ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

今年を振り返って

2005-12-31 | その他
今年も残すところ、あと3時間あまりになりました。
公私とも、嬉しかったこと、悲しかったこと、いろいろありましたが、全体としてみたら久しぶりに良い一年だったように感じます。
大晦日ですから、印象に残っていることを手短に振り返ってみたいと思います。

■コンサート編
なんと言っても、10月にサントリーホールで聴いたウィーンフィルのコンサート
今まで多くの演奏会に行きましたが、これだけ幸せなひとときを過ごせたのは初めてです。
透明感に溢れ、音に温かみと弾力性を持った素晴らしいサウンド。夢のような音でした。モーツァルトのクラリネット協奏曲の冒頭、単に音を刻んでいるだけなのに、なんと言う柔らかさ、弾力性。モーツァルトの愉悦感を、これほど身体で感じたことはありません。
また絶対聴きたい!

■印象に残ったCD、演奏家
ピアノのヴェデルニコフ。
以前から3枚組のベートーベンのピアノソナタ選集を持っていたので、良く知っているはずでした。でも正直なところ、音が綺麗でまとまった演奏をするピアニストだなあ、という程度の印象しかもっていませんでした。それが今年ベートーベンの30番のソナタの聴き比べをしてびっくり。
これは凄いピアニストだと実感しました。
何より音楽が暖かい。そして内声部が実にはっきりした演奏で、フレージングが本当に自然。したがって、バッハ・モーツァルトから近代・現代の曲に至るまで、どんな曲でも生気にとんだ魅力的な音楽に聴こえてきます。
私は自分の不明を恥じました。
幸いなことに、ロシア・ピアニズム名盤選というシリーズがリリースされて、ヴェデルニコフの演奏が聴きやすくなっていたこともあり、全て買い求めて1枚1枚聴いています。
私の場合、普通は一回聴いたらしばらくは同じCDを聴かないことが多いのですが、ヴェデルニコフのCDは一回聴いたあと、さらに2回は聴きます。きっと離れられないんですねぇ。だから全然先に進まないのですが、宝物だからしかたないですね。
ヴェデルニコフについては、来年じっくりと記事にしていきたいと思います。

■印象に残ったひとこと
著名な弁護士である久保利英明さんが12月19日の日経新聞に書いておられたものですが、
「・・・毎朝まずはインプットから始めます。厚さにすると3センチにもなる新聞や雑誌のスクラップを読みこなし、雑多な情報を頭に放り込んでおきます。インプットのないアウトプットを続けているといずれ駄目になります。(以下略)」

怠け者の私に一撃を与えた記事でした。
私の本業は企業年金なんですが、まさにそのとおりなんです。
最近インプットの量が足りないと大いに反省しました。
そして生きがいである音楽の分野でも、まったく同様だと感じました。音楽のプロではない私たちアマチュアにとって、インプットとは、「真摯にどれだけ生きた音楽を聴いているか」「どれだけ、考えながら誠実に音楽を聴いているか」「感動できるような感性を日々磨いているか」だと考えます。
やっぱり不断の努力が足りないと痛感しました。
久保利氏の言葉は、私にとって来年の大いなる課題です。

■来年の目標
既に心では考えているのですが、元旦にもう一度よく考えて決めます。

■最後に
ブログを始めたのが昨年10月、今年が事実上のブログ元年でした。
今年、何が嬉しかったといって、ブログを通して音楽好きの方といろいろ楽しく交流ができたこと、ほんとこれに尽きます。
浅学にして非才の身ではございますが、「音楽が好き」ということだけはこれからも決して変わらないと思いますので、来年も是非ともよろしくお願いいたします。
みなさま、よいお年を・・・。
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クレンペラーの第九(DVD版)

2005-12-31 | BS、CS、DVDの視聴記
いよいよ大晦日です。
1年間酷使に耐えてくれた愛用のオーディオ装置(特にスピーカーとCDプレーヤー)に対して、感謝の念を込めながらじっくり時間をかけてメンテナンスしました。
そして、DVDレコーダーに撮りっぱなしになっていた映像の整理を少しやったあと、買ったままでずっと観れていなかったクレンペラーの第九の映像を、ようやく観ました。

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 Op.125「合唱」
■指 揮:オットー・クレンペラー
■管弦楽:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
■合 唱:ニュー・フィルハーモニア合唱団
■ソロ
 アグネス・ギーベル(S)
 マルガ・ヘフゲン(Ms)
 エルンスト・ヘフリガー(T)
 グスタフ・ナイトリンガー(Bs)
<録画日時>
 1964年11月8日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール

私がクレンペラーを最初に聴いたのは、大学に入学したばかりの頃でした。
テンポの遅さと、全体の見通しのよさ、そしていろいろな声部が実に良く聴こえることに驚いた記憶があります。
今日、クレンペラーの映像付の第九を聴きながら、昔感じたことを懐かしく思い出しました。
クレンペラーの指揮姿は断片的にしか見たことがなかったので、こうやって映像付で、しかも第九を全曲見られるなんて感無量ですね。
クレンペラーの第九としては、①57年のスタジオ録音盤、②ほぼ同時期に収録されたライブ録音盤、③60年のウィーン芸術週間のライブ録音盤の3種類を聴いてきましたが、その中では重厚な中に熱さを秘めた②のライブ盤と、ヴンダーリヒがテノールを歌った③のライブ盤がとくに気に入っています。
今回の映像は、そのウィーン芸術週間盤よりもさらに4年後のものですが、これまた気迫みなぎる素晴らしい演奏でした。

