ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ホーネック&読売日響のショスターコーヴィチ:「ジャズ組曲第2番」他

2006-02-26 | コンサートの感想
荒川選手の金メダルの余韻は、2日経った今でもしっかり残っています。
24日朝は、ネクタイを締めてコートを着込み、かばんを横に置いて、時計と睨めっこしながらソファでずっと観ていました。
ところで、ふと、手に汗にぎって必死に応援している自分の姿を見て、「ああ、やっぱり日本人なんだ」と強く感じた次第です。
荒川さん、村主さん、安藤さん、本当に感動と勇気を与えてくれてありがとう。

さて、今日は読響マチネコンサートの日です。
指揮は久しぶりのホーネック。

<日時>平成18年2月26日(日) 午後2時開演
<場所>東京芸術劇場
<曲目>
■ショスタコーヴィチ: 「ジャズ組曲第2番」より
  マーチ、小ポルカ、ワルツ2、ダンス2、ワルツ2
■モーツァルト: 交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」
■ヨハン・シュトラウス2世:「こうもり」序曲
■ヨゼフ・シュトラウス:ポルカ「とんぼ」
■ヨハン・シュトラウス2世:狂乱ポルカ
■ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「酒、女、歌」
■ヨハン・シュトラウス2世:常動曲
■ヨゼフ・シュトラウス:ポルカ「女心」
■ヨハン・シュトラウス2世:エジプト行進曲
■ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「雷鳴と稲妻」
(アンコール)
■鍛冶屋のポルカ
■ワルツ「美しき青きドナウ」
■ラデツキー行進曲
<演奏>
マンフレッド・ホーネック指揮
読売日本交響楽団

前半は、今年のメモリアルイヤーの主役ふたりの作品です。
まずショスタコーヴィチ。ときに深刻な表情もみせる大作曲家ショスタコーヴィチの全作品のなかで、最も明るく楽しい作品がこのジャズ組曲です。
とくにワルツ2のメロディがいいですねぇ。一度聴いたら忘れられない音楽です。ちなみに、何かの映画のバックで使われていましたが、何の映画だっけ・・・。
(最近歳のせいかこれが多いんですよね。(汗))
ホーネック&読響の演奏も、生き生きとして素晴らしいものでした。

前半2曲目は、モーツァルトのジュピター。
第1楽章は、珍しく管楽器のアンサンブルが少し乱れて心配しましたが、大きな破綻はなく、ほっとしました。
そして、終楽章は、ご存知の通りソナタ形式と対位法が完全に融合したモーツァルトの天才を証明する名品ですが、少し考えさせられることがありました。
曲の途中、ホーネックが濃い目に表情付けをする場面が何箇所かあって、その部分は狙い通りの結果になるのですが、きまってその直後に少し収まりの悪い状態になるのです。
どうしてだろうと、聴きながらずっと考えていたのですが、ハタと気づきました。この楽章は、上記の通り、完璧な形でバランスを保っている稀有な作品であるが故に、少しでも人為的に手を加えてエネルギーバランスが変わると音楽が壊れそうになるんですね。そう考えると恐ろしい音楽です。
私がいままで聴いた中で最も感動したのはセル&クリーブランド管のスタジオ録音で、いまだにこれを凌ぐ演奏にはお目にかかっていません。
ただ、セル盤でも最後のほうでテーマが帰って来るときに、金管がほんの少しうるさくなるのが玉に瑕ですが・・・。

後半は、まさに2ヵ月遅れのニューイヤーコンサートといった雰囲気で、心から楽しませてもらいました。
ホーネックの指揮姿は、どこかカルロス・クライバーをほうふつさせるところがあって、今回の選曲の最初が「こうもり序曲」、最後が「雷鳴と稲妻」というのも何か意味深ですね。
エジプト行進曲は初めて聴く曲でしたが、途中でオケのメンバーが歌う箇所があります。何だか照れくさそうに、でも一生懸命歌っている姿が、何とも微笑ましく感じました。
そして、最後を飾るポルカ「雷鳴と稲妻」では、途中パーカッションのあたりで何と傘がひとつ、そしてまたティンパニの横でも一つひらきました。いったいどうしたのかと観ていると、今度はヴィオラで、そしてチェロで、そしてヴァイオリンでも順に傘がひらいていくではありませんか。それも何とカラフルな色だこと。
傘担当の奏者は、単に開くだけではなく、音楽に合わせてくるくる回していきます。まるで、フィギアスケートのエキスビションをみているような錯覚に捉われました。
でも、この曲になんとフィットしていることか・・・。
演奏終了後はもちろん拍手喝采で迎えられました。
いいですね、こんな演出。私は大好きです。

