ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

謹賀新年 「主よ、人の望みの喜びよ」

2015-01-01 | CDの試聴記

新年おめでとうございます

これから1泊2日で、浜松の舘山寺温泉に行きます。
私たち夫婦と、親、子、孫等4世代が、一堂に会して新年を祝うという壮大な企画。
昨年義父の発案でやってみたところ、評判も上々。
というわけで、今年は第2回目として実施することになりました。
昨年と違うのは、新たに孫娘が誕生したことと、昨年来れなかった娘も今回参加してくれたこと。
とにかく、今年一年、皆が健康に過ごせたらと願っています。

新年、最初に聴いた音楽は、リパッティが弾くバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」。
このあまりに有名なコラールを選んだのは、清々しさとともに内面から滲み出る喜びを感じたかったから。
そして、今日はどうしてもピアノで聴きたかった。
ケンプ盤と迷ったが、私にとって特別の1枚は、やはりリパッティ。
高貴という言葉が、リパッティほど相応しい音楽家はいない。
近づきがたいほどの凛とした佇まいでありながら、冷たさは皆無。
透明感と温かさを併せ持つ稀有のピアニストだった。
この曲も、冒頭は、静かに静かに奏でられる。そして、音楽の抑揚に合わせて次第に昂揚し、やがて力強く感動的なコラールを聴かせてくれるのだけど、この自然な表情が本当に素晴らしい。
思い返せば、このリパッティの演奏は、学生時代に輸入盤の廉価盤のレコードで、それこそ盤が擦り切れるくらい何百回となく聴いてきた。
リパッティにあやかってなんて、恐れ多くてとても言えないけれど、迷った時に心を清める道場として、今年もこの音楽・この演奏を大切にしていきたいと思う。

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ビゼー:ピアノ作品集 by 金田仁美

2014-06-22 | CDの試聴記

久しぶりの投稿になります。
ブラウザを IEからクロームに変えたこともあり、なかなかパソコンが思うように動いてくれない(汗)

6月は、週に1回のペースで計4回講演があり、それも毎回異なるテーマだったので、準備が大変だった。
でも試練の4番勝負も、あと1回を残すのみ。
気を抜かないで頑張ろう。

先週残念だったのは、やはりワールドカップ。
一人少ないギリシャに勝てなかった原因については、専門家を含め語りつくされているので、多くを言うつもりはない。
ただ、最終戦に向けては、ゴールが見えたらひたすら貪欲にシュートを狙ってほしい。
「そこに山があるから登る」というシンプルな考えでいいじゃないか。
それと、4年かけて築き上げたスタイルは変えないでほしい。
自分たちのこのスタイルで負けたら仕方がない、というくらいハードな練習をしてきたはず。
混沌とした状況で頼りになるのは、やはり「型」だと思う。
今日一日休養に当てて、充電したこともいいだろう。
泣いても笑ってもGL最後の試合。後悔しないように頑張ってください。

ブラジルも日本も、今の季節は湿度が高い。
このじめじめした気候が得意な人はあまりいないと思うが、私も大の苦手。
得体のしれない息苦しさのせいで、それが体調にも影響してくるのだ。
そんな中、不愉快なじめじめ感を、暫し忘れさせてくれるような爽やかな音楽を聴いた。
ビゼーのピアノ作品集。

ビゼーといえば、何と言ってもカルメン。
あとは、「アルルの女」や「美しきパースの娘」といった劇音楽をオーケストラ用にアレンジした組曲。
そして、私の大のお気に入りである交響曲。それと声楽の好きな人には、「真珠採りのタンゴ」のオリジナルであるオペラも含まれるだろうか・・・。
でも、よく聴かれるのは、だいたいこのくらいまでだろう。
ピアノ曲は、私自身あまり聴いたことがない。
今回、金田(かなた)さんのアルバムを聴きながら、昔、グールドの演奏でビゼーの変奏曲を聴いたことを、ようやく思い出した。
まことにお恥ずかしい次第だ。


金田さんの弾くビゼーは、アレンジ物もピアノのオリジナル作品も、いずれも 実に爽やかな音楽だった。
ビゼーは、リストが認めるほどのピアノの名手だったらしい。
カルメン組曲のピアノ版と聞いて、私は管弦楽作品に負けじと華麗で派手な方向の音楽かと勝手に想像していたが、さすがにピアノの名手だけあって誠に理に叶ったアレンジだ。
音の数が少ないことを逆手にとって、見事な音楽に仕上げている。
金田さんの演奏も、力まず真摯に向かい合っていて実に気持ちのいい演奏。
私がとくに気に入ったのは、冒頭の夜想曲ニ長調。30歳の時の作品だそうで、揺れ動く心理状態を瑞々しく歌い上げていて、思わず引き込まれる。
それと、あまりに有名な「アルルの女」第2組曲のメヌエットも秀逸。
このメヌエットは「アルルの女」に含まれる音楽ではなく、「美しきパースの娘」の楽曲というのはよく知られているが、ピアノで弾かれたこのメヌエットのピュアな美しさは、何物にも代えがたい。

また、このアルバムには1曲だけ異質な音楽が含まれている。
演奏会用半音階的変奏曲だ。
この曲を初めて聞いたのは、先述のグールドのアルバムだが、そのとき「これが本当にビゼーの音楽か?」という強い思いにかられたことを覚えている。
グールドの演奏では、半音階でゆっくり上昇するバスに導かれて、驚くほどの緊張感を内包しながら音楽がさまざまな変化を見せていた。
だからこそ、途中で長調に転じた箇所が、砂漠のオアシスの畔に咲く花一輪という風情で、実に印象的だった。
金田さんの演奏は、さすがにグールドほどの緊張感と奈落の底に突き落とされるような切迫感はない。
その代り、よりひたむきで真っ直ぐな印象を与えてくれる。そして、息苦しくないだけ、私はいっそう音楽そのものの魅力を味わうことができた。
中間部のオアシスの美しさも特筆ものだ。
この変奏曲が、やはりアルバムのメインだった。
単に爽やかさだけではない素晴らしい感動を与えてもらったことに感謝です。 


