ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ドヴォルザーク:交響曲第8番他 by テンシュテット&ベルリン・フィル (1980年 Live)

2010-11-27 | CDの試聴記
勝った! 二階級制覇だ。
ボクシングの長谷川穂積選手が、昨夜世界フェザー級の新チャンピオンになった。
それも、まさかのTKO負けを喫したバンタム級から二階級上げてのタイトル奪取。
天国のお母さんも、きっと喜んでおられることでしょう。
本当におめでとうございます。

タイトルをとったということも勿論素晴らしかったが、その試合内容が凄かった。
「魂のこもった」なんて言葉は安易に使いたくないが、この日の長谷川選手のファイトをみてると、「魂」という言葉以上にふさわしい表現が思いつかない。
ポイントで明らかにリードしているにもかかわらず、最後まで絶対後ろに下がることのない強烈なファイティング・スピリッツ。
「どんな不細工な内容でも、とにかく絶対勝つんだ」と試合前に語っていたとおりのファイトをしてくれた。
この試合を見て感動しなかった人はいなかったと思う。

ただ、試合の中で、何ラウンドだったか忘れたが、一回だけ危ないシーンがあった。
相手の強力なパンチを浴びて、棒立ちになってしまったのだ。
まさしく、いつ倒れてもおかしくない状況だった。
しかし、彼は本能だけで立ち続け、しかもアグレッシヴに戦う姿勢を崩さなかった。
これが結果的に勝利に結びついたのだと思う。
また、このときボクサーとしての本能で立っていたのは紛れもない事実だけど、この紙一重の場面では、10月に亡くなったお母さん(長谷川選手は愛情をこめて「おかん」と呼んでいた)が、そっと天国から力を貸してくれたのかもしれない。
いずれにしても、稀に見る素晴らしい試合だった。

さて、「魂という言葉は安易に使いたくない」と今書いたばかりだけど、最近聴いたディスクで、「これは凄いわ!」と思わせてくれるものに出会った。
それが、このテンシュテットがベルリンフィルを振ったドヴォルザークのライヴだ。

<曲目>
■プフィッツナー:劇付随音楽『ハイルブロンの娘ケート』序曲
■モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
■ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 作品88
<演奏>
■バベッテ・ヒーアホルツァー(ピアノ)
■クラウス・テンシュテット(指揮)
■ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
<録音>1980年10月 ベルリンフィルハーモニー

何気なく、交響曲の冒頭を聴き始めた私は、思わず座りなおして最後まで聴くことになった。
曖昧な箇所はまったくない。
ピーンと張り詰めた独特の緊張感が、コンサート全体を貫いていた。
ベルリンフィルの猛者たちが必死に食らいついている様子が、ひしひしと伝わってくる。

ドヴォルザークの8番と言えば、牧歌的で美しいシンフォニーという印象を持っていたが、このテンシュテットたちの演奏は、そんなイメージを根底から変えるだけの凄みを持っていた。
たとえば、第2楽章の主題の扱い。
旋律をふわりと美しく歌わせるというよりも、ギリギリの状態でフレーズは始まる。
そして、出てきた音は生の声に近かった。
その気持ちの籠った肉声を徐々に発展させることで、結果的に実に感動的な表情として聴き手に伝わってくるのだ。
こういう表現、アプローチがあるんだと改めて思い知らされた。
どちらかというと、マーラー的なアプローチといえるかもしれないが、テンシュテットの音楽のもつ凄味というのは、やはり尋常じゃない。
コンサート会場にいたら、きっと金縛りにあったような状況に陥ったことだろう。
気軽に取り出して聴く類のディスクではないが、きっと折に触れてこの演奏を聴き続けると思う。
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内田光子(P/指揮)&クリーヴランド管弦楽団 来日公演(11/14) @サントリーホール

2010-11-23 | コンサートの感想
順番が後先になってしまったが、クリーヴランドのもう一つのコンサートの感想を。
14日にサントリーで聴いた、内田光子さんのモーツァルトの弾き振りだ。
公演が終わった後も、その感動が薄れないでずっと残っているコンサートに出会うことがあるが、内田さんたちのモーツァルトはまさしくそれだった。
むしろ日を追うごとに、じわりじわりと感銘の度合いが深くなってきたような気がする。

