ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

パク・キュヒ ギター・リサイタル  (BSプレミアム:クラシック倶楽部)

2012-01-15 | BS、CS、DVDの視聴記
一昨日は13日の金曜日。
今年最初の月から「13日の金曜日」というのも少々気になっていたが、大きな事件もなく一安心。
そしてこの日、野田内閣も新しくなったが、くだらない失言等で貴重な時間と金を無駄にしないように、とにかく本気でやってください。
望むのは、ただそれだけです。

さて、この週末、録画しておいた番組をチェックしていて、私は画面に釘づけになった。
私をそれほどまでに驚かせてくれたのは、韓国生まれのパク・キュヒさん。
1985年生まれというから、まだ20代の若い女流ギタリストだけど、とにかく物凄い才能だ。
ブローウェルのソナタやリョベートの変奏曲等の難曲を軽々と弾きこなす技術の高さ、紡ぎだす音色の類まれな美しさ、トレモロの飛びっきりの美しさ等、個別に美質を挙げるだけならいくつでも出てくる。
しかし、彼女の凄さは、それらの美質がすべて音楽の表現のために使われていることだ。

最近のギター界の事情に対して少々疎くなってしまったので、彼女の活躍ぶりをあまり知らなかった。
オンエアされたのは昨年2月に東京で行われたコンサートの模様だったが、最初のスカルラッティから、その豊かで暖かい音楽性に私はすっかり魅了されてしまった。、
妙な言い方で恐縮だけど、「ギターでスカルラッティを上手に弾いてますよ」という感じが全くしないのだ。
楽器の存在を感じさせないというか、スカルラッティの音楽だけが空間に響いていた。
生のコンサートでは、時としてこのような現象が起こり、聴衆に大きな感動を与えてくれるのだけど、画面を通してこのような気持ちにさせてくれることは滅多にない。
その後弾かれたブローウェルのソナタも、実に生き生きと表現で、聴いていて嬉しくなった。
初演者であるジュリアン・ブリームの、骨格のはっきりした確信に満ちた名演とは随分スタイルが異なるが、彼女の自然で大らかな演奏は格別の魅力を感じさせる。
そして、この日の白眉は、バリオスの名作「森に夢見る」、そしてアンコールで弾かれた「アランブラ宮殿の思い出」。
いずれも情感豊かに歌い上げられていて、本当に心に沁みるような演奏だった。

この人の技術的にみた一番の長所は、脱力がほぼ完全に出来ていることだろう。
それが左手と右手のバランスの良さにつながり、右手を自由にコントロールできるからこそ、あの美しいタッチが生まれるのだと思う。
使用していた楽器は、ヘッドの形からおそらくフランスの名工フレドリッシュのものだと思うが、この名器との相性も抜群。
擦弦楽器(ヴァイオリン等)と聴き間違えるような大きなフレージングで、音楽を表情豊かに表現できるパクさん。
これからが本当に楽しみだ。
今度東京でコンサートがあれば、そのときは必ず行きますね。

☆パク・キュヒ ギター・リサイタル
<日時> 2011年2月10日(木)
<会場> 東京・武蔵野市民文化会館
<曲目>
■スカルラッティ(パク・キュヒ編曲)
・ソナタ ニ短調 K.32
・ソナタ イ長調 K.322
■リョベート:ソルの主題による変奏曲
■ブローウェル:ソナタ
■タレガ:椿姫の主題による幻想曲
■バリオス:森に夢みる
(アンコール)
■タレガ:アランブラ宮殿の思い出

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「小澤征爾 オペラへの情熱」(BS hi)

2011-01-09 | BS、CS、DVDの視聴記
2011年の最初の週がようやく終わった。
テンションがあまり上がらないのに、やることだけがやたら多くて、結構疲れました。
画像は、7日の金曜日に外勤の合間を見つけて、芝の増上寺にお参りした時のもの。
平日の午前中ということもあって、参拝客もちらほら。
ゆったりとした気持ちで、お参りさせていただくことが出来た。
ふと見上げると、増上寺の隣に、東京タワーが凛々しくそびえたっている。
ビッグツリーもいいけど、東京タワーの上品な佇まいは、やはり捨てがたいなぁ。

さて、12月に沢山録り溜めた番組を、暇を見つけて少しずつ見始めている。
この小澤さんのドキュメンタリー番組は、もともと平成13年にオンエアされたもので、
ラヴェルの「スペインの時」を題材に、若者達を教えながらみんなでオペラを作り上げていく過程を描いたもの。
全編興味深い話ばかりだけど、特に印象に残ったのが次のシーン。

指揮を見ないで演じようとした男子学生に、小澤さんは注意する。
「指揮者を見てないと、オーケストラの音の海の中でおぼれるぞ」
指揮者を見るというのはあまりに当たり前の話だけど、何か別の意味があるのだろうか。
謎はすぐに解けた。

小澤さんがインタビュアーに向かって説明を始める。
「カラオケというのがありますよね。
カラオケは、音がまず鳴ってて、それを聴いて歌いはじめます。
それは、正確に言うと、音より少し遅れて歌っていることになるんです。」
小澤さんは、さらに続ける。
「子音を、オケの音のほんのちょっとだけ前に発音すると、歌詞が明瞭に聴こえるんです。
一流の歌手は、みんなそうやってます。
『声が通る』と言いますが、それは子音がはっきり聴こえるからです。決して声がでかいからじゃないんです。
それを実現するためには、オケの音が出てからでは遅いので、指揮者を利用すること、つまり指揮者を見て歌いだすことが大切なんです。」

この小澤さんのコメントは、私にとって目から鱗だった。
声楽を専門的に学ばれた方にとっては常識かもしれないけど、私は目の前の霧がさっと晴れる思いがした。
聞くところによると、小澤さんは、近々持病の腰の手術に踏み切られるとか。
偉大なマエストロの一日も早い回復を願っています。
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マティス&若杉弘 R・シュトラウス:「4つの最後の歌」ほか @サントリーホール

2010-02-12 | BS、CS、DVDの視聴記
あー、さむいさむい。
花粉大魔神も、そろそろ暴れ出した。
外勤には一番いやなコンディションだ。
そしてこんな日の外勤に限って、とびきり手強いミッションが待っている。
しかし、今日は何故かいやな予感がなかった。
理由はいたって単純。
某日本テレビ系の「あかさたな占い」で、私の「は」行が最高の運勢だったのだから・・・
「信ずる者は救われる」じゃないけど、果たして手強いミッションとやらも難なくクリア。
今日はなかなかに良き日でありました。

