ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

スクロヴァチェフスキ&読響 ブラームス交響曲第1番ほか

2007-09-29 | コンサートの感想
28日に観たベルリン国立歌劇場の『ドン・ジョヴァンニ』の興奮も冷めやらぬまま、今日は読響マチネへ行ってきました。
バレンボイムの凄さを強烈に印象付けられた昨日の『ドン・ジョヴァンニ』の感想を先に書くべきなのですが、『ドン・ジョヴァンニ』は明日書くことにして、今日は読響マチネのレビューを書くことにします。
それだけ大きな感銘を受けたのです。

<日時>2007年9月29日(土) 午後2時開演
<会場>東京芸術劇場
<曲目>
■バッハ(スクロヴァチェフスキ編曲):トッカータとフーガ ニ短調
■ショパン:ピアノ協奏曲第2番
■ブラームス:交響曲第1番
<演奏>
■ピアノ:エヴァ・クピーク
■指 揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
■管弦楽:読売日本交響楽団

今日のマエストロは、常任指揮者のスクロヴァチェフスキ。
まず舞台をみて「あれっ」と思ったのは、いつもとチェロとヴィオラの位置が逆なのです。つまりヴィオラが1stヴァイオリンの対面にきています。
最初の曲は、マエストロ自身の編曲によるバッハのトッカータとフーガ。
ヴァイオリンの非常に高い音から始まるアレンジでしたが、いわゆる華麗な編曲ではなく、壮麗だけど常にオルガンの響き・音色が聴こえてくるような編曲でした。
私は、このアレンジがとても気に入りました。
それから特筆したいのは、弦楽器の音色の美しさ。
いつも素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれている弦楽器ですが、音色もこんなに綺麗だったかしら。



前半のメインは、ショパンのピアノ協奏曲第2番。
ソリストは、ポーランド生まれで、1992年のミュンヘン音楽コンクールの覇者でもある女流ピアニストのエヴァ・クピーク。
オケの響きがとにかく見事です。バッハ同様、とりわけ弦の濡れたような音色、弱音部の表現力に痺れました。
そして神経が曲の隅々まで行き届いていることが、痛いほど伝わってきます。
一方、クピークのピアノはしっかりとした打鍵で音を響かせるのですが、表現は丁寧で、これまた神経の行き届いた演奏。
妙な表現で恐縮ですが、「ショパンの名に甘えない」演奏だった。
作品そのものに対するレスペクトの念を、非常に強く感じる演奏でした。

さて、今日のメインはブラームスの1番。
冒頭の響きを聴いて、早くも「ああ、ブラームス」と感じました。
そして、オーケストラのメンバーの一人一人が、スクロヴァチェフスキの指揮で演奏することに無上の喜びを感じています。
読響の猛者たちが、必死に、懸命に演奏しているのです。
マエストロに対するレスペクトの気持ちが直接伝わってくるような演奏は、聴き手にとっても嬉しいものです。

スクロヴァチェフスキのブラームスの特徴は、常に見通しがいいこと。
そして細部をおろそかにしません。
だから、響きそのものは分厚いのに絶対団子になったりしないのです。
この日の演奏では、豊かにこくを持った響きが印象的な第1楽章、歌心に溢れた第2楽章に続いて、第3楽章を少し遅めのテンポで演奏し、終楽章のホルンのコラールを自然に導きます。
その後、毅然としたアウフタクトからアレグロの主部を開始するマエストロ。
細かなモティーフを大切にしつつ、テンポはかなり細かく動かしますが、わざとらしさや安っぽさを感じさせないのは、やはり大家の芸。
そして、相当音楽が熱くなってきていたので、雰囲気的に一気呵成にコーダを駆け抜けるけるのかと思いきや、その手前で少しテンポを落とし、きちっと体制を整えて堂々たるエンディング。
私は、ごく自然に「ブラヴォー」と叫んでいました。

こんなブラームス、そうは聴けません。




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リヒテル 「平均律:インスブルックライヴ」 発売中止!

2007-09-25 | その他
先日、HMVのホームページで、リヒテルのあの名盤「平均律:インスブルックライヴ」が国内正規盤として正式にリリースされる旨、報じられていました。
この演奏の素晴らしさと希少性はつとに有名で、この秋最大の話題になるんじゃないかと秘かに期待していたのですが、またしても発売中止になってしまいました。
まさに「幻の名盤」の面目躍如といったところでしょうか。(笑)
私は、偶然に中国盤を入手することができて、この演奏の素晴らしさにぞっこん惚れこんでいるのですが、今回の国内盤がリリースされたら絶対ゲットするつもりでした。
もう少し気長に待つしかなさそうですね。

