ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

13日の金曜日

2007-07-13 | その他
『13日の金曜日』
まさに、その通りの日になってしまいました。
いや、なりかけました。

今日は、日帰りで、台風接近中の宮崎へ出張。
朝、9:30のほぼ定刻に出発したANA機でしたが、「宮崎空港の天候が悪い場合は、鹿児島空港か羽田空港に引き返すことも了承願いたい」という条件付のフライトでした。
果たして、宮崎空港は梅雨と台風が重なり、雨と霧で明らかに視界不良。
宮崎空港の上空を1時間あまりも旋回していたでしょうか、私も覚悟を決めて「鹿児島着の場合のリスクシナリオ」を頭の中でシミュレーションしていたところ、「これより着陸します」とのアナウンス。
超低空飛行しつつ無事に着陸した時は、機内で拍手と歓声があがりました。
そして、着陸後の機長のアナウンスが、また良かった。
「天候不良のため、到着予定時刻より大幅に遅れてしまい申し訳ありません。でもこれに懲りずに、また是非ご利用ください・・・」
このウィットに富んだ機長の言葉に、乗客の顔もほころびます。

すぐに往訪予定のお客様に連絡をとり、とにかく市内のお客さまのところへ直行しました。
お客様も心配して下さっていたようで、とにかく仕事を最短コースで片付けて再び空港へ。
台風の影響でしょうか、強烈な雨がタクシーの窓をたたきます。
やっとの思いで宮崎空港に着くと、空港は、少しでも早い便で帰ろうとする人でごった返していました。
電光掲示板を見ると、JALグループは全便欠航、ANAも天候調査中の表示。
予約していたANAの便も欠航するかもしれないと係員から言われ、一本前の便を確認すると、キャンセル待ちが何と100人。
運を天に任せ、おとなしく当初の予約便を待つことにしました。

待っている間、ロビーで珈琲を飲みながら、「もし欠航になったら・・・」といろいろ考えてみました。
■鹿児島へ高速バスを使って行き、飛行機または新幹線を利用する。
⇒そもそも高速バスが休止する可能性大だし、飛行機は宮崎と状況が変わるわけはないので、まずダメ。
また、新幹線でたとえ熊本まで到達できたとしても、その後が運休のリスクが極めて大きい。中途半端な場所で足止めされたら、それこそ身動きが取れないので、これもダメか・・・。
福岡等への高速バスも、高速道路そのものが通行止めになるリスク大で、大同小異。

■となれば、今日は泊まるしかない。
さて、どこで泊まるか。
空港の近くにホテルはないし、市内へ戻る?それともこのまま空港で一夜を明かす?

■問題はむしろ明日の土曜日。明日こそ台風のど真ん中で、おそらく全便欠航でしょう。
まる一日、どこでどうやって過ごすの?そして夜は?
日曜日だって飛行機が飛ぶ保証はない。

■加えてこの3連休は、年金のテキストの改訂作業を一気に仕上げるという大切なミッションがあるんです。そのための材料は何ひとつ持ってきていないじゃないか。

ここまで考えて、私の思考は完全にストップしました。
「Oh My God!」
祈ろう。それしかない。
その後、ipodでミュンシュのシューベルトのハ長調交響曲を聴きながら、心の中で祈り続けました。
(しかし、なんでミュンシュのグレートなんだ? でも良かった・・・。本当に素晴らしい音楽、そして演奏だった!)

祈りながらも、最悪のケースしか頭に浮かびません。
小一時間経過したでしょうか。
突然、「これより東京行きの搭乗手続きを再開します」とのアナウンスが・・・。
今度はロビーで歓声があがりました。
聞き間違いじゃないかと思い、カウンターまでいって聞きなおしましたが、間違いなさそう。
「これで東京へ戻れる!」
まさに祈りが通じた瞬間です!

ANAも、その後18時以降宮崎空港を発着するすべての便の欠航を決めましたから、まさに1時間の差が天国と地獄の境目でした。
これほど感謝しながら飛行機に乗ったのは初めて。
「神様 ありがとう」

11日の川久保賜紀さんのブルッフのコンチェルトの感想や、ミュンシュのシューベルトのこと、そしてケーブルテレビのチューナーがぶっ潰れてしまったこと等ほかにもいろいろ書きたいのですが、それは後日ということで・・・。



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児玉桃&アグレスト/読売日響:モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K..466他