さて、良き日と言えば、今日2月12日はエディット・マティスさんのお誕生日。
何回目かって?
そんな野暮なことを言ってはいけません。
ただただ、いつまでもお元気でいてくださいと願うばかりでございます。
これって、ひとりの熱狂的ファンの本心ですよ(汗)
今日のタイトルだって、本当は「エディット・マティス3」としたかったのだけど、3回も続けて同じ女性歌手のことをエントリーしていると思われるのが恥ずかしくて、みえみえの小細工をしたくらいなのだから。

そのマティスさんが歌った貴重な録画映像を引っ張り出してきた。
1989年に若杉弘さんに率いられて来日したドレスデンシュターツカペレのコンサートだ。
彼女が歌っているのは、R・シュトラウスの「4つの最後の歌」。
中でも第3曲の「眠りの前に」と第4曲「夕映えのなかで」が、とびきり美しい。
マティスさんの知的で深い情感を中に秘めたアプローチが、この音楽の本質を見事に言い当てていると思う。
また絶妙の節回しで絡みつくソロ・ヴァイオリン、ホルンの見事さは、まさにシュターツカペレの独壇場。
この曲の正規録音を彼女は多分残していないと思うので、その意味でもこの映像はますます貴重だ。

マティスさんのことばかり書いたけど、冒頭の躍動感に満ちた「ドン・ファン」、全編しっとりと歌わせながら格調高さがとりわけ印象に残るメインの「ブラ4」、そして究極の美しさと評したいアンコールの「月光の音楽」。
いずれも、昨年惜しくも亡くなられた若杉さんの素晴らしい偉業だ。
こんな素晴らしい映像こそ、是非是非また「思い出の名演奏」でとりあげてください。
NHKのプロデューサー・ディレクターの皆様、どうかよろしくお願いします。

<日時>1989年4月5日
<会場>サントリーホール
<曲目>
■R・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
■R・シュトラウス:「4つの最後の歌」
■ブラームス:交響曲第4番ホ短調
(アンコール)
■R・シュトラウス:歌劇「カプリチョ」から「月光の音楽」
<演奏>
■エディット・マティス(ソプラノ)
■若杉弘(指揮)
■ドレスデン・シュターツカペレ
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エディット・マティス ソプラノ・リサイタル (教育テレビ:思い出の名演奏)

2010-02-07 | BS、CS、DVDの視聴記
日曜日に不定期に放映されている教育テレビの「思い出の名演奏」。
今朝、新聞のテレビ欄をみて、私は小躍りした。
何、エディット・マティスの来日公演?
「嘘じゃないよね」と半信半疑でテレビをつけた。
電子番組表で確認すると、確かに「エディット・マティス ソプラノリサイタル」と記されている。
ブログでも何度か書いたことがあるが、私にとってマティスこそ最高にして最愛のソプラノ。
そのマティスのリサイタルが映像つきで見れるなんて・・・。
何と言う幸せ。
早速ブルーレイレコーダーで録画予約。

いよいよ放送の時間が来た。
どきどきしながら見た、聴いた。
そして目茶苦茶感動した。
1986年といえば、私はまだ大阪にいるときだ。
ステージに登場したエディット・マティスは当時48歳のはずだが、若い頃の美貌はいささかも衰えていない。
暖かく上品な人柄がそのまま滲み出てくるような歌唱に、私はすっかり魅了された。
そして、彼女の最大の美質だと信じて疑わない、しなやかさを決して失わない清潔な表現と発音の美しさも、今回あらためて実感させてくれた。

とくにR・シュトラウスの「あすの朝」の高貴なまでの美しさに至っては、もはや言葉が見つからない。
何回繰り返し見たことだろう。
もう、ため息しかでない。
こんな素晴らしい映像を放送してくれたNHKには、ただただ感謝するばかりだ。
エディット・マティス様、これからもずっとお元気でいてくださいね。

<日時>1986年6月12日
<会場>東京文化会館小ホール
<曲目>
ベートーヴェン作曲
■「追憶」
■「悲しみの喜び 作品83-1」
■「うずらの声」
ドイツ民謡集(ブラームス編)
■「一本のぼだい樹が」
■「静かな夜」
■「どうしたら戸が開けられるか」
■「深い谷間に」
■「騎士」
■「お母さん 欲しいものがあるの」
ブラームス作曲
■「舟の上で 作品97ー2」
■「嘆き 作品105-3」
■「月夜」
■「おとめの歌 作品107-5」
■「春の歌 作品85-5」
R・シュトラウス作曲
■「あすの朝 作品27-4」
■「冷たい空の星よ 作品19-3」
■「もの言わぬ花 作品10-6」
■「帰郷 作品15-5」
■「ときめく胸 作品29-2」
(アンコール)
■R・シュトラウス:「お父さんの言うことには 作品36-3」
■ブラームス:「おとめの歌 作品95-6」
■モーツァルト:「すみれ K.476」
■ブラームス:「こもり歌 作品49-4」
<演奏>
■エディット・マティス(ソプラノ)
■小林道夫(ピアノ)


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カラヤン・メモリアル・コンサート(2008/1/28 in ウィーン)

2010-01-17 | BS、CS、DVDの視聴記
今日クラシカで録り溜めたDVDの整理をしていて、久しぶりにこのコンサートの映像をみた。
カラヤン生誕100年ということで2008年1月に行われたベルリンフィルのメモリアル・コンサートだ。
カラヤンの愛弟子だった小澤さんが指揮台に立ち、メインはチャイコフスキーの『悲愴』。
そして前半は、ソリストにムターを迎えてのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲という選曲。

<曲目>
■ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
■J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調よりサラバンド
■チャイコフスキー:交響曲第6番変ロ短調作品74『悲愴』
<演奏>
■アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
■ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
■小澤征爾(指揮)
<録音>2008年1月28日、ウィーン、ムジークフェライン(ライヴ)

