ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

「笑えるクラシック」 樋口裕一著

2007-10-31 | 書籍の感想
「クラシック音楽は堅苦しく敷居が高い、そう思われているようだ。(中略) 私はそろそろ日本人も、クラシック音楽に本来音楽が持っていたはずの笑いの精神を取り戻すべき時期に来ていると思う。・・・」という前書きで始まります。
おっ、これは面白そうだと直感しました。
果たして面白かった。
知的好奇心をくすぐられる本です。

第1部は、「実は笑える曲なのに、真面目に演奏されている名曲」
第2部は、「正真正銘笑える名作オペラ」
第3部は、「思わず笑ってしまう名曲」
この章立てだけでも、面白そうでしょう?

「そうそう。確かにそうだっよな」と大きく頷いたり、「えっ、そうだっけ。CDをもう一度聴いてみよう」と新しい発見に小さな喜びを感じたりしながら、あっという間に最後まで読みきってしまいました。
採りあげた曲ごとの「笑えるツボ」のような箇所も、もちろん面白いのですが、私は樋口氏がさらっと書いている作曲家観に氏の本音が滲み出ていて、とても興味深く読ませてもらいました。

たとえば、
ニーチェによって、『神の死が宣告された時代』に生きたマーラーとR・シュトラウスを比較して、
「日本では、圧倒的にマーラーの方がレベルの高い音楽を残したとみなされている。しかし、私のようなシュトラウス好きからすると、マーラーは時代遅れの観念にこだわっている人間に見える。くよくよと自分にこだわって悩んでいる。すでにあるはずのない形而学上の音楽世界に憧れ、それを再現しようとしている。だが、ベートーヴェン的なものがあるはずがないので卑小なものにしかならない。卑小さを隠すために、規模を大きくするしかない。それよりは、深刻に悩むのではなく、シュトラウスのように、すでに神のいない音楽を楽しく奏でるほうがよいのではないか。」

また、オッフェンバックのことをモーツァルトと対比させながら、
「演劇評論家の梁木靖弘氏が、この2人の関係を、『歴史は繰り返される。ただし、二度目には道化として』という言葉とともに紹介している。まさにそのとおりだと思う。モーツァルトの道化として存在するのがオッフェンバックだ。だが、そうであるからこそ、(彼は)才能の足りないモーツァルトではなく、たったひとりのオッフェンバックになっている」と。

はっとさせられる視点に、私は大いに刺激を受けました。
個々のテーマについてコメントしてしまうとネタバレになりますので、あえて書きません。
でも、この本、実に面白いです。

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クロール弦楽四重奏団 モーツァルト弦楽四重奏曲「不協和音」K.465ほか

2007-10-28 | CDの試聴記
休日の楽しみのひとつは、なんと言っても珈琲。
自分で気に入った豆を挽いて、お湯を沸かし、ゆっくりとドリップで淹れます。
ここで焦ってはいけません。粉の膨らみ加減を確認しながら、じっくり蒸らして淹れます。
そして、お気に入りのカップに注いでソファーへ。
香り高い珈琲を味わいながら、好きなCDをプレーヤーにセットし、愛器クレモナから音楽が流れ出すと、そこは私だけの至福の世界になります。
プロフィールにも書かせていただいた「私の3種の神器」のうち、ふたつを同時に楽しんでいるわけですから、私にとっては、まさに最高の贅沢です。

最近、珈琲を飲みながらよく聴くのが、このディスク。
名作ハイドンセットの最後を飾るモーツァルトのK.465は、「不協和音」というニックネームをもっていますが、現代の感覚からみるとほんとに可愛いもの。
確かに冒頭は少しきつめの和音になっていますが、不安感を煽りたいのではなく、目指すところは「調和」「美しい響き」であることがすぐに分かってきます。
果たせるかな、主部が始まるとそこは別世界。
一気に書き上げられたということを裏付けるような、流麗な音楽が姿を現わします。

そんな音楽ですから、そのことを音として表現してくれる演奏で聴きたい。
全員がニューヨーク生まれというクロール・カルテットの演奏は、まさに私のこの期待に応えてくれています。
とくに第1楽章で、主部に移る前後の表現が絶妙です。
冒頭は混沌とした状態をごく自然に表現しているし、主部に入ったあとが何とも鮮やか。
なにも変わったことをしているわけではないのに、明るい主題を支えるバスの「トントントン・・・」というシンプルな刻みが実に印象的です。
しっかり地面に足をつけているにもかかわらず、重さ(重量)を感じさせません。
こんなことは、実演で一度だけ経験したことがあります。2年前にサントリーホールで聴いたウィーンフィルのクラリネット協奏曲の冒頭の伴奏が、まさにこんな感じでした。
このアメリカのカルテットで、こんな音楽を聴けるとは思わなかった。

しかし、曲全体としては、決してウィーン風の優雅な演奏というわけではありません。音はどのパートも遠慮なく出してくるし、結構めりはりもついている。
にもかかわらず、憎らしいくらいバランスがいいのです。
第2楽章を聴くとよく分かります。
旋律線はあくまでも息の長い表情を保ちながら、バスと内声が、ときに主張し・ときに抑えながら、見事なバランスで音楽全体の陰影をつけていきます。

LPからの板起こしですが、音質はとても聴きやすい。
小説でも読みながら、ゆったり聴くのもいいでしょう。
でも、少し入り込んで聴いてみると、何か新しい発見がある。
そんなモーツァルトです。

<曲目>
モーツァルト作曲
■弦楽四重奏曲 ハ長調「不協和音」K.465/
■弦楽四重奏曲 変ロ長調「狩」K.458
<演奏>
クロール弦楽四重奏団
■ウィリアム・クロール(Vn)
■ルイス・グレーラー(Vn)
■ネイサン・ゴードン(Va)
■エイヴロン・トウェルドフスキー(Vc)
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新国立劇場 ワーグナー:歌劇『タンホイザー』