さて、本日新しく福田内閣が誕生しました。
派閥の領袖を集めた旧時代的な体制の党執行部だとか、閣僚が変わり映えしないのは新たな意欲がないからだとか、いろいろ揶揄されているようですが、私に言わせればそんなことはどうだっていい。
「選ばれたお一人お一人が、岐路に立たされた日本という国を真剣に立て直す気概があるか。」
私の関心は、この一点に尽きます。

大学の経営財務のゼミで学んだ2つの重要なことを思い出しました。
①ゴーイング・コンサーン(going concern)
企業というものは永遠に継続するもの(going concern)であって、企業会計では、企業は継続して存在していることを前提にする。
②会社の存在目的は株主の利益を最大化すること。

①の企業を「日本」に、②の会社を「内閣」、株主を「国民」と置き換えれば、新内閣の使命になるのではないでしょうか。
もはや迷っている時間はありません。
真摯な姿勢で全力で取り組み、何としても結果を出していただきたいと思います。


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フィンジ クラリネット協奏曲 ハ短調 op31

2007-09-24 | CDの試聴記
フィンジのクラリネット協奏曲。
私の大好きなコンチェルトのひとつです。
yokochanさまの投稿に触発されて、久しぶりに聴きました。

クラリネットは、あらゆる楽器の中でも表現力という点で抜きん出ているのではないでしょうか。
消え入るような最弱音から、強烈なアクセントをもった音まで、このディスクのストルツマンのような名人の手にかかると、およそ不可能なことはないように思えてきます。
このフィンジのコンチェルトは、バックがフルオーケストラではなく弦楽合奏になっていますが、これが非常に効果的。
濡れたような表現を得意とする弦楽アンサンブルが相手だけに、クラリネットの多彩な表現力がより活きてくるのです。
弦と管の音色の違いも、大きくものをいっています。

第1楽章
冒頭、弦楽アンサンブルがショスタコーヴィッチ風の響きで悲痛な叫びを表現した後、クラリネットが入ってくると、音楽の表情はやや柔らかくなりますが、曲調は依然として哀しいままです。
しかし、クラリネットの音色は物悲しいけど、弦のように絶望の縁に沈み込ませることはありません。
フィンジがあえてバックを弦楽器に絞った理由が、何となく分かるような気がします。
そして、ラストのクラリネットのトリル。
これは強烈!まことに強烈!
私は鳥肌がたちました。

第2楽章は、黄昏の音楽。
ゆっくり、そしてしみじみとクラリネットと弦が互いに語りあう音楽は、フィンジならでは。
そして、ラストでクラリネットが奏でる響きの美しいこと。
消え入るようなピアニッシモはストルツマンの名技もあいまって、私の胸に深く迫ってきます。

第3楽章は、ロンド。
冒頭、弦楽器がやや不安定な表情をみせますが、その後不吉な雲がさっと消えて、クラリネットが明るいロンド主題を奏でます。
まさに晴天の音楽。
この主題のなんと魅力的なこと。
一度聴いたら絶対忘れられないでしょう。そしてコンサートでこの曲を聴いた人がいたとしたら、帰り道に、絶対口ずさみたくなるような旋律です。
しかもこの楽章はロンドです。
ロンドはご承知の通り「ABACABA」という形でできていますので、Aの部分に当たるこのチャーミングなメロディを、聴き手は手を変え品を変えて何回も聴くことができるのです。
そして、このロンドでもラストに第1楽章同様トリルがでてきますが、こちらは生気に満ちたトリルです。
手の中に大切にしまっておいた「幸福感」を、ぱぁっと大空へ放つようなトリルです。
素敵な音楽だなぁ。

「ミスターフィンジ、ありがとう。」
私はこのロンドを聴くたびにそう思います。


<曲目>
■モーツァルト:クラリネット協奏曲 K.622
■フィンジ:クラリネット協奏曲 Op.31
<演奏>
■リチャード・ストルツマン(Cl)
■シュナイダー指揮 イギリス室内管弦楽団[モーツァルト]
■サルター指揮 ギルドホール弦楽アンサンブル[フィンジ]
<録音>
■1980年8月21&22日[モーツァルト]
■1990年3月27-31日[フィンジ]
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オーケストラアンサンブル豊島 第4回 定期演奏会

2007-09-23 | コンサートの感想
今日は、ブログ仲間のおさかな♪さんも出演される「オーケストラアンサンブル豊島 第4回定期演奏会」に行ってきました。

<日時>2007年9月23日(日・祝)14:00開演
<会場>文京シビックホール 大ホール
<曲目>
■ベルリオーズ:ローマの謝肉祭
■グノー:歌劇「ファウスト」よりバレエ組曲 (7曲)
■ベートーヴェン:交響曲第7番
(アンコール)
■ヨハン・シュトラウス 「ピチカート ポルカ」
■ヨハン・シュトラウス ポルカ「雷鳴と稲妻」
<演奏>
■指揮 小森 康弘
■オーケストラアンサンブル豊島