ビゼー:ピアノ作品集
<曲目>
1. 夜想曲ニ長調
2. 『カルメン』組曲
3. 海洋画
4. 演奏会用半音階的変奏曲
5. 3つの音楽的素描
6. 『アルルの女』第1組曲(ビゼー編曲)
7. 『アルルの女』第2組曲

<演奏>   金田 仁美(ピアノ)
<録音>   2014年4月24日
<録音場所>大阪・吹田 メイシアター 中ホール

 

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バッハ カンタータ第1番 「輝く暁の明星のいと美わしきかな」

2014-01-01 | CDの試聴記
新年おめでとうございます。
本当に穏やかな元日の朝を迎えることができました。
今年一年、こんな日が続いてくれるように心から願っています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年は、娘の結婚という大きなイベントがあり、今年は息子夫婦に子供が産まれる予定だ。
本業の年金の仕事は、昨年かつてないほどの大きな波にさらされたが、激変のときこそ真価を発揮しなければいけない。
誠実に、そして全力で取り組んでいきたいと思う。

今年最初に選んだ音楽は、バッハのカンタータ第1番。
このカンタータは、いつ聴いても、晴れやかな気持ちにしてくれる。
とくに第3曲が素敵。
オーボエ・ダ・カッチャをともなったソプラノの何とも魅力的だ。
このリヒター盤では、私の敬愛するマティスが歌っている。
いつもながらチャーミングの一言。
この演奏にあやかって、素晴らしい一年になりますように。


バッハ カンタータ第1番 「輝く暁の明星のいと美わしきかな」
<演奏>
■ソプラノ:エディット・マティス
■テノール:エルンスト・ヘフリガー
■バス:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
■カール・リヒター指揮
■ミュンヘン・バッハ管弦楽団
■ミュンヘン・バッハ合唱団
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バッハ:カンタータ 第140番 「目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声」

2013-11-04 | CDの試聴記
一昨日は、娘の結婚式だった。
親バカと言われようと何と言われようと、私にとってはかけがえのない最愛の娘。
そんな娘が素敵な青年と出会い、この日嫁いでいった。
父親として一抹の寂しさを感じながらも、これほど嬉しいことはない。
結婚式に来てくださった方々からの祝福に最高の笑顔で応えていた新郎新婦を見て、「この二人なら、きっと幸せになってくれる」と一安心。
そして結婚式の最後の挨拶で、新郎が「必ず幸せにします」と力強く宣言してくれたことが、私には何よりも嬉しかった。
この日の感動を大切にして、いつまでもお幸せにね。

今、聴いているのは、バッハの140番のカンタータ。
カール・リヒターの名盤だ。
何度聴いても心洗われる名演奏だと思う。
実はこのリヒターの演奏は、私たちの結婚式(もう30年以上前の話ですが・・・)のときにもメインで使った思い出の音楽だ。
娘とバージンロードを歩きながら、このカンタータの第1曲がずっと私の中で流れていた。
「おめでとう。幸せになるんだよ」と心の中で娘に語りかけながら・・・。

また、新郎新婦は、私たち両親に、手作りのワイングラスを贈ってくれた。
イニシャル入りのお洒落なグラスで、とても素敵。
まさに、グラツィオーソ。
せっかくプレゼントしてもらったのだから、昨日早速使わせてもらった。
シャンパンにしようかと迷ったが、華やかな雰囲気もほしかったので、イタリアの微発泡赤ワインであるランブルスコにした。
美味しい!
ワインもさることながら、このグラスの存在がものを言ってる。
心のこもった贈り物、本当にありがとう。
ずっと大切に使わせてもらいます。


バッハ作曲 カンタータ第140番『目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声』
■指揮:カール・リヒター
■ミュンヘン・バッハ管弦楽団、合唱団
■ソプラノ: エディット・マティス
■テノール: ペーター・シュライアー
■バリトン: ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
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ジョン・ウィリアムス 礼賛

2013-10-23 | CDの試聴記
久しぶりの投稿になります。

今日は、これから、すみだトリフォニーホールで、ジョン・ウィリアムスのコンサートを聴く。
ジョン・ウィリアムスは、私にとって、心の神様みたいな存在だ。
セゴビア、ブリーム、イエペス、みんな偉大なギタリストだったけど、「一度でいいから、こんな風に弾いてみたい」と心底思ったのは、後にも先にもジョンだけだ。
完璧という言葉が、これほど相応しいギタリストはいない。
そしてジョンが歩んだ道は、必ず世の中の流行になった。
バリオスしかり、ディアンスしかり、ドメニコーニしかり、古くはグラナドスの詩的ワルツ集しかり…
また、彼のどこか近寄り難くて、冷ややかな音楽が、かえってファンの心理をくすぐるのだ。
そんなジョン・ウィリアムスも、今回の演奏が日本における引退公演になる。
本当に寂しい限りだが、今宵の演奏、そして来週の白寿ホールの演奏を、しっかりと心に刻み付けておきたい
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テレマン:忠実な音楽の師から  リコーダー・ソナタ ハ長調 TWV 41-C2

2013-03-03 | CDの試聴記
痒い。
眼も鼻も喉も、挙句の果てに耳までも・・・
いよいよ今年も花粉大魔王のお出ましだ。
年末からアレジオンを飲んで、大魔王の襲来に備えてきたつもりだけど、今年の大魔王は手強い。
哀れ一撃でダメージを受けてしまった。
相性のいい目薬のリボスチンも、こうなるとさすがにお手上げだ。
我慢できずに目をこするから、あっという間に目が真っ赤になってしまう。
今週はセミナーもあるので、真っ赤な目をして臨むわけにはいかないし、何とかしなきゃ(泣)。