なかでも、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が感動的な名演だ。
ムターのライヴにおける集中力の高さはよく知られているが、この日の演奏は別格。
彼女にとっても、きっと特別な思いでのぞんだコンサートだったのだろう。
第一楽章から、とにかく一音一音心をこめて弾いているのが、聴き手にもビンビン伝わってくる。
ムジークフェラインの音響の素晴らしさも手伝って、とりわけ弱音の美しさが尋常ではない。
軽々に「魂」ということばは使いたくないが、この日の彼女のヴァイオリンを表現するには、まさしく「入魂」ということばが最もふさわしい。
続く第2楽章の高貴さ、フィナーレのすさまじいまでの高揚感を聴くにつけ、特別な日がもたらした特別な贈り物だったような気がしてくる。
アンコールのバッハも、まことに深遠な音楽で、映像を通してでもこんなに感動するのだから、ライヴではいったいどんな状態だったのだろう。
最後の音を弾き終わった後、ムターの眼にうっすら涙が滲んでいるのをみて、私までもらい泣きしてしまった。
また、小澤さんの指揮も本当に素晴らしい。
ゆったりしたテンポで自然に湧き出てくるような豊かな音楽は、まぎれもない巨匠のそれだ。
『悲愴』は、5日前の1月23日にベルリンで素晴らしい名演を聴かせてくれていた(NHKのハイビジョンで放映済)が、このウィーンのコンサートはさらに上をいっているように思う。
切迫感、極限状態の緊張感という点ではベルリンの演奏が勝っているかもしれないが、豊かさ・格調の高さという点でこのウィーンのコンサートはかけがえのない魅力をそなえている。
この日のコンサートを、もし天国のカラヤンが聴いていたら、きっと眼を細めて頷いていたにちがいない。
終演後、客席のカラヤン夫人をカメラが映し出していたが、大変満足げな表情をされていたのが印象的だった。

さて、ムターは今春来日するが、果たしてどんなブラームス(ヴァイオリンソナタ全曲)を聴かせてくれるのだろう。
また夏には小澤さんも復帰する予定ときいているので、サイトウキネンでそして秋のウィーンフィルで元気な姿を見ることができると信じている。
そして、願わくば是非二人のコンチェルトを聴いてみたいものだ。
かつて、ボストン響が来日したときのコンサートのように・・・。
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ムーティ&ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート 2009 in ナポリ(BS-hi)

2009-11-23 | BS、CS、DVDの視聴記
土曜日の深夜に、今年5月に行われたベルリンフィルのヨーロッパコンサートの模様をNHKのBS-hiで放映していた。
とても素晴らしいコンサートだったので、簡単に感想を。

今回のマエストロはリッカルド・ムーティ。
そしてコンサート会場に選ばれたのは、ムーティの生まれ故郷であるナポリのサン・カルロ劇場だった。
サン・カルロ劇場は、天井のフレスコ画が印象的な歴史的な建物で、今回の映像ではカメラもさりげなく美しい歌劇場の中を映し出してくれていた。
<日時>2009年5月1日
<会場>サン・カルロ歌劇場 (ナポリ)
<曲目>
■歌劇「運命の力」 序曲 ( ヴェルディ作曲 )
■「追憶の歌」 ( マルトゥッチ作曲 )
■交響曲 第8番 ハ長調 D.944 ( シューベルト作曲 )
<演奏>
■メゾ・ソプラノ:ヴィオレッタ・ウルマナ
■管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
■指 揮:リッカルド・ムーティ

「運命の力」序曲を聴くだけで、ベルリンフィルの表現能力の高さを思い知らされる。とくにクラリネットは絶品だ。
1曲目の序曲が終わると、早くも大きなブラヴォーがきていた。
ただ聴き終わって興味深かったのは、この序曲が一つの作品として完結しているように感じられたこと。
これがウィーンフィルやスカラ座のオケなら、拍手もそこそこにオペラの続きを観たいと感じたのではないだろうか。

2曲目はマルトゥッチの「追憶の歌」。
初めて聴く曲だったが、本当に素晴らしい音楽だ。
私は大きな感銘を受けた。
マルトゥッチといえば、ムーティは昨年のウィーンフィルとの来日公演でも、ブルックナーの2番が終わった後のアンコールで、彼のノットゥルノをとりあげていた。
ムーティにとっても、きっと大切に思っている作曲家なのだろう。
また、スカラ座の来日公演でアイーダを歌って喝采をあびていたウルマナだが、この日は静かに情感を込めて歌ってくれていた。
とくに終曲の「いや、夢は消え去っていない」は秀逸。
そして、ここでもベルリンフィルの素晴らしさには、ただただ唖然とするばかりだ。

後半は、シューベルトの「グレート」。
冒頭のホルンが、本当にゆったりとそして豊かに歌う。
この日のトップはバボラークだったが、いつもながら素晴らしいなぁ。
そしてそのホルンの醸し出した雰囲気を弦や木管が次々に引き継いでいくわけだけれども、その過程でメンバーたちがやりとりする呼吸の見事さ、音楽としての統一感の高さを聴くと、やっぱり世界一のオーケストラだと思い知らされる。
それから、すべてのパートに言えることだけど、彼らの奏でる音の何と立派なことだろう。
「美しい」とか「強い」とか「輝かしい」というような形容詞は、その一面しか言い表していない。
実がいっぱい詰まった音というか、とにかく充実した立派な音なのだ。
豊かな歌と圧倒的な高揚感に、私は痺れた。

ムーティの「グレート」といえば、4年前に初めて生ウィーンフィルをサントリーホールで聴いたときの想い出の曲だ。
あのコンサートを聴いて、私は生の音楽(=LIVE)の素晴らしさに目覚めた。
そして、それ以降音楽との接し方が変わったといっても過言ではない。
ウィーンフィルのその時の演奏と比べても、この日のベルリンフィルの演奏はまったく引けを取らない。
やはりムーティの自然で躍動感を感じさせる音楽作りの成せる技だと思う。

それにしても、最近のムーティは「指揮棒」を本当に大きく振らなくなった。
とくに右手でビートを刻むアクションは、必要最小限しかしない。
それでいてアンサンブルは緊密で、出てくる音楽は表情豊かで生気に満ちている。
オケがベルリンフィルだからということもあるが、何といってもマエストロ・ムーティの存在感の大きさがすべてだろう。
来年4月に来日するムーティのコンサート、やはり行きたいなぁ。
悩みの種はつきませぬ。
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トップランナー 庄司紗矢香