このオケを聴くのは4回目になりますが、毎回選曲が魅力的で、何よりも音楽に対する奇をてらわない真摯な取り組みに私は惹かれています。
今回の定期演奏会は、例年の新宿文化センターではなく、春の名曲コンサートに続いて文京シビックホールが会場になっていました。
前半がフランス・ロマン派の音楽、後半がベートーヴェンの7番というプロ。

前半冒頭の序曲は、序奏の後のイングリッシュホルンが何とも見事!
ベルリオーズの音楽に絶対必要な「弾力性」が感じられ、いいオープニングだったのではないでしょうか。
前半のメインは、グノーのファウストから7曲のバレエ音楽。
最初の2曲はやや重かったのですが、3曲目のヌビア娘の踊りから俄然生気が出てきました。
ステージにダンサーの姿が見えるような音楽になってきたのです。
有名な「若いトロイ娘たちの踊り」はひたすら美しく、フィナーレは豪快に決めてくれました。

後半は、ベートーヴェンの7番。
格調高いベートーヴェンでした。
いたずらにテンポに変化をつけたり、小細工をしないところが気に入りました。
全体的にインテンポを意識した演奏で、アクセルを全開にしたのはフィナーレのラストだけ。
気のついたところをいくつか書きます。
第1楽章は、ティンパニの女性の叩き方が常にスパッと決まっていて、とても気持ちよかった。それからオーボエをはじめとする木管がとても美しかった。
この楽章では、旋律とバスの動きだけで形を作ろうとする演奏にもときどき出会いますが、アンサンブル豊島の演奏は違いました。第2ヴァイオリンやヴィオラといった内声部も細かい音型を頑張って弾いていたので、音楽が非常に立体的に聴こえるのです。
第2楽章では、昨秋来日したアーノンクールのように痺れるような弱音をベースにした音楽ではなく、どちらかというと全体にしっかり音を出して、その中でバランスをとっているような演奏でした。弦楽器がとても美しかったなぁ。
最後はピチカートではなく譜面どおりアルコ。
フィナーレは、ウラのアクセントが最後まで良く効いていました。
とても見通しのいい演奏で、だからこそコーダの爆発が効果的だったと思います。
大きなブラヴォーの声もかかっていました。

アンコールは、グノーの「ファウスト第3幕のワルツ」あたりではないかと勝手に想像していたのですが、ヨハン・シュトラウスのポルカが2曲でした。
ところが、この2曲が秀逸!
なかでも2曲目の「雷鳴と稲妻」は強烈でした。
この日一番の演奏だったかもしれません。
こんなのりのりの演奏をアンコールで演奏できるなんて・・・。
このオケ、まだまださらなる潜在能力がありそうです。

次回はシベ2がメインらしいので、北欧音楽好きの私としてはまた聴きにいかなくちゃ。

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ルチア・ポップ&バイエルン国立歌劇場 オペラ名場面集

2007-09-19 | CDの試聴記
我が愛するタイガースが、球史に残る死闘を繰りひろげています。
残念ながら今日は大敗したようですが、選手ひとりひとりが自らのドラマを持って毎日戦ってくれている姿に、私は本当に感動しています。
書きたいことは山ほどありますが、書いてしまうと何か急にすべてが終わってしまいそうな気がするので、タイガースの話は、ひとまずここまでにします。

さて、今日は無性にルチア・ポップの歌が聴きたくなって、採りあげたのがこのディスク。
ポップの歌を初めて聴いたのは、クレンペラーが指揮した「魔笛」の夜の女王だったと思います。
当時大学生でしたから、卓上ステレオに毛の生えたような貧しい再生装置で聴いていましたが、LPに針を落として、美しいタミーノのアリアの後に聴こえてきたポップの夜の女王の印象は、いまも鮮烈に覚えています。
私がそこでみたのは、復讐に燃えて絶叫するこわーい女王様ではなくて、とにかく一途でひたむきなひとりの女性。こんなにピュアで瑞々しい夜の女王は、今でも滅多に聴けないのではないかしら。
容姿もチャーミングで、舞台ではとにかく華のあるひとでした。

このディスクは、そんなポップがバイエルン国立歌劇場で歌ったオペラの名場面を集めたもので、オルフェオからリリースされたときは随分話題になりました。
今聴きなおしても、とくにカルロス・クライバーの指揮で歌った「ばらの騎士」のポップ演じるゾフィーは、モノラル録音ながら本当に素晴らしい。
カルロス・マジックとしか形容できない生々しい描写が、いままさに舞台をみているような気持ちにさせてくれます。
第3幕ラストの有名な3重唱からオクタヴィアンとゾフィーの2重唱へ移るあたりの美しさは、もう言葉になりません。
この「ばらの騎士」は、つい最近チューリッヒオペラで開眼したばかりでしたから、よけいに感動したのかもしれませんが、とにかく旋律と歌詞が憎らしいほどぴったり合っているんです。
本当に素敵な音楽だなぁ。