2007-07-08 | コンサートの感想
暑くて、じめじめした日が続いています。
一方で、九州では記録的な大雨とか・・・。
年金問題もそうですが、最近は何か信じられないような事件も多くて、異常気象が、まるで現在の世の中の状態を暗示しているようにも感じます。

私のほうは、このところ出張が続いており、7月はさらに数が増える予定です。
前にも書きましたが、「複雑で分かりにくいと思われる内容を、いかにお客様にわかりやすく理解していただくか」が、現在の私のミッション。
いわばアウトプットが仕事なので、そのためには「上質のインプットを日々継続し続けること」がまさに生命線になってきます。
しかし、出張が続くと、どうしても新しい情報を分析する時間が不足してしまうので、結果的に陳腐な内容でお茶を濁してしまうことにもなりかねません。
というわけで、強く自戒の念を感じながら、いまブログを書いております。

ただ不思議なもので、忙しければ忙しいほど、音楽を聴きたくなってきます。
もう病気のようなものですね。(笑)
オンラインショップのバーゲンセールで、ついつい大量に衝動買いしてしまったディスクが高く積みあがってしまい、年初に誓ったはずの「今年は音楽を聴く質を向上させる」もどこへやら。
乱読ならぬ乱聴状態で、こちらも猛反省です。

さて、そんな中、昨日は読響のマチネーコンサートにいってきました。
一時に比べると、最近はコンサートに行く回数が少なくなりましたが、年間会員というのは、継続的に(半ば強制的に)生の音楽を聴くためのいいシステムかもしれません。

   

<日時>2007年7月7日(土) 午後2時開演
<会場>東京芸術劇場
<曲目>
■モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
■リムスキー=コルサコフ:交響組曲『シェエラザード』
(アンコール)
■チャイコフスキー:「白鳥の湖」からチャルダーシュ
<演奏>
■ピアノ:児玉 桃
■指揮:ミハイル・アグレスト
■管弦楽:読売日本交響楽団

当初は、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスが振る予定だったのですが、病気療養のためミハイル・アグレストという1975年生まれのロシアの指揮者がタクトを握りました。

前半は、児玉桃さんをソリストに迎えてのモーツァルトのニ短調協奏曲。
児玉桃さんのピアノを生で聴くのはこの日が初めてでした。
例のシンコペーションで始まるオーケストラの前奏の間、児玉さんは手を膝に置いたまま指揮者やオケのほうを見るわけでもなく、まったくと言ってもいいほど表情を変えません。
これだけ、ピアノの出番を待つ間、表情を変えないピアニストは初めてです。

さてピアノの出番がやってきました。
過度に「短調」を意識することなく、彼女は淡々と弾き始めます。
音の響きがとても美しいですね。
最後まできいて感じたのですが、児玉桃さんの演奏は端正で本当に清潔感溢れるものだけど、それに加えて、音符のひとつひとつにリズムの拍動が感じられて、それがまたとても魅力的。
さすがに、第二楽章の中間部あたりは、もう少しパッションの発露があってもいいかなと思いましたが、これが児玉桃流かな。
同じ女流ピアニストのK.466でも、先日エントリーしたブルショルリとは随分スタイルが違いました。
そのあたりのことも、とても興味深く聴かせてもらいました。
それから、演奏そのものにはまったく関係ありませんが、指揮者のアグレストと児玉さんが演奏中ほとんど目をあわさないんです。とくにアグレストは、ほとんどソリストを見なかったのではないかしら。
あまりこういうコンチェルトの光景は見たことがないので、印象に残りました。
ひょっとしてあまり相性が良くなかった?
いや、きっと下衆のかんぐりでしょう・・・。

後半は、リムスキー=コルサコフの『シェエラザード』。
第1曲と第2曲は、オケはよく鳴ってはいるけど、一本芯が通っていないというか、少し緊張感に欠けるような気がしました。
第3曲以降は、メリハリもついて良くなったと思います。
ただ、本音で言うと、「読響ならこのくらいのパフォーマンスは当たり前」というレベルを超えていなかったように感じました。
このアグレストというマエストロ、オケを鳴らすことには長けているように思いますが、フレーズの終わりが少し曖昧になることが多いのです。
それが、ともすると音の濁りにも繫がっていたかなぁと感じた次第。

11日は、6月のマチネーに行けなかったので、その振り替えで手配してもらった名曲コンサートに行く予定です。
こちらのマエストロはカリニャーニ。昨年のコンサートが素晴らしかったので期待しております。

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カラヤンの『トリスタンとイゾルデ』(1952年バイロイト音楽祭ライヴ)

2007-07-01 | CDの試聴記
昨日、神尾真由子さんがチィコフスキー国際コンクールで優勝したという記事が飛び込んできました。
いやー、本当に素晴らしいことです。
まさに天晴れ!