さて、昨日CSのスカイ・Aで、高校野球名将列伝という番組を放送していた。
第一回目は、石川県の星陵高校の山下智茂元監督。
30分という短い時間だけど、実に内容の濃い番組だった。
大阪桜宮高校の不幸な事件があった後だけに、山下元監督の言葉ひとつひとつが私の心を捉えて離さない。
その中から、とくに印象的な言葉をご紹介する。

「リーダーは一生懸命情熱を持っていれば、子供たちは分かってくれる」
「ノックは対話だ。一人一人の限界は違うから、声を掛けあいながら、限界にどう挑戦していくかということが最も大切。今の若い監督さんは、そういう限界を伸ばしてやることが、なかなかできない。だから生徒は素材だけで伸びている。各人ごとに限界を伸ばす精神力の強さをつけてやることが大事だ。」
「自分には二人の山下がいる。鬼の山下と仏の山下。ノックをしているときの自分は鬼の山下だけど、どんな時でも鬼の中に愛情がなければいけないと思っている。」

また、希代のスラッガー松井秀喜が高校時代天狗になりかけた時に、彼を諭した言葉が興味深い。
山下先生:「おい悪魔」
松井選手:「僕は悪魔じゃありません」
山下先生:「違う。『おいあくま』というのは次の意味だ。憶えておきなさい」
 おごるな~いばるな~あせるな~くさるな~まような
まさに至言。

そして、こんな言葉もあった。
「野球は9人しかレギュラーになれない。でも、社会に出たら全員がレギュラーだ。だから社会で通用する人間になれるように3年間を送りなさい。そして皆人生の勝利者になってほしい。」
何と素晴らしい言葉だろうか。
こんな先生、こんな監督に教えを受けることができた生徒たちは、本当に幸せだったと思う。

最後に、最近音楽で嬉しかったこと。
それは、テレマンのこのトリオソナタの作品名を見つけられたことだ。
30年くらい前に、たしかトーレンスのプレーヤーを買った時だっただろうか、非売品のオルトフォンのデモディスク(勿論LPレコード)をもらった。
その中に、「テレマンのトリオソナタハ長調」というクレジットとともに、この曲が入っていた。
第二楽章のアレグロだったが、私は聴いた瞬間、大好きになった。
演奏も躍動感に富んでいたし、オルトフォンのサンプルらしく実に素晴らしい音で録音されていたのだ。

しかし、残念ながら、正確な作品名が解らない。
その後、テレマンの作品集を何種類も買って聴いてみたのだが、この曲は入っていなかった。
そんなこともあって、私自身、半ば諦めかけていた。
ところが、この曲との再会は突然やってきた。
ブリュッヘンのテルデックの全集を順に聴き進むうちに、この曲を発見したのだ。
「あっ、この曲だ」
私は思わず叫んでいた。
大袈裟ではなく、30年前に別れた恋人に再会したような気分だった。
しかも、演奏はブリュッヘン・レオンハルト・ビルスマと言う黄金のトリオ。
悪かろうはずはない。
30年の空白を埋めるかのように、嬉しくて何回も何回も聴いている。
しばらくは、この中毒状態が続くことだろう。

■忠実な音楽の師から リコーダー・ソナタ ハ長調 TWV 41:C2
(演奏)F. ブリュッヘン / A. ビルスマ / G. レオンハルト
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ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 by ジュリーニ/シカゴ響

2013-01-14 | CDの試聴記
今日、関東地方は大雪。
爆弾低気圧とやらの仕業らしいが、交通も乱れに乱れていた。
最初は、無責任に、久しぶりのお湿りが真っ白な雪と言うのもなかなか風情があっていいと思ったが、今日成人式を迎えた方や三連休で旅行を楽しんだ人にとっては大変な災難だっただろう。
皆様、ご無事だったでしょうか。

成人式といえば、今朝のテレビ番組で、親から成人する子供にあてた手紙を読む場面がオンエアされていた。
その中に、幼い頃から心臓の持病を持つ娘に対する父からの手紙(成人式で披露されたもの)も紹介されていて、「(娘さんは)これからも心臓病と長く付き合っていくことになると思うけど、どうしてもの時はお父さんの心臓をあげるからね。そうしたらずっと一緒に生き続けられるから」といった内容だったが、私も思わずもらい泣きしてしまった。
親子の絆って、まさにこんな風にして繋がっているんだなぁ。
そして、自分の子供たちの成人式の時のことを思い出しつつ、年老いた母のことも思い出し、親孝行しなきゃと改めて実感した次第。

さて、前回も書いた黒田恭一さんの「音楽への礼状」をようやく読み終えた。
その中に、名指揮者カルロ・マリア・ジュリーニの項がある。
タイトルは、「それにしても、あなたは、字を、何とゆっくりお書きになるのでしょう」
黒田さんがジュリーニにインタビューした時のことだ。
黒田さんは、インタビュー終了後、マーラーの9番のスコアにジュリーニのサインを求めた。
ジュリーニは、単に自分の名前を書くだけではなく、黒田さんの名前と、心のこもった言葉まで添えてサインしてくれたそうだ。
また、そのときジュリーニは大変ゆっくりと、そして反対側からでも字が読めるくらいの筆圧でサインしてくれたと記されている。
続けて黒田さんは、ファルスタッフの幕切れの部分を例にとって、「あなたは、いくぶん遅めのテンポで運び、全ての音をくっきりと浮かび上がらせ、しかも音楽本来の流れの勢いをあきらかにしておいでです」とジュリーニを賞賛している。