すでに杖をついてしか歩けない巨人が、指揮台へゆっくり時間をかけて近づいてきます。
そして聴衆にお辞儀をしたあと、椅子に座って第1楽章のタクトを静かに振り上げます。オケの配置は両翼配置。神秘的な16分音符に導かれて冒頭の主題が出てくるところから、もう偉大としかいいようにない音楽が展開されます。テンポは遅い。でももたれることはありません。手兵のニュー・フィルハーモニア管弦楽団は、さすがにマエストロの考え方がすべて分かっているような素晴らしい反応で応えてくれています。木管楽器や金管楽器の上手さも特筆すべきでしょう。
第2楽章も遅いテンポですが、クレンペラーは大きな手を使ってかなり細かく指示を与えていきます。リズムや表情を変えたいときには、必ずしっかりと指示をしていました。もう少しオケに任せるタイプだと思っていたので、この点は意外でしたね。
木管が実に美しい。ティンパニも見事に決まっています。
第3楽章は、深い音楽が聴けます。過剰に感情移入しない分、ベートーベンの音楽の素晴らしさが胸に沁みます。
第4楽章は、まず合唱が本当に素晴らしい。この楽章はなんといっても合唱が大事なんだと改めて感じました。そしてアルトのヘフゲンが譜面にまったく目をおとさずじっとマエストロを見つめて歌っている姿にも、わたしは大変感動しました。そして最後のコーダ。スコアの指示はプレスティシモですが、テンポはそれほど速くありません。それにも関わらず、音楽がどんどん緊張感を増していき、ティンパニの5つの音が見事に決まってエンディング。
近頃あまり聴かないスタイルですが、しばらく声が出せないくらいの充実した音楽でした。

大晦日に本当にふさわしい音楽、そして演奏。
マエストロ クレンペラーありがとう。
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スクロヴァチェフスキ&読売日響の「第九」

2005-12-30 | コンサートの感想
今年も残すところあと2日。
随分遅くなってしまいましたが、26日に行った第九の感想を。
私が年間会員になっている読売日響のマチネーコンサートでは、例年12月に必ず第九が組まれており、今年は23日(祝)にスケジュールされていたのですが、息子の吹奏楽部の定期演奏会ともろにバッティングしてしまったので、別途26日の第九のチケットを購入して聴きに行きました。
指揮はスクロヴァチェフスキ。
ご存知の方も多いと思いますが、ミスターSことスクロヴァチェフスキは、現常任指揮者であるアルブレヒトの後を受けて、2007年のシーズンから読売日響の次期常任指揮者になることが決まっています。ちなみに下野竜也さんが、新設される正指揮者のポストに就任することも発表されました。
近年の読売日響の好調さをみるににつけ、アルブレヒトの功績はきわめて大きいと思います。もう少し続投してくれても良かったのにと正直思いましたが、また読響の新しい魅力を是非開拓して言ってほしいと願っています。

さて、今回の第九に話を戻します。

<日時>12月26日(月) 午後7時開演
<場所>東京芸術劇場(池袋)
<曲目>
■ベートーヴェン: 交響曲第9番 ニ短調 op.125〈合唱付き〉
<演奏>
指揮 :スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
管弦楽:読売日本交響楽団
ソプラノ:佐藤 しのぶ
メゾ・ソプラノ:坂本 朱
テノール:中鉢 聡
バリトン:三原 剛
合唱:武蔵野音楽大学

第1楽章、テンポが速い。とても82歳の人の棒とは思えません。古楽器を意識するなってことはまったくなく、モダン楽器の性能を存分に発揮させて音楽を作っていきます。 強奏部分の力感と弱音の美しさの対比が見事でした。
第2楽章、ここもテンポは速い。まさにスケルツォという雰囲気で一気呵成に聴かせてくれました。若きティンパニストである岡田さんも好調!
さて第2楽章終了したこの時点で普通はソリストが入場するのですが、なかなか出てきません。
そうこうしているうちに、スクロヴァチェフスキがタクトを振り上げ第3楽章のアダージョが始まりました。
いいテンポです。各声部のテクスチュアが本当に美しい。色調が柔らかくうっとりして聴かせてもらいました。
ところでソリストはどうした?ひょっとしてアタッカでフィナーレに入らずに間をとって入場するの?
やっぱり違った。通常通りアタッカでフィナーレが始まってしまいました。
おいおい、ソリストなしでやるの?それとも合唱団と同じ服装で中に隠れている?
それはさておき、冒頭の演奏は凄い緊張感。珍しくアンサンブルが乱れる場面もありましたが、凄い形相で鬼気迫る演奏を続ける毛利伯郎さん率いるチェロ軍団とコントラバス軍団をみていると、こちらまで手に汗握ってしまいます。
でも本当にソリストはどうしたの?
あ、出てきました。ようやく出てきました。4楽章のオケの演奏の途中で、そろっと4人のソリストが入場し合唱団の前の席に着席。
座ってまもなくバリトンのソロが始まりました。きっと心の準備もする時間もなかったと思いますが、三原さんは相変わらずの素晴らしい声。ここでようやくほっとひと息。
合唱は、先日聴いた藤原歌劇団合唱部には及びませんが、まずは好演といっていいでしょう。
ソリストの中では、中鉢さんのテノールが印象に残りました。
何だか実況中継風になりましたが、ミスターSと読響の相性は間違いなく良いですね。安心しました。
ところで、来年のマチネーコンサートの第九は御大アルブレヒトが振ります。
常任指揮者として最後の第九になるわけですが、今からほんとに楽しみです。