神尾さんのヴァイオリンは、一度実演で聴いたことがあります。
ちょうど5年前になりますが、2002年3月の読響マチネーで、曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番でした。
真っ赤なドレスで登場した彼女の演奏は、とにかく非常に情熱的だったなぁ。
前日に、諏訪内晶子さんが日本フィルの定期でこの曲を演奏していましたので、私は2日続けて大好きなブルッフを堪能することが出来ました。
「凛とした諏訪内」、「情熱的な神尾」という好対照な演奏でしたが、奇しくもチャイコフスキーコンクールの覇者2人の競演を聴く幸運に恵まれたことになりますね。
今後、ますますの飛躍を期待しましょう。

さて、夏になると何故か聴きたくなるトリスタン。
今日は、1952年にカラヤンがバイロイト音楽祭で演奏したライヴ盤をご紹介します。
1952年といえば、フルトヴェングラーがベルリンフィルの常任指揮者に正式に復帰した年。
そして、フルトヴェングラーの悲願であった「トリスタンとイゾルデ」の全曲録音が行われたのも、ちょうどこの年の6月でした。
EMIの威信をかけ、フラグスタート、ズートハウス、フィッシャー=ディースカウという名歌手たちを擁して録音されたこのディスクは、今も永遠の名盤として語り継がれています。
また、このディスクは、当時不仲であったフルトヴェングラーと名プロデューサーのウォルター・レッグが組んだ最後の録音になりました。

一方、この年のバイロイト音楽祭でトリスタンを振ったのが、若きカラヤン。
「フルトヴェングラーのトリスタン」という世紀の名盤誕生から僅か1月後の、1952年7月のことです。
この年のバイロイトでは、ヴィーラント・ワーグナーの演出(=抽象的、簡素で、舞台に具体的な装置を置かないという例の演出)を巡って一騒動ありました。
中川右介さんの著書「フルトヴェングラーとカラヤン」によると、ヴィーラントの演出を嫌ったカラヤンはずっと機嫌が悪く、オーケストラの配置の入れ替えを求めたり、リハーサルで主演クラスの歌手をしめあげるなど、偉いのは自分だとアピールするかのごとくに、暴君ぶりを発揮したそうです。

そんな状況で行われたという、このトリスタン。
さぞかし、ぎすぎすした冷たい演奏になったかと思いきや、全く逆でした。
音楽そして演奏とは分からないものです。

このトリスタンは素晴らしい。
本当に素晴らしい。
第一幕の前奏曲から、既にただごとではない緊張感。浮いては沈むようなトリスタン独特のうねりを繰り返しながら、音楽はどんどん凄みを増していきます。
重量感を十分感じさせつつ、沈潜しすぎて音楽の弾力性が失われるというような状態に決して陥らないことも、この演奏の大きな魅力でしょう。
とくに、見事なのは第三幕。
重く深い前奏曲からラストのイゾルデの愛の死まで、あっという間の1時間強でした。
私は、タイムスリップして、まるで自分がバイロイトでこの上演に立ち会っているかのような錯覚を覚えました。
歌手では、ヴィナイの聴き手の心に深く訴えかけるようなトリスタン、圧倒的な存在感を示すホッターのクルヴェナールがとりわけ素晴らしかった。
そして、感情豊かにそしてストレートにイゾルデの心を表現するメードルも、まことに見事。

そして、このカラヤン盤で特筆すべきは、録音の良さ。
放送録音だと思いますが、この時期のライヴ録音としては、まずは申し分ない音質でしょう。
低音がときに出すぎているようにも感じますが、これがバイロイト独特の雰囲気を一層リアルに伝えることにも繫がっているように感じます。

濃密かつ深遠な表現で「神の世界」すら垣間見せてくれるフルトヴェングラー、一方、生身の人間の悩む姿を共感を持って鮮明に描くカラヤン、好対照ながらいずれも感動的な演奏でした。

ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』全曲
<配役>
■ラモン・ヴィナイ(トリスタン)
■マルタ・メードル(イゾルデ)
■ハンス・ホッター(クルヴェナール)
■イーラ・マラニウク(ブランゲーネ)
■ルートヴィヒ・ウェーバー(マルケ王)
<演奏>
■ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
■バイロイト祝祭管弦楽団,合唱団
<録音>
■1952年7月23日 バイロイト祝祭劇場(ライヴ)
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