ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

アルヘンタ/ラヴェル:管弦楽曲集

2007-04-30 | CDの試聴記
今日は、GW前半の最終日。
休日は、どうしてこんなにあっという間に過ぎ去ってしまうんだろう。
格別何かをしたというわけではないのに、時間だけが過ぎていきます。

思い返してみると、ちょうど1年前は、モーツァルトイヤーに湧くウィーンから帰国したばかりで、「あー、マエストロ・ムーティ!」「あー、麗しのムジーク・フェライン」「あー、フィガロ!」「あー、・・・」と、まだまだウィーンの熱病に罹ったままでしたっけ・・・。
今年は、もちろん昨年のような夢のイベントはなかったわけですが、2日からは、恒例になったラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが開催されます。
お祭り好きの私にとって、このイベントは、まさに「参加してなんぼ!」のビッグイベント。
詳しくは、明日書くつもりですが、とても楽しみであります。

さて、そんなことをつらつら考えながら、今日はアインザッツ・レーベルから第一弾としてリリースされたもう一枚のディスクを聴きました。
こちらは管弦楽曲。
夭折の天才指揮者アルヘンタが振ったラヴェルです。

<曲目>
ラヴェル作曲
■道化師の朝の歌
■マ・メール・ロワ
■亡き王女のためのパヴァーヌ
■スペイン狂詩曲
<演奏>
■アタウルフォ・アルヘンタ(指揮)
■セント・ソリ管弦楽団
<録音>1956年(モノラル)

アルヘンタといえば、私にとっては、どうしても名手イエペスと組んで録音したロドリーゴのアランフェス協奏曲が思い出されます。
数あるアランフェスのディスクの中でも、ジョン・ウィリアムス&バレンボイム盤と並んで、私が最も高く評価しているディスクです。
とくに、「スペインの血」の描写という点で、このディスクはずば抜けていました。

まだ6弦ギターを使っていた若きイエペスの初々しさも魅力的ですが、このアルヘンタ伴奏の巧みさは只者じゃない。
何よりもリズムが生きている!
そして、ギターがかぶさってくるところ、そして逆にギターの音が消えてオケが前面に出て行くところ、とにかく、どの部分をとっても「間」の取り方、歌いまわしが絶妙なんです。
さらに、注意深く聴くと、音色の使い方が実に味わい深いことを思い知らされます。
「決して派手な配色はしていないのに、妙に印象に残る!」
まさにそんな感じです。

このラヴェルの演奏を聴いて、アランフェスを聴いたときとまったく同じ印象を受けました。
「道化師の朝の歌」や「スペイン狂詩曲」に聴くこの躍動感!
誰かが強制したものではなく、自発的にオーケストラ内部から音が湧き出てきたように感じます。
ただ、ここまでは、アルヘンタがその気になればこのくらいはやってくれるだろうと想像していました。

私がこのディスクで最も感銘を受けたのが、実は「マ・メール・ロワ」なんです。
何というデリケートな色彩感。
オーケストレーションの達人であったラヴェルの魅力が、思う存分表現されています。
とくに「妖精の園」にきく詩的描写の美しさ。
これには、恐れ入りました。
そして、この色彩感の素晴らしさ、音楽そのものの柔らかさといった要素が、十分聴き手に伝わってくるすぐれた音質であったことが、何より幸いでした。
ほぼ完成期にあったモノラル録音のいい面が出たのでしょうね。

セント・ソリ管弦楽団は、あまりよく知らないオケですが、パリ音楽院管弦楽団あるいはコンセール・ラムルーのメンバーが主となり、他の楽団員が加わった臨時編成のオーケストラだそうです。
(ワルターのコロンビア交響楽団のようなもの?)
アルヘンタの意向をよく理解し、素敵な演奏を聴かせてくれました。

アインザッツレーベルのリリース第一弾の2枚を聴いてみて感じたのは、
・共に、瑞々しく、しなやかな音楽の流れを感じさせる演奏であったこと
・色彩感に富んだ表現ではあったが、決してあざとい表情は見せなかったこと
・いい音質で仕上がっていること
ということです。

私の好みにも、これはぴったり。
第二弾にも大いに期待がもてそうです。

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ペルルミュテール/モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集 第1巻

2007-04-28 | CDの試聴記
昨夜ロストロポーヴィチ氏の訃報に接し、いささかショックな朝を迎えてしまいましたが、気を取り直して、久しぶりに池袋のHMVへ出かけました。
お目当ては、新レーベルのアインザッツ・レーベルからリリースされた新譜第一弾。
第一弾は次の2枚でした。
・アルヘンタのラヴェル:管弦楽曲集
・ペルルミュテールのモーツァルト:ピアノ・ソナタ全集第1巻