他に収録されているモーツァルトも「アラベラ」も素晴らしいのひとことですが、
最後の「ジャンニ・スキッキ~私のお父さん」には、思わずほろりとさせられました。
私にも20歳の娘がおりますが、いつの日か、このポップの歌うラウレッタのように私に言ってくるのでしょうか。
寂しいような、一方でどこかうれしいような、複雑な気持ちになるんでしょうね。
でも、このディスクのルチア・ポップのように、一途な気持ちを素直に伝えてくれたら、きっと是非もなく許しちゃいそうです。(笑)


《R.シュトラウス:「バラの騎士」から》
■クレア・ワトソン(元帥夫人),
■ブリギッテ・ファスベンダー(オクターヴィアン)
■ルチア・ポップ(ゾフィー)
■カルロス・クライバー(指揮)
■バイエルン国立歌劇場
■録音:1972年4月20日

《モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」から》
■ルッジェーロ・ライモンディ(ドン・ジョヴァンニ),
■ルチア・ポップ(ツェルリーナ),
■エンリーコ・フィッソーレ(マゼット)
■ヴォルフガング・サヴァリッシュ(指揮)
■バイエルン国立歌劇場
■録音:1973年7月12日

《モーツァルト:「フィガロの結婚」から》
■ルチア・ポップ(スザンナ),
■ヴォルフガング・ブレンデル(伯爵)
■ヴォルフガング・サヴァリッシュ(指揮)
■バイエルン国立歌劇場
■録音:1983年7月13日

《ベートーヴェン:「フィデリオ」から》
■ルチア・ポップ(マルツェリーネ)
■カール・ベーム(指揮)
■バイエルン国立歌劇場
■録音:1978年1月30日

《ニコライ:「ウィンザーの陽気な女房たち」から》
■ルチア・ポップ(フルート夫人)
■ヴォルフガング・サヴァリッシュ(指揮)
■バイエルン国立歌劇場
■録音:1983年10月15日

《R.シュトラウス:「アラベラ」から》
■ルチア・ポップ(アラベラ)
■ヴォルフガング・ブレンデル(マンドリーカ)
■ヴォルフガング・サヴァリッシュ(指揮)
■バイエルン国立歌劇場
■録音:1983年12月25日

《プッチーニ:「ジャンニ・スキッキ」から》
■ルチア・ポップ(ラウレッタ)
■ヴォルフガング・サヴァリッシュ(指揮)
■バイエルン国立歌劇場
■録音:1982年12月17日
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軽井沢国際音楽祭2007 室内楽シリーズⅠ

2007-09-12 | コンサートの感想
随分遅いコンサートレビューになってしまいましたが、8月30日に聴いた『軽井沢国際音楽祭2007』の室内楽コンサートの感想を。
全体は3部構成で、それぞれ独立したコンサートです。
今回は妻と一緒に聴きに行ったのですが、せっかくの機会なので、私たちは3部とも聴くことにしました。
ひとつのコンサートが1時間。30分の休憩を挟んでまた次のコンサートという感じで進んでいきますので、最後まで聴くと、ちょうどオペラを観たときのような時間配分になります。

それから、ひとつのコンサートのチケットは1,500円ですから、3つ全部聴いても4,500円。
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンと同じような感じといえばお分かりいただけるでしょうか。
ただ、決定的に違うのはホール。
大賀ホールはとにかく美しいし、何より響きが素晴らしい。
室内楽を前提に考えたら、国内でもトップクラスだと思います。
そんな一流の器に、一流の演奏家。
ちょっと遅めの夏休みでしたが、最高の贅沢をさせてもらいました。
以下、簡単に振り返ってみます。

<日時>2007年8月30日(木)
<会場>軽井沢大賀ホール

【第1部】 ロシア、大地の響き ~ ルドヴィート・カンタの世界
17:00~
<曲目>
■グラズノフ:夜想曲,吟遊詩人の歌
■リムスキー=コルサコフ:熊蜂の飛行
■チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」
<演奏>  
■漆原啓子(ヴァイオリン)
■ルドヴィート・カンタ(チェロ)
■野平一郎(ピアノ)
<感想>
コンサートに先立って、マイクロソフトの平井康文さんがプレトークをされていましたが、ウィットに富んだとても素敵なトークでした。
さて、冒頭のグラズノフは少し音程が甘い感じがしましたが、カンタのチェロはとてもつややかで美しい。一方、「熊蜂の飛行」ではヴラヴーラな雰囲気がよく伝わってきました。
それから印象に残ったのは野平さんのピアノ。
響きが美しいし弾力性があるので、音楽に心臓の鼓動のようなものを与えてくれるのです。
メインのチャイコフスキーは、今年5月にラ・フォル・ジュルネで聴いたクニャーゼフやベレゾフスキーたちのような超ど級の演奏ではありませんが、もっと身近なところに豊かさ・美しさを感じさせてくれる演奏でした。とくに最後のテーマに移るところがとても自然で好感を持ちました。