<日時>2010年11月14日(日)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
モーツァルト
■ディヴェルティメント ヘ長調 K138
■ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K488
■ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K491
<演奏>
■内田光子(ピアノ&指揮)
■クリーヴランド管弦楽団

最初のディヴェルティメントは、指揮者なしの演奏。
オケの響きが美しいが、正直それ以上の印象はない。
やはり、内田さんとのコンチェルト2曲が素晴らしかった。
内田さんのピアノと独特の透明感をもつクリーヴランドの相性は、予想通り抜群。
この日選ばれた作品は23番と24番だったが、いずれも「あー、モーツァルト!」と呟きそうになるくらい素敵な演奏だった。
この2曲は、良く知られているように、「フィガロの結婚」とほぼ同時期に書かれた双子のような作品だ。
モーツァルトは、弦楽五重奏曲第3番ハ長調と第4番ト短調、交響曲第40番ト短調と第41番ハ長調「ジュピター」というように、長調と短調を組み合わせて数々の傑作を残しているが、この2つのピアノコンチェルトも、対にして聴くと独特の味わいを感じることができる。

なかでも、23番K.488は私の最も好きな曲のひとつだ。
この日の演奏では、とりわけ第2楽章のシチリアーノが哀しいくらいに美しかった。
内田さんのピアノをステージで聴くのは、実はこの日が初めてだったが、とにかく音が美しい。
美しいうえに粒が揃っているので、彼女のモーツァルトが素晴らしいのは当然かもしれない。
弾き振りということもあって、ソリストとして演奏するときよりは、やや動的な方向にウェイトがかかった演奏だったが、それがフィナーレの躍動感に繋がっていたと思う。

後半の24番K.491は、23番をさらに上回る素晴らしい演奏だった。
23番のときは通常のオケの配置だったが、24番では対抗配置にしていたのが興味深い。
ところで、このハ短調協奏曲には、私がとても大切にしているディスクがある。
それは、ザンデルリンクの引退演奏会で内田さんがピアノを弾いているライヴ盤だ。
このディスクで聴くモーツァルトは、もはや「ここがどうの、あそこがどうの」というようなコメントを必要としない。
そのくらいの名演奏だと思う。
その意味でも、私はこの日、生で聴くハ短調協奏曲を楽しみにしていた。
そして、内田さんたちは、予想をはるかに超える感動を与えてくれた。
とくに第2楽章ラルゲットの素晴らしさは、今でもはっきり思いだすことができる。
静かに淡々と弾き進められるのだけど、その中にどこか憧れのようなものがいっぱい詰まっているような気がして、私は思わず目を閉じた。
目を閉じていると、さまざまな情景が頭に浮かんでくる。
内田さんのピアノが、そしてそのピアノに絶妙に絡む弦や木管が描き出す情景は、格別に柔らかだった。
控え目にフレーズを飾る装飾音符も、実にセンスがいい。
そして、この楽章のラスト5小節、ファゴットが16分音符を刻む中、名残惜しそうに歌う内田さんのピアノを聴きながら、私は胸がいっぱいになった。
先ほども書いたが、「あー、素敵なモーツァルト。やっぱり、モーツァルトが大好きだ。」と思わせてくれた瞬間でもあった。

是非、もう一度このコンビで、モーツァルトを聴いてみたい。
今度は、できればジュノームが聴きたいなぁ。
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ウェルザー=メスト&クリーヴランド管弦楽団 来日公演(11/17) @サントリーホール