何と的確なジュリーニ評だろうか。
ジュリーニの音楽の本質が、この短い言葉の中に見事に集約されている。

今日、真っ白に化粧した外の景色を眺めながら、私はジュリーニがシカゴ響を指揮したブルックナーの9番を聴いた。
1976年~77年にかけて、ジュリーニは3人の作曲家の「交響曲第9番」を相次いでシカゴ響と録音している。
3人の作曲家とは、マーラー、ドヴォルザークそしてブルックナーだ。
いずれも名演の誉れ高いもので、中でも黒田さんがサインしてもらったマーラーの9番は、今も極め付きの名演として知られる。
一方、ブルックナーの9番はこのシカゴ響との録音のあと、1988年にウィーンフィルと組んで再録音を果たしている。
ウィーンフィルとの新盤もブルックナーの魅力を余すところなく伝える名盤だけど、私はこのシカゴ響との演奏により魅かれる。
全てのパートが瑞々しく艶やかだ。
当代きっての名手をそろえたブラスも、輝かしいが決して華美には響かない。
この演奏を聴くと、本当にため息が出るくらい見事なブルックナーだと実感させられる。

そして、この4枚組のアルバムは、私にとって特別の思い入れがある。
震災の時にラックの下敷きになり、ケースは見るも無残な状態になりながら、中身は奇跡的に無傷で生き残ってくれたのだ。
その傷ついたCDケースを前にして、黒田さんの文章を読み、そして昔大阪のフェスティバルホールで実際に聴いたときのマエストロの指揮姿を思い浮かべながら、このブルックナーを聴いた。
文字通り感慨無量だった。

ジュリーニ&シカゴ響ボックス(4CD)から
■ブルックナー:交響曲第9番ニ短調
■1976年12月1・2日、シカゴ、メディナ・テンプルでのステレオ録音

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シューベルト:交響曲第5番 by アバド&ヨーロッパ室内管弦楽団

2013-01-06 | CDの試聴記
4日は初出だったけど、世の中全体がまだまだ慣らし運転という状況。
でも、お屠蘇気分も今日までにしなきゃ。
明日からは予定も結構入っているし、気合いを入れて行こう。

新年に入って、大好きな音楽評論家だった黒田恭一さんの「音楽への礼状」というエッセイを読み始めている。
「だった」と過去形で語らないといけないのが本当に寂しいけど、例によってこの本もすこぶる面白い。
黒田さんの暖かい眼差しと人柄が、文章のいたるところに感じられる。
その中に、ヨーロッパ室内管弦楽団に向けた章がある。

この章は、「あなたがたの演奏をきいていると、みんなの嬉しそうな顔がみえてきます。」
という見出しで始まる。

「好きな仲間との間に、勇気を持って、意識的に会わない時期をおくという、あなたがたの知恵には、ぼくらが日常生活をしていくうえで学ぶべきものがあるように思えます。あれだけの素晴らしい演奏をおこなうあなたがたのことです。みんなと一緒に演奏することが楽しくないはずはありません。しかし、その楽しさに流されることをあなたがたはこばんだ。ポイントはそこでしょう。」
そして、黒田さんは続ける。
「ぼくらは、どうしても、美味しいものは食べすぎる。楽しいことには耽りすぎます。食べすぎれば腹をこわし、耽った後には荒廃が待ち受けています。二日酔いの頭をかかえながら、酔いにまかせての昨日の夜の馬鹿騒ぎを思い出し、忸怩たる思いを抱かないでいられるのは、よほど鈍感な人間でしょう。新鮮さをたもつためには、耽りすぎないことです。(以下略)」

まさに、おっしゃる通り。
でも黒田さんがそこまで称賛するヨーロッパ管弦楽団。
久しぶりにじっくり聴いてみたくなって、このディスクを取り出した。
シューベルトの5番は、以前にも書いたが、私にとって第一楽章冒頭の数小節を聴いただけで幸せになる音楽だ。
アバドと組んだ彼らの演奏は、聴き手を曇り一つない青空を自由に羽ばたく鳥のような気分にさせてくれる。
この瑞々しさ、生き生きとした表現を聴くと、なるほど黒田さんの言うとおりだと納得してしまう。

「新鮮さをたもつためには、耽りすぎないこと」というアドヴァイス、耳に痛いが、今年一年心がけていこうと思う。

シュ-ベルト:
1. 交響曲第5番変ロ長調 D.485
2. 交響曲第6番ハ長調 D.589
<演奏>
■ヨーロッパ室内管弦楽団
■クラウディオ・アバド(指揮)
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バッハ:カンタータ第6番「われらと共に留まりたまえ」

2013-01-03 | CDの試聴記
新年おめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は天候にも恵まれ、思いがけず穏やかなお正月だった。
巷報じられている通り、日本の経済も社会保障も、そして私の専門の年金も、米国の財政以上に厳しい崖っぷちに立たされている。
でも、この穏やかなお正月を過ごしてみて、「あくせく動き回るだけが能じゃないんだよ」と神様から諭されているような気がしてきた。
全力を尽くすことは当然のことだが、徒に結果をほしがらずに、少しでも前に進むことを心がけていこうと思う。

そんなことを考えながら、採りあげたのはバッハのカンタータ。
本来であれば新年用のものをエントリーするべきなのだけど、聴いたのは、復活節第2日のカンタータ「われらと共に留まりたまえ」。
理由は、第3曲のコラールがあまりに美しいからに他ならない。
バッハのすべてのカンタータの中でも、この曲は穏やかで清新な気持ちにしてくれる点で、極め付きの名曲だと思う。
冒頭のチェロピッコロの調べの何と魅力的なこと!
(このディスクではチェロで演奏されているが、フリッツ・キスカルトのチェロが絶品。)
その後のコラールは、まるで天使が地上に降り立って微笑みながら歌ってくれているようだ。
また第2曲のイングリッシュホルンとアルトが奏でる牧歌的なアリアも、天上の音楽のように響く。