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庄司紗矢香のブラームス:バイオリン協奏曲

2005-12-25 | BS、CS、DVDの視聴記
今日はショックな出来事がありました。
久しぶりにカラヤンのパルシファルが聴きたくてCDを取り出そうとしたところ、ケースの中に入っていたディスク保護用(?)のスポンジが、経年変化でべったりCDに張り付いているではありませんか。4枚組のCD全部に対して見事なまでにぼろぼろになって張り付いてくれています。必死になってブラシやカメラ用のブロアーブラシを使ってリカバーしようとしましたが、CDの表面の塗装部分にも侵食しているようで、残念ながら諦めざるをえませんでした。
(Oh My God !)
このスポンジ問題は以前から私も知っていて、枚数組やボックスのCDはそのときにチェックして、スポンジがあればすべて外したつもりだったのですが、見落としていたディスクがあったようです。
今回のパルシファルはまさにそれでした。
さっそく他のCDも再チェックしてみましたが、クライバーの「椿姫」「こうもり」、ヨッフムのブルックナーの宗教曲集、クーベリックの「魔弾の射手」あたりがやられていました。ほかにもルビンシュタインのショパン全集等20組くらいがスポンジが入ったままになっていましたが、これらはラーキーなことにセーフでした。
前回気がついたときに全部チェックしたつもりだったのですが、いったい何をしてたんだろう。
上記のやられたCDたちは、必死の思いで蘇生術を施し、ヨッフムとクーベリックと「こうもり」は何とか聴けるようにはなりましたが、「椿姫」は症状が重く「パルシファル」とともに息を引きとってしまいました。
みなさまもくれぐれもお気をつけ下さい。
とくに古い枚数組のアルバムが危険ですぞ!

さて、気を取り直して、BS放送を録画していたアラン・ギルバート指揮 北ドイツ放送交響楽団の来日公演をじっくり観ることにしました。
全体として素晴らしい演奏でした。とくに印象に残ったのが、リベラ33さんもお書きになっていた庄司紗矢香さんをソロに迎えたブラームスのバイオリンコンチェルト。

庄司さんのソロが何といっても見事!凄い集中力と、抜群のテクニック。それに美しい音を駆使したカンタービレも素晴らしいのひとこと。さすがにパガニーニコンクールの覇者だけのことはありますね。
キラ星のように逸材がそろう日本人バイオリストの中でも、もっとも大きな可能性を秘めた人だと痛感しました。

ブラームスのコンチェルトというと、たいていは難しい顔をして弾きはじめるものですが、 庄司さんは登場した時から余裕すら感じさせるほどの落ち着きぶり。そしてソロが始まると、場の雰囲気が一変します。
歌わせるところは十分歌い、ブラームスの音楽特有のうねりもまったく不足しません。第1楽章終了後に、指揮者のギルバートのほうをみてにっこり微笑んだ表情が、会心の演奏だったことを良くあらわしています。
第2楽章は、息の長いフレージングとカンタービレにうっとりするばかり。
第3楽章に入るところで、指揮者と呼吸を合わせながら、大きく息を吸い込んで一気にアレグロへ。「音楽する」ことの喜びを感じさせてくれる素晴らしい演奏でした。
ヒラリー・ハーンのよきライバルになってほしいと願うばかりです。
彼女からますます目が離せなくなりました。

P.S
NHK音楽祭は、年々内容が充実してきたように感じます。
ずっとBSでの鑑賞ばかりでしたが、来年は実演にも行ってみようかな。


NHK音楽祭2005
<録音日時等> 2005年12月10日, NHKホール
<曲目>
■ブラームス:バイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
■R.シュトラウス:交響詩「ドン・フアン」 作品20
■R.シュトラウス:「ばらの騎士」 組曲
<演奏者>
■指 揮:アラン・ギルバート
■管弦楽:北ドイツ放送交響楽団
■バイオリン独奏:庄司 紗矢香



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再びフルトベングラー:バイロイトの第九

2005-12-25 | CDの試聴記
昨日はクリスマスイブ。
子供達はというと、息子のほうは、大学生活最後の定期演奏会が終わった翌日ということもあり友人と焼肉パーティへ(なんでヤキニク??)、娘のほうは、受験生なので可哀想だけど冬期講習。
というわけで、妻と2人のイブになってしまいました。
外で食事をしようかとも考えたのですが、フィギュアスケートもテレビで見たかったし、自宅でのんびりとシャンパンを飲みながらチーズフォンデュということになりました。
でも、こんなクリスマスもいいかもしれませんね。

あまりイブにはふさわしくないのですが、新たに購入したベートーベンの第九を聴きました。
決して初めて聴く演奏ではなく、定番中の定番であるバイロイトの第九です。
なんでまた?、と思われるかもしれませんが、今年の夏話題になったOTAKEN盤を聴いてベールが1枚剥いだ感じになっていてとても感動したばかりですが、今日聴いたのは新しくリマスターされたグランド・スラム盤です。