アンコールの鍛冶屋のポルカでは、実際に指揮台の横に鍛冶屋の道具を持ってきて、鍛冶屋に扮した奏者が「トンカン、トンカン」。
大盛り上がりの後、さらにアンコールが2曲。「美しき青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」です。
こうなると、もう会場の雰囲気はすっかりウィーンです。
雨の中聴きに来た聴衆も、きっとみんな満足したことでしょう。


とても素敵なコンサートでした。


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ベーム&ベルリン・ドイツ・オペラ 「フィガロの結婚」(1963年来日公演)

2006-02-23 | CDの試聴記
今日は大阪出張でした。
仕事の資料を眺めながらずっと聴いていたのは、ベーム&ベルリン・ドイツ・オペラの伝説の来日公演となった「フィガロの結婚」です。
3月号のレコード芸術にも、「衝撃の来日公演」という特集で採りあげられていますので、感心のある方はご覧になってください。

同じコンビで1968年に録音されたDG盤があまりにも有名ですが、このオペラの最大の魅力である溌剌とした雰囲気、躍動感という点では、この1963年の来日公演のほうが上を行っていると思います。
私の持っているのはPONTOというレーベルのものですが、ライブ特有の熱気が十分伝わる優れたステレオ録音です。
こんな魅力の塊のような名作を前にして、個別に言い出すとキリがありません。とりわけ気に入った3曲についてコメントを。

まず第1幕のバルトロの「仇討ち、そうだ、仇討ちこそ」
この素晴らしいオペラの中でも、私の一番好きなアリアのひとつです。
どこかの解説記事で「老人らしい頑固さが表れたアリアです」と書かれていましたが、どんな聴き方をしたらそのように聴こえるんだろう。
私は、中高年に対するモーツァルトからの応援歌だと信じています。
そうでなければ、モーツァルトがこんな魅力的な音楽をバルトロに与えるはずがありません。「フィガロなんかに負けるものか」と胸を張るバルトロ。このアリアの最後の18小節くらいを聴いてみると、「バルトロ頑張れ!」と励ましているモーツァルトの姿がみえます。
ペーター・ラッガーという歌手を私は良く知りませんが、素晴らしい歌唱です。

そして、なんと言ってもエディト・マティスが歌うケルビーノの2つのアリア。
特に第2幕の「恋とはこんなものかしら」が絶品です。このときめくような、でもうつろいやすい恋心をマティスは最高のチャームで表現しています。一夜にして、日本人の心をつかんでしまったのも良く分かります。
以前テレビのインタビューで、マティスがこのときの初来日のことに触れて、「それは大変でした。ホテルの部屋を一歩でたら人が集まってくるんですもの・・・」と笑顔で話していました。その笑顔がまたチャーミングで・・・。
マティスファンには堪えられないインタビューでした。

3曲目は、第3幕の伯爵夫人のアリア「楽しい思い出はどこへ」。
切々と歌うグリュンマーの歌にしびれました。ほんといいソプラノですね。
何度聴いてもジーンと来ます。

しかし、この素晴らしく溌剌とした公演にも、こうやって耳だけで聴くと気になる点はありました。それは、スザンナ役のエリカ・ケートの不調です。
癖とはいえ、声が終始上ずっているうえに音程があまりに不安定。
「フィガロの結婚」という稀代のアンサンブルオペラの感想を書くのに、重唱を採りあげることができなかったのは、ほんとに残念としかいいようがありません。しかし、重唱の肝心な所にはことごとくスザンナが絡んでいるので、やむを得なかったのです。
しかし、実際に舞台で観ると随分印象が異なるのかもしれません。
実は先日DVDで、カイルベルトが振った「セビリアの理髪師」のライブ映像を観たのですが、そのときのロジーナ役がエリカ・ケートでした。声だけを聴いているとやっぱり不安定なのですが、舞台姿が愛らしくコケティッシュな魅力を持ったロジーナでした。
そういう意味で、何とかモノクロでもいいから今回の上演の映像がリリースされないかな・・。