2007-10-22 | オペラの感想
バレンボイムのトリスタンの興奮も冷めやらぬ中、昨日は、新国立劇場で『タンホイザー』を観てきました。

<日時>2007年10月21日(日)14:00開演
<会場>新国立劇場
<キャスト>
■領主ヘルマン:ハンス・チャマー
■タンホイザー:アルベルト・ボンネマ
■エリーザベト:リカルダ・メルベート
■ヴェーヌス:リンダ・ワトソン
■ヴォルフラム:マーティン・ガントナー
■ヴァルター:リチャード・ブルンナー
■ビーテロルフ:大島 幾雄
■ハインリッヒ:高橋 淳
■ラインマル:小鉄 和広
■牧童:吉原 圭子
<演出>ハンス=ペーター・レーマン
<演奏>
■指 揮:フィリップ・オーギャン
■管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
■合 唱:新国立劇場合唱団
■バレエ:牧阿佐美バレエ団


第1幕
序曲が流れる中、ステージにいくつもの氷柱が並んでいきます。
照明の効果も相まって、何とも鮮やかなオープニングです。
そして、バレエ。
「ああ、優雅で綺麗だなぁ」と思う場面も多くありましたが、全体に揃いすぎていて、ラジオ体操風の印象が強かった。それから、ダンサーに舞台を全力疾走させる理由がなにかあったのかしら。
バレエのことはもう少し書きたいのですが、ひとまずこのくらいで。

ワトソンのヴェーヌスは、もっと声の威力に頼った歌い方をするかと思っていましたが、情感のこもった歌唱でとても良かった。
一方、タイトルロールのボンネマは、張りの有る声で一途さはよく伝わってきましたが、フレーズの終わりが常にブツッと切れる感じで、少々息苦しく感じました。
急なピンチヒッターで、準備が足りなかったのかもしれません。


第2幕
最初に登場するメルベートのエリーザベトが、実に素晴らしかった。
乙女の純粋な喜びを、本当に瑞々しく表現してくれました。
よくとおる声なのに、柔らかさ・しなやかさにも不足しない。
さすがに、今年のバイロイトでも同じ役を歌っただけのことはあります。

そして、入場行進曲に続いて歌合戦の場面にうつります。
この日の合唱は上手いです。巡礼の合唱もそうでしたが、力強さと清潔さを併せ持った見事な合唱で、この美しいオペラを大いに盛り上げてくれました。

ただ、この入場時の歌手達が身につけていた衣裳(化粧も含めて)は、はっきり言って×。
まるで、怪しげな宗教の集会みたいでした。
国中から集まってきたという設定なんだから、もっと自由に、様々な格好をしてても良かったのではないでしょうか。

しかし、タンホイザーがヴェーヌスベルグへ行ってきたことを告白してしまったあと、エリーザベトが命乞いをする場面。
これが、この日のまさに白眉でした。
「乙女の花を彼は一撃で折ってしまった。」と、突然襲ってきた悲しみをじっと耐えながら歌いだした後、それでも「彼の命を救ってください。」と訴えるエリーザベト。
そして、その直前にオーボエが奏でる優しくも哀しいフレーズ。
私は、もう涙目になっていました。

続いて合唱が、
「天使が天から舞い降りてきた・・・。お前は彼女に死を与えたが、彼女はお前の命乞いをしてくれている。たとえ赦してはいけなくても、天の声には逆らえない」
と優しく歌いだすと、もう涙が止まりません。
10年前のルネ・コロの日本最終公演のタンホイザーでも、こんな風には感動しなかったのに・・・。
また、うなだれるタンホイザーを、エリーザベトが自分のガウンの中にそっと包み込む演出でしたが、このときに懺悔・贖罪による救済の第一歩が始まっていたのでしょうか。




第3幕
なんと言っても、「エリーザベトの祈り」。
日々祈り続けた彼女が、帰ってきた巡礼者の中にタンホイザーの姿を探すも、やはり見つけることができない。
思いつめたように、「全能の処女マリア様、私の願いをきいてください。」とエリーザベトが祈りの歌を歌いだします。このとき、エリザベートにぴったり寄り添うように奏でる、クラリネットを始めとする管楽器たちの何と美しかったことか。
それにしても、メルベート、最高です!

続く、ヴォルフラムの歌う「夕星の歌」も秀逸。
ガントナーは、新国立の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ドン・カルロ」と過去2回聴きましたが、今回が一番はまり役だったと思います。
このオペラの良心ともいえるヴォルフラム役では、彼の誠実さがよく似合っていました。
そしてヴェーヌスの誘惑を振り払い、エリーザベトの自己犠牲によって最後に救われたタンホイザー。
そのことを感動的に歌い上げる合唱に、私はまた目頭が熱くなってきました。
最後に、赦されたことを示す「葉が生え花が咲いた法王の杖」に光があたってエンディング。
この演出は、とくに印象に残りました。

ベルリン国立歌劇場のトリスタンの後だっただけに正直少し不安でしたが、第2幕からはとても感動的な舞台を見せてもらいました。
そして何よりもメルベートという素晴らしいソプラノに出会えたことが、最大の収穫だったかも・・・。
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ベルリン国立歌劇場 ワーグナー:『トリスタンとイゾルデ』

2007-10-20 | オペラの感想
ようやく感想を書く気になりました。
10/17に観た「トリスタン」のことです。
あまりに素晴らしかったので、書き留める言葉がでてこなかったのです。

ベルリン国立歌劇場の「トリスタンとイゾルデ」の最終公演。

「当代最高のトリスタンだった!」
このひとことで、すべて終わってもいいくらいの上演でした。
1場面1場面が、3日たった今でも鮮明に思い出すことができます。
マイヤーのイゾルデ、パーペのマルケ王を始めとする、粒ぞろいの歌手陣。
舞台を支えたというよりも、むしろ主役として、終始情感豊かで愛情に満ちた音楽を聴かせてくれたベルリン・シュターツカペレ。
舞台のことに疎い私にも、「これは凄い」と思わせたクプファーの演出。
そして何よりもバレンボイム。もう彼の創り出す音楽に、私は心底圧倒されました。