2010-11-20 | コンサートの感想
今週のトピックスの一つは、ボジョレー・ヌーヴォー解禁の話。
解禁日の18日はどうしても外せない懇親会があったので、私の初飲みは一日遅れの昨日19日と相成りました。
銘柄は、すでに我が家の定番となりつつあるフィリップ・パカレ。
果たして今年のお味はどうか?
ゆっくりコルクを開けて、ワイングラスにパカレのボジョレーを満たす。
そして早速一口いただく。
美味しい。ほんとに美味しいよう~。
エレガントでフルーティな香りが、口の中いっぱいに広がる。
何とかの一つ憶えみたいに「美味しい」を連呼しても能がないのだけど、それ以外に言葉が見つからないのだ。
素晴らしい音楽を聴いたときと同様、「生きてて良かった」と心底思わせてくれる瞬間だった。
「美味しいボジョレー」を探しておられる方はもちろん、「ボジョレーなんて所詮・・・」と仰る方にこそ、是非このフィリップ・パカレのボジョレーを飲んでいただきたい。
そう思います。

ボジョレーの話はそのくらいにして、今週のもうひとつのトピックスはクリーヴランド管弦楽団の来日公演。
思うところがあって、今回は14日の内田光子さん弾き振りのモーツァルトと、17日のウェルザー=メストが振ったブルックナーの2公演を聴いた。
順番を逆にして、まず17日のウェルザー=メストが指揮した公演の感想を書かせていただく。

<日時>2010年11月17日(水)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
■武満徹:夢窓
■ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調
<演奏>
■フランツ・ウェルザー=メスト指揮
■クリーヴランド管弦楽団

前半のドビュッシーと武満徹の作品は、ともに印象派の絵画を見ているような美しい演奏だった。
ドビュッシーでは、日溜まりにいるような暖かな表情(とくにソロフルート)が私の心を和ませてくれたし、初めて聴く武満さんの作品では、夢窓疎石にインスピレーションを得たという和の精神が独特の色彩感の中で表現されていて、静かな感動を覚えた。
いずれも、このオーケストラ特有の透明感のあるサウンドにぴったりの選曲だったと思う。

後半は、ブルックナーの7番。
ブル7といえば、10月にスクロヴァチェフスキ&読響の名演を聴いたばかりだが、ウェルザー=メスト&クリーヴランドの演奏も甲乙つけがたいくらい素晴らしかった。
私がとくに感動したのはフィナーレ。
冒頭主題の何と見事なこと!
この短いフレーズの中で、彼らの演奏のように、もう目の前がぱっと開けてくるような鮮やかな印象を与えることは、ほとんど奇跡に近いのではないだろうか。
テンポといい、付点のリズム感といい、ダイナミクスといい、今まで私が聴いたことがないような鮮烈さだった。
そして、その奇跡のような表現力は、この楽章の最後まで神通力を失わない。
一方、第2楽章アダージョでは、深遠な表情の中にブルックナーの心の叫びが十全に表現されていたし、第3楽章スケルツォでも生気溢れる表現が際立っていた。
しかし、フィナーレの息を飲むような見事な演奏は、その前2楽章の素晴らしさをも凌駕するくらいのインパクトをもっていたのだ。

美しい弦の響き、絡み方が絶妙な木管群、独りよがりの爆発は決してしないが十分な力感を持ったブラス、いずれもクリーヴランドの特長だけど、何よりも室内楽をそのまま大きくしたような精妙でバランスの良い響きこそが、このオケの刻印だろう。
とくに弱音の美しさと、最強奏部であっても絶対飽和状態にならない(=団子の和音にならない)クリーヴランドサウンドは、一度聴いたら忘れられない。
やはり、セルの遺産が脈々と引き継がれていると実感させられる。
1970年の大阪万国博覧会の年に来日して、「伝説の名演奏」と今も語り継がれるセルたちの演奏(モーツァルトの40番、エロイカ、シベリウスの2番等のプログラム)を、当時大阪にいながら聴き損ねた私としては、今回の公演は何としても聴きたかった。
いや聴かねばならなかった。
そして、ウェルザー=メストとクリーヴランドは、私の勝手な期待に見事に応えてくれた。
その意味でも、ただ感謝あるのみだ。