<配役>
■アルマヴィーヴァ伯爵: ディートリッヒ・フィッシャーーディースカウ
■伯爵夫人: エリザベート・グリュンマー
■スザンナ: エリカ・ケート
■フィガロ: ヴァルター・ベリー
■ケルビーノ: エディット・マティス
■マルツェリーナ: パトリシア・ジョンソン
■バジリオ: ユーリウス・カトナ
■ドン・クルチオ: マーティン・ヴァンティン
■バルトロ: ペーター・ラッガー
■アントニオ: ヴァルター・ディックス
■バルバリーナ: バルバラ・フォーゲル
<演奏>
■カール・ベーム 指揮
■ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
■演出: グスタフ・ルドルフ・ゼルナー
<録音>
1963年10月23日東京・日生劇場でのライヴ
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グルダのモーツァルト: ピアノ・ソナタ集 

2006-02-19 | CDの試聴記
グルダのモーツァルトの新譜を聴きました。
1980年の未発表音源だそうですが、モーツァルトのメモリアルイヤーにふさわしい好企画ですね。
夫人の祐子・グルダさんのHPによると、
これはグルダが25年前に自分でアッタセーで録音技師をよんでプライヴェートに録音したもので、その後考えがあって一度は自ら没にしたが、その後その録音技師が亡くなり、残された奥さんが(グルダの息子の)リコに手渡したテープをもとに、DGのスタッフの努力もあり今回の復刻が実現したそうです。
いずれにしても、ファンにとっては夢のような話です。

今まで私が聴いたグルダのモーツァルトのピアノソロの録音は、録音順に書くと次のようになります。
1961年 トルコ行進曲、ロンドK.485 (アマデオ原盤)
1965年 第15番K.545 (アマデオ原盤)
1977年 第11番K.331、第13番.K333 (アマデオ原盤)
1978年 第16番K.570、第17番K.576、幻想曲K.475 (DG)
1993年 幻想曲K.475、第14番K.457  (フランス・モンペリエの野外ライブ盤)
1997年 幻想曲K.397、ソナタK.576他 (シンセサイザーを加え協奏曲風にアレンジされたもの) 

時期的にはちょうど真ん中あたりの録音になりますが、今回のアルバムを聴いて感じたのは、
「グルダのモーツァルトは、どうしてこんなに愉しいんだろう。」
ということに尽きます。
演奏家には、考えて理詰めに音楽を創り上げるタイプと、楽譜をひとにらみして後は即興精神を大切にして演奏するタイプがあると思いますが、グルダはアルゲリッチ等とともに明らかに後者です。そういえば、グルダはアルゲリッチの師匠でもありましたね。
そんなグルダの特徴が今回のアルバムにもよく表れています。

まず1枚目の3曲。
私の大好きな K.332とK.333 が含まれているのが嬉しいです。
基本的にイン・テンポを頑ななまでに守りますが、その中で自由に泳ぎまわり生気溢れた表現を聴かせてくれるところがいかにもグルダらしい。
K.332の第2楽章の優雅さを聴いてしまうと、やっぱりグルダはウィーンの音楽家だということを実感させてくれるし、フィナーレでは、一転して素晴らしいテンポで最後まで弾ききってしまいます。また無窮動の部分とその後のレガートな部分の対比がもう絶妙。そんななかで、左手のアーティキュレーションを微妙に変えて、表情を一層生き生きとさせるあたりはグルダ流。
K.333は、第1楽章冒頭の柔らかい表情を聴いただけで、「あー、モーツァルト」と思わせてくれます。特別なことは何もしていないようにみえるのに、この自然さはやっぱり天性のものなんでしょうね。とにかくグルダは、個々の音というよりも、フレーズをほんとに大切にして音楽を奏でています。そんなの当たり前じゃないかと言われそうですが、このあたりが、グルダの音楽作りの秘密じゃないかと感じた次第です。