<日時>2007年10月17日(水)15:00~
<会場>NHKホール
<出演者>
■トリスタン:クリスティアン・フランツ
■イゾルデ:ワルトラウト・マイヤー
■マルケ王:ルネ・パーペ
■クルヴェナル:ロマン・トレケル
■ブランゲーネ:ミシェル・デ・ヤング
■メロート:ライナー・ゴールドベルク
<演奏>
■指 揮:ダニエル・バレンボイム
■管弦楽:ベルリン・シュターツカペレ
<演出>ハリー・クプファー

この日の私の席は3階席の後ろから3列目。
C1入口の真上だったので前方に座席がなく、舞台全体を見渡すことのできる意外に観やすい席でした。
そうは言っても、天上桟敷の席。舞台は遠かったです。
また、オケピットも深めでしたから、バレンボイムの指揮姿は遂に一度も見えませんでした。
(奮発して、もっといい席にしておけば良かったかなぁ?一瞬不安と後悔が脳裏をかすめました)

第1幕
舞台には、傷ついた大きな羽根を持つ巨大なオブジェが・・・。
このオブジェが向きを変えつつ、光と影を巧みに使って舞台を形作っていきます。
これは何?
「天使」?この日の公演を観ておられたyokochanさまは「女神」だと仰る。
私は「傷ついた竜」をイメージしていました。
観る者に、さまざまなイマジネーションを起こさせる。しかも、そのイマジネーションしたものが音楽の邪魔をせず、音楽の核心をずばり突いている。
最高の演出ですね。

前奏曲の一回目のクライマックスで、私はすでに背中にゾクゾクするものを感じました。
それにしても、舞台は見た目もかなり遠いのに、天上桟敷まで響いてくるこの生々しい音はいったい何?
音が大きいということを言っているのではありません。訴えかけるような弱音から聴き手を圧倒する強奏部まで、すべての音が意味を持って天上桟敷まで聴こえてくるのです。
席は違いましたが、10年前に同じホールで観たワルキューレの時と、まったく同じ印象です。
バレンボイム恐るべし!

そして、歌手ではマイヤーのイゾルデの存在感が、やはり際立っていました。
歌の素晴らしさは言うまでもありませんが、オペラグラス越しにみるその気品ある容姿は、まさにイゾルデ姫そのもの。
息つく暇もなく舞台に釘付けになっているあいだに、第1幕が終わりました。

第2幕
第1幕で2人が飲んだ媚薬とやらを私もいただいておかないと、第2幕は感情移入できないと思い、幕間にシャンパンをいただきました。
媚薬には叶いませんが、シャンパンは霊験あらたかな存在だったようで、とくに「愛の二重唱」以降はもうバレンボイムマジックも相まって、私は官能の渦の中にどっぷりと浸りきっていました。

この愛の二重唱の場面に来ると、舞台が真っ暗になり、一筋の光だけがオブジェを照らすようになります。
愛は夜。愛は暗闇。永遠に昼間の光が来なければ2人はずっと一緒にいれるのに・・・。
夜への賛美とともに、徐々に高まっていく2人の愛。
バレンボイムが最高の表現で盛り上げます。
フランツとマイヤーの名唱とともに、実に感動的でした。
途中、ヤングが歌ったブランゲーネの「見張りの歌」も愛情に満ちた表現で素晴らしく、同じメゾソプラノのマイヤーがイゾルデを歌っていたこともあって、一瞬イゾルデが歌っているのかと錯覚した場面もありました。
そして、恍惚から歓喜の表情に変わった2人が歌い上げたクライマックスに、突然登場するマルケ王。
このマルケ王を歌ったパーペが本当に素晴らしかった。
王たる威厳を持ち、未練がましさを微塵も感じさせないマルケ王でした。
怒りではなく、王としての悲しみ・ひとりの男としての悲しみを、今これだけ見事に演じられる歌手はほかにいないでしょう。
そして、トリスタンに「何故こんなことになったのだ」と問いかける場面から第2幕のラストまでは、この日最高の見せ場のひとつでした。
直前にクラリネットが奏でる下降旋律にはマルケ王の寂しさが滲み出ていたし、トリスタンが「王よ、その質問に答えられる者はいないでしょう。」と応じたあとの音楽は、私の心を激しく揺さぶりました。

第3幕
まず前奏曲。
冒頭の慟哭しているかのような重々しい音楽に続いて、弱音でゆっくりと、しかし不安げに上がっていく弦。
その後のホルンとヴァイオリンが少しずれてしまったのが残念でしたが、全体からみればそれはほんの些細なこと。
このあとに起こる展開を、バレンボイムは、ここで見事に言い表していたと思います。

イゾルデ船を待つ心理状態、そして姿がみえて徐々に近づいてくる場面の描写、ともに見事のひとこと。
そして、せっかく再会できたと思った途端こと切れてしまうトリスタンを前にして、「イゾルデ、よく来たとどうして褒めてくださらないの?一度でいいから目を覚まして・・・」と悲しみにくれて呆然とするイゾルデ。
トリスタンは答えてやれませんが、バレンボイムとシュターツ・カペレが、トリスタンに代わって最高の愛情を込めた音楽でイゾルデを温かく慰めます。

また、2艘目の舟でかけつけたマルケ王の慈悲深さと新たな悲しみ。
「誰も彼も死んでしまった。2人を許そうとして思って急いでかけつけたのに・・・」と嘆くパーペに、私は不覚にも涙してしまいました。
そして、イゾルデの愛の死を迎えます。
もう、言葉はありません。
神々しいまでのマイヤーの名唱。
トリスタンの亡骸の上に倒れるのではなく、イゾルデがオブジェの大きな羽の中に包み込まれるようにして、静かに幕が降りました。
この感動を、私は生涯忘れることはないでしょう。

ここで残念だったのは、まだ演奏が続いているのに起こった拍手。
さらに、そのフライングがおさまった後、まだ音の余韻が残っているのに鳴り出した拍手。
この2回のフライング拍手が、この感動的なトリスタンを見事にぶち壊してくれました。
人より早くフライングの拍手をして、いったい何が楽しいんだろう。
余韻を心から味わおうとしている多くの聴衆の楽しみを、一瞬でぶち壊して、何が面白いんだろう。
いま思い返しても、本当に腹が立つ。
猛省を促したいと思います。
最後が静寂で終わる曲の場合は、ホールの入口にでっかい看板をいくつも立てるとか、場内でも再三アナウンスするとか、主催者も今以上に何か策を講じないといけないでしょう。
本当に情けない話だけど・・・。

