ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

イェルク・デームス ピアノリサイタル(5/19) @東京文化会館

2012-05-27 | コンサートの感想
先週は金環日食で始まった。
しかし、ビルの18階という絶好のロケーションに居ながら、西側に面した自席で仕事をしていた私は、残念ながらこの歴史的な金環日食を観ることができなかった。
ただ、徐々に暗くなっていく様子や、少し肌寒くなることは体感できたので、それで良しと言うことにしよう。

さて、金環日食の少し前、19日の土曜日に聴いたイェルク・デームスのピアノコンサートの感想を・・・。
昨秋、歌曲の伴奏をするデームスのピアノを聴いたが、ときに優しく寄り添い、ときに強い調子でソプラノを励ましながら、味わい深い音楽を奏でてくれた。

ソロはどうなんだろう。
プログラムもバッハからドビュッシー、フランクといった彼の得意のレパートリーだけに、大いに期待して上野の文化会館に向かった。
冒頭におかれたバッハのパルティータを聴いて、まず感じたのはバスの力強さ。
太い音でぐいぐい音楽を引っ張っていく。バッハを聴いてこんな風に感じることは珍しい。
細かな部分にフォーカスすれば、気になる箇所も確かにあった。
装飾音符もそうだし、声部の描き方も、最初はきっちり各声部を弾き分けるが、徐々に内声部がぼやけてくる。
しかし人間の耳は不思議なもので、たとえば内声部が途中で多少ぼやけてきても、最初に道をきっちりつけてくれたら、その声部を自然に追いかけて聴くことができる。
細かな音を完璧に弾くことは大切だけど、もっと大切なことがあるでしょう、と言われているような気がした。
私がこの日のデームスの演奏を聴いてもっとも強く印象に残ったのは、陰影をつけて音楽に奥行きを与える表現力の見事さ。
細筆ではなく中筆や太筆を使って、巧みに音楽の陰影を描ききる匠の技に、私は唸るしかなかった。

そして、その陰影の見事さは、後半のドビュッシーでさらに昇華する。
決して熱心なドビュッシーファンではない私だけど、デームスのドビュッシーは実に魅力的だった。
こんなドビュッシーなら、もっと聴いてみたい。
しかし、この日の白眉は、まちがいなく最後に弾かれたフランク。
デームスの良さが凝縮されたような演奏で、これは本当に素晴らしかった。
荘重で表情豊かな前奏曲、陰影を持って美しく奏でられたアリア、フランクの代名詞ともいえる循環形式の魅力を満喫させてくれたフィナーレ、全てが素晴らしい。
そして、さらに全曲を貫く太い芯のようなものが感じられて、それが一層強い印象を与えてくれたように思う。
やはり偉大なピアニストだと実感した。

終演後、新しくリリースされたCDにサインをしてもらったが、そのときの強い眼差しが今も忘れられない。
80代のピアニストとは到底信じられないような、強い眼の光りだった。
きっと、まだまだ現役で活躍されることだろう。

P.S
この新譜のCDには、主にドビュッシーとフランクの作品が収められているが、8曲目の「星の夜」と題されたデームス自作の曲がことのほか魅力的。名手シェレンベルガーの美しいオーボエの音色とともに忘れられない。


イェルク・デームス ピアノリサイタル
<日時>2012年5月19日(土) 14:00開演
<会場>東京文化会館
<曲目>
■J.S.バッハ:パルティータ第1番 BWV825
■モーツァルト:アダージョ K540
■ベートーヴェン:ピアノソナタ第31番
■ドビュッシー:
・月の光がふりそそぐテラス
・そして月は荒れた寺院に落ちる
・月の光
・水の反映
・葉末を渡る鐘の音
・金色の魚
■フランク:前奏曲、アリアと終曲
(アンコール)
■ショパン:子守唄
■ドビュッシー:沈める寺

コメント (2)
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ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番 「セリオーソ」 by シュナイダーハン弦楽四重奏団

