ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

クライスラー:コレルリの主題による変奏曲

2008-09-29 | CDの試聴記
さきほど、出張先の名古屋から帰ってきました。
雨の影響もあるのでしょうが、涼しいというよりも、もうこれは十分寒いという印象ですね。
風邪ひきそう・・・

さて、昨日コレルリのソナタのことを書きましたが、今日はその続きを少しだけ。
コレルリのソナタ作品5-10のガボットを主題として、クライスラーは短い変奏曲を書いています。
3~4分の小品ですが、主題はできるだけ原曲を尊重しながら、そして変奏では明るく華やかな雰囲気がいかにもクライスラーらしい。
このボベスコの演奏は、華麗さはありませんが、独特の甘美な語り口がとても魅力的です。

さて、ボベスコの演奏を聴きながら、私は中学から高校に入った頃のことを思い出しました。
当時、NHKの「バイオリンのおけいこ」という30分番組があって、その後N響の名コンサートマスターとして活躍された徳永二男さんが講師をされていました。
そのときのテーマ音楽が、まさにこのコレルリの作品だったのです。
コレルリの原曲だったのかクライスラーのバリエーションだったかはよくわからないのですが、長髪の徳永さんの若々しい姿とともにその演奏は鮮烈に覚えています。
それにしても、当時の「○○のおけいこ」的な番組は、ピアノ、バイオリン、フルート、ギターの各楽器があったと記憶していますが、いずれも内容が本当に素晴らしかった。
なかでも、バイオリンの石井志都子さんや江藤俊哉さん、ピアノの井内澄子さん、ギターの渡辺範彦さん、そしてフルートではなんといっても吉田雅夫さんのレッスンが、とりわけ印象に残っています。
ビデオもまだ普及していない時代でしたから、文字通り「一言も聞き逃すまい」と、毎回テレビの画面にかじりつくように見ていました。
「フレージング」「「アーティキュレーション」「アッポジャトューラ」「アウフタクト」といった聞き慣れない音楽用語、呼吸の仕方、テンポの考え方、リズムの活かし方、脱力の方法、そして大きく美しい音で演奏する秘訣等、楽器を超えて勉強になることばかり。
私にとって、「音楽とは?」「演奏することとは?」ということを必死で考えさせてくれる原点だったような気がします。
現在のように、「情報が氾濫する時代」が本当に幸福なんだろうかと、ふと考えさせられました。

<曲目>
1 愛の喜び
2 愛の悲しみ
3 美しきロスマリン
4 中国の太鼓
5 ウィーン奇想曲
6 ベートーヴェンの主題によるロンディーノ
7 ボッケリーニのスタイルによるアレグレット
8 クープランのスタイルによるルイ13世の歌とパヴァーヌ
9 昔の歌
10 ウィーン風小行進曲
11 ロマンティックな子守歌
12 シンコペーション
13 レシタティーヴォとスケルツォ・カプリース
14 おもちゃの兵隊の行進曲
15 プニャーニのスタイルによるプレリュードとアレグロ
16 コレルリの主題による変奏曲
17 ルクレールのスタイルによるタンブーラン
18 ジプシーの女
19 オーカッサンとニコレット
20 道化役者のセレナード
<演奏>
■ローラ・ボベスコ(ヴァイオリン)
■ウィルヘルム・ヘルヴェック(ピアノ)
<録音>
1984年~1985年
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コレルリ:ソナタ集 Op.5より 第7~12番

2008-09-28 | CDの試聴記
何だか急に涼しくなりました。
秋の訪れはいつも急ですね。

週末は出張で三重に行ってきました。
セミナーは午後だったのですが、せっかく津まで行くのですから見学もしたいし、少し早めに行くことにしました。
昼食は、昨年一度味をしめた「うなぎ」です。
美味しい!
中身はもちろんですが、津の鰻は外がカラッと焼きあがっているのが何よりの魅力です。
こんなおいしい鰻を食べれるのなら、毎日でも出張したいなぁ。
(えっ、動機が不純ですって? ごもっともです・・・ でもそんな楽しみがなかったら、なかなか仕事に精も出ないじゃないですか。)
というような言い訳はそのくらいにして、すっかり満腹になった私は、小雨降る中、一路「津城」を目指して出発。

恥ずかしながら、着いてみて初めて気づいたのですが、「津城」というのは、現在天守閣はなくて石垣を中心とした城址が残っているだけなんですね。
しかし、なかなか歴史の重みを感じさせる城址でした。
そして、名君藤堂高虎の像をみたときは、やはり感激しました。
あたりを払うような威厳があったからです。
結構な距離を歩きましたが、来てよかった。

駅に戻った後、本業のセミナーが待っていましたが、なんとか無事に終了。
セミナーの後は、お客様との懇親会に顔を出したあと、帰路に着きました。

さて、最近話題になっている超激安ボックスがあります。
「バロック・マスターワークス (60CD Limited Edition)」と題した超激安ボックスなのですが、何と1枚当たり約100円なんですよ。
すでに3分の2くらいは持っていたのですが、それでもお買い得。
10枚以上聴きましたが演奏・録音も抜群だと思いました。