何かいやなことを書きましたが、今回のトリスタンは私のオペラ体験の中でも間違いなくベスト3に入ります。
やはり、10年前にNHKホールで聴いたワルキューレの奇跡は、偶然でも何でもなかったのです。
バレンボイムは、紛れもなく当代随一のワーグナー指揮者だったのですから。

終演後、興奮冷めやらぬまま、渋谷でyokochanさまと打ち上げ?をさせていただきましたが、まあ2人でよく喋りましたし、よく飲みました。
最高の名演奏は、やはり最高の肴ですね。
ありがとうございました。

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アレクサンドル・メルニコフ ピアノ・リサイタル

2007-10-16 | コンサートの感想
先週の12日から、土日を挟んで6日間で5回のコンサートを聴くという、何とも贅沢な(しかしあまりにも無謀な・・・)日々を送っています。
バレンボイムの「マーラー9番」に始まりバレンボイムの「トリスタンとイゾルデ」で終わるという、この「勝手チクルス」。
ラス前の今日は、ロシアのピアニストA・メルニコフのコンサートです。
このコンサートは、先月ジャパンアーツの会員向け招待券が当たった(いや、本命がはずれたので本音は複雑!)ので、急遽「勝手チクルス」に組み入れました。
土曜日の読響マチネー(チャイコフスキーの歌劇「イオランタ」ほか)の感想をまだエントリーしておりませんが、とりあえず今日はメルニコフの感想を・・・。

<日時>2007年10月16日(火)19:00開演
<会場>東京オペラシティ コンサートホール
<曲目>
■シューマン:交響的練習曲 作品13
■スクリャービン:幻想曲 ロ短調 作品28
■スクリャービン:2つの詩曲 作品69
■プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第6番「戦争ソナタ
<演奏>
■アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)


この日の座席は前から4列目。
「ご招待券」ですから、選択の余地はありません。
前半は、シューマンの大曲「交響的練習曲」でした。
練習曲7と8の間に、遺作変奏曲の4と5を挟むという構成。
メルニコフは、ピアノの前に座っても、なかなか弾きだしません。
その点で、仲道郁代さんあたりとはまったく違いますね。(笑)

聴いた印象をひとことで言うと、「誰にも似ていないシューマン!」
主題は、ゆっくりひそやかに始まりました。
意図したものかどうかわかりませんが、音色は暗めです。
練習曲1は、とても面白かった。テーマが見事に浮かび上がってきます。こんなに鮮やかな表現を聴いたのは初めて。
練習曲4~5も非常にユニーク。独特のリズム感とともに、普段隠れがちなフレーズが俄かに陽の目を見た感じです。
続くどの練習曲も、新しい発見がありました。
というわけで、メルニコフのシューマンを聴いて、私は感心することしきりだったのですが、それがどういうわけか感動につながりません。
何故だろう。

首をひねりながらその理由を考えているうちに休憩時間が終わり、後半を迎えました。
後半のプロは、所謂ロシアもの。
変わった。明らかに変わりました。
音楽に生気が出てきたのです。
前半のシューマンでは、やはり少し硬かったのか。
裃を脱ぎ捨てたメルニコフは、別人のように自由に音楽を語り始めました。
スクリャービンの幻想曲も詩曲も、とにかく呼吸が自然で、洒落た感覚も随所に感じられました。
メインのプロコフィエフも、まさに胸のすくような快演。
この戦争ソナタって、こんなに魅力的だったんだ。
終戦後、ブラヴォーの声もたくさん飛んでいました。
まったく当然!

大きな拍手に応えて、アンコールはショパン2曲とシューマン。
しかし、しかし、です。
今聴かせてくれたロシアもののようには行きません。
もっとウェットな情感が欲しい。
前半聴いた印象に近い感じです。
私の聴き方の問題かなぁ・・・。

ちなみに、このコンサートは映像撮りをしていたようなので、またいつかオンエアされるかもしれません。
その機会があれば、もう一度じっくり聴いてみたいと思います。



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Ryo ’s Bar 15th ( 室内楽コンサート )

2007-10-15 | コンサートの感想
昨日は、ブログでお世話になっているemiさまが参加されている、Ryo's Barという室内楽コンサートを聴きに行きました。
Ryo's Bar は、安藤亮・貴子ご夫妻が中心になって作られた室内楽シリーズ。
「本格的な室内楽を、出演者と聴衆が一緒に楽しむ」ことをテーマに、1997年から始められたそうで、私が聴かせてもらうのは昨年に続いて2回目になります。

<日時>2007年10月14日(日)19:30~
<会場>目黒パーシモンホール(小ホール)
<曲目>
■ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 op.127
■ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 op.8
<演奏>
■安藤亮(チェロ)
■安藤貴子(ヴァイオリン)
■伊藤恵美(ピアノ)
■栗原祐子(ヴァイオリン)
■丸谷眞世(ヴィオラ)


目黒パーシモンホールへ行くのは初めてでしたが、この小ホールは約200名を収容できるそうで、室内楽には手頃の大きさですね。
客席の階段を歩くと予想外に大きな音がして驚きましたが、多目的ホールということなのでやむを得ないでしょう。(そういえば、ラ・フォル・ジュルネでおなじみの東京国際フォーラムもこんな感じでした。)

この日のプログラムは、前半がベートーヴェン、後半がブラームスというオール・ドイツプロ。
まず前半のベートーヴェンは、弦楽四重奏曲第12番でした。
後期の弦楽四重奏曲の中でも、13番と並んで私が大好きな曲です。
この曲の持つ古典的な雰囲気が、よく伝わってきました。
また、第3楽章スケルツォのトリオが活き活きとしていて、良かったなぁ。