2009-08-08 | BS、CS、DVDの視聴記
昨夜のNHKの番組「トップランナー」で、ヴァイオリニストの庄司紗矢香さんが登場していた。
独特のアルトで、言葉を選びながらゆっくり喋るその語り口に、思わず引き込まれてしまう。
そして、話の内容にも、26歳とはとても信じられない説得力がある。
持って生まれた性格もあると思うが、思慮深さ、物事と対峙した時の真摯さ、そして感性の豊かさが並外れているのだろう。

庄司さんの話の中で印象に残ったのは、やはり音楽への真摯な姿勢だった。
彼女は言う。
「演奏家として重要なのは、作曲家が何を伝えたいのかを汲みとること。
ヒントは自筆譜にある。自筆のスコアは作曲家自身の手紙のようなものだ。
線の書き具合、どこの音符に心がこもっているか等、すべてが自筆譜に隠されている。」
そして、次のように総括する。
「作曲家の意図をくみ取り、そこに想像力をはたらかせて、曲の魅力を今生きている人に伝えることこそ演奏家の使命。
演奏家のために作曲家があるのではない。作曲家のために演奏家がある。」

何と素晴らしい言葉だろう。
そして、それを単なる言葉としてだけではなく、ヴァイオリンという楽器を使って、ものの見事に体現できているところが彼女の凄さ。
この日、スタジオで2曲演奏してくれたが、私はとりわけ「愛の挨拶」に痺れた。
大変ポピュラーな曲だけど、これほど優しさにあふれ、官能的な演奏には、そうお目にかかれない。
現在の愛器は、ストラディバリウス「レカミエ」(1729年作)だそうだが、彼女自身の言葉を借りると、「深くて、甘美な音色」の名器。
庄司さんは、以前ストラディバリウスの「ヨアヒム」(1715年作)を使っていたと記憶しているが、最近変えたのだろうか。

「5歳でバイオリンを始め、出場したコンクールはすべて優勝!」というようなキャッチフレーズからは、早熟の天才のように思われがちだが、彼女の音楽はきっと齢を重ねるごとに味わいを深めていくことだろう。
私の中でも、ヒラリー・ハーンと並んで最も期待するヴァイオリニストである庄司さん。
今後の活躍が、ますます楽しみである。
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小澤征爾&サイトウキネン ブラームス:交響曲第1番 (1992年 松本)

2009-08-02 | BS、CS、DVDの視聴記
時間を見つけては、こつこつと録りだめたビデオテープからDVDへダビングをしているが、一向に進まない。
でも、その作業の中で久しぶりに出会った名演奏に、しばし我を忘れて見入ってしまうことがある。
サイトウキネンのブラームス全集も、まさにそんな一枚。
この1番は、1992年9月の松本でのライブである。

<日時>1992年9月5日
<会場>松本文化会館
<曲目>
■ブラームス:交響曲第1番ハ短調
■モーツァルト:ディベルティメントK.136から第2楽章

サイトウキネンのブラームスの1番といえば、FMで聴いた1990年のザルツブルグのライブ、DVDでも残されている同年のロンドン公演における演奏が、いずれも白熱のブラームスと評したくなるような素晴らしい名演だった。
とくにロンドン公演の方は、プロムスという独特の雰囲気もあって、エネルギーの迸りがもの凄かった。
今回とりあげたのは、その2年後の1992年に松本で行なわれたコンサートの映像。
1992年といえば、サイトウキネンオーケストラが、本拠を長野県の松本に構えた年だ。
2年前のヨーロッパ公演のときとはメンバーも勿論交替しているが、コンミスの潮田益子さんを始めとして、主だったメンバーは変わっていない。

天皇、皇后両陛下ご臨席のもと開かれたこの1992年のコンサート、結論から申し上げると1990年以上の出来ではないだろうか。
確かに燃えるような熱さという点では、1990年のヨーロッパでの演奏に軍配が上がるかもしれないが、この松本の演奏は造形の確かさやスケールの大きさ、そして音楽のしなやかさという点において群を抜いている。
ボストン時代からの盟友であるエヴァレット・ファースの圧倒的な存在感をもったティンパニにも支えられて、終始緊張感を保ちながらも豊かな歌に包まれたブラームスは素晴らく魅力的。

なかでも、管の何と魅力的なこと!
フルートの工藤さん、オーボエの宮本さん、ホルンの水野さん、この日本を代表する名手たちが、いずれも精緻でかつ情熱的な演奏を聴かせてくれている。
この3人が揃ったサイトウキネンの演奏は、もう聴けないのかと思うと、やはり寂しさを感じる。



そして、この才能豊かな奏者たちを見事に束ねていたのはコンミスの潮田さん。
映像を見ながら、私が最も痺れたのは、実はコンミスの潮田さんの表情だった。
献身的といいたくなるような、本当にいい表情。
腕っ節でオケを引っ張るのではなく、ともに斎藤秀雄のDNAを受け継いだオケのメンバーたち、そしてマエストロ小澤さんをひたすら信じることで、自分たちが目指す方向を自然に指し示したリーダーの姿がそこにあった。

彼らのブラームスを、「とても美しいけど個性に乏しい」という人がいるかもしれない。
確かに、ウィーンフィルやコンセルトヘボウ、ベルリンフィルといった、ほんの少し響きを聴いただけでわかるような強烈な個性はない。
でも、サイトウキネンのピュアでひたむきな演奏は、間違いなく私の心に強く響いた。
日本的な・・・なんて表現を使うと、笑われるだろうか。
また、小澤さんとサイトウキネンの関係は、ある意味でアバド率いるルツェルン祝祭管弦楽団とよく似ている。
アバド&ルツェルンの来日公演で聴いたマーラーは、私が実演を聴いて最も感銘を受けたコンサートだったが、聴きながら「このオーケストラ、アバドが引退したら一体どうなってしまうんだろう」と思ったものだが、同じことがこのサイトウキネンにも言えるかもしれない。
それほど、小澤さんの存在は大きい。

今月末に、私は松本で初めてサイトウキネンの実演を聴く。
演目は、ブリテンの「戦争レクイエム」。
果たして、どんなメッセージを伝えてくれるのだろうか。
今から楽しみである。
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山田一雄&N響 モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」

