ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 by ジュリーニ/シカゴ響

2013-01-14 | CDの試聴記
今日、関東地方は大雪。
爆弾低気圧とやらの仕業らしいが、交通も乱れに乱れていた。
最初は、無責任に、久しぶりのお湿りが真っ白な雪と言うのもなかなか風情があっていいと思ったが、今日成人式を迎えた方や三連休で旅行を楽しんだ人にとっては大変な災難だっただろう。
皆様、ご無事だったでしょうか。

成人式といえば、今朝のテレビ番組で、親から成人する子供にあてた手紙を読む場面がオンエアされていた。
その中に、幼い頃から心臓の持病を持つ娘に対する父からの手紙(成人式で披露されたもの)も紹介されていて、「(娘さんは)これからも心臓病と長く付き合っていくことになると思うけど、どうしてもの時はお父さんの心臓をあげるからね。そうしたらずっと一緒に生き続けられるから」といった内容だったが、私も思わずもらい泣きしてしまった。
親子の絆って、まさにこんな風にして繋がっているんだなぁ。
そして、自分の子供たちの成人式の時のことを思い出しつつ、年老いた母のことも思い出し、親孝行しなきゃと改めて実感した次第。

さて、前回も書いた黒田恭一さんの「音楽への礼状」をようやく読み終えた。
その中に、名指揮者カルロ・マリア・ジュリーニの項がある。
タイトルは、「それにしても、あなたは、字を、何とゆっくりお書きになるのでしょう」
黒田さんがジュリーニにインタビューした時のことだ。
黒田さんは、インタビュー終了後、マーラーの9番のスコアにジュリーニのサインを求めた。
ジュリーニは、単に自分の名前を書くだけではなく、黒田さんの名前と、心のこもった言葉まで添えてサインしてくれたそうだ。
また、そのときジュリーニは大変ゆっくりと、そして反対側からでも字が読めるくらいの筆圧でサインしてくれたと記されている。
続けて黒田さんは、ファルスタッフの幕切れの部分を例にとって、「あなたは、いくぶん遅めのテンポで運び、全ての音をくっきりと浮かび上がらせ、しかも音楽本来の流れの勢いをあきらかにしておいでです」とジュリーニを賞賛している。

何と的確なジュリーニ評だろうか。
ジュリーニの音楽の本質が、この短い言葉の中に見事に集約されている。

今日、真っ白に化粧した外の景色を眺めながら、私はジュリーニがシカゴ響を指揮したブルックナーの9番を聴いた。
1976年~77年にかけて、ジュリーニは3人の作曲家の「交響曲第9番」を相次いでシカゴ響と録音している。
3人の作曲家とは、マーラー、ドヴォルザークそしてブルックナーだ。
いずれも名演の誉れ高いもので、中でも黒田さんがサインしてもらったマーラーの9番は、今も極め付きの名演として知られる。
一方、ブルックナーの9番はこのシカゴ響との録音のあと、1988年にウィーンフィルと組んで再録音を果たしている。
ウィーンフィルとの新盤もブルックナーの魅力を余すところなく伝える名盤だけど、私はこのシカゴ響との演奏により魅かれる。
全てのパートが瑞々しく艶やかだ。
当代きっての名手をそろえたブラスも、輝かしいが決して華美には響かない。
この演奏を聴くと、本当にため息が出るくらい見事なブルックナーだと実感させられる。

そして、この4枚組のアルバムは、私にとって特別の思い入れがある。
震災の時にラックの下敷きになり、ケースは見るも無残な状態になりながら、中身は奇跡的に無傷で生き残ってくれたのだ。
その傷ついたCDケースを前にして、黒田さんの文章を読み、そして昔大阪のフェスティバルホールで実際に聴いたときのマエストロの指揮姿を思い浮かべながら、このブルックナーを聴いた。
文字通り感慨無量だった。

ジュリーニ&シカゴ響ボックス(4CD)から
■ブルックナー:交響曲第9番ニ短調
■1976年12月1・2日、シカゴ、メディナ・テンプルでのステレオ録音

コメント (2)
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シューベルト:交響曲第5番 by アバド&ヨーロッパ室内管弦楽団

2013-01-06 | CDの試聴記
4日は初出だったけど、世の中全体がまだまだ慣らし運転という状況。
でも、お屠蘇気分も今日までにしなきゃ。
明日からは予定も結構入っているし、気合いを入れて行こう。