休憩を挟んで後半は、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番。
ブラームスの室内楽で、およそ不出来なものはないんじゃないでしょうか。
中でもこのピアノトリオの第1番は、私にとって「特別の音楽」。
第1楽章冒頭で、瑞々しい情感を湛えたピアノに導かれてチェロが歌いだすと、それだけで私は胸がいっぱいになります。
この日の演奏も、まさにそんな気持ちにさせてくれました。
まぎれもないブラームス!
時間を忘れて、最後まで聴き入ってしまいました。

第1楽章では、ヴァイオリンとチェロがユニゾンで歌いながら、ピアノがハーモニーを豊かにしリズムに変化をつける箇所が多く出てきますが、そのあたりがとても上手くいっていたように思いました。
第2楽章では、中間部の伸びやかな歌がとくに印象に残っています。聴きながら私は第2交響曲の旋律を思い出していました。
第3楽章は、冒頭からemiさんのピアノを中心に聴いていると、「これはベートーヴェン?」という気がしてきます。後期のピアノソナタのようでもあるし、同じく後期の弦楽四重奏における緩徐楽章の香りも漂ってきます。
しかし、チェロが旋律を朗々と歌いだすと、そこはやはりブラームス。
やはり、この曲は名曲です。

ただ、この曲は、曲の美しさに夢中になって「綺麗に弾こう」とすると、一番美味しいところが逃げていくように思います。
安藤さんご夫妻とemiさんのトリオは、緊張感を持ちつつ、一方で「この曲が大好きだ」という深い愛情を持って、この名品に取り組んでおられたのではないでしょうか。
お世辞抜きに、素晴らしいブラームスを聴かせていただきました。

次回は、がらっと雰囲気を変えて、フランスものはいかがでしょうか。
たとえば、ラヴェルのピアノトリオとか・・・。
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バレンボイム&ベルリン・シュターツカペレ マーラー:交響曲第9番ニ長調

2007-10-14 | コンサートの感想
一昨日、バレンボイムのマーラー9番を聴きにいきました。
改装後のサントリーホールは、この日が初めてです。
雰囲気はほとんど変わっていないけど、やはり綺麗になった気がします。
この日の席は、2階RAの3列目。
私の大好きな席で、比較的廉価でステージがよく見えるし、自分もオケのメンバーになったような錯覚を覚えます。

<曲目>マーラー:交響曲第9番ニ長調
<日時>2007年10月12日(金)7:00開演
<会場>サントリーホール
<演奏>
■指 揮:ダニエル・バレンボイム
■管弦楽:ベルリン・シュターツカペレ

予想通り、オケは対抗配置。
金管の後ろのステージ最後列に、コントラバス8台が一列に並ぶスタイルは、本当に壮観です。
入場してきた楽員を見渡すと、フルートは全員女性で、ヴィオラの首席も女性。
このオケは全体的に女性が多いように感じます。
そして、中でもヴィオラの首席(ユリア・デイネカ)とフルートの首席(クラウディア・シュタイン?)は、飛びぬけて素晴らしい妙技を披露してくれました。
派手さは感じないけど、このオーケストラの奏者達のレベルは皆相当高いです。
そして、オーケストラとして響くときに、さらに独特の木の香りのするような響きになるのが素晴らしいです。

この日聴かせてくれたバレンボイムのマーラーは、まさに巨匠の音楽。
先日私のブログで採りあげたCDの印象と同様、彫りが深く、逞しく、そして濃厚でした。
バレンボイムというマエストロは、まず自らを極度の緊張状態の中に没入させそこからオケも聴衆も緊張の渦に引き込んでしまうような「自己陶酔型」の指揮者ではなく、ある部分で常に冷めた眼を持って音楽と対峙していくタイプの指揮者だと、私は考えています。
感情移入しすぎて自分を見失うなんてことは決してない。
それでいて、淡白で枯れた演奏とは対極の、極めて濃厚でドラマティックな表現力が最大の持ち味。
ここが彼がワーグナー等のオペラで成功している点だし、この日のマーラーもまったく同様でした。

第1楽章
冒頭の不気味なチェロとホルンのリズムが、非常に明確に響きます。
その後のハープの音型をやや強調するのは、バレンボイム流。
この楽章でも、細かい音型を常に大事にしているのがよくわかります。
驚いたのはオーケストラの音色です。ホールの関係かもしれませんが、CD以上に木の香りのする音でした。
意外だったのは、バレンボイムの「振り」が小さかったこと。
もっと大きな振りの指揮をするかと思っていたのですが、最初のうちはジェスチュアを最小限に抑えてポイントだけ指示するというイメージ。
だからこそ、全身でシグナルを送った第一回目のクライマックスfffが本当に強烈でした。
それから、ことのほか美しかったのがコーダ。
ハープのアルペッジョに導かれてホルン、フルート、ソロ・ヴァイオリンと旋律が移っていく箇所は、もう言葉を失うくらい美しかった。全体にモレンドと指示された中を、最後にチェロのフラジオレットとピッコロだけが残る効果もとても印象的。
この楽章は、下手をすると何を言いたいのか全く分からないような演奏になる可能性も孕んでいるのですが、バレンボイムの見通しの良い演奏のおかげで、私はマーラーの音楽の素晴らしさを堪能させてもらいました。

第2楽章
ファゴットとヴィオラという楽器で冒頭のフレーズが奏でられるのは、この楽章の雰囲気を暗示しているようです。
この楽章に含まれる3つの舞曲の性格が、丁寧に表現されていたと思います。
そして、最後にソロ・ヴィオラがおどけたように奏でる「キュイ・キュイ・キュイ・キュー・・・」の表現がまことに強烈。
この楽章が終わった後、バレンボイムとトップサイドのコンマスが、笑顔でソロ・ヴィオラの女性を誉めていたのが、とても微笑ましく感じました。

第3楽章
冒頭から、まさにやんちゃ坊主が走り回るような演奏。
マーラーが聴いたらきっと喜んだでしょう。第2楽章でソロ・ヴィオラがけれんみなく演じた例のフレーズの雰囲気が、この楽章に見事につながっています。
しかし、いつまでも楽しさを謳歌させてはくれません。
突然トランペットのターンが、目を覚ませとばかりに鳴り響きます。
このあたりの表現の妙は、誤解を怖れず言うなら、まさにオペラ的な感覚。
それから、天上界へ誘うハープのアルペッジョが響いたあと、響きとして残る弱音の弦がとびっきり美しかった。こんな経験は初めてです。
そして、まだこの世界で楽しみたいんだといわんばかりに、再び冒頭の雰囲気を取り戻した後は、フルパワーで最後まで走り抜けました。
いやはや、凄い迫力。