このブリュッヘンたちの演奏したコレルリもその例にもれず、音楽の愉悦感に満ちた爽やかな名演で、理屈抜きに楽しませてくれます。
今の季節にピッタリではないでしょうか。
あまりあれこれ言う必要のない素敵な音楽ですが、この作品はよくヴァイオリンでも演奏されます。
少し前にWOWOWで「マエストロ」というドラマをやっていました。篠田節子さん原作の音楽小説をドラマ化したもので、観月ありささん演じる美貌の女性バイオリニストがヒロインでした。
ドラマの中で、ある腕利きのヴァイオリンの楽器職人が、「このヴァイオリンで是非コレルリを弾いてください。先生のコレルリは素晴らしい。くれぐれも、べートーヴェンなんかをこの楽器で弾いちゃいけませんよ。」と言って、一本のヴァイオリンをヒロインに手渡します。
ネタばれになるのでこれ以上は書きませんが、そんな経緯があってドラマのメインテーマのひとつとして、コレルリの作品5の10が演奏されていました。

このディスクでは、ブリュッヘンがヴァイオリンではなくリコーダーを吹いて、まさに天才としか言いようのない名技を披露してくれています。
しかも、一緒に組んでいるのが、レオンハルトとビルスマ。
本当にすばらしい・・・。
こんな演奏を聴いてしまうと、溜息しかでません。
もう、こんなスーパートリオは、残念ながら二度と現れないでしょう。

コレルリ:ソナタ集 Op.5より 第7~12番
<演奏>
■フランス・ブリュッヘン(Bfl)
■アンナー・ビルスマ(Vc)
■グスタフ・レオンハルト(cemb)
<録音>1980年 ハールレム





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ムーティ&ウィーンフィル(3) チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調ほか

2008-09-25 | コンサートの感想
<日時>2008年9月23日(火・祝) 18:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ロッシーニ:オペラ『セミラーミデ』序曲
■ストラヴィンスキー:ディヴェルティメント
-バレエ『妖精の口づけ』による交響組曲
■チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 op. 64
(アンコール)
■ヨーゼフ・シュトラウス :ワルツ「マリアの調べ」op.214
<演奏>
■リッカルド・ムーティ指揮
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

私にとっての「伝説の名演」が、またひとつ増えました。
一昨日聴いた、今年2回目のウィーンフィルのコンサートのことです。
多少無理してとったチケットでしたが、本当に良かった!
この幸運に、心から感謝です。

ただ、冒頭のセミラーミデ序曲には、あまり触れないでおきます。
P席に近いRA席だったこともありますが、私の思い描いているウィーンフィルの音ではなかったのです。
ロッシーニに絶対必要な、あのからっとした歯切れのよさが感じられなかった。
席と曲の相性の問題かもしれませんね。

というのも、前半2曲目のストラビンスキーで響きががらりと変わったからです。
それほど、このディベルティメントは良かった。
リズムは弾むし、一方で実にしなやかに歌う。
お洒落で最高に贅沢なひとときを満喫させてもらいました。
もっとメリハリをつけた鋭角的なアプローチもあるでしょうが、常にユーモアを忘れず、ウェットな感触を持ったウィーンフィルの音は、やはり格別のものがあります。
スイス風舞曲におけるトロンボーン(首席のバウスフィールド?)のユーモアと存在感、スケルツォで聴かせてくれた管楽器の名人芸、いずれも素晴らしかったけど、何といっても絶品だったのは、終曲「パ・ド・ドュ」のバルトロメイのチェロ。
もう、とろけるような甘く美しい音でした。
私は、ウィーンの楽友協会で2年前に聴いたショスタコーヴィチの9番とイメージを重ねながら聴いていましたが、この日、このストラビンスキーの音楽の魅力を再認識した聴衆も多かったのではないでしょうか。

そして、後半はあえて「伝説の」と言いたいチャイコフスキーの5番。
これだけ人気のある名曲ですから、名演名盤の類も数多く存在します。
しかし、この日のムーティとウィーンフィルが聴かせてくれた演奏は、私の今まで聴いた中でも最高のものでした。
聴きながら、「あー、これだ。こんな表現もできるんだ・・・」と、何度頷いたことでしょう。
痺れるような思いに、まさしく全身は金縛り状態。それでいて、体はふわりと空中に投げ出されているような不思議な感覚。
こんな感覚は、一昨年のアバドの「悲劇的」以来かもしれません。