OTAKEN盤を聴いた時に、今までのCDとはひと味もふた味も違うと感激しましたが、今日グランド・スラム盤を聴いて、上には上があるものだと感心しました。
ひとことで言ってしまうと、あのOTAKEN盤と比べても一層分離が良くなっており、音に生々しさが加わっています。
したがって、あの1951年7月という特別な日にフルトベングラーがどれだけの思いでこの曲に対峙したかということが、一層ダイレクトに伝わってくるようになりました。
たとえば、第2楽章のスケルツォ、普通のテンポで毅然と始まるのですが、曲が進み次第に熱を帯びるにしたがって、徐々にテンポも上がっていきます。曲を煽っているのではなく、そのテンポを音楽そのものが欲しているんだなと感じさせてくれます。
そのあたりの微妙な変化が実に良く分かるようになりました。
また、第3楽章のあの素晴らしいカンタービレ。弦楽器や木管楽器の分離が良くなったことで対旋律が明瞭に聴き取れるようになりました。そのおかげで、フルトベングラーの息の長いフレージングや意図が一層良く分かります。
それから、フィナーレのエンディングの部分。
ここでは驚異的な(演奏不可能と思えるような)信じがたいアチェランドがかかるのですが、そのことでいつも賛否両論あるところです。
私も「ライブだから仕方ないけど、ちょっとやりすぎかな」と思わないでもなかったのですが、今回のリマスター盤を聴いて考え方が変わりました。
この部分、確かに信じがたいようなテンポにはなっていますが、決して滑っていません。
フルトベングラーの熱い思いと、1時間をゆうに超える時間をかけて進んできたベートーベンの音楽のうねりが、このテンポとこの表現を要求したのです。オケのメンバーたちも、きっと全員理解して必死についてきたんだと確信しました。

もう、このバイロイトの第九で浮気をすることはなくなりそうです。

<曲目>
ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調 Op.125『合唱』
<演奏>
■ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
■バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団

■エリザベート・シュワルツコップ(S)
■エリザベート・ヘンゲン(A)
■ハンス・ホップ(T)
■オットー・エーデルマン(B)

<録音>1951年7月29日、バイロイト、フェストシュピールハウス
 Grand Slam  GS2009
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アルバン・ベルクSQのベートーベン:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 op130

2005-12-23 | CDの試聴記
今週も出張の多い週でした。火曜日の夜から大阪に入り、水曜日はまる一日大阪で仕事をして一旦帰宅。さらに準備を整えて、木曜日の朝から日帰りで再び大阪へ。
しかも、ご存知のとおり昨日の大阪はめったにない大雪。行き帰りとも飛行機にしたのが大正解で、もし新幹線のままだったらえらいことになるところでした。
でも、そんなハードなスケジュールではありましたが、火曜日の夜は、クラシック音楽バーのアインザッツリベラ33さんやアインザッツのマスターと再会することができて、本当に楽しい忘年会になりました。
その席では、オーマンディがシカゴ響を振った大学祝典序曲やカール・リヒターがウィーンフィルと組んだシューベルトの5番等珍しい音源を聴かせてもらうことができ、新たな感激に浸っております。
素敵な音楽を聴きながら、音楽好きの気のあった人とともにお酒を飲む、こんな幸せな瞬間はありません。あっという間の3時間でした。
また、近いうちにご一緒させてくださいね。

さて、今年物故した音楽家を偲ぶ第2弾として、ヴィオラのトマス・カクシュカを採りあげたいと思います。
カクシュカは、ご存知のとおりアルバンベルク弦楽四重奏団の2代目名ヴィオラ奏者として活躍してきた人です。
したがって、ここではアルバンベルク弦楽四重奏団の素晴らしい奏者として、彼の偉業を偲びたいと思います。
そこで選んだのがこのディスクです。
このベートーベンの13番は1982年の録音ですから、彼がアルバンベルクSQに加わった最も初期の録音ということになりますね。

私がベートーベンの弦楽四重奏曲を真剣に聴きだしたのは、30台になってからでした。それ以前にも単発的にはもちろん聴いてはいたのですが、20代のときに最初に気を入れて聴こうと思って聴いたのが、実は16番だったんです。「ベートーベンの書いた最後の弦楽四重奏曲だからきっと素晴らしい曲に違いない」、と思い込んだのがつまずきの始まり。あまりにごつごつした印象が強すぎて、それからしばらくの間ベートーベンの弦楽四重奏曲そのものを敬遠することになってしまいました。
聴いた演奏がブダペスト弦楽四重奏団だったことも、今から考えてみると原因の一つだったんでしょうね。素晴らしい曲に違いはないんだろうけど、あまりに渋すぎる!
そんなわけで、ベートーベンの弦楽四重奏曲とはすこし疎遠になっていた時期が続いたのですが、あるときに偶然聴いたのがこのディスクでした。
何と瑞々しい音楽。一度でこの曲の魅力にはまってしまいました。
それ以来ベートーベンの他の弦楽四重奏曲もいろいろな演奏で聴いてみましたが、私が最も好きなのはやはりこの13番なのです。
とくに気に入っているのは第4楽章と第5楽章。
ドイツ舞曲風の第4楽章で、主題が戻ってくるときに、重なって奏でられるリズムのなんと斬新なこと。こんな発想は決して他の作曲家からは聞けません。最後のピアノソナタである32番でも、第2楽章の途中でスイングするようなリズムが聞けますが、ベートーベンの音楽は当時としては本当に革新的だったんでしょうね。
それからなんと言ってもカヴァティーナと書かれた第5楽章。実に美しい。崇高な祈りにも似た敬虔な美しさです。まちがいなくベートーベンの書いた最も美しいアダージョでしょう。
アルバン・ベルクカルテットの演奏(旧盤)は、この曲の魅力をあますところなく伝えていると思います。
ベルリンフィルにも似た鉄壁のアンサンブル能力に加えて、ウィーン風の何ともいえない芳しい香りとしなやかさも同時に感じさせてくれる、といったら言いすぎでしょうか。
カクシュカ(va)、エルベン(vc)といった名手たちが中低音を完璧に支えていること、これが大きな要因になっていることは間違いありません。