しかし、人間とは何ともわがままなもので、これだけ素晴らしい演奏を聴かせてくれたクリーヴランドに対してでさえ、私には、ほんのちょっぴり物足りないものがあった。
「ウィーンフィルにあってクリーヴランドにないもの」と言ってもいいかもしれない。
上手く言えないが、それは「一種のとろっとした甘さ・質感」のようなものだろうか。
ただ、このあたりの話はもっぱらオケの個性に属する領域であり、私自身の嗜好以外の何ものでもない。
ウィーンフィルを一途に愛してしまった男の繰り言と思って、ご放念ください。
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プレートル&ウィーンフィル来日公演(11/10) @サントリーホール

2010-11-14 | コンサートの感想
先週聴いたもう一つのコンサート、それはウィーンフィルの来日最終公演だった。
ウィーンフィルは一昨年から連続して来日しており、今回はその締めくくりの年にあたる。
今回のウィーンフィルの来日公演は、11/3にコントラバスのシュトラッカさんが富士山登山中に不慮の事故で亡くなるという痛ましい出来事もあった。
しかし、もっと前から、信じられないようなハプニングに見舞われていたのだ。
当初、今年の来日公演は、ウィーン国立歌劇場の音楽監督でもあった小澤征爾さんの指揮で、「マーラーの9番」「ブルックナーの9番」「ドボルザークの9番(新世界)」という9番シリーズ(何と意味深い!)をメインに据えて、全国ツアーを行う予定だった。
それが小澤さんの病気によって、急遽サロネンと若いネルソンスに変更される。
つれて演奏曲目も変更になった。
しかし、ハプニングはそれでも収まらない。
先月になって、今度はそのサロネンが「自身のコントロールの及ばない事情」により、再び降板することになったのだ。
そんな大ピンチを救ったのが、小澤さんのウィーンの後任でもあるウェルザー=メストと御大ジョルジュ・プレートルだった。
というわけで、私の聴くはずだったサロネンの「マーラーの9番」は、結局プレートルの「シューベルトの2番」と「エロイカ」に変わった。
この変更が、果たして吉と出るか凶と出るか。
興味津々で開演を待った。

<日時>2010年11月10日(水)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D125
■ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55「英雄」
(アンコール)
■ブラームス:ハンガリー舞曲第1番 ト短調
■J.シュトラウスⅡ:トリッチ・トラッチ・ポルカ op.214
<演奏>
■ジョルジュ・プレートル(指揮)
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

先ほど興味津々という言葉を使ったが、それは指揮者あるいは曲目変更の影響のことだけではない。
川崎公演で異常なくらい空席が目立ったとか、公演によっては「ウィーンフィルとは信じられないような音だった」という信じ難い評判を耳にしていたからだ。
私が心から愛しているウィーンフィルの音楽が本当に変わってしまったのかどうか、この目と耳で、しかと確認させてもらおうと思った次第。

プレートルが大きな拍手に迎えられてステージに登場する。
この86歳のマエストロに、老いの気配が全くないのが嬉しい。
そして、シューベルトの最初の音が鳴り響く。
私は、序奏の1小節を聴いただけで涙が出そうになった。
豊かだけど絶対重くならない、あのウィーンフィルにしか出せない幸福なサウンドがそこにあったから。
弦の美しく伸びやかな表情に、フルーリーのフルートが絶妙に絡む。
しばらくの間、そんなやり取りを繰り返した後、これ以上ないくらい自然な感じで主部に滑り込む。
滑り込んだ先は、まさにアレグロ・ヴィヴァーチェのお手本のような軽快さを持った世界だ。
コンマスのキュッヘルが顔面を少し紅潮させながら、懸命にプレートルの指揮に応える姿が微笑ましい。
しかも、愉しくて仕方がないと言わんばかりに、実にいい表情をしている。
ふと周りの奏者たちを見ると、みんなキュッヘルと同じ表情だ。
これが「フィルハーモニー」、ウィーンフィルなんだ。
私の心配は、またたく間に杞憂と消えた。
後は安心して1年間待ち焦がれた恋人と再会できた幸せを、じっくり味わうだけだ。
あまりに幸せすぎて、それ以降の細かな部分はほとんど覚えていない。
でも最高に愉しいシューベルトだったことは断言できる。

