3月も今日で終わり、明日からは4月というよりも新年度が始まる。
今月は、公私ともに思い出深い月だった。
「公」の部分では、年金の専門誌へ特集記事として寄稿したことが最も大きな出来事。
得難い機会を与えて下さった専門誌の編集部の方には、大いに感謝している。
一方、「私」の部分では、母二人そして私たち夫婦の4人で山形のかみのやま温泉に旅行したことと、娘の婚約というのが2大イベントだった。
高齢の母たちと一緒に旅行するなんて、お互いの予定と健康状態が全てクリアされないと実現できないと思うので、大袈裟な言い方をすれば奇跡的なことだったかもしれない。
でも、旅行そのものも楽しかったし、少しは親孝行ができたかな。
また二つ目の「娘の婚約」も、親としては極めて大きな出来事だった。
とくに父親としては(笑)
でも、贔屓目にみるからかもしれないが、相手はなかなかの好青年だし、いい男性と巡り会えたと喜んでいる。
これらについては、機会をみつけて、もう少し書くつもりだ。
そして、大好きな音楽はというと、今年に入って月一回ペースでコンサートを聴いてきたが、3月も一回だけ実演を聴いた。
その唯一のコンサートが、昨日聴いたBCJのヨハネ受難曲。
私の中で神のような存在であるマタイ受難曲は、もう何回も生で演奏を聴いてきた。
そして、そのたびに涙してきた。
一方、ヨハネ受難曲の方はLPやCDで何十回も聴いてきたにもかかわらず、生で聴くのは実は今回が初めて。
今回の公演は大好きなBCJだし、地元のさいたま芸術劇場で聴けるということもあり、色々な意味で心待ちにしていた。
しかし、この日のヨハネは、私のそんな期待を大きく上回る圧倒的な名演だった。
冒頭の合唱を聴きながら、私は背筋を伸ばし、思わず座りなおす。
それほど厳しい音楽が、眼前で始まっていた。
マエストロの要求に応じて、容赦ないアクセントを伴いながら、贅肉のかけらもない引き締まった表情で音楽は進んでいく。
しかし、厳しくはあっても、決して冷たくならないところがBCJの真骨頂だ。
3番の感動的なコラール「大いなる愛」あたりから、私たちはますますヨハネの深遠な世界に引き込まれていく。
そして、11番の「誰なのですか?あなたを打ちすえるのは」を聴きながら、私は目頭が熱くなった。
第2部は、さらに素晴らしい。
19番のバスのアリオーソの何と感動的だったことか。
野入さんのリュートも文字通り絶品。
何年か前にコルボがラ・フォル・ジュルネでマタイをやったときに、彼女が「甘き十字架」で聴かせてくれた素晴らしい演奏を思い出した。
第22番のコラール「あなたの捕らわれによって、神の子よ」は、まさにこの日のクライマックス。
リヒターのように力強く勇気づけるコラールではない。
しかし、一切の虚飾を排し、ピュアで優しくそしてヒューマンに歌いあげられた彼らの音楽は、今思い出しても震えるほどの感動を覚える。
わずか1分足らずの音楽だったが、生涯決して忘れることはないだろう。
また、悲しみに静かに耐えながらも「成し遂げられた」とアルトが歌う30番のアリアの美しさ、そしてアルトにぴったり寄り添うヴィオラ・ダ・ガンバの素朴な味わいも、私の心に深く響いた。
そして、終曲のコラールの前に置かれた39番の合唱の高揚感は、やはり圧倒的。
マタイの終曲との関連で語られることの多い音楽だけど、私は聴きながらモツレクの「ラクリモーザ」の面影が、ずっと重なっていた。
この日のヨハネは、前述の通り私にとって初めて聴いた実演だったが、本当に凄い音楽、そして凄い演奏だった。
ドライヴをかけて、「どう?感動的な音楽でしょ。しっかり聴いてね」といったわざとらしい表現は、一音たりともない。
自然に湧きあがってくるピュアな音楽が、人をこれほどまでに感動させてくれることに、私はいまさらながら感動した。
集中力を切らさずに空間と時間を最後まで共有できた素晴らしい聴衆、席数こそ600席あまりだけど木の温もりとともに抜群の音響を誇るホール、そして何と言っても献身的な演奏を聴かせてくれたBCJの皆さん、そのすべてに対して、心からありがとうと言いたい。
<日時>2013年3月30日(土)16:00開演
<会場>彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
<出演>
■鈴木雅明(指揮)
■ジョアン・ラン(ソプラノ)
■青木洋也(カウンターテナー)
■ゲルト・テュルク(テノール)
■ドミニク・ヴェルナー(バス)
■バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱・管弦楽)