それから私が最も感動したのは、3枚目に入っているK545です。
ある意味で、アイネ・クライネ・ナハト・ムジークと並んで、モーツァルトの中で最も有名な曲かもしれないこの小曲を、グルダは少しの気負いもはったりもなく、淡々と、しかし心を込めて演奏しています。
1965年のアマデオ盤で聴かせたあの華麗な装飾音符は、ここにはありません。この演奏では、必要最小限の装飾しか施していません。しかし、根底にある「音楽することの愉しさ」は何も変わっていないのです。
第1楽章のテンポの何と適切なこと!ときどき、びっくりするような速いテンポで弾いているピアニストに出会うことがありますが、そういうアプローチをすると、この曲のデリケートな魅力が、一瞬にして破壊されるように感じます。
この楽章の最後に冒頭のテーマが戻ってくるときに、グルダはほんの少しだけ音を控えめにし、名残惜しそうに演奏します。それが、どれだけこの曲の魅力を高めていることか。
第2楽章は、この3枚組のアルバムの中でも白眉の演奏でしょう。
こんなに美しいK.545を聴いたことは、かつてありませんでした。
澄み切った、曇り一つない音楽。寂しさ・美しさ・憧れといった様々な思いを超越した、ある種祈りにも似たこの表情は、モーツァルトの最後のピアノ協奏曲であるK.595の第2楽章を思い出さずにはいられません。
そして最後のフィナーレは、ゆったりと始まります。もっとピアニスティックに演奏する方法もあるのでしょうが、グルダはそうしません。
私はこの演奏を聴いていて、子供達(ひょっとすると天使たち?)が「もういいかい」「まーだだよ」と言い合っているように感じました。それを実現するには、このテンポしかなかったんです。でも、グルダは誰とかくれんぼをしているんだろう。コンサートの録音ではなくプライベート録音だということですから、グルダの相方は、モーツァルトそのひとしかありませんよね。

最後にもう一度。
「グルダのモーツァルトは、どうしてこんなに愉しいんだろう。」

<曲目>
モーツァルト
■ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330
■ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調 K.332
■ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調 K.333
■ピアノ・ソナタ第1番ハ長調 K.279
■ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調 K.280
■ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調 K.281
■ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調 K.282
■ピアノ・ソナタ第5番ト長調 K.283
■幻想曲ハ短調 K.475
■ピアノ・ソナタ第15番ハ長調 K.545
■ピアノ・ソナタ第9番ニ長調 K.311
<演奏>フリードリヒ・グルダ(p)
<録音>1980年 ウィーン
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アレンスキー:ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 op.32

2006-02-15 | CDの試聴記
今日の日経新聞で知ったのですが、今年は、ロシア生まれの作曲家アレンスキーの没後100年にあたるそうです。
素晴らしい才能に恵まれながら、酒とギャンブルに溺れて、最後は肺結核で亡くなったアレンスキー。でも残された珠玉の音楽は、まさに隠れた名曲といえるでしょう。

ところでアレンスキーといえば、10年ほど前に偶然聴いたピアノ三重奏曲第1番が忘れられません。
この曲は、名チェリストであったダヴィドフの想い出のために作曲されています。
もしまだ聴いておられない方がいらっしゃったら、騙されたと思って、第1楽章冒頭のヴァイオリンとチェロが奏でる旋律を聴いてみてください。むせ返るような濃厚なロマンティシズムがそこにあります。そしてリズミックなスケルツォを経て第3楽章はエレジー。アレンスキーの哀しみが、深く聴き手の心に沁みてきます。そしてフィナーレでは、エレジーでみせた哀しみを何とか懸命に振り払おうとするかのように、力強く音楽が始まります。そして、途中グラナドスを想わせるスペイン風の箇所を経て、第1楽章のあのメロディが最後に戻ってきます。
ほんといい音楽だなぁ。何度聴いても泣かされます。
チャイコフスキーやカリンニコフがお好きな方には、絶対お薦めですよ。

ちなみに、音楽評論家の谷戸基岩氏が、アレンスキーの音楽を評して、
「貴族社会の舞踏会の華やぎ、それが崩れる予感の両面を思わせる多彩な響きの快感」と言っておられますが、実に的確な評だと思います。

私の推薦盤はボザール・トリオの演奏。(残念ながら現在廃盤?)

<曲目>
アレンスキー作曲
■ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 op.32
■ピアノ三重奏曲第2番 ヘ短調 op.73
<演奏>ボザール トリオ
<録音>1994年6月


 
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アルゲリッチのハイドン:ピアノ協奏曲第11番ニ長調

2006-02-08 | CDの試聴記
今日は一日名古屋出張でした。
昨日から少し風邪気味だったんですが、そういえば先月名古屋へ行った時にインフルエンザに罹ったことを思い出し、思わず緊張してしまいました。
今のところは何とか大丈夫なんですが、今日は用心して早く寝よっと。
さて、今日新幹線の車中ipodで聴いていたのは、アルゲリッチが弾き振りしたハイドンの協奏曲です。