後半は、ベートーヴェンの「エロイカ」。
結論から言ってしまうと、この日の演奏は、将来「伝説のエロイカ」として永く語り継がれることだろう。
そのくらいの名演だった。
とくに第2楽章の格調の高さは比類ない。
この楽章だけ、タクトを置いて手だけで指揮をしたマエストロの気概が成せる技だったのだろうか。
とにかく濃密な音楽だった。
ラストでついに途切れ途切れになってしまうテーマを、これほど意味深く表現した演奏を私は知らない。
まるで、倒れても倒れても何度でも立ち上がり、ひたすら前を向いて進もうとする人間の生きざまを、目の前で見せつけられているような気がした。

続くスケルツォ以降、プレートルとウィーンフィルはさらなる高みに上り詰める。
そして、文字通り「不滅の名演」といって差し支えない音楽を聴かせてくれた。
とりわけ印象的だったのは、スケルツォのトリオ。
そのトリオの部分に来ると、マエストロは、ほんの少しテンポを緩めた後、指揮棒を止めた。
そしてホルンの方に向かって、「ここから先はあなた方の世界だ。拍を刻まないから、どうぞ皆さんで存分に吹いてください」とでも言うようなジェスチャーで演奏を促す。
そのマエストロの期待に応えるように、にっこり微笑んで吹き始めたホルンの何と素晴らしかったことか。
ウィンナホルンの真の魅力を、この日初めて体感させてもらった。
一方、フィナーレでは次のバリエーションに移るたびに、どんどん新しい世界が広がっていく
それでいて、パーツパーツは決してばらばらにならずに、全体として見事なまでの統一感を示していた。

柔らかな息遣いと、多彩な音色、そして力強い表現力。
そんなウィーンフィルの類稀れな美質を十二分に引き出しながら、抜群の構成力で圧倒的な音楽を聴かせてくれたプレートル。
指揮者・曲目変更は、私にとって「吉」と出た。
こんな名演奏の生まれた瞬間に立ち会うことができて、私は本当にラッキーだったと思う。
そして何よりも一年越しで再開した恋人ウィーンフィルが、相変わらず魅力的であったことに正直安堵している。
次回はいつ会えるのだろうか。
再び会える日を、今から心待ちにしている。
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庄司紗矢香ヴァイオリン・リサイタル (11/8) @サントリーホール

2010-11-13 | コンサートの感想
今週は、サントリーホールで2つのコンサートを聴いた。
ひとつは庄司紗矢香さんのリサイタル、もうひとつはウィーンフィルの来日最終公演で、いずれも大変大きな感銘を受けた。
まず、8日に聴いた庄司さんのリサイタルの感想を。

<日時>2010年11月8日(月)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
ベートーヴェン
■ヴァイオリンソナタ第2番イ長調 op.12-2
■ヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調 op.24「春」
■ヴァイオリンソナタ第9番イ長調 op.47「クロイツェル」
(アンコール)
■ヴァイオリンソナタ第8番より、第2楽章:テンポ・ディ・メヌエット
<演奏>
■庄司紗矢香(ヴァイオリン)
■ジャンルカ・カシオーリ(ピアノ)

庄司紗矢香さんは、ヒラリー・ハーンと並んで私が最も期待する(というよりも大好きな)ヴァイオリニストのひとりだ。
しかし、「大好きだ」といいながら、実演を聴くのは今回が初めて。
期待するなという方が無理というもの。
ところで、さる方によれば、庄司さんは有名なオジサンキラーだとか。
必死の思いで前から2列目の席をゲットした私などは、さしずめ典型的なオジサンというべきか。
うーん、否定できないなぁ(笑)