2枚とも首尾よくゲットし、帰宅後、まずはペルルミュテールのモーツァルトから聴きました。
一聴して感じたのは、音が良いこと。
仏VOX IB-110からの復刻だそうですが、とても実在感のある音に仕上がっています。
愛用のスピーカーであるクレモナが、実に気持ちよさそうに鳴ってくれました。
ピッチがほんの少し揺れる箇所がありますが、これは「板」の問題ではなくオリジナルのマスターテープそのもの状態だったのだと思います。

ペルルミュテールは、ラヴェルに直接師事してアドヴァイスをもらった唯一のピアニストとして有名ですが、モノラル録音のラヴェル(これは素晴らしく瑞々しい音楽でした)以外のディスクは、恥ずかしながらほとんど聴いたことがありません。

彼のモーツァルトを今日初めて聴いて、とても驚きました。
ラヴェルのディスクと同様、ひとことで言って、とても瑞々しいのです。
ペルルミュテールのモーツァルトを以前から激賞されてきたMICKEYさんの感性に、まったく同意します。

幻想曲ハ短調K.475の冒頭も、しっかりアクセントが刻まれているにもかかわらず、必要以上に深刻ぶらずに音楽は淡々と進んで行きます。
しかし、ふと振り返ると、その軌跡は実に瑞々しい!
主部に入ってからの音楽は、極端に言うと1小節ごとに響きの色彩が微妙に変化するような和声になっていますが、ペルルミュテールの演奏は、まさにそれを音で表現してくれています。
あざとさをまったく感じさせずに、優しくデリケートに音の響きが移り変わるモーツァルト。
私は、すっかり心打たれました。
ラヴェルから教わった音の色彩を微妙に表現する技術なのか、プレイエル製ピアノの素晴らしさなのか、ペルルミュテールのタッチの素晴らしさなのか、あるいは全てが重なり合った結果なのか分かりませんが、こういうタイプのモーツァルトの演奏はあまり聴いたことがありませんでした。

ソナタの演奏についても、まったく同様の感想を持ちました。
とくに印象に残った箇所をひとつご紹介すると、K.457の第2楽章。
この楽章は、モーツァルトお得意の沈み込まないアダージョですが、フレーズの始まりと終わりの部分の表情の美しさと、テンポの変化の自然さは、本当に絶妙としかいいようがありません。
一見単調な音型を繰り返しているようにみえるモーツァルトの譜面から、これだけ豊かで瑞々しい音楽を引き出すペルルミュテールの才能は大変なものですね。

それから、このCD、ジャケットがお洒落でとても美しい。
オリジナルと同一デザインかしら・・・。
演奏の中身を良く表している、素敵なジャケットだと感じました。

もう一枚のアルヘンタは、明日聴くことにしますが、
ペルルミュテールのこのモーツァルトを聴くと、満を持してのリリースであったことが良く分かります。
今後とも期待できそうです。

<曲目>
モーツァルト作曲
■幻想曲 ハ短調 K.475
■ピアノソナタ第14番ハ短調 K.457
■ピアノソナタ第7番ハ長調 K.309
<演奏>ヴラド・ペルルミュテール(p)
<録音>1956年
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追悼:ロストロポーヴィチ シューベルト「アルペジョーネソナタ」

2007-04-27 | CDの試聴記
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ氏が亡くなりました。
3月に80歳を迎えたばかりだったのに・・・。

大チェリストとして、また指揮者として、まさに偉大としか表現のしようがない人でした。
カザルスとは芸風は全く違ったけど、「人間に対する愛」「音楽に対する愛」という点で、共通する部分が多かったと思います。
小澤征爾さんの盟友としても知られ、あの阪神大震災直後に実現した小澤さんとN響との32年ぶりの記念コンサートで聴かせてくれたドボルザークのコンチェルト。
本当に素晴らしかった。
私は、文字どおり、かじりつくようにしてFMを聴いていました。