2008-11-02 | BS、CS、DVDの視聴記
たまりにたまったビデオやDVDの整理を始めているのですが、まる一日かかっても遅々として進みません。
それもそのはずです。
「これ、何が入っているんだっけ」、あるいは「どんな演奏だったかなぁ」と、すぐに脱線して「チェック」と称して見始めるものだから、当然ですよね。

しかし、この「脱線、ぶらりチェックの旅」も、なかなか良いものです。
なくなったと思っていた映像に出会ったり、改めて演奏の素晴らしさに心打たれたりで、あっという間に時間が過ぎていきます。

そんな中、再び出会った素敵な演奏(映像)が、山田一雄さんが指揮したジュピター。
ソースは、NHKで昔オンエアされたものを録画したビデオなのですが、聴きながら心洗われる思いがしました。
1990年11月のコンサートですから、マエストロ78歳のときの演奏ということになります。
しかし、何と瑞々しいんだろう。
これが80歳近い老人の音楽?
所謂ピリオド奏法とは対極のスタイルですが、まったく古臭さを感じさせません。
どのフレーズもしっかり響かせていきますが、とってつけたような作為的な表情が皆無で、すべての音に真実味が感じられます。
中庸を得たテンポ、弾力性をもったリズム、趣味のよさ、歌ごころ、凡そモーツァルトに必要とされるものが、山田さんの音楽の中にありました。
こんな素敵なジュピターには、そうそうお目にかかれないと思います。

山田さんといえば、大学生の頃に『指揮の技法』という本を通して、大変お世話になりました。
お世話になったといっても、直接お目にかかって指導を受けたわけではありません。
大学のマンドリンオーケストラの指揮をすることになって、「指揮?いったい、どうやって勉強するんだ・・・」と悩んだ挙句、山田先生の著書である『指揮の技法』を師としてやろうと決め、がむしゃらに読んだのです。
毎日毎日、文字通り読みふけりました。
半年くらいたつと、本は擦り切れてぼろぼろになってしまいましたが、その明快な表現のおかげで、何とか指揮の真似ごとができるようになりました。
その意味で、今でも心から感謝しています。
『指揮の技法』は、斎藤秀雄さんの有名な『指揮法教程』とともに、日本の誇るべき名著だと思います。

こんな風にしてこの名演奏と再会した私は、さっそくビデオからDVDにダビングしました。
これから、きっと私の宝物になることでしょう。

(データ)
モーツァルト:交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
<演奏>
■指 揮:山田一雄
■管弦楽:NHK交響楽団
<録音>
■1990年11月26日
■サントリーホール
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グリモー&P.ヤルヴィ イン サントリーホール (NHK芸術劇場)

2008-09-06 | BS、CS、DVDの視聴記
今年6月3日にサントリーホールで聴いたグリモー&ヤルヴィーのコンサートが、昨夜NHKの「芸術劇場」でオンエアされました。
いやー、素晴らしかった。
ステージ横のLA席で聴いた、あのときの感動がまざまざと甦ってきました。
実演に接したコンサートの放映を見るのは、実は怖いものです。
細かなキズが気になったり、あれほど熱く響いた箇所が単なるお祭り騒ぎだったのかと、いささかがっかりさせられたりすることもしばしばです。

しかし、今回の映像は素晴らしかった。
ホールの空気感のようなものまで見事に伝えてくれました。
グリモーは、あのとき聴いた感動を彷彿させるというよりも、それ以上の力強さとタッチの美しさで私を魅了してくれました。
とくに「皇帝」の第2楽章で聴かせてくれた、決して感情に溺れることなく凛としてて、かつベートーヴェンへの敬慕の念に溢れた美しい表現は、映像を通して多くの人の心を捉えたことでしょう。
ただ、時間の関係でしょうか、アンコールで弾いてくれたベートーヴェンのピアノソナタ第30番の第1楽章がカットされてしまいました。
大きな感銘を受けた名演奏だっただけに、かえすがえすも残念!
BS等で再放送する機会があれば、そのときこそカットしないで放映してくださいね。

一方、後半のブルックナーも、派手さはないけど、何よりも生命力と豊かさを感じさせてくれる素晴らしい演奏。
第2楽章のアダージョを聴きながら、私は涙を抑え切れませんでした。
そして嬉しいことに、後半のアンコールで演奏された私の大好きなステンハンマルの間奏曲は、カットされずにしっかりオンエアされました。
この演奏で、この佳曲を好きになった方も多いのではないでしょうか。

最後に、ヤルヴィが自分のモットーとしてインタビューで語ってくれた言葉をご紹介します。
「マーラーの言葉ですが、演奏されるたびに作品は生まれ変わらなければならなりません。紙に書かれた単なる記号に、命を吹き込まなければならないのです。音に生命が宿った時本当にいい演奏が生まれます。」

まさに、この日の演奏は、そのとおりの名演奏でした。

<曲 目>
■ベートーベン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」
■ブルックナー:交響曲 第7番 ホ長調 [ノヴァーク版]
(アンコール)
■ステンハンマル:カンタータ「歌」~間奏曲

<ピアノ> エレーヌ・グリモー
<管弦楽> フランクフルト放送交響楽団
<指 揮> パーヴォ・ヤルヴィ
<収 録> 2008年6月3日 サントリーホール

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モーツァルト 『アヴェ・ヴェルム・コルプス』

2007-08-26 | BS、CS、DVDの視聴記
会社は違うけれど、まさに私の盟友とも言うべき大阪在住の友人の奥様が、先週急逝されました。
死因は「くも膜下出血」。
まだ49歳の若さでした。

仕事の関係もあって、どうしてもお通夜にも告別式にも参列できなかったのですが、先週末大阪の自宅を訪ね、お参りさせていただきました。
友人は予想外に気丈に振舞ってくれてはいましたが、もともと大変な愛妻家で、家族を人一倍大切にしていた人だけに、秘めた悲しみはいかばかりだったでしょう。
また、お嬢さんはもう就職されているのですが、下の息子さんは中学3年生だそうで、まだまだショックが抜け切れないようでした。
奥様は1年半ほど前に「くも膜下出血」の手術を受けていましたが、最近は随分回復して車の運転もできるくらいになっていたそうです。
神様は、ときにこのようなむごい試練を与えてくれます。
本当に仲の良い素敵なご家族なので、残された3人で力を合わせて、必ずやこの試練に打ち勝ってくれると思いますが、しばらく時間が必要でしょうね。
辛いと思うけど、がんばってね!