<曲目>
■ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op19
■ハイドン:ピアノ協奏曲第11番 ニ長調 Hob.ⅩⅧ-11
<演奏>
■アルゲリッチ(ピアノ&指揮)
■ロンドン・シンフォニエッタ
<録音>1980年 RICORDI原盤

この録音は、私の所有する全ディスクの中でも最も大切なディスクの1枚なんですが、実は大変罪作りな一枚でもあります。
そのあたりの経緯は後で触れるとして、ハイドンは11曲の鍵盤楽器のための協奏曲を残していますが、このコンチェルトはその中では最も有名な作品でしょう。
そのせいか、ミケランジェリ、アックス、プレトニョフと数多くの名演に恵まれていますが、なんと言っても、私はアルゲリッチの新旧2枚のディスクが最も好きです。
ショスタコーヴィチの1番とカップリングされた新盤(DG)は、ハイドンだけがもつ明るさ・ユーモア・シンプルな美しさといった特徴を、格調高いフォルムの中に示した秀演。
しかし、私は彼女が弾き振りをしたこの旧盤にいっそう惹かれます。
第1楽章冒頭の颯爽とした表情を聴いてみてください。ヴィヴァーチェというのはこういう音楽なんだと、思い知らせてくれます。
第2楽章の美しくも優しいアダージョに続いて私が最も感銘を受けるのは、ハンガリー風と書かれた終曲ロンドです。この中間部の表現は他のどんなピアニストからも聴けません。
どうやったら、これだけ生気に溢れた演奏ができるんだろう。
普通、演奏家は楽譜を注意深く読んで、その音楽を精一杯がんばって表現しようとします。
しかし、このアルゲリッチの演奏を聴いていると、楽譜をひとにらみしたアルゲリッチがさっとひとっ走りした後に、何とも素晴らしい「音楽の道」がひとりでにできているように感じます。
天才とはこんなものなんですね。

ところで、こんな素晴らしいCDが、なぜ罪作りな一枚なんでしょうか。
このディスクは最初に聴いたその瞬間からすっかり虜になってしまったのですが、どうしても弦楽器のある音域に硬さが感じられたんです。
「こんな素晴らしい演奏なのに、何とかすばらしい音で聴けないものか」と私の悪戦苦闘が始まりました。ケーブル等のアクセサリーを交換し、パワーアンプを替えて、プリアンプまで替えました。それでも中高域の硬さは解消しません。ついに愛用のスピーカーであったタンノイのエジンバラも替えることになってしまいました。
そしてすがるような気持ちで手に入れたのが、クォードのESL63-PROというコンデンサー型スピーカーでした。スピーカーの仕組み上、音の出方が普通のスピーカーとはまったく異なるのですが、その奏でる弦楽器やヴォーカルの美しさは筆舌しがたいものがありました。そのクォードできくアルゲリッチのハイドンはようやく硬さがとれ、初めて柔らかく包み込むような美しさを感じさせてくれたのです。
たった一枚のCDのために、オーディオ装置一式を交換する羽目に陥ったのですから、これほど罪作りなCDもありません。

その後、クォードのESL63-PROは10年間にわたって素晴らしい音を聴かせてくれましたが、故障が続くようになり修理も儘ならなくなってきました。
そしてその後任として2年前にソナスファベール社のクレモナというスピーカーが我が家にやってきました。予約から半年間待たされての嫁入りでした。
エージングが進んだクレモナは、名前のとおり惚れ惚れとするような弦楽器の音を聴かせてくれるようになりました。
今クレモナで聴くアルゲリッチのハイドンは、まさしく絶品です。
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ケフェレックのベートーヴェン「珠玉の名曲集」

2006-02-06 | CDの試聴記
先月ケフェレック初来日時のバッハアルバムをとりあげましたが、今回はベートーベンです。このアルバムは、先日「廃盤CD特別バーゲン2005」でゲットしたものですが、昨年の本家フランスのラ・フォル・ジュルネ音楽祭で公式盤としてリリースされたものだそうです。

<曲目>
■エリーゼのために
■「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」による7つの変奏曲WoO 78
■アンダンテ・ファヴォリ WoO 57
■ピアノ・ソナタ第14番 op.27-2 嬰ハ短調「月光」
■バガテル op. 33-1, 119-1, 119-3, 119-11
■なくした小銭への怒り
■創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34
<演奏>アンヌ・ケフェレック
<録音>2004年10月