<曲目>J. S. バッハ:ヨハネ受難曲 BWV 245
今月は、公私ともに思い出深い月だった。
「公」の部分では、年金の専門誌へ特集記事として寄稿したことが最も大きな出来事。
得難い機会を与えて下さった専門誌の編集部の方には、大いに感謝している。
一方、「私」の部分では、母二人そして私たち夫婦の4人で山形のかみのやま温泉に旅行したことと、娘の婚約というのが2大イベントだった。
高齢の母たちと一緒に旅行するなんて、お互いの予定と健康状態が全てクリアされないと実現できないと思うので、大袈裟な言い方をすれば奇跡的なことだったかもしれない。
でも、旅行そのものも楽しかったし、少しは親孝行ができたかな。
また二つ目の「娘の婚約」も、親としては極めて大きな出来事だった。
とくに父親としては(笑)
でも、贔屓目にみるからかもしれないが、相手はなかなかの好青年だし、いい男性と巡り会えたと喜んでいる。
これらについては、機会をみつけて、もう少し書くつもりだ。
そして、大好きな音楽はというと、今年に入って月一回ペースでコンサートを聴いてきたが、3月も一回だけ実演を聴いた。
その唯一のコンサートが、昨日聴いたBCJのヨハネ受難曲。
私の中で神のような存在であるマタイ受難曲は、もう何回も生で演奏を聴いてきた。
そして、そのたびに涙してきた。
一方、ヨハネ受難曲の方はLPやCDで何十回も聴いてきたにもかかわらず、生で聴くのは実は今回が初めて。
今回の公演は大好きなBCJだし、地元のさいたま芸術劇場で聴けるということもあり、色々な意味で心待ちにしていた。
しかし、この日のヨハネは、私のそんな期待を大きく上回る圧倒的な名演だった。
冒頭の合唱を聴きながら、私は背筋を伸ばし、思わず座りなおす。
それほど厳しい音楽が、眼前で始まっていた。
マエストロの要求に応じて、容赦ないアクセントを伴いながら、贅肉のかけらもない引き締まった表情で音楽は進んでいく。
しかし、厳しくはあっても、決して冷たくならないところがBCJの真骨頂だ。
3番の感動的なコラール「大いなる愛」あたりから、私たちはますますヨハネの深遠な世界に引き込まれていく。
そして、11番の「誰なのですか?あなたを打ちすえるのは」を聴きながら、私は目頭が熱くなった。
第2部は、さらに素晴らしい。
19番のバスのアリオーソの何と感動的だったことか。
野入さんのリュートも文字通り絶品。
何年か前にコルボがラ・フォル・ジュルネでマタイをやったときに、彼女が「甘き十字架」で聴かせてくれた素晴らしい演奏を思い出した。
第22番のコラール「あなたの捕らわれによって、神の子よ」は、まさにこの日のクライマックス。
リヒターのように力強く勇気づけるコラールではない。
しかし、一切の虚飾を排し、ピュアで優しくそしてヒューマンに歌いあげられた彼らの音楽は、今思い出しても震えるほどの感動を覚える。
わずか1分足らずの音楽だったが、生涯決して忘れることはないだろう。
また、悲しみに静かに耐えながらも「成し遂げられた」とアルトが歌う30番のアリアの美しさ、そしてアルトにぴったり寄り添うヴィオラ・ダ・ガンバの素朴な味わいも、私の心に深く響いた。
そして、終曲のコラールの前に置かれた39番の合唱の高揚感は、やはり圧倒的。
マタイの終曲との関連で語られることの多い音楽だけど、私は聴きながらモツレクの「ラクリモーザ」の面影が、ずっと重なっていた。
この日のヨハネは、前述の通り私にとって初めて聴いた実演だったが、本当に凄い音楽、そして凄い演奏だった。
ドライヴをかけて、「どう?感動的な音楽でしょ。しっかり聴いてね」といったわざとらしい表現は、一音たりともない。
自然に湧きあがってくるピュアな音楽が、人をこれほどまでに感動させてくれることに、私はいまさらながら感動した。
集中力を切らさずに空間と時間を最後まで共有できた素晴らしい聴衆、席数こそ600席あまりだけど木の温もりとともに抜群の音響を誇るホール、そして何と言っても献身的な演奏を聴かせてくれたBCJの皆さん、そのすべてに対して、心からありがとうと言いたい。
<日時>2013年3月30日(土)16:00開演
<会場>彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
<出演>
■鈴木雅明(指揮)
■ジョアン・ラン(ソプラノ)
■青木洋也(カウンターテナー)
■ゲルト・テュルク(テノール)
■ドミニク・ヴェルナー(バス)
■バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱・管弦楽)
<曲目>J. S. バッハ:ヨハネ受難曲 BWV 245