第1楽章の冒頭は、仄暗い洞窟の中で独りつぶやくような「運命の旋律」を、名手シュミードルのクラリネットが、ぞくぞくするような見事さで奏でます。
早くも「伝説の名演」になる予感が・・・。
続く第2楽章では、まず冒頭に注目していました。
ムーティはゆっくりタクトを振り上げ、今度はゆっくり下ろしていきます。
タクトを下ろしながらも、打点はまったく示しません。
しばらくして、ほんの少しタクトが静止したように見えました。
その瞬間、いつどこから始まったともわからないくらい自然に、チェロとバスが奏で始めるのです。
その一連の流れを見ているだけで、この両者の信頼の厚さがわかったような気がしました。
そして、続いて登場するホルンのソロ。憧れと哀愁に満ちたあの名旋律です。
この日のソロはストランスキーでしょうか、正直絶好調ではなかったかもしれません。
しかし、私はやや苦しみながらも気高く歌うホルンに感銘を受けました。
輝かしい声で一気に聴かせる歌もいいけど、美声の歌手が一瞬ハスキーな声で歌うフレーズが、とんでもなく大きな感動を与えてくれることがあります。
それとよく似ているかもしれませんね。
それから後半のクライマックスの直前、ほんの一瞬、間をとって全奏者が大きく歌いだします。
誰が指示したのでもない。きっとムーティとオケの気持ちがひとつになった結果だろうと思います。
オペラを知り尽くした演奏者だけが可能な「芸」の一端を、垣間見たような気がしました。
第3楽章は、もうまさしくウィーンフィルのお家芸。
心ゆくまで、素敵なワルツを堪能させてもらいました。
フィナーレは、まるでオペラの一場面を見ているかのような錯覚を覚えるほど、情熱的でダイナミックな演奏。
興奮に思わずハンカチを握りしめ、気がつくと背中が汗びっしょりになっていたのは私だけでしょうか。

それにしても、ウィーンフィルとは、いったい何という稀有なオーケストラなんだろう。
いつ聴いても間違えようのない芳香を放つあの音色、そしてその独特の音色たちが混じり合うと、そこにはまた得も知れぬ別の香りが漂ってきます。
ワインでいうところの、アロマとブーケによく似ているでしょうか。
しかし、今回思い知らされたのは、彼らの本質はそれだけじゃないということ。

第一に、絶妙としか言いようのない「間の取り方」。
これは、オケのひとりひとりが「オペラの達人」であることと決して無縁ではないでしょう。
二つ目に、豊かで芳醇な「中低音の魅力」。
ウィーンフィルは、木管楽器もブラスもそれぞれにかけがえのない魅力を持っているけど、「あっ、これは絶対他と違う!」と思わせてくれるのは、やはり弦楽器。
とくに、ヴィオラ、チェロ、コントラバスといった中低音の楽器に、それを強く感じます。
豊かで温かく、かつ透明感にあふれた響き。
しかも、十分な存在意義を示しながら、決して重くなることはない。
それこそが、ムジーク・フェラインで長年に亘り培ってきた伝統の響きなんですね。
三つ目に、自然治癒力。
妙な表現で恐縮ですが、オペラでもライブのコンサートでも、本番ではなにが起こるかわかりません。
この日のコンサートでも、何回か怪しくなる箇所がありましたが、オーケストラ自身であっという間に修復してしまうのです。
このことを、さきほど「自然治癒力」と評した次第です。
これは「互いの音を聴き合う。そして理想の響きをみんなで創りだしていく」という意思統一ができているからに他なりません。

最後にムーティのことについて少し触れます。
ここまで、ずっとウィーンフィルの美質について書いてきましたが、このウィーンフィルの「自発的な音楽作り」を、同じ方向感で、かつ最高のパフォーマンスをもって実現できるのは、やはりリッカルド・ムーティしかいないと確信しました。
3年前に同じサントリーホールで、目から鱗のモーツァルト(クラリネット協奏曲でした)を聴かせてくれたのも、このコンビ。
そして、翌年急遽実現した夢のウィーン旅行の際に、オペラ座で「最高のフィガロ」を観せてくれたのも、やっぱりこのコンビ。
このときのウィーンの人たちの熱狂ぶりは、「私たちの保守本流は、やっぱりマエストロ・ムーティだわ!」と言っているように私には感じられました。

今年は、10月に再び「コシ・ファン・トュッテ」で、彼らに会うことができます。
これまた、なんという幸せ!

2010年からシカゴ交響楽団のシェフに就任されるムーティさまへ。
ますますご多忙になられることは十分承知しておりますが、ウィーンフィルとの演奏も、今後ともずっと聴かせてくださいね。
よろしくお願いします。


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スクロヴァチェフスキ&読響 ブルックナー:交響曲第0番ニ短調ほか

2008-09-23 | コンサートの感想
久しぶりに読響マチネに行って来ました。

<日時>2008年9月21日(日)14時開演
<会場>東京芸術劇場
<曲目>
■ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調
■ブルックナー:交響曲第0番
<演奏>
■ピアノ:ジョン・キムラ・パーカー
■指 揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
■管弦楽:読売日本交響楽団

一昨日のマチネーコンサートは、滅多に演奏されない「ブルックナーの0番」が聴けるということで、ずっと楽しみにしていました。
前半は、ブラームスのピアノ協奏曲第1番。
ブラームスの2曲あるピアノ協奏曲はいずれも名曲として知られていますが、ピアノ付のシンフォニーのような2番に比べて、1番のほうがよりコンチェルトらしい音楽だと思います。
しかし、曲自体長いし、心身ともにタフさが要求される難コンチェルトです。
その意味で、あの華奢なエレーヌ・グリモーが、どうしてあんなに素晴らしい演奏を聴かせてくれるのか、前から不思議でたまりませんでした。