こんなときは、ほんとはバッハの無伴奏を聴くべきなんでしょうね。
でも、迷った挙句、私が今聴いているのは、ブリテンと組んだ「アルペジョーネ・ソナタ」です。
私にこの曲の魅力を教えてくれた想い出のディスクだから・・・。
ちょっと力を入れると壊れてしまいそうなこの可憐な音楽に対して、いささかスケールが大きすぎるかもしれない。
でも、でも、私はこの演奏が大好きです。
こんなに溢れんばかりの愛情をもって、聴かせてくれた演奏を私はほかに知りません。
今、CDでこの演奏を聴きながら、大学生の時に初めてLPで聴いたときの感動がいささかも失われていないことに正直驚きました。
人間の大きさがそのまま音楽に表れているような、稀有の音楽家でした。

合掌。

<曲目>
■シューベルト:アルペジョーネ・ソナタイ短調D.821
■シューマン:チェロとピアノのための民謡風の5つの小品 op.102
■ドビュッシー:チェロとピアノのためのソナタ 二短調
<演奏>
■ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
■ベンジャミン・ブリテン(ピアノ)
<録音>
■1961年 (シューマン & ドビュッシー)
■1968年 (シューベルト)
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スクロヴァチェフスキ&読響のマチネーコンサート(常任指揮者就任初回演奏会)

2007-04-23 | コンサートの感想
今日大阪でセミナーがあり、期初に企画された一連のイベントも、これで一段落です。
先月来、出張が続いていましたが、新幹線の車中では大好きな音楽をipodで聴くことができるので、まったく苦痛ではありませんでした。
今回の一連のセミナーの前に決まって聴いたのが、ベームの「フィガロの結婚」。
有名なDG盤です。
時間があるとき(例えば広島出張時等)は全曲聴いたりもしますが、毎回絶対聴いたのが、大好きな第2幕のフィナーレ。
機知に富んだやりとりと、もう完璧としか言いようのないアンサンブルを聴くだけで、私は元気が出てきます。
この演奏について書き出すと、どうにも止まらないので後日改めて書きます。

もし、過去の録音時のセッションに10回立ち会えるとしたら(うん?10回も?と仰るむきもあろうかと思いますが、やっぱり欲張りでしょうか(笑))、絶対この録音現場をエントリーします。
フィッシャー=ディスカウ、プライ、ヤノヴィッツ、マティス、そしてマエストロ・ベーム、もうこれ以上のキャストは望むべくもありませんし、まさにベストフォームだと思います。
中でもマティスのスザンナの素晴らしいこと!
音しかないのに、そこで演技しているマティスの姿が目に浮かびます。
スザンナにしてもケルビーノにしても、誰がなんと言おうと、私の中ではマティスが永遠のマドンナです。

さて、昨日、今年度初めての読響マチネーを聴きました。
<日時>2007年4月22日(日) 午後2時開演
<会場>東京芸術劇場
<曲目>
■ドヴォルザーク/交響曲第7番
■スクロヴァチェフスキ/ミュージック・アット・ナイト
■ストラヴィンスキー/組曲〈火の鳥〉(1919年版)
<演奏>
■スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮
■読売日本交響楽団

今年度からアルブレヒトの後を受けて読響シェフの座に就いた、ミスターSことスクロヴァチェフスキの記念すべき初マチネーコンサートです。
楽員の入場のときに「おやっ」と思ったのが、客員コンマスの鈴木理恵子さんが松葉杖をついて登場したことです。
演奏には問題なさそうでしたが、大丈夫なのでしょうか。ソロ・室内楽と幅広く活躍されている方なので、ちょっぴり心配です。

さて、大きな拍手に迎えられて登場したスクロヴァチェフスキ。
80歳をとっくに超えているはずなのに、とにかくかくしゃくとしています。
何よりも姿勢の良さには驚くばかり。
その若々しさが演奏にもよく現れていました。

ドヴォルザークの冒頭から、実に引き締まったいい響きがします。
メロディを豊かに奏でることにも秀でたマエストロですが、どんなにたっぷり歌う箇所であっても、旋律を支えるリズムがしっかりしているので、無為に流れるということがありません。
「豊かだけど、厳しさを失わず、決して流されない!」
この7番には、これが何よりも重要だと私は考えます。
この日のスクロヴァチェフスキの音楽には、間違いなく「この感覚」がありました。
読響もマエストロのタクトによく応えていたと思います。
第3楽章の出だしにはとくに注意をはらっていたようで、テンポ・表情を何度もオケと確認したうえで演奏を始めましたが、アーティキュレーションも自然で素晴らしい演奏でした。

スクロヴァチェフスキのもうひとつの特長は、音楽の構造が実によく分かることです。
そして、ときにサウンドは容赦なく爆発しますが、どんなフォルテシモでも音が混濁することがありません。
このあたりは、オーケストラトレーナーとしても抜群の手腕を発揮してきた「ミスターS」の面目躍如たるところでしょう。

