果が出る」
「何もしないのが一番いい采配」
「ベンチが何もせずに、普通に勝つチームが最も強い」等々。
少々変わった表現ではありますが、まさに究極の戦略、組織論、人材活用術。
ボス岡田の、指揮官としての資質を感じさせる言葉だと思いました。

さて話は変わって、最近聴いたディスクの中で、お気に入りの1枚をご紹介します。
巨匠ジュリーニ最後の『田園』です。
ジュリーニが正式に引退表明したのは1998年のこと。
この録音は、その翌年の1999年に、「公開総練習」という形でイタリアのユース・オーケストラ「オルケストラ・ジョヴァニーレ・イタリアーナ」を振ったものです。
ちなみに、HMVの記事によると、オーケストラの自主製作盤としてごく僅かに造られたCDながら、ジュリーニのご遺族と再契約をしてもらい、教育基金名目での限定発売されたものだそうです。

ロサンジェルス・フィルとのDG盤(1979年)、ミラノ・スカラ座管弦楽団とのSONY盤(1991年)も引っ張り出してきて改めて聴いてみましたが、今回の1999年盤を含めて3組のジュリーニの『田園』に共通するのは、とにかくよく歌うこと。
この「歌」の素晴らしさが、このシンフォニーにどれだけの魅力を与えているかについては言うまでもありません。
加えて、この最後の録音は、「歌」以外にも大きな特徴があります。
それは「優しさ」。
こんなに優しい『田園』を、私は聴いたことがありません。
(ワルターの『田園』も、ここまで優しくはなかった・・・)

第1楽章冒頭から、実に自然な表情でテーマが歌われます。
しかも、この瑞々しさはどうだろう。
録音当時84歳のジュリーニの音楽に、老人の頑固さというようなものは、まったく感じられません。

続く第2楽章も、本当に素晴らしい演奏。
全てのフレーズが愛情を持って、優しく表現されています。
この楽章では、美しい旋律を16分音符のオブリガードがしっかりと支えていくのですが、旋律だけではなくこのイチ・ニイ・サンと刻むオブリガードも、見事なまでに歌いぬかれています。しかも、単にきれいに歌うだけではなく、実に弾力性に富んだ表情で演奏されているのです。
このあたりが、このユースオーケストラの持つ「若さ」「しなやかさ」といった魅力と相まって、この演奏の瑞々しさの秘密かもしれません。
3分47秒あたりからの短いモティーフを紡いでいくような箇所も、思わず頬が緩んでしまうような素敵な表現。

嵐の場面も、十分な迫力を感じさせてくれますが、それでいて決して乱暴な表現にならない。
そして、見事な呼吸でとびこむ終楽章。
この終楽章こそが第2楽章と並んでこの演奏の白眉でしょう。
この有名なテーマが、最初ひっそりと歌われ、次第に大きな喜びに変わっていくさまは、何度聴いても感動させてくれます。
ここでは、ジュリーニ特有の息の長いフレージングも、大きくものを言っています。
これだけ徹底的に旋律を歌わせながら、対旋律も見事に浮かび上がる構成力は、やはり巨匠の技。
ライヴ特有のちょっとした疵はありますが、澄み切った山の空気を胸いっぱい吸い込んだような感覚は、なかなか味わえないものです。

私は、数多名演奏がひしめく『田園』の中で、セル&クリーヴランドの演奏を高く評価してきましたが、このジュリーニの最後の演奏も、これまた全くタイプの違う素晴らしい演奏だと思います。
セルの演奏を「交響曲第6番『田園』」だとすると、このジュリーニ盤は、さしずめ『田園交響曲(パストラル・シンフォニー)』といったところでしょうか。
お薦めの1枚です。

<曲目>
■ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68『田園』
<演奏>
■カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
■オルケストラ・ジョヴァニーレ・イタリアーナ
<録音>
■1999年2月13日、フィレンツェ
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ポリーニ&アバド/ベルリンフィル ブラームス:ピアノ協奏曲第1番(ザルツブルク ライブ)

2007-08-05 | CDの試聴記
随分長い間、更新が滞ってしまい申し訳ありません。
『13日の金曜日』のお話を書いて以来ですから、かれこれ3週間になってしまいました。
この間、実は週の半分以上出張が入っていて、ほとんど自宅に居なかったのです。当然出張に向けての準備も必要ですし、恒例の年金の問題集の改訂作業も重なってしまったこともあり、さすがに少々疲れ気味です。(笑)
でも、笑って書けるということは、逆に十分元気だという証拠かもしれませんね。

さて、振り返ってみれば最近の1週間に絞ってもいろいろなことがありました。
まず、27日の夜は、大阪でブログ仲間の皆様(リベラさん、アインザッツさん、yokochanさん、T女史)と楽しいひとときを過ごさせていただきました。いつものことながら、飲むほどに時を忘れて、あっという間に時間が過ぎていきます。
いったんお開きになった後、yokochanさんとは偶然に予約しているホテルが同じだということが分かり、ついつい「もう一軒」。
結果的に相当飲んだはずですが、これがきっとエネルギーになったのでしょう、翌日の仕事はまさに会心の出来!
やはり「音楽」&「酒」は最高の薬です。あと「珈琲」が加われば、まさに私にとって「3種の神器」揃い踏みというところでしょうか。