13番の他の名演としては、アルバン・ベルク弦楽四重奏団自身の再演となったライブ盤(新盤)、ラ・サール弦楽四重奏団の緊張感に溢れた演奏、クリーブランド弦楽四重奏団の暖かい演奏、ベルリン弦楽四重奏団の決して派手さはないけど聴けば聴くほど味の出てくる演奏等、枚挙にいとまがありません。それから紀尾井ホールで聴いたハーゲン弦楽四重奏団の演奏も、ほんとに素敵だったなあ。
でも、この曲の素晴らしさを教えてくれたアルバン・ベルク弦楽四重奏団の旧盤の魅力は、いささかも衰えることはありません。今でも私のベストディスクです。

そういえば、アルバン・ベルク弦楽四重奏団がアルテミス弦楽四重奏団(だったと思います・・・)を指導している場面を、以前BSで観たことがありますが、そのとき室内楽の原点・秘密を垣間見たような気がして大変感動したことを思い出しました。
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ミュンシュのベートーベン交響曲第9番「合唱」

2005-12-19 | CDの試聴記
フィギュアのグランプリファイナルで見せた浅田真央ちゃんの演技、本当に素晴らしかったですね。
きっと想像を絶するような厳しい練習をこなしているはずなのに、本番でみせる彼女の笑顔にはその影は微塵もありません。
テレビで言っていましたが、「彼女の演技は見る人を幸せにする」と。
ほんとにそう思います。
そんな素敵な彼女がオリンピックに出られないとは。やっぱり残念だし本当に寂しいです。
何とかならないのかなあ。
署名ならいくらでもするのに・・・。

さて、今日は長年の酷使?に耐えてくれた私の愛機(ロマニリョス)が、フレット交換を終えて手元に戻ってきました。
★フレット交換★
ギターとかマンドリン(そういえばヴィオラ・ダ・ガンバもそうですね)というフレットのある楽器では、どうしても使い込むにしたがって、左手の押さえるポジションを決めるフレットが磨耗してちびってきます。
そのため、そのような状態になってきたら音も濁ってくるので、フレットを新しく打ちかえるほうがいいとされています。

手元に戻ってきたロマニリョスは、すっかり綺麗になったし、音も昔の元気さを取り戻してくれたようです。
また、がんばって練習しなきゃ・・・。

ところで、振り返りの意味も込めた年末恒例の音楽というと、やはりベートーベンの第九でしょう。例年、その年の気分で10組程度セレクトして聴くのですが、今日聴いたのはミュンシュ盤です。

ミュンシュは大好きな指揮者のひとりですが、この第9でもまさにけれんみのない見事な直球を投げ込んできます。
直球と言っても、昔の村田兆治のような重い剛速球ではなく、松阪大輔のようなしなやかさを兼ね備えた快速球のイメージでしょうか。
筋肉質のスピードボールというと、フリッツ・ライナーやカルロス・クライバーがすぐに思い浮かびますが、彼らの音楽は燃えているように見えながらどこかで醒めた部分が感じられます。その点、ミュンシュの音楽は、ほんとうに真っすぐです。
そのミュンシュの美質がもっとも効果的に現われた部分は第2楽章です。
この楽章は、もともとティンパニ協奏曲のような様相を呈していますが、このミュンシュ盤ほど実感させてくれる演奏はありません。
指揮者・オケのエネルギーが1点に向かって進んでいくさまは、竹を割ったようにすかっと気持ちいい!
続く第3楽章ももちろん直球なんですが、まあ何とも憎らしいほどしなやかな歌に溢れています。
しなやかなんだけど、女々しいところは皆無で、男のロマンが存分に味わえます。
やっぱり、フルトベングラー時代にコンサートマスターとして活躍していたミュンシュのキャリアが、ものをいっているんでしょうか。
聞き惚れてしまいます。
ただ、あえて言うと、終楽章が私は少しだけ気に入りません。
テンポやスタイルに全く異論はないのですが、強拍のアクセントが少々強すぎる。
そのために、音楽が横に流れないで、これでもかこれでもかという感じに聴こえてしまうのです。
ミュンシュなら、もう少ししなやかさを失わないアプローチでも演奏できただろうにと考えると、ちょっと残念な気がします。
でも全4楽章の起承転結を考えてのことだと思いますので、ミュンシュの考えどおりだったのかもしれませんね。

ボストン交響楽団を率いて初来日したときに、とにかく音の大きさにびっくりしたというコメントを何度か見たことがあります。
しなやかさを失わない好漢ミュンシュの芸術はいまでも多くの人に愛されていますが、できることならば私も実演を聴きたかった。
最近つくづくそう思います。
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ベルティーニのマーラー:交響曲第3番ニ短調

2005-12-17 | CDの試聴記
今年も残すところ、あと2週間になってしまいました。
思い返してみると、正直いろいろなことがありました。
公私共にまだまだ遣り残したことが多いですが、区切りの意味からも、何回かに分けて今年を振り返ろうと思います。
第一回目は、「今年物故した音楽家を偲ぶ」第一弾としてベルティーニを聴きました。
曲は、マーラーの第3シンフォニーです。

ベルティーニは1927年に旧ソ連で生まれ、その後イスラエルに移住。 1958年、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューし、その後いくつものオーケストラの首席指揮者や音楽監督を歴任しました。特に彼の名を有名にしたのは、1983年から91年まで常任指揮者をつとめたケルン放送交響楽団時代でしょうか。日本でも1998年に東京都交響楽団の音楽監督に就任し、そのマーラー演奏等は高く評価されていました。
今年3月17日永眠。