第4楽章
CDと最も違う印象を持ったのがこの終楽章。
この日の第3楽章までの演奏に相当手応えを感じていたのか、大変高いテンションで始まりました。
テンポも速めで、鳥肌がたつほどの熱い表現。
しかし、少々熱すぎたのか?
美しいフレーズでファゴットがほんの少し外すと、これまで完璧に演奏してきたホルンが挽回しようと力んだのでしょうか、やはり少し危なくなります。
全体に少し前へ前へ進みすぎのように感じました。
しかし、その後もバレンボイムは手を緩めることなく、相変わらず凄いテンションで音楽を進めます。
ただ、こういう状況になった時によく起こることですが、フレーズの終わりが少し詰まり気味になります。
「もう少しだけ、ゆっくり呼吸してくれー」
心の中で、私は祈りました。
祈りが通じたのか、緊張感と静謐さが、絶妙のバランスをみせるようになりました。素晴らしい・・・。
そして、弦だけで演奏する最後のアダージッシモ。
弱音がもの凄い存在感です。
ここでも緊張と弛緩が、見事な呼吸を伴って表現されていました。
そして、もう今にも消えていきそうな雰囲気の中、ヴィオラのアクセントを伴った3つの音がpppながら鮮烈に響き、静かに本当に静かに音楽は終わります。

全ての音が消えて、奏者の動きが止まり、やがてバレンボイムの指揮棒も止まりました。
それでも拍手は起きない。
そして何秒経ったでしょうか。拍手の音がひとつふたつと響き始め、やがて熱狂的な拍手にホールがつつまれます。
実に感動的なエンディングでした。

また、この日は、コーダの間中、咳払いの音一つしませんでした。
稀に見る見事な集中力で演奏を盛り上げた聴衆にも、大きなブラヴォーを贈りたい。
素晴らしいマーラーの第九だったと思います。

バレンボイム&ベルリン国立歌劇場の来日公演は、これで「ドンジョヴァンニ」「マーラーの9番」と聴いてきました。
あと、もう一演目、17日にトリスタンを聴く予定です。
私にとって10年ぶりになるバレンボイムのワーグナー。
今から期待でそわそわしています。
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ベルリオーズ 序曲「海賊」

2007-10-11 | CDの試聴記
今日は、無性にベルリオーズを聴きたくなって、聴いたのがこの序曲。
「幻想」や、あの素晴らしい「ベンヴェヌート・チェリーニ」だって全然かまわないのですが、何気に私はこの「海賊」が大好きなのです。

序曲といっても、同名のオペラがあるわけではありません。
コンサート用に作曲された序曲で、バイロンの詩からインスピレーションを受けて作られたそうですが、この屈託のない明るさ・躍動感はベルリオーズならでは。
「ローマの謝肉祭」ほど有名ではありませんが、ベルリオーズの魅力が凝縮されています。

冒頭、管の合いの手をもらいながら駈け巡る弦のユニゾンは、きっと合わせるのが大変だろうなぁ。
しかし、決まれば効果抜群です。
そして、すぐにしっとりとした美しいテーマが出てきます。
この対比が何とも言えずいい感じ。
そして、また冒頭のあの活発なフレーズが戻り、金管が次のモティーフのさわりを吹き始めると、いよいよ次のステージへ。
しばらくすると、私の大好きなテーマが登場し、あとは一直線に最後まで駆け抜けます。

こんな躍動感の塊のような音楽は、やっぱりミュンシュで聴きたい。
ミュンシュの「海賊を」を聴くと、私はいつどこで聴いても、体が勝手に動いてしまいます。
この弾力性を持ったリズムとスピード感、そして、どんなときでも輝きを失わない色彩感溢れる歌は、もうベルリオーズ=ミュンシュといいたくなる世界。
最後の高揚した部分を聴くと、「もう終わり? ベルリオーズ先生、なんでリピートさせないのよ!」と言いたくなります。

ミュンシュでは、フランス国立管弦楽団と組んだ1967年のライブ盤も素晴らしいけど、私は録音も含めてこのボストン響とのディスクを推します。
他に、チョン・ミョンフンのDG盤、クーベリックのオルフェオ盤もそれぞれに魅力的。ただ、クーベリック盤はもう少し録音が良ければなぁ。

いずれにせよ、この「海賊」くんは、元気をくれますよ!
少々バテ気味の皆様に、是非オススメです。

ベルリオーズ作曲
<曲目>
■幻想交響曲(1962年録音)
■ロメオとジュリエットから(1961年録音)
■序曲「ベンヴェヌート・チェリーニ」(1959年録音)
■序曲「ローマの謝肉祭」(1958年録音)
■序曲「ベアトリスとベネディクト」(1958年録音)
■序曲「海賊」(1958年録音)
■「トロイの人々」から(1959年録音)
■歌曲集「夏の夜」(1955年録音)※
<演奏>
■シャルル・ミュンシュ指揮
■ボストン交響楽団
■※V・デ・ロスアンヘレス(Sp)
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パレナン四重奏団 モーツァルト名曲集

2007-10-10 | CDの試聴記
随分凌ぎやすい気候になってきました。
しかし、私の場合、この時期は秋の花粉症に悩ませられる季節でもあるのです。
常時目は痒いし、大事な時に限ってくしゃみが出るし、頭は重いし・・・。
あー、もう何とかしてくれー!
そんな憂鬱な気分を、すかっと晴らしてくれるディスクを見つけました。
10月にリリースされたばかりのパレナン四重奏団によるモーツァルトのアルバムです。

<曲目>
■セレナード 第13番 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
■ディヴェルティメント K.136
■ディヴェルティメント K.137
■ディヴェルティメント K.138
<演奏>パレナン四重奏団
(J.パレナン、M.シャルパンティエ、S.コロ、P.ペナソゥ)
<録音>1950年代初頭