前回のバッハのレコーディングから約30年の年月を経ていますが、印象はまったく変わりません。とにかく、きりっとしていて瑞々しい。冒頭の「エリーゼのために」から、ケフェレックは淡々と美しいタッチで弾き進めます。しかし、この淡々というのが曲者で、決して見栄を張ったりしないんだけど絶対無機質な表情にはならない。どの曲も実に瑞々しい抒情を湛えているんですね。
こういうアプローチだからこそ、ベートーベンのこれらの小品たち(月光ソナタは小品とは言えませんが・・・)が余計に生き生きと輝いて聴こえるんだと思います。
「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」バリエーションの確かな構成力とクリスタルのような透明感、月光ソナタ第1楽章に見せる決して暗くならない清潔な抒情、バガテルの豊かな表情、いずれも素敵としかいいようがありません。

ところで、昨年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで、ほとんど同じプログラムで彼女のコンサートがあったようです。文字通り後の祭りですが、聴けば良かった。ほんと残念です!
でも今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンではMICKEYさんのご好意もあり、計4回彼女のモーツァルトを聴くことができるので、何とか昨年の分も取り返したいと今から期待しております。
余談ですが、このCDのブックレットのなかには彼女の最近の写真が収められています。20代の輝くような美貌とはまた違った彼女の表情が素敵ですね。
この写真は、お世話になっているガーター亭亭主さまのブログでご覧いただくことができます。
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アンダ&ウィーン交響楽団のモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、21番

2006-02-04 | CDの試聴記
昨日は大阪出張だったので、一昨日の夜から大阪へ入り、久しぶりにアインザッツへお邪魔しました。アインザッツには、いつもお世話になっているリベラ33さんMICKEYさんも既に来られていて、ほんとに楽しい時間を過ごさせていただきました。
途中「モーツァルトの戴冠ミサが聴きたい!」という全員の希望で、マスターにカラヤン盤(独唱は私の大好きなエディット・マティス)を聴かせてもらいましたが、やっぱりいい曲ですね。少し壮麗過ぎるきらいはあったけど、素晴らしい音楽でした。
その後ホテルへ行って案内されたのが、またまた466号室。昨年11月に泊まったホテル(そのときも466号室)とはまったく別のホテルだったんですが、よっぽど縁があるのかしら。
そうなると是が非でもK466を聴くしかありません。

今回は、アンダの弾き振りの演奏です。
アンダのこのK466は、2種類のディスクがリリースされています。1枚はザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団と組んだ65年のDG盤、そして今回聴いたウィーン交響楽団と組んだ73年盤です。

<曲目>
■モーツァルト: ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466、同 第21番 ハ長調 K.467
<演奏>
■ゲザ・アンダ(ピアノ・指揮)
■ウィーン交響楽団
<録音>1973年

室内楽的と評したくなる旧盤に比べて、この新盤ではよりシンフォニックでかつ暖かく包み込むような表現が印象に残ります。
第1楽章冒頭から決して威圧するような表現はとらないけど、モーツァルトにしては珍しく直線的に迫ってくる哀愁の混じった悲壮感が聴き手の心をうちます。そして第1楽章の終わりに出てくるカデンツァのなんと素敵なこと!
アンダ自作のものだそうですが、つぶやき・問いかけ・寂しさ・微笑みが交錯する実に感動的なカデンツァでした。
第2楽章も、相変わらず冴えたタッチのピアノではありますが、とにかく全体に優しい。旧盤では、少しフレーズの終わりがぶっきらぼうに感じる箇所もありましたが、この新盤ではそんな懸念はまったくありませんでした。
第3楽章も、悪戯好きのモーツァルトをアンダが微笑みながら見つめているような素敵な表現。聴き終わって、とても幸せな気持ちになりました。

ここでふと思い出したのは、ピアニストの青柳いずみこさんが最近テレビで語っていた「モーツァルトって紛れない天才なんだけど、実は『なーんちゃって』の音楽家なんですよね」という言葉。
まさにこの曲はそんな感じですよね。悲壮・哀愁を感じさせながらずっと展開してきて、最後はしっかり長調で終わるわけですから・・・。

こんな素敵な録音を残してくれたアンダですが、このレコーディングの後、彼の人生に残された時間はたった3年しかありませんでした。
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