ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ブラームス:ヴァイオリンソナタ全曲 by ムター&オーキス 

2010-04-11 | CDの試聴記
桜が週末まで散らないで、何とか我慢してくれた。
画像は、我が家の近くを流れる川の両側に咲いた桜の花。
桜は春のイメージの象徴のような存在で、見ているだけで心が晴れやかになる。
花見をしている人の顔は、お酒のあるなしにかかわらず、例外なく幸せそう。
でも満開の時は短く、咲いたかと思うと、まもなく散ってしまう。
美しく咲き誇る満開の桜も素敵だが、そんな散り際の美学というか儚さもこれまた風情を感じさせてくれて、私は大好きだ。
満開のときにいうのも何だけど、来年もまた愉しませてくれ。

さて、週末ちょっと残念なニュースが飛び込んできた。
秋に予定されているウィーンフィルの来日公演で、小澤征爾さんが指揮をしないことが正式に決まったのだ。
夏のサイトウキネンも、オーケストラコンサートは振るが、オペラは指揮しないらしい。
小澤さんの体調は順調に回復しておられるようなので、是非大事にしていただいて、また素晴らしい音楽を聴かせてください。
でも、ウィーンフィルのピンチヒッターは誰になるんだろう。
昨年の来日公演直後のソウルとウィーンのコンサートでは、メータが出れなくなったので、代役で若手のソキエフが指揮した。
個人的には、一昨年振ったばかりだけど、無理を承知で是非ムーティに振ってほしい。
あるいは、次のウィーン国立歌劇場のシェフに就任するウェルザー=メストとのコンビも聴いてみたいが、こちらは同じ11月にクリーブランドと来日するので可能性はないだろうなぁ。
いずれにせよ、決まるまでは、落ち着かない日が続きそうだ。
しかし、それでもなお、小澤さんの指揮でブルックナーとマーラーの9番が聴いてみたかった。
必ずや、体調が戻った小澤さんとウィーンフィルの黄金コンビで、この2曲の演奏を聴ける日がくると信じている。

ところで、最近聴いたCDでとても印象に残ったのが、ムターのブラームスのヴァイオリンソナタ(新録音)。
まさに驚愕の演奏だった。
ひとことで言うなら、「女王の変身」とでもいうのだろうか。
ムターといえば、豊麗で艶やかな音色を駆使して、とにかく隙のない完成度の高い演奏をするというイメージを私は持っていたが、このブラームスは全く違った。
第3番から聴き始めたが、とにかくテンションが高い。
流麗さを捨ててでも、自分の思いをストレートにぶつけてくる。
テンポは大胆に変化するし、歌わせ方もきわめて濃厚。
アダージョ冒頭の穏やかな旋律も、ムターの手にかかると、腹の底から絞り出すような真実の呟きのように聴こえる。
終楽章では、抑えきれないエネルギーの迸りが凄い。
奔馬の勢いとは、まさにこのこと。

第1番もまったく同様。
綺麗に歌おうなんて、まったく考えていないように感じる。
ヴァイオリンを奏でるというよりも、ヴァイオリンを通して肉声を聴かせると心に決めているかのようだ。
だからひとつひとつのフレーズが、胸に深く突き刺さってくる。
ヴィブラートとノン・ヴィブラートを巧みに使い分けながら、呟くように表現される弱音の凄さは、まさに桁違いだ。
誤解を恐れずに感じたことを言わせてもらうと、「スタイルは違うけど、根っこのところで、クレーメルにとてもよく似ている」。

私の感じた印象が正しかったかどうかは、19日のサントリーホールの実演で確認しよう思っている。

<曲目>ブラームス:
■ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 作品78『雨の歌』
■ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 作品100
■ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調 作品108
<演奏>
■アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
■ランバート・オーキス
<録音>2009年12月1~2日
コメント (2)
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バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ:「マタイ受難曲」(4/3) in 埼玉

2010-04-04 | コンサートの感想
先週から続いた私の大作鑑賞シリーズは、昨日のマタイが千秋楽。
スクロヴァチェフスキのブルックナー8番に始まり、トーキョーリングの「神々の黄昏」、インバルのマーラー3番ときて、最後がBCJの「マタイ」という豪華4本立てだった。
どれもこれも大変な名演で、いまだにそれぞれの舞台やコンサートの感動が体の中にはっきりと残っている。
印象が薄れないうちに「黄昏」とマーラー3番の感想を書かなくちゃと思いつつ、まずは昨日のマタイの感想を書かせていただこうと思う。
感動という点で、マタイのもつ力は、やはり桁違いだったので・・・。