演奏は、カール・リヒターたちのものが、私には最もしっくりくる。
このカンタータは、上記の第3曲と第2曲以外の音楽も本当に素晴らしい。
第4曲のレチタティーヴォを歌うフィッシャー・ディースカウの声を聴くだけでも値打ちがあるし、続くペーター・シュライヤーも大変な名唱。
そして、最初と最後に置かれている合唱の見事さは、リヒターとミュンヘンバッハ合唱団の刻印だ。

今年は、このカンタータを折に触れて聴くことになると思う。

◎バッハ:カンタータ第6番「われらと共に留まりたまえ」
<演奏>
■カール・リヒター指揮
■ミュンヘンバッハ管弦楽団
■ミュンヘンバッハ合唱団
■A・レイノルズ(アルト)
■P・シュライヤー(テノール)
■D・フィッシャー=ディースカウ(バス)
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武満徹 フォリオス

2012-12-31 | CDの試聴記
今年も、あと12時間あまりになった。
今、帰郷の新幹線の車中で、一向に言うことを聞いてくれないiPhoneを使って記事を書いている。
2012年は、東日本大震災の爪痕も十分に癒えない中、山中教授のノーベル賞受賞等の明るい話題はあったものの、我が国全体としては非常に厳しい試練の年だったと思う。
しかし、ボクシングと同じで、相手のパンチを怖がって目を瞑った瞬間に負けが決まる。苦しくても必死にガードを固めて相手の動きを見ないことには勝機はない。
常に考え抜くこと、次を読もうと懸命に努力すること、どんなに小さなことでもチャンスだと思えば果敢に攻めること、これしかないように思う。
その為には、感性を研ぎ澄ますことも非常に大切かもしれない。

偉そうなことを書いたが、ついつい怠慢と怯懦に負けてしまう自分に向けた叱咤激励のつもりです。

さて、年末最後にエントリーする音楽は、武満徹のフォリオス。
ご存じない方も多いかもしれないけど、このフォリオスは、武満さんが最初に手掛けたギターの為の作品で、1974年にギタリストの荘村清志のために書かれている。
フォリオとは二つ折りの紙くらいの意味で、フォリオスは3つのフォリオからできている。

音楽全体は、決してわかりやすいものではないが、不思議な魅力を備えている。
不協和音が支配する中、独特の色彩感と間合いが、私を虜にする。
楽譜も買い、自分でも一生懸命さらってみるのだけど、残念ながらアマチュアのギター弾きには到底手に負えない。
でも、諦めて目を瞑ってしまったらそれまでなので、いつの日か、この曲を人前で弾けるように夢を持ち続けていきたい。
ところで、フォリオ3の最後には、マタイ受難曲の受難のコラールがほんの一瞬登場する。
全体が混沌とした響きの中で突然登場するだけに、そのインパクトは非常に大きい。
武満徹という偉大な作曲家が、ギターという楽器を愛してくれたこと、そして珠玉のような作品を遺してくれたことに、私は心から感謝したい。

このフォリオスには、10種類以上の名手たちの録音があるが、私が最も好きなのは佐々木忠さんの演奏。
佐々木さんは長くドイツで教授活動をされていた方で、このフォリオスに対する深い愛情が感じられる。
20年以上前の録音だけど、その透明で温かい質感に満ちた演奏は、今も色褪せることはない。

自分を厳しく律しつつ、媚びることなく自分の思いをしっかり表現し、しかもその背後に知性と愛情が感じられる。
佐々木忠さんの音楽は、まさにそんな感じだ。
来年は、私も佐々木さんを見習って、少しでもそんな生き方ができるように努力していきたい。

皆様、よいお年を。

<曲目>
■バリオス:
バルカローレ,ワルツOp.8-4,アイレ・デ・サンバ,マシーシェ
■トゥリーナ:
ファンダンギーリョ,セビリャーナ(ファンタシア)
■佐々木 忠:
日本民謡による印象(会津磐梯山,山寺の和尚さん,八木節)
■バーチ:遭遇
■武満 徹:フォリオス

<演奏>佐々木忠(ギター) 
<録音>1989年
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バッハ:「プレリュード、フーガとアレグロ」 BWV998 by リヒテル(p)

2012-10-13 | CDの試聴記
今週は、山中教授のノーベル賞受賞というビッグニュースから始まった。
そして翌日には、アニキ金本の引退試合。
お二人に共通するのは、稀にみる偉業を成し遂げたことと同時に、その人となりが何ともいえず素敵であること。
天才としか言いようのない研究成果を挙げながら、謙虚にそして誠実に話されていた山中教授の「感謝と責任」という言葉。
そして、引退の挨拶で金本選手が語った「悔いや心残りはたくさんあります」という言葉。
自分の心身を徹底的に鍛え上げ世界に冠たる記録を遺したアニキのことだから、きっと、「やることは精一杯やりました。悔いはありません」というようなコメントになるだろうと勝手に思い込んでいたので、とても驚いた。
しかしよく考えてみると、二人とも過去の栄光にしがみつくような姿勢は微塵もなく、目線がしっかり前を向いていることも共通している。
こんな二人の言葉だからこそ、千金の重みを持つのだろう。
どちらも、私の心に大きくそして深く響いた。
あまり軽々に使いたくないが、彼らこそ本当に日本の誇りだと思う。