【第2部】 パリ、ベル・エポック ~ ジェラール・プーレの世界   
18:30~
<曲目>
■ドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ
■ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲
■ラヴェル:ピアノ三重奏曲
<演奏>
■ジェラール・プーレ、漆原啓子(ヴァイオリン)
■ヴォルフガング・ヴェルファー(ヴィオラ)
■藤森亮一(チェロ)
■吉田秀(コントラバス)
■宮崎由美香(フルート)
■早川りさこ(ハープ)
■野平一郎(ピアノ)
<感想>
普段聴きたくても、なかなか聴けないような素敵な選曲。
演奏も素晴らしかった。
冒頭のドビュッシーの珍しい編成のソナタは、とにかくその色彩感にうっとり。
まさに別世界でした。
2曲目の舞曲では、8分の6拍子のリズムが心地よい。
横に流れるような弦、それを見ながら縦に展開するハープ、そんな印象でした。
ラストのラヴェルのトリオでは、第2楽章がもう少し速ければと思いましたが、とくに第3楽章が素敵でした。
軽井沢でこんな素晴らしい曲が聴けるとは・・・。
本当にラッキーです。


【第3部】 世紀を超えた珠玉の名曲 ~ 横川晴児の世界
20:00~
<曲目>
■バルトーク:コントラスツ
■モーツァルト:クラリネット五重奏曲
<演奏>
■ジェラール・プーレ、漆原啓子、荒井章乃(ヴァイオリン)
■ヴォルフガング・ヴェルファー(ヴィオラ)
■ルドヴィート・カンタ(チェロ)
■横川晴児(クラリネット)
■野平一郎(ピアノ)
<感想>
バルトークのコントラスツは、作曲者とベニー・グッドマン、シゲティという初演者たちのCDを聴いたことがありますが、この日の演奏も負けず劣らず素敵でした。とくに漆原啓子さんのヴァイオリンが良かったなぁ。
第1楽章から早くもリズムが面白いのですが、私には「のむー、ことー、すなわち喜びさ、喜びの酒、松○△」のリズムに聴こえます。
そのあと「春の祭典」風のフレーズやスパイ大作戦のテーマのようなものが出てきたりで、思いっきり楽しい曲ですね。
さて、大トリは名作モーツァルトのクラリネット五重奏曲。
名作の名に恥じない名演奏だったと思います。
とくにクラリネットの横川さんが、目茶目茶上手いです。
こんなに軽々と、しかも美しくしなやかに吹ける人は少ないでしょう。
ヴァイオリンのブーレの音色がやや細身であったことを除いて大満足のクインテットでした。
本音で言うと、漆原さんに是非ファーストを弾いてもらいたかったなぁ。

贅沢をいうのはそのくらいにして(笑)、この日は霧深く何とも幻想的な雰囲気を持った軽井沢でございました。
(画像は、霧の中の大賀ホールです)


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チューリッヒ歌劇場 R. シュトラウス:歌劇『ばらの騎士』

2007-09-10 | オペラの感想
8日の土曜日は、チューリッヒ歌劇場来日公演の最終日。
初日の『椿姫』に続いて、もうひとつの演目である『ばらの騎士』を観てきました。

『ばらの騎士』は正直に告白しますと、私がどんなに近づいていっても、向こうから決して手をさしのべてくれない作品でした。
決して嫌いじゃないし、旋律もハーモニーもとびきり美しいし、台本も良くできている。
リヒャルト・シュトラウスの最高傑作であることについて、何の異論もないけど、どうも私の中でしっくりこなかったのです。
ひとことで言えば、「苦手なオペラ」でした。

しかし、この日の舞台を観て(実際にこのオペラをみるのは初めて!)、私の中で奇跡が起こりました。
いままで、しっくりこなっかた部分がことごとく氷解し、もう全面的に私のほうに歩み寄ってくれたのです。
舞台を観ながら、聴きながら、もう私はこのオペラにすっかり心を奪われていました。
目の前で素晴らしい舞台を見せてくれている演奏者たちと、オーチャードホールの同じ時間・空気を共有できたことで、いままで「頭で理解していたつもり」の様々なことが、私の中で全てが繋がったのです。
その意味でも、生涯忘れられない舞台になりました。