2012-05-02 | CDの試聴記
先日のBSプレミアムで、内田光子さんのコンサートをいくつかオンエアしていた。
ヤンソンスと組んだベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番から見始めたが、これが本当に素晴らしい。
楷書体の演奏だけど、その小細工なしの真摯なスタイルの中から、高貴な香りが立ち上ってくるようだ。
第2楽章が特に秀逸。冒頭、内田さんが鍵盤の上に指を置いて実際に音が出るまで、10秒も経っていただろうか。
その間、聴衆も(その映像をみている私たちも)、呼吸することも忘れてじっと待っている。
そして、そんな沈黙の中から静かに流れ始めた音楽は、まさに心に沁みる美しさだった。
バイエルン放送響も目茶苦茶上手い。
内田さんがザンデルリンクと組んだこの曲のディスクについては、村上春樹&小澤征爾の対談本に詳しく書かれているが、この日の映像はさらに進化した演奏だと思う。

さて、ここ数日ずっと聴き続けているのが、シュナイダーハン弦楽四重奏団の「セリオーソ」。
このディスクは震災の時に我が家のラックが倒壊した時に行方不明になって、きっと壊れてしまったんだと諦めていたのだけど、先日奇跡的に無事な姿で発見!
見つけた時は、「えっ、これや。あったー・・・」と思わず叫んでしまった。
若くしてウィーンフィルの名コンサートマスターの名をほしいままにしたシュナイダーハンは、自らの名を冠したカルテットを結成していた。
設立時のメンバーは、シュナイダーハン、シュトラッサー、モラヴェッツ、クロチャックというウィーンフィルの伝説の名手たち。
しかし、その13年間の活動の中で遺されたディスクはきわめて少ない。
このセリオーソは、そんな中の貴重な録音で、1949年にウィーンのブラームスザールで録音されている。

第一楽章の冒頭から、このカルテットの美質がよく出ている。
十分力強いが、決して粗野になることはない。
弾力性に富んだリズム感と柔軟なフレージングが、ときに厳めしく感じるこの音楽に新鮮な魅力を与えている。
第二楽章はかなり速めのテンポで進められる。
しかし、一見淡々と流れるようにみえて、その中のニュアンスの豊かさは比類ない。
そして第三楽章から終楽章こそ、このカルテットの魅力があますところなく出ていると思う。
スケルツォ楽章の冒頭、印象的な付点のリズムをもったモティーフが2回フォルテで力強く奏された後、ピアノで応える表情が何気ない仕草なんだけど妖しいまでの美しさを感じさせる。そして次の主題で垣間見せる夢見るような美しさ。
人によっては、甘い感じが出過ぎていると仰るかもしれないが、私はそんなシュナイダーハンたちの音楽に強く魅かれる。
続くフィナーレは、この演奏における文字通りの白眉。
息の長いフレージングで伸びやかに、そしてしなやかに奏でられる彼らの演奏を聴くと、みんなこの曲が好きになるんじゃないだろうか。絶対のお勧めです。

ところで、この演奏には特別のエピソードがある。
夭折の天才ピアニストであったリパッティが亡くなる日、最後にラジオで聴いた音楽が、まさにこの演奏だったのだ。
その直後に大量の出血を起こして、不丗出の天才ディヌ・リパッティは亡くなる。
次のリパッティ夫妻の言葉の重さをかみしめながら、私はこれからもこの演奏を聴き続けるだろう。

★畠山陸雄著 クララ・ハスキル~神が地上に遣わしたピアノの使徒~ より
(ラジオから流れるこのシュナイダーハンたちのセリオーソを聴きながら)
妻のマドレーヌが「何と素晴らしい音楽でしょう。世界がこの中に込められているようだわ!」と思わず叫んだとき、ディヌ・リパッティは「そうだね。このような音楽を書くためには作曲家は神の楽器にならなければいけないのだね」と呟くように答えたという。

■ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番ヘ短調 op.95 「セリオーソ」
<演奏>シュナイダーハン弦楽四重奏団
<録音>1949年2月22日・24日、3月7日
コメント (2)
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