そして、音楽の関係では、二つ出来事があった。
一つは、14日に聴きに行く予定のウィーン国立歌劇場来日公演の「サロメ」。
指揮をするはずだった音楽監督のウェルザー・メストが、体の故障で降板してしまったのだ。
歌手は殆んど知らない人ばかり。しかしメストとウィーンフィルがきっと濃密な音楽を聴かせてくれると確信してチケットをとったのに、何たることだ・・・
しかし、ピンチヒッターのペーター・シュナイダーは、今回フィガロも振るしサロメも得意にしているマエストロだ。
素晴らしいリヒャルト・シュトラウスを聴かせてくれるかもしれない。
いや、きっと聴かせてくれるだろう。
一昨年のプレートルのような、代打逆転ホームランを期待したいと思う。

もう一つは、何回かブログにも書いたが、私が愛してやまないバッハの佳曲「プレリュード、フーガとアレグロ」のこと。
何と、あのリヒテルが演奏した録音が残っているらしい。
リヒテルのバッハといえば、私の場合、何と言っても平均律の「インスブルック・ライブ」だ。
もうこの演奏は、私の心のバイブルと言っても過言ではない。
そのリヒテルが、あのBWV998を弾いている・・・。
これは、何としてもディスクを探しださなければ。
ネットを使って必死で調べて、幸い何とかCDをゲットすることができた。
早速聴いてみる。
ピアノによる演奏を聴くのは初めてだが、やはり素晴らしい。
プレリュードは、ギターあるいはリュートのような撥弦楽器の方がファンタジーを一層よく表現できるような気がしたが、圧巻はフーガだった。
すべての声部が見事なまでに浮かび上がってくる。しかもリヒテルの手にかかると決して表情が冷たくならない。
ウェットで暖かい質感を伴いながら格調高く表現された素晴らしいバッハ。
こんな素敵な演奏をリヒテルが遺してくれていたなんて・・・
ブログのコメントで情報をくださった方に、心から感謝です。

<リヒテルの晩年の至芸>
<曲目と録音日時>
バッハ(1993年7月9日 ボン ライブ)
 ■プレリュード ハ短調 BWV 921
 ■プレリュード, フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV 998
 ■幻想曲 ハ短調 BWV 906
 ■アダージョとフーガ BWV 968 (BWV 1005による)
ブラームス(1992年10月5日 ケンペン ライブ)
 ■2つのバラード Op. 10 (抜粋)
 ■4つの間奏曲 Op. 116,119 (抜粋)
ベートーヴェン(1991年2月11日 ケンペン ライブ)
 ■ロンド ハ長調 Op. 51 No. 1
<演奏>リヒテル(p)
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クープラン 「リュリ賛」 by ムジカ・アド・レーヌム

2012-09-30 | CDの試聴記
台風17号の影響が関東でも出始めた。
風に加えて雨も強くなってきた。
この調子では、きっと夜中には嵐になるんだろうなぁ。
何とか明日の朝には、通り過ぎてくれていれば良いのだけど。

さて今日で9月も終わり。
今月は、文字通り殺人的なスケジュールで全国を飛び回っていた。
同じテーマの出張ならまだしも、複数のテーマの講演と、その間隙をぬって大事なプレゼンが入っていたので、さすがに心身ともグロッキー気味。
この週末、一切仕事を忘れて休養できたので、ようやく元気が戻ってきた。

そんな忙しい中だったが、暇を見つけて聴いていたのがクープラン。
クープランの音楽で好きなのは、本当はクラブサンの曲。
なかでも私の一番のお気に入りは「神秘な障壁」という小品だ。
これといったメロディはないのに、何故かいつ聴いても気持ちが晴れやかになる。
とくに少しブルーなときに聴くと、「よっしゃ、もう一丁やってみるか」という気分にしてくれる。

ただ、今日はクラブサンの曲ではなく、室内楽を取り上げたい。
「王宮のコンセール」等も素晴らしいけど、ここ数日よく聴いていたのはトリオソナタの「リュリ賛」。
クープランはアポテオーズ(賛美曲)として、「コレッリ賛」と「リュリ賛」の2つの作品を遺してくれた。
「コレッリ讃」では、コレッリがミューズに導かれてパルナッソス山に住む音楽の神アポロンの元へいくまでを描いている。
一方「リュリ讃」では、アポロンがリュリを迎えに行きパルナッソス山に導くと、そこにはコレッリが待っている。
アポロンは、リュリとコレッリに向かって、「フランスとイタリアの音楽が結びあってこそ、音楽の完成がもたらされるはず」と説き、彼らは早速序曲を合作し、続いて二重奏でアリアを奏でた後、トリオソナタへとつながっていく。

どの曲も際立った個性があるわけではないけど、聴いていて不思議に心が落ち着いてくる。
とくにリュリとコレッリがヴァイオリンで合奏するアリアの素朴な味わい、その後トリオソナタに入った後の可憐な「ロンド」が好きだ。
深い感銘を与えてくれる音楽も勿論いいが、クープランのように優しく雅やかな音楽もこれまた素敵。
今日も、もう少しクープランを聴いてみよう。


■フランソワ・クープラン:室内合奏曲全集(7CD)
(演奏)ムジカ・アド・レーヌム

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カザルス 「鳥の歌」

2012-09-17 | CDの試聴記
昨日は、○十年ぶりの高校の同窓会があったので、出張の間隙を縫って大阪へ帰省した。
受付で名札をもらって会場に入ったが、正直顔だけじゃなかなか分からない。
しかし、一言話した瞬間に「オー、△△か」という感じで、○十年の時はあっという間に埋まる。
総じて男は齢相応のオジサンになっていたが、女性の方は、高校時代からまったく変わらない印象の子もいて驚いた。(これって、ちょっとズルいぜ!)
恩師もお元気そうで(まだ現役だと聞いて二度びっくり)、本当に楽しい時間を過ごさせてもらった。
同窓会って、やっぱりいいもんです。

さて、今日は久しぶりにカザルスの「鳥の歌」を聴いた。
もう多くの人に語り尽くされた演奏だけど、「音楽の力、音楽によるメッセージ」ということを強く思い知らされる、永遠の名演奏だと思う。