さて、今回のプログラムは、オールベートーヴェンプロ。
初期・中期・後期の作品から1曲ずつ選んだ非常に意欲的なプログラムだ。
ステージが暗くなり、庄司さんとカシオーリがステージに登場する。
庄司さんは予想以上に小柄だ。
ヴァイオリンが大きく見える。
呼吸を整えたあと、最初の第2番が始まった。
テンポが遅い・・。
というよりも、二人が手探りで、そろりそろりと会話を始めた感じだ。
弾力性に富んだ、あの軽快なアレグロ・ヴィヴァーチェを想像していたので、ちょっと意外な印象を受ける。
そして、この意外な印象は、結局このソナタを聴いている間、ずっと拭えなかった。
ただ第2楽章あたりは、庄司さん本人が書いているように、ハッとするくらい美しい瞬間が散見されたのだけれど・・・。

最初の曲が、思い描いていた庄司さんのイメージとかなり違った演奏だったので、私の頭の中はいささか混乱していた。
そんな中、次の「春」が始まった。
第2番と比べると、かなり流麗な表現だ。
しかし、フレージングもアーティキュレーションも、二度と同じことをしないと決めているかのように刻々と変化していく。
だから、聴き始めたときには、「こんなに美しい音楽なんだから、もう少し長めにしっとり歌ってくれたらいいのに」と思っていた。
ところが、ふと「この表現は彼女の考え抜いた結果なんだ。これが庄司さんが聴衆と共感したかったメッセージなんだ」と思い始めた。
そう考えた瞬間に、謎は解けた。
庄司さんのメッセージに応える方法は、唯一つ。
庄司さんとカシオーリが今まさに作り出そうとしている一つ一つの音、その音の鮮度を肌で感じ取りながら、彼らの会話に自分も参加することだ。
つまり、聴かせてもらうのではなく、自分から入り込めばいいんだ。
そう思って聴くと、すべては新しい発見となって、私の体の中にすっと入り込んできた。
即興的といってもいい表現が、小気味いいくらいにビシビシ決まっていく。
そしてその即興性は、決して思いつきや独善的な解釈ではないことが分かってくる。
ようやく、私も呼吸を合わせて愉しめるようになってきた。
そうこうしているうちに、素敵な「春」が終わった。

後半は、クロイツェル。
これは素晴らしかった。
彼らの演奏を愉しむコツを会得したからかもしれないが、音楽そのものの深みが違うので、感動の大きさも自ずと違ってくる。
まさに心に響く名演だった。
それにしても、このクロイツェルで見せた庄司さんの表現力の多彩さには驚くばかり。
きつい音、擦れた音も平気で出すかと思えば、逆に羽毛のような柔らかな音を紡いで夢みるような情景を描きだす。
同じ旋律を扱っても、その都度ニュアンスがデリケートに変化していた。
こんなヴァイオリンは、あまり聴いたことがない。
誤解を恐れないで言うと、この日の庄司さんは「女クレーメル」のようだった。
(ただ、本家クレーメルがアルゲリッチと組んでDGに録音しているベートーヴェンのソナタの演奏は、庄司さんたちのそれとは、まったくスタイルが違っています)

それから、この日の演奏で絶対忘れてはいけないのは、カシオーリのピアノ。
この人のピアノの音は本当に美しい。
サントリーホールで多くのピアニストの音を聴いてきたが、その中でも出色だと思う。
加えて、知的にコントロールされた表現力と即興的なセンスを併せ持っているので、庄司さんのパートナーとしてもうってつけだろう。(この点が、昨年の来日公演でヒラリー・ハーンのパートナーをつとめたリシッツァとは大違いだ!)

彼は10代から活躍しているので、そろそろベテランの域にさしかかったかのと思っていたが、まだ30歳の若さだとか。
是非一度、彼のモーツァルトを聴いてみたい。
きっと現代を代表するようなモーツァルトになる予感がする。

最初戸惑い、途中にっこり、最後は大満足という印象的なコンサートだった。
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アーノンクール バッハ:ミサ曲ロ短調(10/26) @サントリーホール

2010-11-04 | コンサートの感想
ウィーンフィルのコントラバス奏者シュトラッカさんが、3日亡くなった。
来日公演中のオフの時間を利用して富士山に登り、その途中で事故にあわれたそうだ。
41歳という若さだっただけに、本当に残念。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