少し脱線してしまいましたが、この日のソリストは、カナダ生まれのジョン・キムラ・パーカー。
ダークスーツに黒のシャツ、胸元にはえんじ色のネクタイという装いにを包んでステージに登場したパーカーは、とびっきりの笑顔が素敵でした。
ピアノの前に座ると、ネクタイと同色の真っ赤なハンカチをさっと取り出し、鍵盤をさっとひと吹き。
容貌はこの画像よりも一回り(いや二回り?)貫禄がありましたが、とてもダンディな感じがしました。
さて、肝心の演奏です。
体躯に似たのかどうか分かりませんが、重心が低く分厚い響きが印象に残ります。
しかも、音の洪水で聴き手を圧倒させるような荒っぽさがありません。
それこそ黒光りするような音色で、見事なブラームスを聴かせてくれました。
左手のアーティキュレーションが実によく考えられていて、第2楽章の弱音部がとくに印象に残りました。
オケも好調で、密度の濃い充実したブラームスだったと思います。

後半は、ブルックナー0番。
何故「0番」などという面白いナンバーがつけられたのでしょうか?
この曲は、交響曲第1番のあと第2番として作曲されたものの、ブルックナーが作品に自信をなくし、自らいったん取り消してしまいました。
しかし、晩年にブルックナーが再びこの曲のスコアをみつけ、「捨てるにはしのびない」と考え直して、試作品的な意味合いを込めて「0番」という名前をつけたそうです。

さて、前置きはこのくらいにして、とにかく演奏を聴いて驚きました。
これが85歳の老人が作り出す音楽だろうか。
とにかくオケがよく鳴るし、響きは瑞々しく、弾力性をもったリズムが実に心地よいのです。
しかも何度も書きますが、スクロヴァチェフスキのブルックナーは、「全体の見通し」がめっぽういい。
だから、聴き手も決して迷子にならないし、退屈しません。
おそらく第1楽章あたりは、スクロヴァチェフスキでなければ、きっと眠くなったことでしょう。
パーツパーツは「おっ」と想わせる部分があるのですが、いかにも総花的。
しかし、ミスターSの手にかかると、これが何とも魅力的に聴こえてくるのです。
第2楽章のアンダンテの静謐な美しさと、終楽章で一瞬「モーツァルト?」と思わせるようなモティーフがとくに印象に残りました。
ブルックナーは誰の演奏で聴くかによって、その音楽そのものに対する評価が変わってしまうような気がするので、怖いですね。

先週、次の常任指揮者がシルヴァン・カンブルランに決まった旨案内をもらいましたが、スクロヴァさんには「いつまでも読響でタクトを握ってください」という思いを強くしたこの日の演奏でした。

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ムーティ&ウィーンフィル(2) ブルックナー:交響曲第2番ハ短調ほか

2008-09-19 | コンサートの感想
<日時>2008年9月16日(火) 19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ハイドン:交響曲第67番 ヘ長調 Hob. I-67
■ブルックナー:交響曲第2番 ハ短調
(アンコール)
■マルトゥッチ:ノットゥルノ
<演奏>
■リッカルド・ムーティ指揮
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

16日のコンサートの続きです。

ハイドンは、季節でいうと、柔らかな陽光に照らされた春の音楽でした。
一方、このブルックナーの音楽は、ずばり秋。しかし、冬にはまだ少し時間があるかなというイメージです。
それにしても、ウィーンフィルというオーケストラは、何と自然にこの季節感を表現してくれるのでしょう。
冒頭、ヴァイオリンとヴィオラが弱音できざむ音型のなか、第一主題を奏でるチェロと控えめに合いの手をいれるホルンの表情がもう絶妙。
秋の朝特有の澄み切った空気感が、ホールいっぱいに広がります。
そして、第二主題が出てくる頃には、響き自体の温度も少し上がってきました。
柔らかなひだまりの中にいるような秋の昼下がりの雰囲気を、ものの見事に描写していたと思います。

第2楽章は、まさに天上の音楽。
この敬虔な美しさは、きっといつまでも忘れないと思います。
「この響き、何かに似ている」とずっと思いながら聴いていたのですが、途中で分かりました。
そう、パイプオルガンの響きだったのです。教会を愛したブルックナーに、あまりにも相応しい響き!
たっぷりオルガンサウンドを満喫したあと、ラスト近くで奏でられるキュッヘルとシュルツのあまりに美しい対話を聴きながら、私の目には不覚にも涙が滲んできました。
フルートのシュルツは、見事な室内楽を聴かせてくれた先月の草津国際音楽祭のときに比べて少しやつれた表情にもみえましたが、それだけ音楽に没頭していたのかもしれません。
また、最後のゆったりとした分散和音のフレーズは、1877年版ということもあり、ホルンではなくクラリネットで奏されましたが、ここは名手オッテンザマー入魂の名演。
まさに夕映えをみているような音楽でした。