この二つ目の美点は、この日のトリを飾った「火の鳥」で思い知らされました。
そして、自作の「ミュージック・アット・ナイト」にもひとこと触れておきましょう。
いわゆる「ゲンダイオンガク」ではあります。
しかし、決して聴きにくい曲ではありません。
前半の弦楽器のpizz.は鐘のように響きましたし、ハープの調べは天国的。
ソロの扱いもさすがに上手い!
オーケストラの響きを知り尽くした人の作品ですね。
同じく読響で自作自演した、セゲルスタムの曲よりも私は気に入りました。

読響は、素晴らしい方を常任に選んだと思います。
トレードマークにもなっている短い指揮棒を駆使し、これからも生気溢れる音楽を聴かせて欲しいものです。
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得がたい経験

2007-04-22 | その他
先週は、東京~広島~静岡と3日間に亘って年金セミナーを開催しました。
今回は準備期間があまりとれなかったので心配していたのですが、自分でも不思議なくらい落ち着いて話が出来ました。
そのせいか、いずれの会場でもお客様からの質問も活発で、終演後には「とても分かりやすかったです」と予想外のお褒めの言葉までいただきました。
連戦の疲れも正直ありましたが、来て下さったお客様に喜んでいただけると、まさに講師冥利に尽きるというもの。

今回のセミナーで落ち着いて話ができたのは、ひょっとすると、ピアニストの廻由美子さんの書かれたエッセイを読んだからかもしれません。
廻さんは、月刊「ぶらあぼ」の「メグリンのHappy Tunes」というコーナーでエッセイを発表されていますが、今回私が刺激を受けたのは、4月号に掲載された「得がたい経験」op70というタイトルのエッセイです。

廻さんが、桐朋ピアノ科の高校受験をしたときのことです。
当時、初見演奏が試験科目にあったそうです。
順番待ちの席にも課題曲の楽譜が置いてあって、
「前の人の演奏を聞きながら、譜面をさらっておきなさい。でも本番のピアノの前にも楽譜は置いてあるので、この楽譜は持っていってはいけませんよ」と係りの人から説明を受けたそうです。
しかし、譜読みに熱中していた中学生の廻さんは、つい名前を呼ばれてピアノの前に進む時に、その楽譜を持っていこうとしました。
とたんに、試験官の先生から雷のような大きな怒声。

その試験官こそ、有名な井口基成氏。
さぞかし、恐ろしかったことでしょう。
しかし、入試で緊張していた彼女は、その瞬間に信じがたい経験をしました。
それまでの「びくびく」感がなくなり、ツキモノがすとんと落ちたように感じたそうです。
以下、彼女のことばをそのまま引用します。

「ドナり声はまだ続いていたが、もはや私の耳には関係ない雑音となり、さっさとピアノの前に進んだ。するとそこには楽譜が落ち着いた感じで存在している。ピアノと楽譜、これは私の味方なんだ。きのうまでは、そんなこと、思いもしなかった。いや、むしろ敵対視していたかもしれない。
でもピアノが言っているではないか。
『びっくりしただろう。ガーガーうるさいやつはほっといてこっちにおいで、さあ、音楽しようよ』と。
あんなに気持ちよく弾けたことはない。
(以下略)」

自分のやってきたことを、まず信じること。
小手先で考え込んで結果に一喜一憂するのではなく、自然に、とにかく自然に行動する・・・。
まさに、これなんですね。
楽器の演奏でも「脱力」が以下に大切かは、いやというほど今まで勉強してきたはずなのに、その極意が分かっていなかったのだと、今さらながら思い知りました。
でも、この廻さんのエッセイで、本当に大切なことを教わった気持ちです。

廻さんは、次のようなことばでエッセイを締めくくっておられます。
「音楽と自分のパイプが強ければ、何も恐がることはない。
周りがどんなに騒然としていても、楽器がそこにあり、音楽しようとすればそこは別空間になる。
小さな出来事だったが私にとってはとても大きな経験だった。
私が井口基成先生から受けた最初で最後の最高のレッスンである。」