私がこの曲を初めて聴いたのは、高校生の時。
きっかけは、1冊の本だった。
ギターの師匠から、「何も言わないから、この本、最後まで読んでみなさい。とくにカザルスの鳥の歌の箇所はじっくり読みなさい」と言われて、一冊のぼろぼろになった本を渡された。
それが、鈴木鎮一さんの名著「音楽的表現法」(上巻)だった。
この本の下巻があるのかどうかもよく知らないが、当時高校生だった私は、この本をそれこそ貪りつくように何度も何度も読んだ。
そして、速く格好よく弾くことだけに夢中になっていた私を、この本が一喝してくれた。
「そうか、演奏するということは音楽することなんだ。音楽するということは、心で表現することなんだ」と思い知らされる。

そして、文字だけでは飽き足らず、どうしても音として聴いてみたくなり、師匠に無理を言ってレコードをお借りし何回も聴いた。
果たしてその演奏は、文字からイメージしていたものよりも遥かに凄かった。

そのとき聴いたのはオーケストラ伴奏の演奏だったが、カザルスの鳥の歌には、もう1枚、1961年にホワイトハウスで弾いたホルショフスキのピアノ伴奏による録音も残されている。
いずれも歴史に残る名演奏だけど、強いて言うと、音楽の豊かさではオーケストラ伴奏版が、音楽の訴えかける強さではピアノ伴奏版が勝っているように思う。
また、ホワイトハウスコンサートの録音には、何とも感動的なカザルスの唸り声が随所に聴かれる。
その唸り声の箇所を注意深く聴くことによって、音楽の表現法の秘密の一端を垣間見ることができたような気がする。

その意味でも、私にとって、文字通り、かけがえのない本であり、かけがえのない演奏だ。

(参考)
鈴木鎮一
「音楽表現法」(上巻)全音楽譜出版社
1957年
「フレーズの問題について、カザルスの演奏によるカタロニア民謡の「小鳥の歌」ほど、音の空間を大きく表現している演奏を私は未だかつて聞いたことがない。それは何と素晴らしい空間の表現であろうか、本当に素晴らしい。
拍子の間の名人・・・それは音楽表現の名人であり演奏の名人でもある。心ある人はコロンビアのカザルスのLPレコード、シューマンのセロ協奏曲の裏面にあるこの小品を聞いて見られるがよい、実に立派である。(中略)
楽譜をみて、深い検討もしないで譜の玉を無造作に弾きまくる無知な私共にとっては、なんと大きな反省を与える名演奏であろう。是非とも、一度この譜面を検討し、その表現能力を試していただきたい。ゆっくりとした静かな又情熱に溢れた曲である。
音楽の表現とは何ぞや、ということを改めて深く考えさせられる動機となる幸運に恵まれるかもしれない。
私は、カザルスの演奏から実に多くの尊いものを教えられ又与えられたのである。」


★カザルス/鳥の歌-ホワイトハウス・コンサート
■メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番ニ短調 作品49
■クープラン:チェロとピアノのための演奏会用小品
■シューマン:アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70
■カタロニア民謡(カザルス編):鳥の歌
 
<演奏>
■パブロ・カザルス(チェロ)
■ミエチスラフ・ホルショフスキー(ピアノ)
■アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
<録音>1961年 ワシントンDC(モノラル録音、ライヴ)





コメント (2)
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ベートーヴェン:ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」 by ポリーニ(p) 

2012-07-22 | CDの試聴記
今日は一日中、年金の問題集の改訂作業をしていた。
どうすれば実戦的な問題になるか、どうすれば一目で理解できる解説になるかを真剣に考えると、なかなか前に進まない。
でも、この問題集を頼りに学習する人がいると思うと、頑張ってやるしかないよなぁ。
しかし、さすがに疲れた・・・
予想外に涼しかったことが、せめてもの救いだったけど。

先週は、秋に待望の来日が決定したポリーニのチケットを幸いにもゲットすることができた。
今回は何種類もプロがあったのでは迷いに迷ったが、結局ハンマークラヴィーアをメインに据えたプログラムに決めた。
一番安い席だが、P席最前列の真ん中付近だから贅沢は言えない。
ピアノを聴く場合には、どうしても上蓋(反響板)の存在があるので、舞台後方にあたるP席は良くないと言われている。
まさにその通りだと思う。
しかし、真に感動的な演奏の場合は、そのようなハンディキャップはまったく問題にならないはずだ。
ポリーニなら、きっと奇跡を起こしてくれると信じている。

ポリーニの演奏は、いままで生で2回聴いたが、いずれもクラウディオ・アバド率いるルツェルン祝祭管弦楽団の来日公演に合わせたコンサートだった。
1回目はブラッハーやブルネロたちと組んだブラームスのピアノ五重奏曲、2回目はブラームスのピアノ協奏曲第2番。
それぞれ素晴らしい演奏であったことは間違いないが、震えるような感動とまでは至らなかったのも事実。
今回のコンサートは3回目になるので、まさに3度目の正直だと信じたい。
今後彼のピアノをく機会が何回も訪れるとは思えないので、初めて聴くソロコンサートということもあるし、心から楽しみにしている。
今年も体調不良が伝えられていたので、何とか元気な姿を見せてほしいと願っている。