新年に入って、大好きな音楽評論家だった黒田恭一さんの「音楽への礼状」というエッセイを読み始めている。
「だった」と過去形で語らないといけないのが本当に寂しいけど、例によってこの本もすこぶる面白い。
黒田さんの暖かい眼差しと人柄が、文章のいたるところに感じられる。
その中に、ヨーロッパ室内管弦楽団に向けた章がある。

この章は、「あなたがたの演奏をきいていると、みんなの嬉しそうな顔がみえてきます。」
という見出しで始まる。

「好きな仲間との間に、勇気を持って、意識的に会わない時期をおくという、あなたがたの知恵には、ぼくらが日常生活をしていくうえで学ぶべきものがあるように思えます。あれだけの素晴らしい演奏をおこなうあなたがたのことです。みんなと一緒に演奏することが楽しくないはずはありません。しかし、その楽しさに流されることをあなたがたはこばんだ。ポイントはそこでしょう。」
そして、黒田さんは続ける。
「ぼくらは、どうしても、美味しいものは食べすぎる。楽しいことには耽りすぎます。食べすぎれば腹をこわし、耽った後には荒廃が待ち受けています。二日酔いの頭をかかえながら、酔いにまかせての昨日の夜の馬鹿騒ぎを思い出し、忸怩たる思いを抱かないでいられるのは、よほど鈍感な人間でしょう。新鮮さをたもつためには、耽りすぎないことです。(以下略)」

まさに、おっしゃる通り。
でも黒田さんがそこまで称賛するヨーロッパ管弦楽団。
久しぶりにじっくり聴いてみたくなって、このディスクを取り出した。
シューベルトの5番は、以前にも書いたが、私にとって第一楽章冒頭の数小節を聴いただけで幸せになる音楽だ。
アバドと組んだ彼らの演奏は、聴き手を曇り一つない青空を自由に羽ばたく鳥のような気分にさせてくれる。
この瑞々しさ、生き生きとした表現を聴くと、なるほど黒田さんの言うとおりだと納得してしまう。

「新鮮さをたもつためには、耽りすぎないこと」というアドヴァイス、耳に痛いが、今年一年心がけていこうと思う。

シュ-ベルト:
1. 交響曲第5番変ロ長調 D.485
2. 交響曲第6番ハ長調 D.589
<演奏>
■ヨーロッパ室内管弦楽団
■クラウディオ・アバド(指揮)
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バッハ:カンタータ第6番「われらと共に留まりたまえ」

2013-01-03 | CDの試聴記
新年おめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は天候にも恵まれ、思いがけず穏やかなお正月だった。
巷報じられている通り、日本の経済も社会保障も、そして私の専門の年金も、米国の財政以上に厳しい崖っぷちに立たされている。
でも、この穏やかなお正月を過ごしてみて、「あくせく動き回るだけが能じゃないんだよ」と神様から諭されているような気がしてきた。
全力を尽くすことは当然のことだが、徒に結果をほしがらずに、少しでも前に進むことを心がけていこうと思う。

そんなことを考えながら、採りあげたのはバッハのカンタータ。
本来であれば新年用のものをエントリーするべきなのだけど、聴いたのは、復活節第2日のカンタータ「われらと共に留まりたまえ」。
理由は、第3曲のコラールがあまりに美しいからに他ならない。
バッハのすべてのカンタータの中でも、この曲は穏やかで清新な気持ちにしてくれる点で、極め付きの名曲だと思う。
冒頭のチェロピッコロの調べの何と魅力的なこと!
(このディスクではチェロで演奏されているが、フリッツ・キスカルトのチェロが絶品。)
その後のコラールは、まるで天使が地上に降り立って微笑みながら歌ってくれているようだ。
また第2曲のイングリッシュホルンとアルトが奏でる牧歌的なアリアも、天上の音楽のように響く。

演奏は、カール・リヒターたちのものが、私には最もしっくりくる。
このカンタータは、上記の第3曲と第2曲以外の音楽も本当に素晴らしい。
第4曲のレチタティーヴォを歌うフィッシャー・ディースカウの声を聴くだけでも値打ちがあるし、続くペーター・シュライヤーも大変な名唱。
そして、最初と最後に置かれている合唱の見事さは、リヒターとミュンヘンバッハ合唱団の刻印だ。

今年は、このカンタータを折に触れて聴くことになると思う。

◎バッハ:カンタータ第6番「われらと共に留まりたまえ」
<演奏>
■カール・リヒター指揮
■ミュンヘンバッハ管弦楽団
■ミュンヘンバッハ合唱団
■A・レイノルズ(アルト)
■P・シュライヤー(テノール)
■D・フィッシャー=ディースカウ(バス)
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