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漆原啓子 デビュー25周年記念コンサートシリーズ第3回

2007-04-15 | コンサートの感想
ブログの更新が随分滞ってしまい、申し訳ありません。
言い訳ではないのですが、やっぱり年度初めはいろいろことがありますね・・・。
期初特有の決まりごとから始まり、重要な案件の立ち上げ、強行軍の出張と立て続けにイベントが入ってしまったので、さすがに疲れました。(笑)
おまけに、大学病院での定期検査も重なったものですから、正直気持ちはブルー。
それに、検査の一環で、24時間血圧計なるものを装着して今週は2日間ほど仕事をしておりましたので、見た目にもあまり格好良くありません。
ようやく、この土日で一息ついているところです。

そんな中、リフレッシュの意味も兼ねて、11日に漆原啓子さんの室内楽のコンサートに行ってきました。
といいながら、当日ちょっとしたアクシデントがあって、前半は聴けませんでした。
バッハの無伴奏は是非聴きたかったのですが・・・。

<日時>2007年4月11日(水)
<会場>HAKUJU HALL(白寿ホール)
<曲目>
■バッハ:無伴奏パルティータ第3番ホ長調
■パガニーニ:協奏的三重奏曲ニ長調op.68
■バルトーク:ルーマニア民族舞曲
■コダーイ:二重奏曲op.7
■ヨーク:トランシリエンス

白寿ホールは初めてだったのですが、出先からの直行で慌てていたこともあり
、場所がなかなか分かりません。
大汗をかきながら交番で場所を教えてもらって、何とか辿り着きました。
ホールに入ると、パガニーニのトリオの終楽章をやっていました。
もちろんロビーでモニターを通して聴いたのですが、とても明るく素敵な演奏。
モニタースピーカーのB&Wの威力も大きかったようです。

休憩後、いよいよ客席に入り、開演を待ちます。
後半の第1曲めは、バルトークのルーマニア民族舞曲。
この日は、ピアノではなく村治さんのギターが相方をつとめます。
漆原さんのヴァイオリンの音は、とても暖かい。
リズムの切れ味は鋭いのですが、基調が冷たくないので、聴いている方は安心して音楽に浸ることができます。
村治さんのギターは、音色が多彩で、ピアノとは異なるいい味わいを感じさせてくれました。

2曲目のコダーイの作品は、30分近い大曲。
ヴァイオリンとチェロのための曲としては、ラヴェルのソナタと並んで重要な作品として知られていますが、何気に私はこの曲、昔から好きなんです。
「もともとあまりお喋りではないヴァイオリンとチェロが、それぞれが訥々と語りだすうちにお互い意気投合し、やがてもうどうにも止まらない・・・」というような、そんな印象をこの曲には感じます。
何枚かディスクを持っていますが、なかでも、スークとナヴァラの演奏がお気に入りで、愛用のipodにもずっと入っています。

さて、この日のお2人の演奏も、とても素敵でした。
お互いの音の響き、余韻を強く感じながら、音を紡いでいる様子がとてもよく伝わってきました。
休符ということではなく、音が響ききった後の「音のない時間」がとても意味深く感じました。
また、ピチカ―トに乗って、相方が民謡風のメロディやモノローグ風のフレーズを奏でる箇所が、ことのほか印象に残りました。
向山さんのチェロは初めて聴きましたが、本当に逞しい。
朗々と響いていました。
女性らしい響きかなと勝手に想像していたので、いささか驚きました。
しかし、漆原さんとの相性はぴったり。
2人とも遠慮なく切り込んでいくんですが、そこには阿吽の呼吸のようなものがあって、まさに絶妙でした。
パンフレットによると、2人はプライベートでもとても仲がいいそうです。

最後の曲は、ヨークのトランシリエンス。
ヨークは、ロサンジェルスギター四重奏団のメンバーとして、そして演奏効果の高いギター曲の作曲家として、ギターを弾くものには馴染み深い音楽家です。
この曲のオリジナルはギター・チェロ・フルートのための作品で、この日はフルートに代えてヴァイオリンが加わっての演奏でしたが、ヨークらしい華やかさとリズムの面白さがあって、すっかり楽しませてもらいました。

アンコールは、アヴェ=マリアとリベルタンゴの2曲。
肩の力が抜けた3人の妙技に、ただただうっとり。
この日の演奏は、打ち震えるような感動を・・・というタイプのステージではなく、「奏者も聴衆も音楽を楽しむことができる室内楽」で、私はとても幸せな気持ちでホールを後にしました。
漆原啓子さんの人柄がよく現われた素敵なコンサートでした。

ところで、今日は杉谷昭子さんの「ハンマークラヴィア」を含むコンサートに出かけ、こちらもとっても素晴らしかったのですが、この感想は日を改めて書きます。



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