30日は、午前中に1件と午後に1件という段取りで四日市への出張でしたが、午前中のお客さまには少し時間を早めていただき、打ち合わせが終わるや否や、台風接近の噂もものともせずに一路県庁所在地である津へ。
目的は「鰻」です。
三重県津市が「鰻のまち」だと知ったのは、前日名古屋で支店の連中と飲んでいたときのこと。大の鰻好きである私にとっては、仕事以上に重要な情報でした。
なんでも、津市では「うまっぷ」なる鰻食べ歩きの徹底攻略ガイドマップまで用意されているとの由。早速この日の朝、「うまっぷ」をゲットし検討開始。
迷ったあげく、『はし家』という老舗のお店に決めました。
せっかくだからと、特上うな丼をいただきましたが、質・量ともにもう最高。
関西風の蒸さないスタイルだけど、コクがあって焼き加減も申し分ありません。
こんなに美味しい鰻は本当に久しぶりだなぁ。
私のわがままをきいて、わざわざ津まで連れてくれた営業担当のY君にはただただ感謝です。
また、四日市か津で、是非仕事を作ってね。

それから、テレビで印象に残ったのは、昨夜BSジャパンで放映していた「第13回チャイコフスキーコンクールに挑む!~若き音楽家たちの熱き20日間~」という番組。
予選から本選にのぞむ世界中から集まった若き音楽家たちのドキュメントですが、ヴァイオリン部門で優勝した神尾真由子さんや高校3年生の鈴木舞さん、シューマンコンクールの優勝者でピアノの山本亜希子さんといった日本人の演奏も素晴らしかったけど、とびきり面白かったのは3位に入賞したピアノのルビャンツェフ(ロシア)。
性格的にはシャイというか大人になりきれていない青年にも見受けられましたが、彼が第一次予選で弾いたスクリャービンのソナタ第5番は本当に凄かった。
映像で演奏の一部を聴いて判断することは危険だけど、そのスピード感とスウィングするような独特のリズム感は、この曲の新しい魅力を感じさせてくれました。
コンクールで一瞬眩しいばかりの輝きをみせながら、その後鳴かず飛ばずに終わる才能も数多く見てきましたので、彼が本物のピアニストになるのか、一時の寵児で終わるのか、今後楽しみに見守りたいと思います。

さて、この3週間の間、私がipodで最もよく聴いた演奏がポリーニ&アバドのブラームスのピアノ協奏曲第1番。
DG盤ではなく、2001年ザルツブルク音楽祭のライヴ録音です。

<曲目>
■ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
■ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
<演奏>
■M・ポリーニ(ピアノ)
■C・アバド(指揮)
■ベルリンフィルハーモニー
<録音>2001.8.29 ザルツブルク音楽祭ライヴ

非正規盤なので、あまり出典は詳しく書きませんが、大病から復帰したばかりのアバドと本気モードのポリーニによる素晴らしい名演奏だと思います。
録音も上々。
この曲には元々名演奏が多く、なかでも私は「ゼルキン&セル」「アラウ&クーベリック(ライヴ)」「ブレンデル&アバド」の演奏を好んで聴いてきましたが、このポリーニたちの演奏も間違いなくマイ・フェイバリッドディスクの殿堂入りです。
第1楽章冒頭から、「この一瞬にかけるんだ」という奏者達の熱い思いがその音に込められているように感じられます。深くそして情感に満ちた第2楽章を経て、圧巻は第3楽章。
目指す高みを見据えて、必死に駆け上ろうとするひたむきさが私の心をうちます。
ポリーニの音はいつもにも増して強靭な響きだけど、決して力ずくにならずにブラームスの音楽にひたすら奉仕している。
1分20秒過ぎにピアノが歌いだす主題の何と素敵なことか。「憧れ」に近い熱いロマンを感じさせてくれます。あのポリーニがですよ。
このポリーニの熱い呼びかけに応えて、3分45秒あたりから弦(とくにチェロ)が奏でる表情の豊かさ。こんなに心から歌い上げられた演奏には、めったに出会わないでしょう。
アバド&ベルリンフィルでなければ実現しなかったであろう素晴らしい演奏。
私は何度聴いても胸がいっぱいになります。
できることなら、正規盤でリリースして欲しいなぁ。

ところで、私には出張の時に車中で必ず聴く音楽があります。
それは前にも書きましたが、ベームのフィガロ(DG盤)。
聴く箇所は決まっていて、第2幕のフィナーレ近くから第2幕の最後までです。
プライ扮する機知に富んだフィガロと、ディースカウ伯爵の見事な掛け合い。
そして、大好きなマティスが演じるスザンナとヤノヴィッツの伯爵夫人という最高の女声陣。
最後に全体をがっちり引き締めるマエストロ・ベーム。
この最高の名演を聴きながらテンションがぐぐっと上がり、アドレナリンが私の全身を巡り始めます。
そして第2幕が終わる時には、すっかり戦闘体制完了。
いわば、私にとっての戦闘服ならぬ戦闘歌なんですね。
そして、最近このベームのフィガロに加えて、ポリーニ&アバドのブラームス終楽章もその中に加わりました。
このコンビをセットで聴いた後の仕事の成果は、今までのところ100%です。

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