といいながら、私はベルティーニが亡くなるまで、決して熱心な聴き手とは言えませんでした。
ところが、先日ケルン放送響と組んだマーラーの交響曲全集をじっくり聴いてみて、ベルティーニの偉大さが良く分かりました。
素晴らしい指揮者ですね。
彼のマーラーは、どの曲をとっても何より音の響きが美しい。美しいといっても、華美に飾った美しさではなく、音の一粒一粒を精魂込めてこつこつ磨き上げた美しさです。
加えて抜群のバランス感をもっているので、音の見透しが凄くいい。
私はバーンスタインやテンシュテットのマーラーが大好きで、聴くたびに「あー、凄い音楽をきいた。思いきり感動した!」と感じるのですが、聴いた後襲ってくる疲労感も正直半端ではありません。壮大なドラマとして真に迫って聴かせられるわけですから、当然ですよね。でもベルティーニのアプローチは違う。
マーラーの複雑なスコアを見事に音の響きとして再現し、純粋に音楽として聴かせてくれます。ドラマと音楽の違いと言ったら、極端すぎるでしょうか。
決して微温的だとか迫ってくるものがないと言っているのではありません。むしろ全く逆です。しかし、デフォルメしないフォルムの美しさ、無類のバランスのよさ、各パートの歌わせ方の見事さで、非常に分かりやすく感じるだけなのです。
偉大な芸術家であるマエストロが、職人としての最高の良心をもって音楽を再現している、そんな印象を私はもっています。
だから、バーンスタインやテンシュテットのマーラーは、年に数回大切な時に取り出して聴き、身も心もくたくたになるくらい深い感動を味わいたい。でも、ベルティーニのようなマーラーなら、毎日でも聴いていたい。
そんなふうに感じています。

さて、この3番シンフォニーですが、まず第1楽章冒頭のホルンが奏でる深い響きに早くも魅了されます。
20分過ぎに登場するチェロとコントラバスのユニゾンの何と見事なこと。また続く行進曲がこんなに充実した響きで再現されることは稀でしょう。
十分すぎる迫力と緊張感を感じつつ、スコアに書かれたすべての音が聴こえてくるようです。

第2楽章は、何ともしなやかで伸びやかな歌わせ方が、第1楽章との見事な対比を見せてくれます。メヌエットを意識したマーラーの思いが伝わってきます。

第3楽章は、マーラー得意のレントラー風の雰囲気。郭公を模した部分なんかは、つい替え歌の一つも作りたくなるような・・・。
(おっと、あまり品がいいのは浮かんでこないので、やめときます!)

第4楽章は、ニーチェの「ツァラトストラ」からの一節をアルトが歌います。キルブルーは良く知らない歌手でしたが、凛とした素晴らしい名唱。

第5楽章は、この季節(クリスマス前)にふさわしそうな天上の音楽です。ともすれば場違いの雰囲気を与えかねない意外に難しい部分ですが、明るく純真無垢な歌唱が心をきれいに洗ってくれます。

そして最後の第6楽章。
この演奏の白眉は、何といってもこの楽章です。
冒頭、厳粛に弦楽合奏で奏でられる部分が、ほんとにオルガンのよう。「終楽章」「アダージョ」「弦楽合奏」、といえば9番もそうですよね。でも9番のあの死の淵を覗くような独特の深遠な雰囲気はありません。その代わりに、この3番では、天国へ近づくための儀式でも見ているような、おごそかな優しい響きが・・・。
4分半くらいに登場する「椿姫」の前奏曲を思わせる弦楽器のすすり泣きは、泣き叫ばないぶんだけ一層胸をうちます。
18分過ぎから現われるフルート、ピッコロが奏でるフレーズは、もう言葉を失うくらいの美しさ。続く金管も実に見事。
最後の壮麗なコーダは、絶対団子のサウンドを作らないベルティーニの素晴らしさが最高に発揮されています。また有名なティンパニの4度強打も、心にぐさっと突き刺さるくらい印象的。
というわけで、それはまあ見事なマーラーでした。
真に充実した100分を保証してくれる名演だと思います。

<曲目>交響曲第3番ニ短調
<演奏>
■指揮:ガリー・ベルティーニ
■管弦楽:ケルン放送交響楽団
■アルト:グヴェンドリン・キルブルー
■ボン・コレギウム・ヨゼフィヌム少年合唱団
 バイエルン放送合唱団
 ケルン放送合唱団
<録音>1985年3月

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ディナータイムクルーズとバッハのトッカータホ短調BWV914

2005-12-15 | CDの試聴記
随分寒くなってきました。
やっぱり師走ですねぇ。
昨日は、休暇をもらって夜から妻と東京湾のディナータイムクルーズへ行ってきました。
風が強くものすごく寒かったけど、天気は絶好。夜景が本当に綺麗でした。
写真は、そのときに船のデッキから撮ったレインボーブリッジです。
食事も美味しかったし、「ワインを飲みながら美しい夜景を見る」、これはもう最高の贅沢をさせてもらいました。
これでいい音楽があれば・・・なんていうのは高望みしすぎですよね。

閑話休題

というわけで、今度は、最近良く聴いている音楽の話を。
最近ずっと気になって聴いていた曲のひとつが、バッハのトッカータです。
バッハのトッカータは7曲あって、どの曲も素晴らしいものばかりですが、とりわけ私のお気に入りはホ短調の曲です。
トッカータというのはイタリア語のToccare(触れる、弾く)という言葉が語源のようですが、「鍵盤等の楽器に指が触れる⇒ひとりでに音楽が流れ出す」、こんなイメージなんでしょうね。
このホ短調のトッカータを聴いていると、即興演奏の名手だったバッハが、自ら即興演奏したものをそのまま楽譜に書き取ったかのような印象を受けます。