そんなことを思いながら、30年以上前に録音された「ハンマークラヴィーア」を久しぶりに聴いてみた。
改めてポリーニの凄さを実感させられる。
彼が強靭で透徹された音を積み重ねて描いて見せたのは、圧倒的な存在感を誇る白亜の宮殿のようだ。
やわな箇所、曖昧な箇所はどこにも見当たらない。すべての音が、すべてのフレーズが、確信に満ちた表情で語られている。
第一楽章冒頭のファンファーレのようなフレーズも、比類ないくらい輝かしく豪快。
第三楽章を「軽い感じが残っている」とコメントした評論家もいたが、私はまったくそうは思わない。
確かに表面温度は低いので冷たく響くが、その硬質な響きの中から垣間見える敬虔な情感に私は深く感動した。
この楽章の途中で、ブラームスの交響曲第4番の第一楽章冒頭のモティーフに似た箇所が登場するが、ポリーニはひときわ格調高く表現している。
そして、やはりこの演奏の白眉はフィナーレ。
あの巨大なフガートを、料理の名人が目の前で魚をさばくような見事さで、鮮やかに弾ききっている。

私は聴きながら、ふとジョージ・セルのことを思い浮かべていた。
セルは私の敬愛する指揮者のひとりだが、誤解を恐れずに言えば、セルは本来ロマンティックな感覚を持った音楽家だったと思う。
しかし、自分の感情のおもむくままにロマンティックな表現をすることを、他ならぬ彼自身が許さなかった。
そんなセルだが、ときに熱い情感を抑えきれなくなることがあった。
たとえば、1970年の来日公演のライブ盤で聴けるモーツァルトの40番。
あの厳格なセルが、第一楽章から強烈なルバートをかけている。その部分を聴くたびに、私は涙が出そうになる。
これが間違いなくセルの心の叫びであり、パッションの発露だと思うから・・・。
こんな演奏を生で聴けた人を、本当に羨ましいと思う。

話をポリーニに戻す。
30年前に、既にあれだけ完成されたハンマークラヴィーアを聴かせてくれたポリーニは、果たして今回どんな演奏を聴かせてくれるのだろう。
あくまで勝手な予感だが、セルの来日公演の時のようなサプライズが聴けるのではないだろうか。
ほんのワンフレーズでもいいから、ポリーニの心の叫びが聴けたら、私はきっと涙で顔が上げられなくなるだろう。
今からポリーニの演奏を聴く日が待ち遠しい。

☆ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第28番イ長調Op.101
・ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調Op.106『ハンマークラヴィーア』
・ピアノ・ソナタ第30番ホ長調Op.109
・ピアノ・ソナタ第31番変イ長調Op.110
・ピアノ・ソナタ第32番ハ短調Op.111
<演奏>マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
<録音>1975-77年
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ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調op.37 by ソロモン(p)&メンゲス/フィルハーモニア管弦楽団

2012-07-13 | CDの試聴記
今日は13日の金曜日。
おまけに仏滅。
これだけ条件が重なる日は少ないと思うが、私の周りでは、幸いなことに今日一日何事も起こらなかった。
でも、九州では記録的な大雨が続いているし、昨今の異常気象は日本だけのことでもなさそうだ。
考えすぎかもしれないが、やはり地球が怒っているのかもしれない。
前に進むことだけを考えずに、周りのことにも目を配りなさいというシグナルだと、謙虚に受け止めたいと思う。

さて、最近何度も聴いて、その度に凄い演奏だと感動したのが、ソロモンの弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。
ソロモンはこの曲で少なくとも3種類の録音を遺してくれたが、このメンゲスと組んだ演奏は最後の演奏(1956年)にあたる。
(あとの二つは、44年のボールトと組んだ盤、52年のベイヌムと組んだライブ盤)
あるとき集中的にこのコンチェルトを聴いたことがあったが、そのときは第一楽章はグールド盤、第二楽章は内田光子盤、第三楽章はグルダ盤が良いと思った。
そして全曲通した印象としては、ハスキル&ミュンシュのライブ盤がベストだった。
しかし、このソロモン盤は、ハスキル盤と比べてもまったく遜色がない。
オーケストラの迫力がもう少しあればという気もするが、完成度という点では、ハスキル&ミュンシュ盤のさらに上を行っているのではないだろうか。

ソロモンのピアノが、とにかく高貴な香りに満ちている。
音の一つ一つが真珠のように美しいが、それがフレーズ単位にみたときに、絶妙のアーティキュレーションと相まってさらに艶やかな光を放つ。
吉田秀和さんがソロモンの「月光」を評したときの、「油を引いたような・・・」という表現がまさにぴったりだ。
とくに、この人の弱音の美しさは尋常ではない。
それでいて、力強さにもまったく不足しない。
本当に優れたピアニストだったと思い知らされる。
第一楽章の豊かさ、第二楽章の荘厳な響きと静謐感、フィナーレの躍動感、そして全体を貫く格調高さ、
そのいずれをとっても、私にはこれ以上の演奏は望めないという気がしてくる。

それと忘れてはならないのが、この演奏では、第一楽章でクララ・シューマン作のカデンツァが使われていること。
普段聴きなれたカデンツァとは随分印象が違うが、ソロモンが弾くと厳めしいベートーヴェンではなく、未来に目線を向け優しい眼差しをもったベートーヴェン像が浮かび上がってくる。
このカデンツァを聴くだけでも一聴の価値があると思う。

しかし残念なことに、この希代の名ピアニスト・ソロモンは、この年(ひょっとしたら、このコンチェルトの録音が行われた直後あたり?)に脳梗塞を発症しピアノが弾けなくなってしまう。
その意味でも、この録音はきわめて貴重なものだ。
ちなみに、ソロモンは幼いころから神童として有名だったが、デビュー間もない10歳の時にコンサートで弾いた演目は、このベートーヴェンの3番の協奏曲だったという。
やはり、ソロモンとこのコンチェルトは浅からぬ縁があったのかもしれない。
私は、ふとモーツァルトの最後のシンフォニーであるジュピターの終楽章の音型が、幼いころに書かれた第1番のシンフォニーで用いられていたことを思い出した。

☆ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調op.37
<演奏>
■ソロモン(p)
■メンゲス指揮
■フィルハーモニア管弦楽団
<録音>1956年8月
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