続く第3楽章で、私の心はなぜかあの未完の大作第9交響曲のスケルツォを聴いていました。
もっと具体的にいうと、シューリヒトと組んだあの名演を思い出していたのです。
すでに晩年の大傑作の予兆がここにあるんだと、あらためて驚いた次第です。
そして、この日のクライマックスは、間違いなく終楽章。
今まで聴いたどの演奏より素晴らしかった
冒頭、ともすれば輪郭が不鮮明になりがちな箇所でも、ムーティとウィーンフィルは、これしかないというくらい見事なアーティキュレーションとしなやかなフレージングで見事に描いてみせます。
また、途中、懐かしげに振り返る第1楽章のモティーフが、これまた少し前の残像と重なって、小憎らしいくらいしっかりと聴き手の心に入り込んできます。
力感あふれるエンディングでしめくくったあとは、聴衆からの大きな拍手が待っていました。

この日の演奏は、「完璧な」という基準で見ると、何度か音が裏返ってしまったホルンを始め、決して完全無欠な演奏ではありませんでした。
しかし、そのひやりとさせられたウィンナホルンに代表される各楽器の魅惑的な音色、そして極上のワインのような独特の芳香とブレンドされた円やかな味わい。
それこそが、ウィーンフィルの魅力なのです。
終演後の大きな拍手は、その魅力にとりつかれた人たちの熱いメッセージだったのではないでしょうか。
また、アンコールでとりあげたマルトュッチも、ブルックナーの第2楽章アンダンテと「敬虔な雰囲気」という点においてイメージがぴったり重なる美しい佳曲。
選曲・演奏とも申し分ありませんでした。

ここまで、意識的にウィーンフィルのことばかり書いてきましたが、この感動的な音楽は、もちろんマエストロ・ムーティの力なくしては実現しなかったはずです。
このムーティとウィーンフィルのことについては、23日(祝)のコンサートを聴いた後で書きたいと思います。
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ムーティ&ウィーンフィル(1) ハイドン:交響曲第67番ヘ長調ほか

2008-09-17 | コンサートの感想
<日時>2008年9月16日(火) 19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ハイドン:交響曲第67番 ヘ長調 Hob. I-67
■ブルックナー:交響曲第2番 ハ短調
(アンコール)
■マルトゥッチ:ノットゥルノ
<演奏>
■リッカルド・ムーティ指揮
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

待望のウィーンフィルを昨日聴いてきました。
素晴らしかった。ただただ素晴らしかった。
私が心から聴きたいと思う至福のサウンドが、そこにありました。

思えば、初めて生のウィーンフィルを聴いたのが、このサントリーホールです。
忘れもしません。3年前の10月のとある日曜日のことでした。
初めて彼らのモーツァルトを聴いたその日から、ウィーンフィルは私にとってもはや別格の存在になったのです。
そのときの感激ぶりはブログでも書きましたが、いま読み返すとあまりに一途な表現で汗顔のいたりですが、その神々しいまでの演奏はいつまでも絶対に忘れないでしょう。

さて、この日の席は2階席のセンターブロックで前から2列目。
ウィーンフィルのブルックナーを聴くには、まさに絶好のポジションです。
この日、開演前にちょっとしたサプライズがありました。
席に着いてパンフレットに目を通していると、右手のステージ側の2階客席にカメラマンが大勢待機して何やらざわざわしています。
これはどうしたことかと首をかしげていると、皇太子様が来られていたのです。
音楽好きの殿下のことですから、何も不思議なことではないのですが、やはりウィーンフィルだと改めて感心した次第です。

ステージが明るくなると、例によってコンサートマスターのキュッヘルを先頭にしてメンバーが入ってきました。
チューニングが終わると、いよいよマエストロ・ムーティの登場です。
タクトを振り下ろし、ハイドンの8分の6拍子の細かく刻む音が流れ出した瞬間、もう紛れもないあのウィーンフィルの響きがホール全体を包みます。
1分も経たないうちに、私の目頭は熱くなってきました。
演奏されたハイドンの67番は、滅多に演奏されることのないマイナーな交響曲ですし、3年前のモーツァルトの名品クラリネット協奏曲とは、正直なところ「音楽の格」という点において比べるべくもありません。
しかし、そこで奏でられた響きは、間違いなく3年前と同じ感動を私にもたらしてくれたのです。

私は、この愛するウィーンフィルの柔らかな響きに身をゆだねながら、3年前に初めてこのホールで生のウィーンフィルを聴いた頃のことを思い出していました。
さらに、それから遡ること1年前(もう4年も前のことなんですね・・・)に経験した、文字通り「激務」としか言いようのない状況で仕事をしていた日々のこと、その4年間に大きくなってくれた子供たちのこと、そして今こうして再び生のウィーンフィルを聴ける幸せ、それらの感情が重なり合って、きっと胸がいっぱいになったのだと思います。
「癒し」という言葉がありますが、私にとって、ウィーンフィルの音はまさしくそれだったのですね。