友人の信じる神道では、亡くなった人の霊魂は肉体を離れて自然に帰り、守護神として子孫を見守るそうです。
すでに神様になられた奥様を偲んで聴く音楽は、もはやレクイエムではなく、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』しか考えられませんでした。
CDでも良かったのですが、今日聴いたのは教会で演奏された映像。
細かくは書きません。
宗派を超えたピュアな感銘を受けました。
蛇足ながら、このコンサートで採りあげられている曲は、いずれも素晴らしい作品ばかりです。


《ローマ教皇ベネディクト16世就任祝賀コンサート》
<曲目>
■パレストリーナ:教皇マルチェルスのミサ曲~キリエ
■ラッツィンガー:聖年のミサ曲~サンクトゥス
■メンデルスゾーン:オラトリオ『エリヤ』~主は天使たちに命じられた
(詩篇第91篇)
■モーツァルト:モテット『アヴェ・ヴェルム・コルプス』K.618
■リスト:オラトリオ『キリスト』~ペドロよ
■プフィッツナー:『パレストリーナ』~第1幕前奏曲&第3幕前奏曲
■ヴェルディ:聖歌四篇~テ・デウム
■ワーグナー:歌劇『タンホイザー』序曲

(+教皇ベネディクト16世のお言葉)

<演奏>
■指揮: ローラント・ビュヒナー/クリスティアン・ティーレマン
■演奏: レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団/アテスティス合唱団
<録音> 2005年10月20日 ヴァチカン、パウロ六世記念講堂
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ポートレート『カルロ・マリア・ジュリーニ』

2007-08-13 | BS、CS、DVDの視聴記
昨日、ついに愛用のパイオニアのDVDレコーダーが壊れてしまいました。
私の酷使に耐え、4年間本当に毎日しっかり働いてくれたので、「何で・・・」という怒りの思いはまったくありません。
とくにクラシカ・ジャパンを見れるようになってからは、まさしく業務用のようなハードな使い方をしておりましたが、画質・編集機能ともにアナログレコーダーとしては一級品でした。
「ありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいです。
もちろん修理に出す予定ですが、サービスセンターもお盆休みに入っており、果たして修理できるかどうか・・・。
心配です。

ところで、このレコーダーで録画した最後のプログラムが、ご紹介するジュリーニの映像です。
ひょっとすると、このレコーダーの遺作になってしまうんだろうか?

前置きが長くなってしまいました。
このポートレート『カルロ・マリア・ジュリーニ』という映像、わずか50分足らずの作品ですが、ジュリーニ・ファンならずとも垂涎の内容です。
ジュリーニの音楽観を彼の肉声で聴けることが、何よりも貴重でしょう。
そして、この映像では全編をとおして「田園」のリハーサル風景が流されるのですが、これが前回『最後の田園』のCDとしてご紹介したオルケストラ・ジョヴァニーレ・イタリアーナとのリハーサルじゃないかと思えるのです。
あくまでも想像ですが・・・。

それにしても素晴らしいリハーサルです。
抽象的な表現は極力控えて、ジュリーニは実践的な言葉と指示で若いオーケストラを引っ張っていきます。
そしてジュリーニの簡潔な指示によって、みるみる音楽が充実していくのです。
ジュリーニの音楽づくりの秘密の一端に触れた思いがしました。

また、ジュリーニの語りの部分は、そのすべてが重みのあるものでしたが、とくに印象に残った部分をご紹介します。

「開演前は恐怖ですが、慣れて恐怖を感じないのはもっと恐ろしいことです。舞台で音楽に向き合ったとたん恐怖は音楽に昇華します。」

「私は平凡な人間です。天才の作曲家の意思を楽譜から読み取るためには人生経験や時間が必要です。作曲家が表現したことをきちんと理解し、それを音という形で再現しなければなりません。演奏者や聴衆に伝えるには熟考が必要なのです。」

「オーケストラの演奏者は一人残らず演奏に参加することに恩恵を感じるべきでしょう。(中略)全員が自分を脇役と感じることなくそれぞれが音楽作りの恩恵・責任や楽しみを感じるべきです。大事なのは共感すること。指揮者と奏者が同じ気持ちで音楽を作ることなのです。一緒に音楽を作っていることを全メンバーに感じてほしい。共同作業なのです。」

「演奏中、音楽を作りたいと感じる瞬間があります。その時私はオーケストラの世界に入り込み、団員は私の世界に入っています。こうして気持ちを一つにして音楽を作るのです。」

「胸の痛みは人間らしい感情でしょう。しかし、悪意や憎悪、すさまじいほどの苦悩は私には理解できません。心の痛みや苦しみならば実感できるものなのでどんなものか分かります。悲しい時や苦しい時も必ず希望はあるものです。希望があるから私たちは救われるのでしょう。喜びはともかく、希望は永遠にあるものです。」

「人は善行を心がけねばなりません。音楽というのは、確実に善行だと思っています。」


音楽家としてももちろんですが、一人の人間としてなんと素晴らしい人物なんだろう。
これらの話をきいて、私はジュリーニのことがますます好きになりました。
しかし、このジュリーニの人間味溢れる暖かいキャラクターは、誰かを思い出させませんか?
そうです、ブルーノ・ワルター。

そういえば、ジュリーニは映像の中でこんなことも言っていました。
「私の好きな指揮者は、ワルターとクレンペラー、そしてデ・サバータです。」
全ての人が、「あー、なるほど」と大きく頷かれることでしょう。


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マエストロ!~カラス・コンサート

2007-06-24 | BS、CS、DVDの視聴記
今日は、(満を持して?)バレンボイムのマーラーの9番をとりあげるつもりだったのですが、ハードディスクに溢れそうになっているDVDレコーダーの整理(汗)をしていて、その中の1プログラムに見事にはまってしまいました。
それは、クラシカ・ジャパンでオンエアしていたマリア・カラスのコンサートです。
コンテンツとしては、1958年のパリのコンサートから1965年のフランス放送局のスタジオコンサートまで、カラスが歌った5つのコンサートの中から10曲あまりをセレクトして収録されています。

