勝った! 二階級制覇だ。
ボクシングの長谷川穂積選手が、昨夜世界フェザー級の新チャンピオンになった。
それも、まさかのTKO負けを喫したバンタム級から二階級上げてのタイトル奪取。
天国のお母さんも、きっと喜んでおられることでしょう。
本当におめでとうございます。
タイトルをとったということも勿論素晴らしかったが、その試合内容が凄かった。
「魂のこもった」なんて言葉は安易に使いたくないが、この日の長谷川選手のファイトをみてると、「魂」という言葉以上にふさわしい表現が思いつかない。
ポイントで明らかにリードしているにもかかわらず、最後まで絶対後ろに下がることのない強烈なファイティング・スピリッツ。
「どんな不細工な内容でも、とにかく絶対勝つんだ」と試合前に語っていたとおりのファイトをしてくれた。
この試合を見て感動しなかった人はいなかったと思う。
ただ、試合の中で、何ラウンドだったか忘れたが、一回だけ危ないシーンがあった。
相手の強力なパンチを浴びて、棒立ちになってしまったのだ。
まさしく、いつ倒れてもおかしくない状況だった。
しかし、彼は本能だけで立ち続け、しかもアグレッシヴに戦う姿勢を崩さなかった。
これが結果的に勝利に結びついたのだと思う。
また、このときボクサーとしての本能で立っていたのは紛れもない事実だけど、この紙一重の場面では、10月に亡くなったお母さん(長谷川選手は愛情をこめて「おかん」と呼んでいた)が、そっと天国から力を貸してくれたのかもしれない。
いずれにしても、稀に見る素晴らしい試合だった。
さて、「魂という言葉は安易に使いたくない」と今書いたばかりだけど、最近聴いたディスクで、「これは凄いわ!」と思わせてくれるものに出会った。
それが、このテンシュテットがベルリンフィルを振ったドヴォルザークのライヴだ。
<曲目>
■プフィッツナー:劇付随音楽『ハイルブロンの娘ケート』序曲
■モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
■ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 作品88
<演奏>
■バベッテ・ヒーアホルツァー(ピアノ)
■クラウス・テンシュテット(指揮)
■ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
<録音>1980年10月 ベルリンフィルハーモニー
何気なく、交響曲の冒頭を聴き始めた私は、思わず座りなおして最後まで聴くことになった。
曖昧な箇所はまったくない。
ピーンと張り詰めた独特の緊張感が、コンサート全体を貫いていた。
ベルリンフィルの猛者たちが必死に食らいついている様子が、ひしひしと伝わってくる。
ドヴォルザークの8番と言えば、牧歌的で美しいシンフォニーという印象を持っていたが、このテンシュテットたちの演奏は、そんなイメージを根底から変えるだけの凄みを持っていた。
たとえば、第2楽章の主題の扱い。
旋律をふわりと美しく歌わせるというよりも、ギリギリの状態でフレーズは始まる。
そして、出てきた音は生の声に近かった。
その気持ちの籠った肉声を徐々に発展させることで、結果的に実に感動的な表情として聴き手に伝わってくるのだ。
こういう表現、アプローチがあるんだと改めて思い知らされた。
どちらかというと、マーラー的なアプローチといえるかもしれないが、テンシュテットの音楽のもつ凄味というのは、やはり尋常じゃない。
コンサート会場にいたら、きっと金縛りにあったような状況に陥ったことだろう。
気軽に取り出して聴く類のディスクではないが、きっと折に触れてこの演奏を聴き続けると思う。
ボクシングの長谷川穂積選手が、昨夜世界フェザー級の新チャンピオンになった。
それも、まさかのTKO負けを喫したバンタム級から二階級上げてのタイトル奪取。
天国のお母さんも、きっと喜んでおられることでしょう。
本当におめでとうございます。
タイトルをとったということも勿論素晴らしかったが、その試合内容が凄かった。
「魂のこもった」なんて言葉は安易に使いたくないが、この日の長谷川選手のファイトをみてると、「魂」という言葉以上にふさわしい表現が思いつかない。
ポイントで明らかにリードしているにもかかわらず、最後まで絶対後ろに下がることのない強烈なファイティング・スピリッツ。
「どんな不細工な内容でも、とにかく絶対勝つんだ」と試合前に語っていたとおりのファイトをしてくれた。
この試合を見て感動しなかった人はいなかったと思う。
ただ、試合の中で、何ラウンドだったか忘れたが、一回だけ危ないシーンがあった。
相手の強力なパンチを浴びて、棒立ちになってしまったのだ。
まさしく、いつ倒れてもおかしくない状況だった。
しかし、彼は本能だけで立ち続け、しかもアグレッシヴに戦う姿勢を崩さなかった。
これが結果的に勝利に結びついたのだと思う。
また、このときボクサーとしての本能で立っていたのは紛れもない事実だけど、この紙一重の場面では、10月に亡くなったお母さん(長谷川選手は愛情をこめて「おかん」と呼んでいた)が、そっと天国から力を貸してくれたのかもしれない。
いずれにしても、稀に見る素晴らしい試合だった。
さて、「魂という言葉は安易に使いたくない」と今書いたばかりだけど、最近聴いたディスクで、「これは凄いわ!」と思わせてくれるものに出会った。
それが、このテンシュテットがベルリンフィルを振ったドヴォルザークのライヴだ。
<曲目>
■プフィッツナー:劇付随音楽『ハイルブロンの娘ケート』序曲
■モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
■ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 作品88
<演奏>
■バベッテ・ヒーアホルツァー(ピアノ)
■クラウス・テンシュテット(指揮)
■ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
<録音>1980年10月 ベルリンフィルハーモニー
何気なく、交響曲の冒頭を聴き始めた私は、思わず座りなおして最後まで聴くことになった。
曖昧な箇所はまったくない。
ピーンと張り詰めた独特の緊張感が、コンサート全体を貫いていた。
ベルリンフィルの猛者たちが必死に食らいついている様子が、ひしひしと伝わってくる。
ドヴォルザークの8番と言えば、牧歌的で美しいシンフォニーという印象を持っていたが、このテンシュテットたちの演奏は、そんなイメージを根底から変えるだけの凄みを持っていた。
たとえば、第2楽章の主題の扱い。
旋律をふわりと美しく歌わせるというよりも、ギリギリの状態でフレーズは始まる。
そして、出てきた音は生の声に近かった。
その気持ちの籠った肉声を徐々に発展させることで、結果的に実に感動的な表情として聴き手に伝わってくるのだ。
こういう表現、アプローチがあるんだと改めて思い知らされた。
どちらかというと、マーラー的なアプローチといえるかもしれないが、テンシュテットの音楽のもつ凄味というのは、やはり尋常じゃない。
コンサート会場にいたら、きっと金縛りにあったような状況に陥ったことだろう。
気軽に取り出して聴く類のディスクではないが、きっと折に触れてこの演奏を聴き続けると思う。