先月、サントリーホールで聴いたアーノンクールの「ロ短調ミサ」を思い出しながら、シュトラッカさんを追悼したい。
以下、そのときの感想を。

<日時>2010年10月26日(火)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>J.S.バッハ:ミサ曲 ロ短調 BWV232
<演奏>
■ドロテア・レッシュマン(S)
■エリーザベト・フォン・マグヌス(M-s)
■ベルナルダ・フィンク(M-s)
■ミヒャエル・シャーデ(T)
■フローリアン・ベッシュ(Br)
■ニコラウス・アーノンクール指揮
■ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
■アーノルト・シェーンベルク合唱団

アーノンクールの実演に接するのは、2006年のウィーンフィルの来日公演と、同年のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスと組んだ「メサイア」以来だ。
このときの「メサイア」は、眩いばかりの光を放つ、文字通り「最高のメサイア」だった。
特に、ゆったりとしたテンポにのせて聴き手を優しく包み込んでくれたハレルヤ・コーラスの幸福感は、今も鮮明に憶えている。
しかし、今回の「ロ短調ミサ」は、音楽そのものが全く違う。
バッハ最晩年の傑作を、アーノンクールはどんな形で聴かせてくれるのか。
興味津津で開演を待った。

舞台に登場したマエストロは、歩みこそゆったりしているものの、80歳を超えたとは到底信じられないくらい全身に覇気がみなぎっていた。
これをオーラと呼ぶのだろうか。
「キリエ」が始まる。
響きが美しい。
しかし、フレージングが短めであるせいか、意外なくらい合唱に伸びやかさが感じられない。
少しもどかしさを感じながらも、音楽は先へ進んでいく。
アーノンクールの呼吸と一体感を感じられるようになったのは、グローリアに入ってからだ。
第6曲の独奏ヴァイオリンと戯れるメゾソプラノのアリアが美しい。
かつてこのオケでリコーダーを吹いていたというマグヌスの柔らかな声が、音楽にぴったり合っている。
そして第9曲の合唱「クイ・トリス」の深さに、私は大きな感銘を受けた。

しかし、圧倒的に素晴らしかったのは、第2部のクレドに入ってから。
世界一のコーラスだと信じて疑わないアーノルト・シェーンベルク合唱団も、ここでようやく本領を発揮してくれた。
まさに神業といえる演奏だった。
そして、さらなる高みに達していたのが、第3部のサンクトュス以下。
とくに、第4部「アニュス・デイ」の高貴なまでの美しさは、何と表現すればよいのだろう。
静かに語りかけるようなヴァイオリンに導かれて歌い出すフィンクの声を聴くと、もう目がうるんできた。
前半の歌が終わると、弦の短い間奏が始まる。
このとき伴奏が刻む8分音符と8分休符の意味深さを、私はこの日初めて思い知らされた。
まるで心臓の拍動のように聴こえたのだ。
そして、その拍動の上に、メゾソプラノの歌唱が重なる。
この感動は、とても私の拙い言葉では表現できない。
24日にNHKホールで同じロ短調ミサが演奏されており、そのときの演奏が近くオンエアされるはずなので、是非ともこの「アニュス・デイ」を聴いてください。
絶対分かっていただけると思うので・・・。

「アニュス・デイ」に完膚なきまでに打ちのめされた直後、地の底から湧き出てくるように終曲の合唱「ドナ・ノビス・バーチェム」が聴こえてくる。
改めてバッハの偉大さを思い知らされた瞬間だった。
バッハの最高傑作を、最高の敬意を払いながら最上の表現で私たちに聴かせてくれたアーノンクールと仲間たちに、心から感謝したい。

アーノンクール自身「最後のツアーの、最後の公演」と言っているので、おそらく今回が日本における「サヨナラ・コンサート」になるのだと思うけど、何か奇跡が起こらないものだろうか。
マエストロ、終演後のスタンディング・オベーションを是非思いだしてください。
何年でも、祈るような気持ちでお待ちしています。
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