第1幕
オーケストラは、初日の椿姫のとき以上によく響きます。
とくに、弦楽器の濡れたような美しさは特筆もの。
シュテンメの元帥夫人が歌う長いモノローグは、本当に素晴らしかった。
元帥夫人は、3つのことを怖れています。
・自らが老いていくこと
・時間は絶対に止められないこと
・愛するオクタヴィアンが自分のもとを去ってしまうこと
このうち上のふたつは、全ての人にとって共通のことなのですが、とくに時間を止めるために真夜中に家中の時計を止めてまわったというくだりは、私の胸に深く突き刺さります。

第2幕
お皿が背景にずらっと並び、何人もの料理人がばらの騎士を出迎える料理の準備をしている、そしてその中に令嬢ゾフィーもいる、というなかなか面白い舞台演出です。
新興貴族の庶民的な雰囲気を出そうとしているのでしょうか。
そんななか、ばらの花束を携えたオクタヴィアンが登場し、ゾフィーと出会うや否や一瞬にして恋に落ちます。
そして、あの美しい2重唱になるわけですが、このとき忙しく料理の支度をしていた料理人たちの動きが、凍りついたようにすべて止まります。
この若い2人の恋の前には、元帥夫人がどんな方法を持ってしても止めることのできなかった「時間」すら止まってくれるのですね。
見事な演出だと思いました。
また、名人ウェルザー=メストの無駄のなさとしなやかさを併せもった指揮のもと、絶妙の表現を聴かせるオケに支えられたカサロヴァとハルテリウスの歌も本当に素敵。

第3幕
お化け屋敷の演出がとてもユーモラス。
DVDと同じなんですが、実際に見ると、もうお腹がよじれそうです。
歌の素晴らしさはもちろんのこと、ムフとカサロヴァの堂に入った演技力には恐れ入りました。
この夏、足に大怪我したと報じられていたカサロヴァでしたが、そのようなことを微塵も感じさせない見事なオクタヴィアンだったと思います。
そして、ムフが記者会見で「自分の子供にしてしまいたい」と語っていましたが、NHK児童合唱団の子役たちが声を上げて「パパー、パパー、パパー」と歌うシーン。
もう、たまらなく可愛いかったなぁ。

しかし、元帥夫人が登場すると、舞台も音楽も大きく変わります。
シュテンメの存在感は、やはり圧倒的でした。
また、可憐なゾフィーを演じているハルテリウスの表現力と確かな歌唱力も大したものです。
だからこそ、カサロヴァと組んだ3重唱は、この日最高の見せ場になりました。
決して哀しい旋律ではないのに、何という心に沁みる音楽だろう。
私は涙がこぼれるのを押さえられませんでした。
そして、カサロヴァが、「自分が泣いてしまわないように気をつけている」というほど美しい、最後のゾフィーとの2重唱。
こんなに美しい終わり方をするオペラは、他にないかもしれません。
しかし、この幸せそうなオクタヴィアンとゾフィーは、これからどうなるんだろう。
素晴らしくチャーミングなゾフィーを演じてくれたハルテリウスのコメントに、私は全面的に賛同します。
「ゾフィーは、第3幕でオクタヴィアンとマルシャリンの過去に気づいた時に失望しますが、そのときに5歳成長し、小娘ではなくなります。オクタヴィアンはいつまでもゾフィーのもとにとどまらないでしょう。
ゾフィーは若い第二のマルシャリンであり、そうして歴史は繰り返すのです。」

大人のオペラ。
そう、『ばらの騎士』は大人のオペラなんです。
今回この素晴らしいチューリッヒの舞台をみせてもらって、ようやく私もそれが分かりました。
そのとき限りのスターの寄せ集めではなく、ずっと同じ仲間で演じてきたチューリッヒ歌劇場の強み・素晴らしさを実感させてもらいました。

そして、この日同じ『ばらの騎士』を見に来られていたyokochanさまと、終演後に渋谷で軽く飲みに行きました。
最高の舞台をみた後その舞台を肴に美味しいお酒を飲むというのは、まさに最高の贅沢かもしれません。
『ばらの騎士』若葉マークの私に、このオペラの魅力をいろいろ教えていただき、またまた感謝でございます。
ありがとうございました。

<日時>2007年9月8日(土)14:00開演
<会場>Bunkamuraオーチャードホール
<出演>
■ヴェルデンベルク侯爵夫人(S):ニーナ・シュテンメ
■オクタヴィアン(Ms):ヴェッセリーナ・カサロヴァ
■ゾフィー(S):マリン・ハルテリウス
■オックス男爵(Br):アレフレッド・ムフ
<指揮>フランツ・ウェルザー=メスト
<管弦楽>チューリッヒ歌劇場管弦楽団
<合唱>チューリッヒ歌劇場合唱団
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台風9号とパヴァロッティ