少し感傷的になってしまいました。
話をハイドンに戻します。
このシンフォニーは、ハイドンの交響曲の中でも、特に室内楽的な雰囲気を色濃く感じさせる作品ですが、もうこの手の音楽をやらせたらウィーンフィルの右にでるオケはないでしょう。
温かく、優雅で、かつ知的な遊び心に溢れた演奏。
マエストロ・ムーティも、ウィーンフィルの美質をとことん発揮させるスタイルで、それが最上の結果を生み出していました。
メヌエットでは、2本のソロヴァイオリンがわざと音をはずして演奏する箇所が出てきますが、音をはずしながら奏でるそのリズムの何と粋なこと!
思わず口元が緩んでしまいます。
そして、終楽章で聴かせてくれたヴァイオリン2本と独奏チェロの3重奏は、まさに飛び切りの美しさでした。
こんなに素敵なハイドンを聴かせてくれて、本当にありがとう。

(後半のブルックナーの感想は、明日書きます。)

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バレンボイムのブルックナー:交響曲第2番ハ短調 

2008-09-15 | CDの試聴記
自民党の総裁選、民主党の代表選から第一次公認候補選び、あっちもこっちも選挙一色です。
年金問題から汚染米偽装転売問題、世界的な金融不安等憂慮すべきテーマがテンコ盛りの中、真摯に真正面からこの状況を考えている政治家は何人いるんだろう。
官僚たちの責任感のないコメントを聞くにつけ、こんなときこそ胆力のある政治家の力量が期待されるのに、「いま、自分達の勢力争いや、他人の揚げ足取りに汲々としている場合か!」と本当に情けなくなります。

ちょっと愚痴になってしまいましたが、気分を変えて音楽の話を。
最近私のパソコンが極めてご機嫌斜めなこともあって、今日はじっくりブルックナーの2番を聴きました。
今年4月にスクロヴァチェフスキの演奏を聴いて、改めてこの曲の魅力にとりつかれた私ですが、CDでも素敵な演奏が何枚もでていますね。

私のイチオシは、バレンボイム&ベルリンフィルの1997年ライブ盤。
生気があって、(バレンボイムの演奏の特徴でもありますが)全体の見通しが極めていいのです。
そして何よりもベルリンフィルの合奏力と表現力の多彩さが、この演奏を支えています。加えて、しっとりとした情感にもこと欠かない。
「これ、本当にライブ?」と質問したくなるほどの出来栄えだと思います。


ヨッフム&ドレスデン・シュターツカペレも名演で、タイプは違いますが、バレンボイム盤と双璧でしょう。
部分部分の美しさは、むしろこちらに惹かれることのほうが多かった。
また、じっくり聴いてみると意外なくらい迫力のある演奏で驚かされましたが、ヨッフムのブルックナーによくみられるテンポの変化が、やや気になったことも事実です。

あと何枚か簡単にコメントします。
■朝比奈&大阪フィル(1994年)
太目の筆を使って力強く描かれた絵画のような演奏。
決して色の数は多いとはいえないけど、深い森のイメージをしっかり聴き手に伝えてくれます。
やはりこのコンビ、ブルックナーの音楽の呼吸を完全に自分のものとしているんでしょうね。

■カラヤン&ベルリンフィル(1982年)
久しぶりに聴きましたが、間違いなく最も美しい演奏。
私は若い頃カラヤンに対する偏見を持っていた時代がありました。
この演奏も、「とっても綺麗だけど、このレガートが偽者くさいんだよなぁ」と思っていたのです。
でも、改めて聴いてみて素直に感動しました。
とくに第2楽章のラストのソロは、ホルンではなくクラリネットで奏されているのですが、これが抜群に美しい。
この箇所、私は「絶対ホルン派」ですが、この深々とした響きのクラリネットには脱帽です。
カール・ライスターでしょうか・・・。

■スクロヴァチェフスキ&ザールブリュッケン放送響(1999年)
4月に読響と聴かせてくれた名演奏を、まざまざと思い出させてくれる演奏。
この造形感覚の確かさと、聞かせ上手は、まさに「ミスターS」

■シモーネ・ヤング&ハンブルク・フィル(2006年)
ウィリアム・キャラガンが校訂した初稿版の演奏。
デッソフ指揮ウィーン・フィルによって試演されたものの、「長すぎる!」としてすんなり初演には至らなかった曰く付きのバージョンです。
第2楽章がスケルツォ、第3楽章がアダージョで、通常の版とは逆になっていますが、このあたりの事情は、何となくマーラーの6番と良く似ていますね。
さて、この演奏、単に物珍しいだけではなく、明確なビジョンを持った演奏で私は好印象を持ちました。
巷このシモーネ・ヤング盤で言われているような「女性らしい優美さ」ということよりも、私は彼女のオペラで鍛えた劇場感覚と強い表現意欲を感じます。