アイネ・クライネを始めとして、あまりにも有名な名曲集。
これらの作品は弦楽合奏で演奏されることがほとんどですが、こうやって楽器の数を減らして聴くと、それはまた格別の魅力があります。

何と優雅な演奏だろう。
見るからに柔らかく美味しそうなデザートを思い浮かべてください。
口の中に入れたとたんに溶けてしまいそうな食感を持ちながらも、決して甘すぎることはない。
そう、何ともいえない上品な甘さを持っているのです。

アイネ・クライネが、弦楽四重奏で演奏されることは珍しいですが、もう本当にチャーミング!
どこをとっても優雅そのものですが、私はとりわけ第3楽章のトリオに惹かれます。
これだけ自然な伸びやかさをもった美しいトリオは、めったに聴けないでしょう。
フレーズの歌わせ方に独特の色気があるし、伴奏やオブリガードにまわったパートの絶妙の呼吸とリズム感が何とも見事。
アンサンブルを勉強されている方にとっても、大いに参考になる演奏だと思います。

ディベルティメントもまったく傾向は同じです。
音はより鮮度の高い響きに仕上がっているかなぁ。
たとえば、K.136。
この曲は、サイトウキネンの十八番として有名ですよね。
奏者のひとりひとりが特別の思いを込めて弾くサイトウキネンの演奏は、聴き手に強い感動を与えてくれます。
ただ、だからこそというべきでしょうか、つい襟を正して聴かなきゃと思ってしまうので、あまり頻繁には聴くことが出来ません。
しかし、このパレナンたちの演奏であれば、私は毎日でも聴きたい。
いつ聴いても、幸せな気持ちにさせてくれるような気がするからです。
休日にゆっくりソファーに腰掛け、好きな本を片手に、美味しい珈琲を飲みながら聴ければ、私にとってこれに勝る贅沢はありません。

是非、多くの人に聴いていただきたいと思います。




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バレンボイムのマーラー:交響曲第9番ニ長調

2007-10-08 | CDの試聴記
3月に惜しまれつつ読響の常任指揮者を辞任したアルブレヒトが、ラストコンサートで選んだ曲はマーラーの9番でした。
それは、本当に素晴らしい演奏だった。
その感動的なコンサートの帰りに、偶然池袋のHMVで見つけて買い求めたのが、このバレンボイム&シュターツカペレ・ベルリンのコンビによるこのディスク。

このCD、もう何十回聴いただろう。
誤解を怖れずに、ひとことで言うと、「逞しく劇的なマーラー!」
評価はかなり分かれているようですが、私は、はっきり肯定派です。
全体に彫りが深く劇性に富んだ演奏だと思います。

テンポもかなり細かく動くし、表情も濃い。
いわゆる「はったりを利かせた」ような表現も時に見られますが、これがことごとく決まっている。
そして知らず知らずのうちにマーラーの音楽に引きずり込まれていきます。
冷たい演奏をするオーケストラと組んだ場合は、このような特徴がマイナスに作用することも十分考えられますが、やや暖色系の音色を持つ手兵シュターツカペレ・ベルリンとの相性はさすがに抜群です。
録音もライヴとは思えないくらい素晴らしい。

第1楽章
主題といえるものが有るような無いような音楽ですが、バレンボイムは「主題の芽」のような音型をやや強調しています。
これが大変効果的で、見通しのよさにつながっているのでしょう。
私はこの楽章のテーマは「混沌」だと考えているのですが、この「混沌」を生のまま出されるといささか辛い。そういう意味で、バレンボイムの演奏はありがたいし、だからこそコーダの美しさが光ります。

第2楽章
昔を懐かしんでいるかのようなレントラー。
素朴さと大胆さとが交互に顔を出すような演奏。
とても面白いと思いました。

第3楽章
現世界への思いを強く感じさせる楽章ですが、それは、いささかハチャメチャでどこか投げやりな空虚感を感じさせるパロディ風の音楽でもあります。
バレンボイムの演奏は、まさにそれを音として表現してくれます。
そして、素晴らしいのは、途中で何回かハープのアルペッジョが入る箇所。
このハープの響きは、明らかに天国のそれです。
喧騒をかき消すかのようにハープのアルペッジョが流れるごとに、一枚一枚ベールを脱ぐように、あのアダージョに徐々に近づいていきます。
しかし、現実の世界への思いも断ちがたく、その絡み合った対比が何とも見事に表現されています。

そして終楽章。
最初からすすり泣くような表現をとる指揮者もいますし、逆に、澄み切った慈愛に満ちた雰囲気で楽章全体を表現する指揮者もいて、それぞれに大変魅力的なのですが、バレンボイムは違います。
彼は、ここに濃厚なドラマを持ち込んでいます。
バレンボイムの演奏を聴くと、冒頭は力を持った表現で、まだまだ現世の思いが強く残っていることを強く感じさせます。その後、何度かの浮き沈みを繰り返しながら浄化されていくさまが実に見事に表現されていると思います。
そして、あのコーダへ・・・。
ここで、ターンの音型が大きな意味を持っていることは言うまでもありません。
こういう「人間くささ」を感じさせてくれるアダージョ、私は好きです。

今週の金曜日12日に、まさにこのコンビのマーラーの9番を生で聴きます。
そういえば、ちょうど1年前の10月13日の金曜日には、同じサントリーホールでアバド&ルツェルンのマーラーの6番を聴きました。
まさに伝説のコンサート、伝説のマーラーでした。
このときの演奏の素晴らしさは、今でも忘れません。あの日サントリーホールを埋めた聴衆全てが同じ思いでしょう。

果たして今年のバレンボイムはどうでしょうか。
私は、第二の伝説になってくれるような予感がしてなりません。

<曲目>マーラー:交響曲第9番ニ長調
<演奏>
■ダニエル・バレンボイム(指揮)
■シュターツカペレ・ベルリン
<録音>2006年11月15日
(ベルリン、フィルハーモニーザールにおけるライヴ)


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ベルリン国立歌劇場 モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」

2007-10-01 | オペラの感想
バレンボイム 恐るべし!

