ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

バッハ:「ヨハネ受難曲」 by バッハ・コレギウム・ジャパン (3/30) @彩の国さいたま芸術劇場

2013-03-31 | コンサートの感想
3月も今日で終わり、明日からは4月というよりも新年度が始まる。
今月は、公私ともに思い出深い月だった。
「公」の部分では、年金の専門誌へ特集記事として寄稿したことが最も大きな出来事。
得難い機会を与えて下さった専門誌の編集部の方には、大いに感謝している。
一方、「私」の部分では、母二人そして私たち夫婦の4人で山形のかみのやま温泉に旅行したことと、娘の婚約というのが2大イベントだった。
高齢の母たちと一緒に旅行するなんて、お互いの予定と健康状態が全てクリアされないと実現できないと思うので、大袈裟な言い方をすれば奇跡的なことだったかもしれない。
でも、旅行そのものも楽しかったし、少しは親孝行ができたかな。
また二つ目の「娘の婚約」も、親としては極めて大きな出来事だった。
とくに父親としては(笑)
でも、贔屓目にみるからかもしれないが、相手はなかなかの好青年だし、いい男性と巡り会えたと喜んでいる。
これらについては、機会をみつけて、もう少し書くつもりだ。

そして、大好きな音楽はというと、今年に入って月一回ペースでコンサートを聴いてきたが、3月も一回だけ実演を聴いた。
その唯一のコンサートが、昨日聴いたBCJのヨハネ受難曲。
私の中で神のような存在であるマタイ受難曲は、もう何回も生で演奏を聴いてきた。
そして、そのたびに涙してきた。
一方、ヨハネ受難曲の方はLPやCDで何十回も聴いてきたにもかかわらず、生で聴くのは実は今回が初めて。
今回の公演は大好きなBCJだし、地元のさいたま芸術劇場で聴けるということもあり、色々な意味で心待ちにしていた。
しかし、この日のヨハネは、私のそんな期待を大きく上回る圧倒的な名演だった。

冒頭の合唱を聴きながら、私は背筋を伸ばし、思わず座りなおす。
それほど厳しい音楽が、眼前で始まっていた。
マエストロの要求に応じて、容赦ないアクセントを伴いながら、贅肉のかけらもない引き締まった表情で音楽は進んでいく。
しかし、厳しくはあっても、決して冷たくならないところがBCJの真骨頂だ。
3番の感動的なコラール「大いなる愛」あたりから、私たちはますますヨハネの深遠な世界に引き込まれていく。
そして、11番の「誰なのですか?あなたを打ちすえるのは」を聴きながら、私は目頭が熱くなった。

第2部は、さらに素晴らしい。
19番のバスのアリオーソの何と感動的だったことか。
野入さんのリュートも文字通り絶品。
何年か前にコルボがラ・フォル・ジュルネでマタイをやったときに、彼女が「甘き十字架」で聴かせてくれた素晴らしい演奏を思い出した。

第22番のコラール「あなたの捕らわれによって、神の子よ」は、まさにこの日のクライマックス。
リヒターのように力強く勇気づけるコラールではない。
しかし、一切の虚飾を排し、ピュアで優しくそしてヒューマンに歌いあげられた彼らの音楽は、今思い出しても震えるほどの感動を覚える。
わずか1分足らずの音楽だったが、生涯決して忘れることはないだろう。

また、悲しみに静かに耐えながらも「成し遂げられた」とアルトが歌う30番のアリアの美しさ、そしてアルトにぴったり寄り添うヴィオラ・ダ・ガンバの素朴な味わいも、私の心に深く響いた。
そして、終曲のコラールの前に置かれた39番の合唱の高揚感は、やはり圧倒的。
マタイの終曲との関連で語られることの多い音楽だけど、私は聴きながらモツレクの「ラクリモーザ」の面影が、ずっと重なっていた。

この日のヨハネは、前述の通り私にとって初めて聴いた実演だったが、本当に凄い音楽、そして凄い演奏だった。
ドライヴをかけて、「どう?感動的な音楽でしょ。しっかり聴いてね」といったわざとらしい表現は、一音たりともない。
自然に湧きあがってくるピュアな音楽が、人をこれほどまでに感動させてくれることに、私はいまさらながら感動した。
集中力を切らさずに空間と時間を最後まで共有できた素晴らしい聴衆、席数こそ600席あまりだけど木の温もりとともに抜群の音響を誇るホール、そして何と言っても献身的な演奏を聴かせてくれたBCJの皆さん、そのすべてに対して、心からありがとうと言いたい。