ざっと書いてきましたが、いよいよ明日はムーティ&ウィーンフィルの東京公演。
このブルックナーの2番がメインプログラムです。
果たして、どんな演奏を聴かせてくれるのか、今から本当にワクワクしています。
(ちょっと風邪気味で熱っぽいのですが、何のこれしき!)
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福田進一ギターリサイタル (東京文化会館)

2008-09-13 | コンサートの感想
久しぶりに、福田進一さんのギターリサイタルに行ってきました。福田さんといえば、いわずと知れた日本を代表するギタリストの一人で、盟友E・フェルナンデスやチェンバロの小林道夫さんとの二重奏、アフィニスホールでの室内楽等で、私も随分聴いてきました。
しかし、ソロのコンサートとなると10年ぶりくらいでしょうか。
一般的に、ギターのソロコンサートに行くと、「この人もきっとギターを弾いているんだろうなぁ」と想わせる比較的若い聴衆の姿を多く見かけます。
ところが、この日ホールに着いてまず驚いたのは、中高年の聴衆が圧倒的に多かったことです。
それだけ福田さんが幅広い音楽ファンに愛されているということなんでしょうね。
この日のプロは、一見して名曲コンサート風。
しかし、バッハの名品シャコンヌが入っていたり、池辺晋一郎さんの映画音楽が入っていたり、グラナドスのスペイン舞曲も有名なアンダルーサとともにアラベスカが選ばれていたりと、さすがというか一筋縄ではいきません。

<日時>2008年9月11日(木) 19:00開演
<会場>東京文化会館 小ホール
<曲目>
■ディアベリ:メヌエット
■ソル:モーツァルト「魔笛」の主題による変奏曲 op.9
■ショパン/タルレガ:ワルツ ホ短調 op.34-2
■ショパン/タルレガ:ノクターン ホ長調 op.9-2
■ショパン/タルレガ:マズルカ ニ短調 op.33-4
■J.S.バッハ/福田進一:シャコンヌ 二短調
(休憩)
■スペイン伝承曲:愛のロマンス(映画「禁じられた遊び」より)
■池辺晋一郎:インター・ナショナル、カーチャ(映画「スパイ・ゾルゲ」より)
■マイヤーズ:カヴァティーナ(映画「ディア・ハンター」メインテーマ)
■タルレガ:アルハンブラの思い出
■グラナードス:アラベスカ、アンダルーサ、メヌエット
■アルベニス:セビーリャ 
(アンコール)
■ファリャ:ドビュッシ-の墓に捧ぐ
■ファリャ:粉屋の踊り
■ヴィラ=ロボス:ワルツ=ショーロ
■ヴィラ=ロボス:ショーロス第1番
■ディアンズ:タンゴ アン スカイ

さてこの日の福田さん、とにかく呼吸感が抜群です。
また、「作曲家の心をどう感じ取ったのか、ギターという楽器を通して何を伝えたいのか」というのは再現芸術において最も重要なテーマですが、この点においても、福田さんは見事なまでに「音楽する喜び」をもって聴衆に伝えてくれました。
前半では、ソルの魔笛がとくに良かった。
序奏に続くテーマはあくまでも優雅に、各バリエーションは的確に描き分けられていて、「やっぱり名曲」と再認識した次第です。
ただ、メインのシャコンヌは、チューニングにも苦しめられたこともあって少々期待はずれ。

後半は、池辺晋一郎さんの映画「スパイ・ゾルゲ」からの2曲がとても素敵な曲で、気に入りました。
(早速楽譜を買って練習しようっと・・・)
そして、最後のグラナドス・アルベニスにはただただ感動。
福田さんのスペインものが素晴らしいのは、何よりも曲のもつリズム感を大切にしていることでしょうか。
そのリズムの躍動感を核にしながら、色彩豊かに且つ情熱的に弾ききってくれるのです。
このスタイルが、グラナドスやアルベニスで成功しないわけがありません。
そして、7月~8月にかけての海外演奏旅行~レコーディングで多忙を極めるなか、疲れが溜まっているはずなのに、アンコールは何と5曲も。
ファンを大切にするその姿勢、そしてエンターテイメント。
改めて素晴らしい音楽家だと思いました。
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フランチェスカッティ&ベイヌム:ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調

2008-09-08 | CDの試聴記
フランチェスカッティといえば、どうしてもパガニーニのヴァイオリン協奏曲を思い出します。
中学生の頃、なぜか家に17センチLP(30センチではなく一回り小さいサイズのLP)のクラシックのレコードが数枚だけありました。
そのなかの1枚がパガニーニのヴァイオリン協奏曲だったのです。
ヴァイオリンを弾いていたのは、ジノ・フランチェスカッティ。
卓上ステレオから流れてくる音は、今では考えられないくらい貧しかったけれど、このときのヴァイオリンはもう無茶苦茶に綺麗で上手かった。
カンタービレという感覚を初めて体感したのは、この時かもしれません。
文字通り擦り切れるほど聴いたので、高校生の頃にはもはや嫌な音しか出なくなっていました。
まさに雑音の中から必死で音楽を聴きだすような状態でしたが、それでも毎回レコードをかけるたびに、うっとりして聴き入っていたことを今でも良く覚えています。
そんな経緯もあって、パガニーニのコンチェルトというと、現在でも誰がなんと言おうと、私の場合フランチェスカッティなのです。

そんなフランチェスカッティが演奏したベートーヴェンのコンチェルトのディスクがあります。
ワルターと組んだアルバムが有名ですが、今日聴いたのは、ベイヌムと組んだ1958年のライヴ盤。
幼い頃から神童の誉れ高かったフランチェスカッティが、10歳のデビューコンサートのときに弾いたのがこのベートーヴェンのコンチェルトでした。(やっぱり凄い!)