2007-09-08 | CDの試聴記
7月の「13日の金曜日」に続いて、また台風に苛められました。
6日の木曜日は日帰りで名古屋へ出張したのですが、台風接近で東海道新幹線が止まってしまう可能性が高かったので、6時過ぎに仕事を終えたあと、予定していたお客様との懇親会は支店の営業担当者に任せて名古屋駅に急ぎました。
しかし、懸念していたとおり、名古屋駅の改札口付近はまっすぐに歩けないほど人で溢れかえっていました。
まだ完全に運休していたわけではなかったので、しばらく様子をみていましたが、これはもうダメだなあと判断し急遽ホテルを探すことにしました。
しかし、駅の近くのホテルを6件ほどあたりましたが、すべて満室。
インターネットを使ってさらにトライしましたが、結果は同じでした。
のんびり屋の私もさすがに焦ってきました。
藁をもすがる気持ちで懇親会真っ最中の営業担当に電話で相談すると、独身寮で良かったら何とかなるかもしれませんと言われて、結果的に独身寮の空き部屋に泊めてもらうことに。
宿?が決まったのでひと安心です。
懇親会に合流させてもらって、10時まで大いに盛り上がりました。
そのあと、営業担当者にナビゲートしてもらって一路独身寮へ。
急な話だったので、独身寮には、着替えはないし、髭剃りもないし、歯ブラシもありません。
しかし、エアコン付きの部屋で、バスタオルも用意されていてシャワーも使わせてもらえたわけですから、贅沢はいえませんよね。

翌朝携帯でチェックすると「東海道新幹線は通常運行」と出ていたので、その情報を信じて6時過ぎに寮を出て名古屋駅へ向かいました。
こんな早い時間でしたが、東京行きの指定席は10時頃まで全て×の表示です。
ただ、グリーン車だけは△表示になっていたので、いままで溜まっていたグリーンポイントを使って7時18分発の「のぞみ」に乗ることができました。
しかし、ほっとしたのも束の間。
三島の24時間雨量計が基準値を超えたとかで、電車は豊橋で一時間ほど止まってしまいました。
その後も徐行したりで、結局東京駅に着いたのは、予定よりも2時間近く遅れて11時前。
この日は、午後2時から重要な会議があったので、いったん自宅に帰り、髭を剃って着替えてから会議にのぞみました。
夕方、会議が無事に終わった後は、思わず「あー、しんど!」と呟いてしまいました。

さて、そんな激動の二日間でしたが、昨日東京行きの新幹線で読んだ新聞で、パヴァロッティの訃報を知りました。
重態だとの話は聞いていましたが、やはり活字でみたときは、本当に寂しかった。
偶然、愛用のipodに彼がロドルフォを歌った「ラ・ボエーム」を入れていたので、車中で聴きました。
「冷たい手」、何と素晴らしい歌でしょう。
LP時代から何十回となく聴いてきましたが、本当にパヴァロッティのロドルフォは素晴らしい。
聴きながら涙が滲んできました。
心からご冥福をお祈りいたします。

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チューリッヒ歌劇場 ヴェルディ:『椿姫』

2007-09-02 | オペラの感想
昨日、チューリッヒ歌劇場の『椿姫』を観てきました。
ヨーロッパの人気歌劇場のひとつであるチューリッヒ歌劇場は、意外にも今回が初来日です。
BS放送の映像等でこの歌劇場の公演は随分観てきましたが、いずれも本当に魅力的でした。
そんなわけで、来日公演の話をきいたときには、「2007年の目玉は絶対これだ。何が何でも観るぞ!」と心に誓ったのです。

今回の来日公演では2演目用意されているのですが、まず先陣をきったのが『椿姫』。
「オーチャードホールのオペラ」ということで、音響的・視覚的に少々不安はあったのですが、2階席の内側に少し出っ張った席でとても観やすい席でした。
椿姫といえば、昨年は、お正月にネトレプコ主演の2005年ザルツブルグのライヴ映像をBSハイビジョンで観て、そして6月にはメトロポリタン歌劇場の来日公演で、フレミングのベルベットヴォイスを実際に堪能させてもらいました。

今回タクトをとったのは、現在チューリッヒ歌劇場音楽総監督であり、2010年からは小澤さんの後任としてウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することが決まっているフランツ・ウェルザー=メスト。
このクラスの指揮者に対して、「現場感覚が・・・」とか「職人的な・・・」という言い方はあまりにも失礼だと思いますが、やはり「オペラ特有の呼吸と色彩感覚」を心得た名人だとあらためて感じました。