<日時>2013年3月30日(土)16:00開演
<会場>彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
<出演>
■鈴木雅明(指揮)
■ジョアン・ラン(ソプラノ)
■青木洋也(カウンターテナー)
■ゲルト・テュルク(テノール)
■ドミニク・ヴェルナー(バス)
■バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱・管弦楽)
<曲目>J. S. バッハ:ヨハネ受難曲 BWV 245
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テレマン:忠実な音楽の師から  リコーダー・ソナタ ハ長調 TWV 41-C2

2013-03-03 | CDの試聴記
痒い。
眼も鼻も喉も、挙句の果てに耳までも・・・
いよいよ今年も花粉大魔王のお出ましだ。
年末からアレジオンを飲んで、大魔王の襲来に備えてきたつもりだけど、今年の大魔王は手強い。
哀れ一撃でダメージを受けてしまった。
相性のいい目薬のリボスチンも、こうなるとさすがにお手上げだ。
我慢できずに目をこするから、あっという間に目が真っ赤になってしまう。
今週はセミナーもあるので、真っ赤な目をして臨むわけにはいかないし、何とかしなきゃ(泣)。

さて、昨日CSのスカイ・Aで、高校野球名将列伝という番組を放送していた。
第一回目は、石川県の星陵高校の山下智茂元監督。
30分という短い時間だけど、実に内容の濃い番組だった。
大阪桜宮高校の不幸な事件があった後だけに、山下元監督の言葉ひとつひとつが私の心を捉えて離さない。
その中から、とくに印象的な言葉をご紹介する。

「リーダーは一生懸命情熱を持っていれば、子供たちは分かってくれる」
「ノックは対話だ。一人一人の限界は違うから、声を掛けあいながら、限界にどう挑戦していくかということが最も大切。今の若い監督さんは、そういう限界を伸ばしてやることが、なかなかできない。だから生徒は素材だけで伸びている。各人ごとに限界を伸ばす精神力の強さをつけてやることが大事だ。」
「自分には二人の山下がいる。鬼の山下と仏の山下。ノックをしているときの自分は鬼の山下だけど、どんな時でも鬼の中に愛情がなければいけないと思っている。」

また、希代のスラッガー松井秀喜が高校時代天狗になりかけた時に、彼を諭した言葉が興味深い。
山下先生:「おい悪魔」
松井選手:「僕は悪魔じゃありません」
山下先生:「違う。『おいあくま』というのは次の意味だ。憶えておきなさい」
 おごるな~いばるな~あせるな~くさるな~まような
まさに至言。

そして、こんな言葉もあった。
「野球は9人しかレギュラーになれない。でも、社会に出たら全員がレギュラーだ。だから社会で通用する人間になれるように3年間を送りなさい。そして皆人生の勝利者になってほしい。」
何と素晴らしい言葉だろうか。
こんな先生、こんな監督に教えを受けることができた生徒たちは、本当に幸せだったと思う。

最後に、最近音楽で嬉しかったこと。
それは、テレマンのこのトリオソナタの作品名を見つけられたことだ。
30年くらい前に、たしかトーレンスのプレーヤーを買った時だっただろうか、非売品のオルトフォンのデモディスク(勿論LPレコード)をもらった。
その中に、「テレマンのトリオソナタハ長調」というクレジットとともに、この曲が入っていた。
第二楽章のアレグロだったが、私は聴いた瞬間、大好きになった。
演奏も躍動感に富んでいたし、オルトフォンのサンプルらしく実に素晴らしい音で録音されていたのだ。

しかし、残念ながら、正確な作品名が解らない。
その後、テレマンの作品集を何種類も買って聴いてみたのだが、この曲は入っていなかった。
そんなこともあって、私自身、半ば諦めかけていた。
ところが、この曲との再会は突然やってきた。
ブリュッヘンのテルデックの全集を順に聴き進むうちに、この曲を発見したのだ。
「あっ、この曲だ」
私は思わず叫んでいた。
大袈裟ではなく、30年前に別れた恋人に再会したような気分だった。
しかも、演奏はブリュッヘン・レオンハルト・ビルスマと言う黄金のトリオ。
悪かろうはずはない。
30年の空白を埋めるかのように、嬉しくて何回も何回も聴いている。
しばらくは、この中毒状態が続くことだろう。

■忠実な音楽の師から リコーダー・ソナタ ハ長調 TWV 41:C2
(演奏)F. ブリュッヘン / A. ビルスマ / G. レオンハルト
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