名演奏も多いですが、
チェンバロでは、まず曽根麻矢子さんの演奏が、即興精神に溢れ音楽の楽しさが直接伝わってくるという点で、とても優れていると思います。
リリングのバッハ全集に入っているPeter Watchornの演奏は、ゆったりして風格があります。ただ、曲の性格を考えると、曽根さんのほうが好きだなあ。
ピアノでは、大好きなアンジェラ・ヒューイットが躍動感にとんだ素晴らしい演奏を残しています。
しかし、何と言ってもグールドの存在はあまりに大きい。
ヒューイットもさすがに及びません。
グールドの手にかかると、音のひとつひとつがまるで生き物のように生気をもって動き出します。とくに最後のフーガの部分が神業としかいいようのない素晴らしさ。
徐々に昂揚していくときの息詰まるような緊張感、ピークに達した後、ユニゾンで駆け下りてくる時の怖いくらいの緊迫感と迫力。何度聴いても鳥肌が立ちます。
これは必聴の名演です。



グールド盤は別格ですが、さきほどネットで検索していて素晴らしい演奏をみつけました。廻 由美子さんのピアノによる演奏なんですが、変にチェンバロを意識することなくピアノという楽器を信じきった演奏だと感じました。確信に満ちた凛とした表現が、廻さん独自の素晴らしいバッハを創りだしています。ちなみにネットで演奏を聴くことができますよ。
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ソフィア国立歌劇場 「オテロ」

2005-12-14 | オペラの感想
遅くなりましたが、9日東京文化会館で観た「オテロ」の感想を。
この「オテロ」は、先週の4夜連続コンサートシリーズの2日目にあたります。
2日目ということは、ニーベルンクの指輪4部作で例えれば、さしずめ「ワルキューレ」ですね。

ソフィア国立歌劇場 「オテロ」(全4幕)

<日時>平成17年12月9日(金)18:30開演
<場所>東京文化会館
<出演、演奏>
■オテロ:エミール・イワノフ
■デズデモーナ:ツヴェテリーナ・ヴァシレヴァ
■イアーゴ:アレクサンドル・クルネフ他
■指揮:ジョルジョ・クローチ
 ソフィア国立歌劇場管弦楽団
 ソフィア国立歌劇場合唱団
<演出> エンリコ・スティンケッリ 

ヴェルディの「オテロ」を実際に観るのは、今回が初めてです。
ビデオやCDで観たり聴いたことはありましたが、正直なところ「立派な音楽だなあ」ぐらいしか印象がなかったんです。
やっぱり、序曲がないことと、憶えやすい歌があまりなかったことが原因なんだと思います。
しかし、実際に観て、このオペラの魅力にすっかりはまってしまいました。
素晴らしいオペラですね。これほど中身がびっしり詰まった作品は、ヴェルディの中でも珍しいのではないかしら。
ただ、シナリオを単純になぞっただけでは、オペラの性格とはまったく逆に、喜劇にしかならない気もしました。
例えばオテロ。武勇に秀でて間違いなく英雄には違いないが、嫉妬深く、単純で、精神分裂気味の変なオヤジのような印象を与えても、ちっともおかしくない。
でも、オテロは、どんな場面でも、その瞬間瞬間常に必死なんだと思います。怒る時も、悲しむ時も、心からわびる時も、さらに言うと、嫉妬する時すらなりふり構わず必死なんです。その必死さが伝わってこないと、本当に茶番にしかなりません。
そういう意味で難しいオペラですね。

第1幕は、何と言っても最後の愛の二重唱が素晴らしかった。
オテロとデズデモーナを導くチェロの何と美しいこと。オテロ役のイワノフは、少し金属的な響きである感じがしましたが、若々しい声で必死さが良く伝わってきました。デズデモーナは、ブルガリアの名花ヴァシレヴァ。素晴らしい声のソプラノです。こちらも清楚でありながら一途な必死さが伝わってきて、私は大変感動しました。同じ役のロストや佐藤しのぶさんはどうだったんだろう。

第2幕は、イアーゴが大活躍します。イヤーゴ役のクルネフは、声自体にそれほど特徴があるわけではありませんが、その狡猾さが憎らしいくらいはまっています。
最後までイヤーゴの言葉・計略にまんまとはまってしまうオテロが何とも歯がゆいですが、そのオテロの心理状態をイワノフはよく演じていたと思います。

第3幕では、デズデモーナのどこまでも純な気持ち・姿勢が心をうちます。
また、特使一行が来てオテロの本国帰還が告げられ、オテロがみんなの前で何とデズデモーナを突き倒す場面がありますが、そのあと、倒されたデズデモーナが静かに歌い出すときにオーケストラで奏でられるメロディが、モーツァルトのジュピターのフィナーレに使われた主題と同じだったのでびっくりしました。
また、最後にイヤーゴが、不倫の証拠にでっちあげたくだんのハンカチを、オテロの顔にかけるシーンがとても印象的。

第4幕は、全体の中でも最も感動しました。
冒頭、柳の歌の旋律をコールアングレが吹き始めただけで、鳥肌がたってきました。
デズデモーナが柳の歌を歌い、続いてアヴェ=マリアを歌い終わる頃には、もう眼がうるうる状態。歳のせいかなぁ。ヴァシレヴァも素晴らしい熱唱です。
残念だったのは、その後静かに演奏し始めたコントラバス。
音程悪すぎ!よりによって一番感動的な場面で・・・。まあ、本番ではこんなものかもしれませんね。