<日時>2010年4月3日(土)16:00
<会場>彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
<曲目>
■バッハ:『マタイ受難曲』 BWV 244
■ヤコプス・ガルス:モテット『見よ、義しき人が死にゆく様を』
<演奏>
■レイチェル・ニコルズ/松井亜希 (ソプラノ)
■マリアンネ・ベアーテ・キーラント/青木洋也 (アルト)
■クリストフ・ゲンツ/水越 啓 (テノール)
■ドミニク・ヴェルナー/浦野 智行 (バス)
■鈴木雅明(指揮)
■バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱・管弦楽)

まず冒頭の合唱。
何と慈愛に満ちた表情だろう。
しかも、驚くほどの透明感と自然な豊かさを併せ持っていた。
だからこそ、引きずるようなあの低音のリズムが、聴き手に一層深く迫ってくる。
この第1曲を聴いただけで、BCJのマタイがどれほどの高みに達したものなのか、容易に想像することができた。

とくに第2部に入ってからは、文字通り時間を忘れて、マタイ独特の圧倒的に深くて広い世界に浸らせてもらった。
群衆が「彼は死罪だ」と叫んだあとに登場する37番のコラールで、「あなたは、確かに罪人ではありません」という言葉を、マルカート気味に強く明瞭に歌わせた鈴木さんは、本当に素晴らしい。
バッハの全作品中屈指の名アリアである「主よ、憐れみ給え」ももちろん素晴らしかったが、そのあとのコラール「主の愛は、罪に優る」と完全に一体のものであること、そしてあの華麗なアリア「私のイエスを返せ」を経て、3回目の受難のコラールまで一気につながるものであることを、私は昨日初めて体で理解することができた。
オーボエ・ダ・カッチャが心臓の拍動のようなリズムを刻む中、フルートトラベルソとソプラノが奏でる「神の愛に出る魂の救い」は、もはやこの世のものとも思えない。
フォーレのレクイエムとも相通じるような、まさしく天上の音楽だった。
そして、4回目の受難のコラール「血と傷にまみれた御頭よ」が始まると、もう涙なしには聴けない。
心から感動した。

有名な「甘き十字架」は、昨年のコルボはリュートを使って独特の幽玄さを出していたが、BCJではヴィオラ・ダ・ガンバが使われていた。
付点音符で強拍にアクセントをつけながら、何度も何度も執拗に上昇を続けるガンバの音型を聴くにつけ、私は神の子イエスから人間一人一人にバトンが渡り、何度倒れても這い上がろうとする人間の宿命というか生きざまというものを実感せずにはいられなかった。
また、ゴルゴタへのレチタティーヴォで、鐘を模したチェロのピチカートがこの日ほど鮮烈に響いたことはない。
イエスの死が目前に迫っていることが、ひしひしと伝わってくる。
そして、イエスの最後の言葉「エリ、エリ、・・・」が終わり、イエスの死が語られると、最後の受難のコラールが最弱音で歌われる。
救いを求める心の祈りというものが音楽で表現できるとしたら、これ以上のものはないだろう。
そして、その後の「本当に、この人は神の子であった」と合唱が歌う場面からは、もはや私はステージを直視することはできなくなっていた。
こうべを垂れ、身を震わせながら、静かに眼を閉じて聴き入るしかなかった。

凄いマタイだった。
マタイという音楽も凄いけど、この日の鈴木さんとBCJの演奏もこれまた凄い。
何の気負いも持たず、ひたすらバッハに、そしてマタイという音楽に対して敬意をはらいつつ、奉仕する気持ちで音楽を奏でると、きっとこんな演奏になるのだろう。
聴きながら、自分の中の不純な部分がどんどん浄化されていくような不思議な気持ちになった。

また、この日は、マタイ受難曲に続いて、ヤコプス・ガルスのモテット『見よ、義しき人が死にゆく様を』がアカペラで歌われた。
これまた雰囲気もマタイにぴったりで、なかなか素敵な演出だ。
昨年、LFJでコルボたちのマタイの実演を聴いて、人生に何度もないような大きな感動を味わったばかりなのに、1年後にまたこんな素晴らしいマタイに出会えるなんて・・・。
生きてて本当に良かった。
感謝しています。
コメント (6)
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