桜が週末まで散らないで、何とか我慢してくれた。
画像は、我が家の近くを流れる川の両側に咲いた桜の花。
桜は春のイメージの象徴のような存在で、見ているだけで心が晴れやかになる。
花見をしている人の顔は、お酒のあるなしにかかわらず、例外なく幸せそう。
でも満開の時は短く、咲いたかと思うと、まもなく散ってしまう。
美しく咲き誇る満開の桜も素敵だが、そんな散り際の美学というか儚さもこれまた風情を感じさせてくれて、私は大好きだ。
満開のときにいうのも何だけど、来年もまた愉しませてくれ。
さて、週末ちょっと残念なニュースが飛び込んできた。
秋に予定されているウィーンフィルの来日公演で、小澤征爾さんが指揮をしないことが正式に決まったのだ。
夏のサイトウキネンも、オーケストラコンサートは振るが、オペラは指揮しないらしい。
小澤さんの体調は順調に回復しておられるようなので、是非大事にしていただいて、また素晴らしい音楽を聴かせてください。
でも、ウィーンフィルのピンチヒッターは誰になるんだろう。
昨年の来日公演直後のソウルとウィーンのコンサートでは、メータが出れなくなったので、代役で若手のソキエフが指揮した。
個人的には、一昨年振ったばかりだけど、無理を承知で是非ムーティに振ってほしい。
あるいは、次のウィーン国立歌劇場のシェフに就任するウェルザー=メストとのコンビも聴いてみたいが、こちらは同じ11月にクリーブランドと来日するので可能性はないだろうなぁ。
いずれにせよ、決まるまでは、落ち着かない日が続きそうだ。
しかし、それでもなお、小澤さんの指揮でブルックナーとマーラーの9番が聴いてみたかった。
必ずや、体調が戻った小澤さんとウィーンフィルの黄金コンビで、この2曲の演奏を聴ける日がくると信じている。
ところで、最近聴いたCDでとても印象に残ったのが、ムターのブラームスのヴァイオリンソナタ(新録音)。
まさに驚愕の演奏だった。
ひとことで言うなら、「女王の変身」とでもいうのだろうか。
ムターといえば、豊麗で艶やかな音色を駆使して、とにかく隙のない完成度の高い演奏をするというイメージを私は持っていたが、このブラームスは全く違った。
第3番から聴き始めたが、とにかくテンションが高い。
流麗さを捨ててでも、自分の思いをストレートにぶつけてくる。
テンポは大胆に変化するし、歌わせ方もきわめて濃厚。
アダージョ冒頭の穏やかな旋律も、ムターの手にかかると、腹の底から絞り出すような真実の呟きのように聴こえる。
終楽章では、抑えきれないエネルギーの迸りが凄い。
奔馬の勢いとは、まさにこのこと。
第1番もまったく同様。
綺麗に歌おうなんて、まったく考えていないように感じる。
ヴァイオリンを奏でるというよりも、ヴァイオリンを通して肉声を聴かせると心に決めているかのようだ。
だからひとつひとつのフレーズが、胸に深く突き刺さってくる。
ヴィブラートとノン・ヴィブラートを巧みに使い分けながら、呟くように表現される弱音の凄さは、まさに桁違いだ。
誤解を恐れずに感じたことを言わせてもらうと、「スタイルは違うけど、根っこのところで、クレーメルにとてもよく似ている」。
私の感じた印象が正しかったかどうかは、19日のサントリーホールの実演で確認しよう思っている。
<曲目>ブラームス:
■ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 作品78『雨の歌』
■ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 作品100
■ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調 作品108
<演奏>
■アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
■ランバート・オーキス
<録音>2009年12月1~2日
画像は、我が家の近くを流れる川の両側に咲いた桜の花。
桜は春のイメージの象徴のような存在で、見ているだけで心が晴れやかになる。
花見をしている人の顔は、お酒のあるなしにかかわらず、例外なく幸せそう。
でも満開の時は短く、咲いたかと思うと、まもなく散ってしまう。
美しく咲き誇る満開の桜も素敵だが、そんな散り際の美学というか儚さもこれまた風情を感じさせてくれて、私は大好きだ。
満開のときにいうのも何だけど、来年もまた愉しませてくれ。
さて、週末ちょっと残念なニュースが飛び込んできた。
秋に予定されているウィーンフィルの来日公演で、小澤征爾さんが指揮をしないことが正式に決まったのだ。
夏のサイトウキネンも、オーケストラコンサートは振るが、オペラは指揮しないらしい。
小澤さんの体調は順調に回復しておられるようなので、是非大事にしていただいて、また素晴らしい音楽を聴かせてください。
でも、ウィーンフィルのピンチヒッターは誰になるんだろう。
昨年の来日公演直後のソウルとウィーンのコンサートでは、メータが出れなくなったので、代役で若手のソキエフが指揮した。
個人的には、一昨年振ったばかりだけど、無理を承知で是非ムーティに振ってほしい。
あるいは、次のウィーン国立歌劇場のシェフに就任するウェルザー=メストとのコンビも聴いてみたいが、こちらは同じ11月にクリーブランドと来日するので可能性はないだろうなぁ。
いずれにせよ、決まるまでは、落ち着かない日が続きそうだ。
しかし、それでもなお、小澤さんの指揮でブルックナーとマーラーの9番が聴いてみたかった。
必ずや、体調が戻った小澤さんとウィーンフィルの黄金コンビで、この2曲の演奏を聴ける日がくると信じている。
ところで、最近聴いたCDでとても印象に残ったのが、ムターのブラームスのヴァイオリンソナタ(新録音)。
まさに驚愕の演奏だった。
ひとことで言うなら、「女王の変身」とでもいうのだろうか。
ムターといえば、豊麗で艶やかな音色を駆使して、とにかく隙のない完成度の高い演奏をするというイメージを私は持っていたが、このブラームスは全く違った。
第3番から聴き始めたが、とにかくテンションが高い。
流麗さを捨ててでも、自分の思いをストレートにぶつけてくる。
テンポは大胆に変化するし、歌わせ方もきわめて濃厚。
アダージョ冒頭の穏やかな旋律も、ムターの手にかかると、腹の底から絞り出すような真実の呟きのように聴こえる。
終楽章では、抑えきれないエネルギーの迸りが凄い。
奔馬の勢いとは、まさにこのこと。
第1番もまったく同様。
綺麗に歌おうなんて、まったく考えていないように感じる。
ヴァイオリンを奏でるというよりも、ヴァイオリンを通して肉声を聴かせると心に決めているかのようだ。
だからひとつひとつのフレーズが、胸に深く突き刺さってくる。
ヴィブラートとノン・ヴィブラートを巧みに使い分けながら、呟くように表現される弱音の凄さは、まさに桁違いだ。
誤解を恐れずに感じたことを言わせてもらうと、「スタイルは違うけど、根っこのところで、クレーメルにとてもよく似ている」。
私の感じた印象が正しかったかどうかは、19日のサントリーホールの実演で確認しよう思っている。
<曲目>ブラームス:
■ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 作品78『雨の歌』
■ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 作品100
■ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調 作品108
<演奏>
■アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
■ランバート・オーキス
<録音>2009年12月1~2日