一気に最後まで聴いて(観て)しまいました。
素晴らしかった。ただただ、素晴らしかった。
マリア・カラスという不世出の名歌手の本当の凄さを、恥ずかしながら初めて思い知らされた感じです。
私は、今まで長い間、カラスのことを誤解していました。
CDで聴くカラスの声は、輝かしくそして表現力に富んでおり、いつも圧倒されてきました。
しかし、どうしても金属的な響きが気になって、楽しめなかったのです。

しかし、今日実際に歌うカラスの映像をみていて気付きました。
彼女は、はなから美しく音楽を表現しようなんて考えてないんです。
カラスが表現したかったのは、譜面から感じ取った「作曲家の心」、もっというと「作曲家が登場人物に託した熱い思い」だけなんですね。
そう考えると、必要なのは、「単に美しい声」ではなく、「意思の感じられる強く鋭い声」「緊張感と凄みを持った弱音」「聴くものを惹きつけて離さない優しい声」ということになります。
今回の映像をみると、カラスが表現したかったことが、本当にストレートに伝わってきました。

大半を占めるコンサートのライブ映像は当然のこととして、1965年収録のフランス国立放送スタジオ・コンサートの3曲に、私はことのほか大きな感銘を受けました。
マスネやベッリーニをこれだけの存在感をもって聴かせてくれる歌手は、今でもほとんどいないでしょう。
そして、1958年のリスボンライブでは、カラスの女優顔負けの演技力・表現力に圧倒されますし、若き日のクラウスの「いかにもアルフレード」といった純な歌唱も聴くことができます。

とにかく素晴らしい!
この映像は、間違いなく私を「マリア・カラス元年」に導いてくれました。
でも、マリア・カラスを語るときは、やはりプリマドンナというよりもディーヴァと呼びたいなぁ。

***収録曲***
《「レジョン・ドヌール勲章」特別慈善コンサート1958》
■ベッリーニ:歌劇『ノルマ』~清らかな女神
■ロッシーニ:歌劇『セビリアの理髪師』~今の歌声は
■ヴェルディ:歌劇『トロヴァトーレ』~恋はばら色の翼にのって…ミゼレーレ
■プッチーニ:歌劇『トスカ』第2幕より「歌に生き恋に生き」

《ハンブルク・コンサート1959》
■ベッリーニ:歌劇『海賊』~ああ無心の微笑みで…ああ目の前にかかる雲を

《ハンブルク・コンサート1962》
■ビゼー:歌劇『カルメン』~ハバネラ

《フランス国立放送スタジオ・コンサート1965》
■プッチーニ:歌劇『ジャンニ・スキッキ』~わたしのお父さん
■マスネ:歌劇『マノン』~さようなら私の小さなテーブルたちよ
■ベッリーニ:歌劇『夢遊病の女』~おお花よ、おまえに会えるとは思わなかった

《ポルトガル/リスボン公演1958》
■ヴェルディ:歌劇『椿姫』より
第2幕「ああ私はなぜ来てしまったのしから、無分別にも!」
第3幕「さようなら過ぎ去った日よ」「パリを離れて」
[出演]アルフレート・クラウス(アルフレード)

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歌劇「フィガロの結婚」 ザルツブルク音楽祭2006

2007-03-02 | BS、CS、DVDの視聴記
BSハイビジョンで先週末放映していた「夢の音楽堂 ~ クラシック音楽・不滅のメロディー ~ 」という番組を観ました。
観たといっても、レコーダーに録画しておいたものを観た訳ですが、この9時間弱の番組の最後の演目が、昨年のザルツブルク音楽祭の目玉と言われていたアーノンクールのフィガロ。
いや、違いました。「ネトレプコのスザンナが聴けるフィガロ」というほうが正確?

冗談はさておき、プレミアがついて何と1枚20万円とも40万とも言われたあの公演です。
昨秋、教育テレビでさわりだけ放映されていましたから、全曲を早く観たいと思っておられた方も多いことでしょう。
実は、昨年12月に販売されたDGのモーツァルトオペラの全集にも含まれていたようですが、何せDVD33枚組という代物。おいそれとは手が出せません。
そんな折、オペラファンには最高の贈り物だったのではないでしょうか。

『ザルツブルク音楽祭2006』
モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」
<出演>
■アルマヴィーヴァ伯爵:ボー・スコウフス
■伯爵夫人:ドロテア・レシュマン
■フィガロ:イルデブランド・ダルカンジェロ
■スザンナ:アンナ・ネトレプコ
■ケルビーノ:クリスティーネ・シェーファー
■マルチェリーナ:マリー・マクロクリン
■バルトロ:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
■バルバリーナ:エヴァ・リーバウ ほか

<合唱 >:ウィーン国立歌劇場合唱団
<管弦楽>:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
<指 揮>:ニコラウス・アーノンクール
<演 出>クラウス・グート
<収録>2006年7月 ザルツブルク音楽祭より モーツァルト劇場

   



前置きが長くなりましたが、さすがに刺激的な上演でした。
私は気がついたら3回位観ていました。
もちろん、食事時間等に1~2幕ずつこま切れで観たものを含んでのことですが、3回も観たということは、それだけ魅力的だったということでしょう。

アーノンクールの序曲は、とにかく遅い!
しかし決して重々しくはなく、不思議な軽さと言うのでしょうか、独特の雰囲気があります。加えて、序曲に限りませんが、ウィーンフィルが本当に柔らかくいい味を出していますね。
歌手も粒ぞろいで、アリアもデュエットもアンサンブルも、まったく穴がありませんでした。
ダルカンジェロのフィガロは、10数年前のザルツブルクで、そして昨年ウィーンでも観ることができましたが、プライ亡き後、当代随一のフィガロかも。
とにかく歌も演技も、まさに機知に飛んだフィガロそのものでした。
そして、ネトレプコ。
スザンナにしては少し深い声のような気もしますが、まあ舞台姿が素晴らしい。フィガロだけではなく、伯爵がころっと彼女の魅力に嵌ってしまうのも頷けます。
また、予想外に知的なスザンナだったと言ったら、あまりに失礼でしょうか。(ファンの方、すみません・・・)
スコウフスとレシュマンの伯爵夫妻も成熟した大人の歌唱を聴かせてくれましたし、スザンナ役で評価の高かったマクロクリンがマルチェリーナを歌うなど、脇役も本当にレベルが高かった。
しかし、私が文句なく素晴らしいと思ったのは、クリスティーネ・シェーファー。
どこか危なっかしい中性的な魅力に溢れた、最高に魅力的なケルビーノでした。モーツァルトのイメージどおりのケルビーノじゃないかなぁ。