ベルリン国立歌劇場の来日公演の初日を観て、私はそう感じました。
演目は、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」。
歌手たちは総じてよく歌っていましたし、演出もよかった。
しかし、この日の主役は、やはりバレンボイム。
凄い。圧倒的な統率力です。
私がバレンボイムのオペラにはじめて接したのは、10年前にNHKホールでみた「ワルキューレ」でした。
このときの上演は、今でも鮮烈に憶えています。
「こんなワーグナーを、生涯ふたたび観ることができるだろうか」と、途中からずっと考えていました。
NHKホールの1階後方の席でしたから、音についても実は大きな期待をせずに聴き始めたのですが、あんな実在感のある音は、今だ聴いたことがありません。
舞台のすばらしさも相まって、私の心をわしづかみにしてくれたのです。

そのバレンボイムが10年前と同じベルリン国立歌劇場と来日公演を行う・・・。
これは観るしかありますまい。
最初はトリスタンだけにするつもりでいたのですが、プレミアム・エコノミーチケットが手に入ったおかげで、幸運にも「ドン・ジョヴァンニ」の初日の公演を観ることができました。


<日時>2007年9月28日(金)18:30開演
<場所>東京文化会館
<出演>
■ドン・ジョヴァンニ:ペーター・マッティ
■ドンナ・アンナ:アンナ・サムイル
■ドンナ・エルヴィーラ:アンネッテ・ダュシュ
■ツェルリーナ:シリヴィア・シュヴァルツ
■レポレロ:アンノ・ミューラー=ブラッハマン 他

<演出・演奏>
■演 出:トーマス・ラングホフ
■指 揮:ダニエル・バレンボイム
■管弦楽:ベルリン国立歌劇場
■合 唱:ベルリン国立歌劇場合唱団

この日の席は、3階上手側の3列目。オケピットもよく見えて音は悪くありません。しかし、私の前の列の斜め前のカップルが、上演中ずっと前屈みになって、決して席に背中をつけて観ないのです。
その結果どうなったかは、書くまでもありません。
本来なんとかステージ全体が見えるはずの席にもかかわらず、ステージの上手側4分の1くらいが、ほとんど死角になってお隠れになってしまったのです。

第1幕
序曲が、どういうわけかあまり響きません。
期待が大きすぎたのか、あるいは音がホールに馴染んでいないのか。
ドンナ・アンナの最初のアリアも、熱唱ですが空回り気味です。
うん?大丈夫か?

「カタログの歌」あたりから、ようやくホールに音が響きはじめた。
カタログの歌は私の大好きな歌。あの弦楽器の心沸き立つようなイントロを聴くだけで、どんな場合でも心が浮き浮きします。
ブラッハマンも、ちょっと真面目な感じがしましたが、よく歌っていました。
「シャンパンの歌」は、とにかく速い。しかしこのテンポでこそ、シャンパンの弾けるような華やかな雰囲気が出てくるんですね。
「ぶってよマゼット」は、オブリガード・チェロの生々しい響きが何とも印象的でした。

そして、フィナーレ。
冒頭の3連符のリズムで、一瞬にしてバレンボイムは華やかな雰囲気にしてしまいます。その後、ツェルリーナの悲鳴で音楽は風雲急を告げますが、実によくその変化が感じとれました。
ここで序曲と同様に、上昇そして下降する音階がでてきます。
しかし、「音階」の持つ意味合いが、2幕のフィナーレとは深刻さがまったく異なるところが面白かった。
ラストでは、マエストロがぐぐっとテンポを上げると、音楽そのものがみるみる緊張感を増していきます。そして重唱・合唱・オーケストラがフルパワーでエンディングを迎えました。
余談ですが、最後のフレーズは、交響曲「ジュピター」のフィナーレのコーダとそっくりですね。

第2幕
「ドンジョヴァンニのセレナード」では、マンドリンの表情がとても優しい。
「薬屋のアリア」では、舞台上手側で、ツェルリーナとマゼットが良い雰囲気で歌っていました。しかし、姿が見えません。まったく見えません。理由は先ほどのアレです。残念!

しかしなんと言ってもこの日のハイライトは、ドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場面。
騎士長の石像の声に、私は思わず震えました。そして付点を伴った低音の表現力の凄さと、何という緊張感。10年前に聴いたワルキューレの感動が体全体に甦りました。私はバレンボイムの創り出す音楽の渦の中に、完全に飲み込まれていったのです。
上昇下降の「音階」も、序曲のときとはまったく異なり、桁違いの存在感で迫ってきました。
だからこそ、最後のドン・ジョヴァンニの絶叫が真実の叫びに聞こえたのでしょう。
冒頭書いたとおり、やはり「バレンボイム 恐るべし!」です。

歌手についても、簡単に触れます。
■まず、タイトルロールのペーター・マッティ。
このドン・ジョヴァンニは大変良かった。貴族らしい気品と、好色さの源である「男の色気」が歌にも演技にも感じられて、素晴らしいドン・ジョヴァンニだと思いました。
これからもっと人気がでるでしょう。
■ドンナ・アンナ役のアンナ・サムイルは、まさに「怒りのアンナ」。
ただ、声の威力に少し頼っているところがあるか・・・。
■ドンナ・エルヴィーラ役のアンネッテ・ダュシュは、知的だけど、逆に声が少々細い。エルヴィーラ像としてはこのスタイルもあり?
■ツェルリーナ役のシリヴィア・シュヴァルツは、容姿がツェルリーナにぴったり。歌も小悪魔的な雰囲気もあって気に入りました。ただ、「薬屋のアリア」の演技がまったく見えなかったのは、かえすがえすも残念。
■レポレロ役のアンノ・ミューラー=ブラッハマンは、少し真面目なレポレロ。
でも、決して大悪党ではないレポレロですから、意外に良い味を出していたように思います。
そういえばこの人、昨秋のアーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメサイアを歌うはずだったのが、ドタキャンになったのではなかったかしら。
■ドン・オッターヴィオ役のパヴォル・ブレスリクは、とてもリリックで美しい声。
この真面目さが、アンナにとっても、きっと癒しになることでしょう。
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