このコンチェルトは、ときに女性的なんて言われることがありますが、どうしてどうして。
第1楽章や第2楽章冒頭の優しさ・柔らかさに惑わされてはいけません。
実はシルクの衣をまとった虎なのです。
シルクの衣を脱ぎ捨てると、そこに我々は逞しい虎の雄姿を見ることになります。
そんな音楽だから、シルクの衣を着ているときはあくまでも優雅に、でも一転して雄雄しい虎の姿も見せなければいけない。
その意味で、ワルターと組んだディスクは、幾分優雅すぎるように感じます。
ワルターのアプローチが、独奏ヴァイオリンをあまりにも優しく包み込んでしまっているような気がするのです。
大きな世界に溶け込んでしまっている、といってもいいかもしれません。
それこそが、このディスクの大きな魅力なんだけど・・・。
一方、このベイヌムと組んだライブ盤は、より真剣勝負の色彩が強い。
ソロを優しく守ってあげようなんて、ベイヌムは一切考えていないように見えます。
しかし、スタイリッシュだけど筋肉の質が極めて柔らかいベイヌムの音楽は、その卓越した造型感覚と相まって、逆にフランチェスカッティの洗練された美しさを際立たせることになっています。
それにしても、第1楽章の展開部でメランコリックに奏でるソロヴァイオリンの妖しいまでの美しさは、なんと例えればいいのだろう。
何故かほとんど話題にならないディスクですが、私にはこの曲のひとつの理想像のように感じます。

<曲目>ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61
<演奏>
■ジノ・フランチェスカッティ(vn)
■エドゥアルト・ヴァン・ベイヌム指揮
■コンセルトヘボウ管弦楽団
<録音>1958年3月19日 ライブ
<音源>NCRV
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グリモー&P.ヤルヴィ イン サントリーホール (NHK芸術劇場)

2008-09-06 | BS、CS、DVDの視聴記
今年6月3日にサントリーホールで聴いたグリモー&ヤルヴィーのコンサートが、昨夜NHKの「芸術劇場」でオンエアされました。
いやー、素晴らしかった。
ステージ横のLA席で聴いた、あのときの感動がまざまざと甦ってきました。
実演に接したコンサートの放映を見るのは、実は怖いものです。
細かなキズが気になったり、あれほど熱く響いた箇所が単なるお祭り騒ぎだったのかと、いささかがっかりさせられたりすることもしばしばです。

しかし、今回の映像は素晴らしかった。
ホールの空気感のようなものまで見事に伝えてくれました。
グリモーは、あのとき聴いた感動を彷彿させるというよりも、それ以上の力強さとタッチの美しさで私を魅了してくれました。
とくに「皇帝」の第2楽章で聴かせてくれた、決して感情に溺れることなく凛としてて、かつベートーヴェンへの敬慕の念に溢れた美しい表現は、映像を通して多くの人の心を捉えたことでしょう。
ただ、時間の関係でしょうか、アンコールで弾いてくれたベートーヴェンのピアノソナタ第30番の第1楽章がカットされてしまいました。
大きな感銘を受けた名演奏だっただけに、かえすがえすも残念!
BS等で再放送する機会があれば、そのときこそカットしないで放映してくださいね。

一方、後半のブルックナーも、派手さはないけど、何よりも生命力と豊かさを感じさせてくれる素晴らしい演奏。
第2楽章のアダージョを聴きながら、私は涙を抑え切れませんでした。
そして嬉しいことに、後半のアンコールで演奏された私の大好きなステンハンマルの間奏曲は、カットされずにしっかりオンエアされました。
この演奏で、この佳曲を好きになった方も多いのではないでしょうか。

最後に、ヤルヴィが自分のモットーとしてインタビューで語ってくれた言葉をご紹介します。
「マーラーの言葉ですが、演奏されるたびに作品は生まれ変わらなければならなりません。紙に書かれた単なる記号に、命を吹き込まなければならないのです。音に生命が宿った時本当にいい演奏が生まれます。」

まさに、この日の演奏は、そのとおりの名演奏でした。

<曲 目>
■ベートーベン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」
■ブルックナー:交響曲 第7番 ホ長調 [ノヴァーク版]
(アンコール)
■ステンハンマル:カンタータ「歌」~間奏曲

<ピアノ> エレーヌ・グリモー
<管弦楽> フランクフルト放送交響楽団
<指 揮> パーヴォ・ヤルヴィ
<収 録> 2008年6月3日 サントリーホール

コメント (2)
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