歌手陣では、何と言ってもエヴァ・メイ。
彼女のヴィオレッタは、まさに私の理想像でした。
ゲオルギューやネトレプコは、容姿も含めて間違いなくヴィオレッタのベストフォームだと思うのですが、私には声質がすこしばかり冷たく、そしてきつい感じがするのです。
「だからこそヴィオレッタに相応しいんだ」というご意見もあろうかと思いますが、私はもう少し柔らかくてピュアな声がほしかった。
その点で、今回のエヴァ・メイは最高でした。
最弱音でも声が実に良く通るし、技術的にも申し分ないので、どんな場面でも安心して『椿姫』の世界に浸ることができます。
また、彼女の演じるヴィオレッタの心優しさが、第1幕から第2幕初めの場面で強く印象付けられたあとだからこそ、第2幕のジェルモンとの二重唱で彼女が静かに歌う「(私は)お嬢様の犠牲になって死んでいきます・・・」が、聴き手に絵空事ではなく真実味を持って迫ってくるのでしょう。
このあと、ヴィオレッタがひとりになる場面で登場するクラリネットの哀しい旋律もそうだけど、今思い出しても涙がでてきそうです。

それから、アルフレード役のベチャーラ。
現在売り出し中のテノールですが、彼も素敵ですね。
ヴンダーリッヒを尊敬しているというだけあって、甘い声質で、高音の歌いまわしにどこかヴンダーリッヒの面影を感じます。
最初にヴィオレッタと出会ったときは少し緊張気味に、その後は一途な青年というアルフレードのイメージがとても良く出ていたと思います。

しかし、この日一番多くの拍手をもらっていたのはヌッチでした。
それはもう圧倒的な存在感。
立派な父親というよりは、子供を溺愛するどこにでもいるような善人の父親像。
ザルツブルグのハンプソンや、メトのホロストフスキーも本当に素晴らしかったけど、ちょっと分別がありすぎるというか、こんなジェルモンが訪ねてきたら、ヴィオレッタがジェルモンに心変わりしないかと心配になったものです。(笑)
今回のヌッチならそんな心配はありません。
「お前、ヴィオレッタに無理を言うのも、たいがいにしろよ!」と、ヴィオレッタファンならずとも説教の一つもしてやりたくなるようなジェロモンでしたが、歌も演技もさすがに堂に入ったもので、まずは最高のジェルモンといって差し支えないでしょう。
ところで、第2幕でジェロモンがヴィオレッタに対していう理不尽な台詞があります。
「お泣きなさい。心ゆくまでお泣きなさい・・・」
もうこのあたりに来ると私のほうがうるうる状態で、「この親父に言われたくないよ・・・」と思いつつ、ずっと涙腺は全開状態。
もし故障か何かで会場が急に明るくなったら、大変恥ずかしい姿を晒すところでした。

というわけで、第2幕以降はいい年をしてずっとハンカチのお世話になる状態でしたが、聴きながら感じたことがあります。
それは、この『椿姫』というオペラでは、何か運命的なものを予感させる時に、決まって弦のピチカートを使用しているのはないかと。
たとえば、第2幕で「あなたの娘として抱きしめてください。そうすれば強くなれます。」とジェルモンに語りかけた後、ヴィオレッタが決然と歌いだす次のフレーズ、「私は死にます。私への思い出があの人にとって恨みとならぬよう・・・」。ここでも弦のピチカートが実に効果的に使われています。
第3幕の前奏曲も同様です。第1幕の前奏曲と同じ旋律ですが、こちらにはヴィオレッタの死のときを刻むかのように、弦のピチカートが加わっています。
また同じ第3幕で、せっかくアルフレードが戻ってきたのに自分の病気が回復しないことを嘆いてヴィオレッタが歌うアリア「こんなに若くて死ぬなんて、あんなにも苦しんできた私が・・・」も、弦のピチカートを伴っていることで一層自分の運命が変えられないことをダイレクトに表現しています。
そういえば、第3幕は、第1幕・第2幕以上にピチカートが多いのではないかしら。場面からしても弱音が多くなるので当然かもしれませんが、本当に見事な効果をあげていると思います。

まだまだ書きたいことは沢山あるのですが、とりとめがなくなってきたのでこのあたりにします。
私にとって、決して忘れることの出来ない素晴らしい『椿姫』でした。

<日時>2007年9月1日(土)15:00開演
<会場>Bunkamuraオーチャードホール
<配役>
■ヴィオレッタ・ヴァレリー(S):エヴァ・メイ
■アルフレード・ジェルモン(T):ピョートル・ベチャーラ
■ジョルジョ・ジェルモン(Br):レオ・ヌッチ
<指揮>フランツ・ウェルザー=メスト
<管弦楽・合唱>チューリッヒ歌劇場管弦楽団/合唱団
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