しかし、これだけ素晴らしい歌を聴きながら、そして、いたるところで感心しながら、「最高のフィガロだった!」とストレートにいえないところがオペラの難しいところ。
それは、ひとえに演出です。
実演を観た人の間でも、賛否両論あったようです。

このステージでは、台本にはない狂言回しの役を演じる天使が登場します。
名前もケルビム。ケルビーノの分身?
ただし、魔笛の3人の童子のような「幸運の天使」的な存在ではありません。
いたずら好きの運命の女神といった風情です。
その結果、「自分で自分が分からない」という、全員がまさにケルビーノ状態に。
本当に面白いけど、これでよかったのかしら。

第4幕の最後は、伯爵の「コンテッサ、ペルドーノ・・・」の後、どんな演出でも一直線にハッピーエンドに向かうのですが、今回の場合はなにやら一筋縄では行きません。
もう一波乱起こそうとするケルビムの動きが、どうしても気になるのです。

また、今回の演出では、歌手を横になって歌わせるシーンが多かった。
にもかかわらず、破綻なく歌いきる歌手達には、心から脱帽です!
それから、スコウフスもレシュマンも、またダルカンジェロも、普段以上に多く汗をかいているようにみえました。
これも少々、ライトが強すぎたのでは・・・。

何やらネガティブなことを書きましたが、上演自体は「最高に刺激的な舞台であり音楽」であったことは、紛れもない事実です。
演出も、しばらくたってもう一度観たら、すんなり溶け込めるかもしれません。
再チャレンジしてみたいと思います。

P.S
今年のザルツブルク音楽祭では、同じグートの演出で再演が予定されていますが、
指揮はアーノンクールに替わってハーディング。
そして、スザンナ役にはなんとダムラウです。
声質的にはダムラウの方が合うように思うので、きっと素敵な舞台になるだろうなぁ。









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ベーム&ウィーンフィルの『フィガロの結婚』(ザルツブルク音楽祭のライブ)

2007-01-14 | BS、CS、DVDの視聴記
早いもので、もう1月も半分が過ぎようとしています。
今週、来週と出張が続くので、自宅でじっくり音楽を聴けるのは今日だけかもしれないと思い、朝から、たまりに溜まったディスクの整理をしながら、いろいろな音楽を聴きました。

なかでも、時間を忘れて聴いた(観た)のが、ベームが1966年にザルツブルク音楽祭で上演したフィガロ。
こんな映像がよく残っていたものです。

ベームのフィガロのディスクは、1963年の来日ライブ盤を含めて私は3組持っていますが、いずれも、とびっきり魅力的な演奏です。
そもそも、私が初めて『フィガロの結婚』に接したのも、大学2年のときに教育テレビで放映していたベームの映像でした。
フィッシャー=ディスカウやヘルマン・プライ、キリ・テ・カナワ、フレーニといった芸達者の歌手達が、実に生き生きとしたモーツァルトを聴かせてくれました。
「何て楽しい世界!モーツァルトのオペラって、こんなに素敵なんだ」と、私にフィガロの魅力を教えてくれたのは、まさにベームなんです。

このDVDは、1966年のザルツブルク音楽祭のライブです。
白黒、モノラル録音ではありますが、鑑賞するうえで何ら支障はありません。
もう何もいうことはないくらい素晴らしいフィガロでした。
今から40年以上前に、こんなに素晴らしい上演がザルツブルクで行われていたんですね。

何といっても、私の永遠のアイドルであるマティスがケルビーノを歌っている・・・。
もうそれだけでも嬉しいのに、この日のマティスは、最高に魅力的なケルビーノを演じてくれています。
そして、ヴィクセル、ベリー、ワトスン、グリストといった主役たちが、いずれもまったく隙のない素晴らしい歌を聴かせてくれています。
とくに、伯爵夫人を歌ったワトスンは、恥ずかしながらほとんど知らない歌手だったのですが、気高くそして少し憂いをもった歌唱で、すっかり私を虜にしました。
容姿も含めて、まさに私の理想の伯爵夫人といっても過言ではありません。

そしてベームの作り出す音楽が、晩年のそれとは違い、とにかく躍動感に溢れています。
そのことが、このフィガロというオペラにおいて、どれだけ重要なことか・・・。
進行に合わせて、歌手にそっと寄り添い、またあるときは歌手をリードしながら、聴衆をどんどん核心に引き込んでいくその指揮ぶりは、最良の意味での「職人」です。
また、ウィーンフィルも、随所でその妙技を聴かせてくれます。
まったくこれ見よがしの表現はとらないのに、ベームの棒を信じて生み出されるその表情は、「あー、やっぱりウィーンフィル!」と実感させてくれます。

このDVDを堪能しながら、ふと昨年4月にウィーンで観たムーティのフィガロを思い出しました。
このときのムーティのフィガロが、私が今までみた中で最高のオペラ体験だったことは、以前ブログでも書いたとおりですが、実は、このDVDでみるベームのフィガロと印象が実によく似ているのです。
最大の共通点は、オーソドックスだけど音楽そのものが躍動感に溢れていること。そして、歌手にまったく穴がないこと。
第二幕のフィナーレ手前から音楽がどんどん勢いを増していくあたりの表情は、まさにムーティのときに感じたものと同じでした。

誤解を怖れずにいわせていただくと、多くの指揮者の中でも、ウィーンフィルが伝統を受け継ぐタイプのマエストロとして、最も信頼を寄せているのはムーティなのではないかしら。
なにか、そんな気がしてきました。

      


モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』全曲
<配役>
■アルマヴィーヴァ伯爵:イングヴァール・ヴィクセル
■伯爵夫人:クレア・ワトスン
■スザンナ:レリ・グリスト
■フィガロ:ヴァルター・ベリー
■ケルビーノ:エディト・マティス
ほか
<演奏>
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
<演出>
ギュンター・レンネルト
<録音>
1966年8月11日、ザルツブルク祝祭劇場小ホール「ライブ」
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