というわけで、舞台がもう少し華やかだったらとか、オーケストラがもう少し上手かったらとか若干の注文はありましたが、初めて舞台でみた「オテロ」はしっかり私の心をつかまえてくれました。
「4日連続でコンサート・オペラを聴く」という大プロジェクトは、これにてめでたく終了です。
とても贅沢な気分を味わえた4日間でした。

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レニングラード国立歌劇場オペラ 「椿姫」

2005-12-11 | オペラの感想
ついに4日連続のコンサート・オペラ週間の第4夜(最終章)が終わりました。
今日の演目は、レニングラードオペラの「椿姫」です。
第2夜の「オテロ」の記事がまだ書けていないのですが、オテロについてはいろいろ書きたいことがあるので一番最後に回します。

ヴェルディ 歌劇「椿姫」
<日時>平成17年12月11日(日)
<場所>さいたま市文化センター
<出演、演奏>
■ヴィオレッタ:オリガ・シャニーナ
■アルフレード:ドミトリー・カルポフ
■ジェルモン:ユーリ・イヴシン
■フローラ:ナタリア・ビリュコーワ 他
■演出:ガウダシンスキー
■指揮:ミハイル・パブージン
 レニングラード国立歌劇場管弦楽団
 レニングラード国立歌劇場合唱団

さて、今日は椿姫でしたが、3日間の間にヴェルディの傑作オペラを2つも観れるなんて、とても贅沢なことかもしれません。
それにしても、ヴェルディの音楽は、どうしてこんな美しいんだろう。
聴けば聴くほど。観れば観るほど、その感を強くします。
しかし、ヴィオレッタファンの私としては、第2幕第1場(今日の上演では第1幕第2場)のジェルモンとヴィオレッタの会話だけは、どう考えても納得いかないのです。
病気で寿命1年だと訴えているのに、だいたい何で別れさせるんだ。
その後、自己犠牲で死んでいきますと涙ながらにヴィオレッタが歌うところで、ジェルモンが「私に何かできることは?」って応えます。
あまりに白々しすぎますよね。ヴィオレッタが可哀想過ぎます。
最後にヴィオレッタが亡くなる直前で、ジェルモンも心から謝罪しますが、ほんとに遅すぎる!
どきどきはらはら、時に何で?と感じさせるところが、名シナリオなんでしょうね。
やっぱり、ヴェルディに見事にしてやられているなあ。

横道に入ってしまいましたが、
まず第1幕の前奏曲、これは美しかった。弦楽器がすすり泣いているようです。
幕が開いて夜会のシーンでは、ヴィオレッタだけが黒いドレスを着ています。
ゲオルギウがコベントガーデンでデビューしたときの、あの白のドレスのイメージが強いので、とても印象に残りました。
ヴィオレッタ役のシャニーナは絶叫型のソプラノではなく、美しい声で情感こめて歌う姿が私は気に入りました。
アルフレード役のカルポフはあまり声量はありませんが、坊ちゃんタイプのイメージと一途な歌唱が、むしろアルフレードにふさわしかも。
ただ、一緒に観にいった妻は、小柄で声量がないところが少しばかりお気に召さないようでしたが・・・。(笑)
ジェルモンは、先ほどの会話が気に入らないことはこの際眼をつぶるとして、落ち着いた声が憎らしいくらいはまっていました。

第2幕の夜会では、ヴィオレッタは白のドレスに着替えて登場。ゲオルギウがここでは逆に黒のドレスに着替えていたのと好対照です。
バレエもさすがに素晴らしかった。

でも今回の椿姫の最大の見せ場は、kyokoさまが書かれている通り第3幕(今日のプログラムでは第2幕第2場)でした。
薄幸な運命に弄ばれながらも、懸命に精一杯生きようとしているヴィオレッタ。
ヴィオレッタの心の動きを見事なまでに表現しているヴェルディの音楽は、正直凄いとしかいいようがありません。死の床についていながら、アルフレードの姿を見るや「何とか生きたい、幸せになりたい」というヴィオレッタの歌に、思わず涙ぐんでしまいました。
しかし、その幸せを表現する浮き立つような音楽のなかに、一瞬現実に引き戻すかのように影を感じさせるあたりも、さすがにヴェルディです。
自らの死を悟りながら、アルフレードの幸せを願うヴィオレッタのいじらしさ。
一番最後の息を引き取る直前、心に沁みるような美しいヴァイオリンソロに導かれてヴィオレッタが語る「今までにない新しい力が湧いてきた。私は生き返る・・・」という言葉に、このまま奇跡が起こってほしいと願ったのは私だけでしょうか。
また、その瞬間シャンデリアが降りてきたのも、見事な演出としかいいようがありません。

特別知名度の高い歌手が出演していたわけではありませんが、想い出に残る素晴らしい公演でした。



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エマール&カルマー/読売日響 ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調

2005-12-10 | コンサートの感想
第3夜は読響のマチネーコンサートです。
ほんとは第2夜の「オテロ」を先に書くべきなんですが、今日のコンサートがとても印象深かったので、順番を変えて第3夜の感想を・・・。

<日時>12月10日(土)
<場所>東京芸術劇場(池袋)
<曲目>
■ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第3番ハ短調 op.37
■シューベルト: 交響曲第8番 ハ長調 D.944〈ザ・グレート〉
<演奏>
指揮 :カルロス・カルマー
ピアノ:ピエール=ロラン・エマール

前半は、エマールをソリストに迎えてのベートーベン。
「ピエール=ロラン・エマール」 いい名前ですねえ。名前の響きだけでフランスのエスプリを感じてしまいます。ご存知の方も多いと思いますが、彼はもともと現代音楽のスペシャリストだったんです。しかし、最近では、アーノンクールが彼をソリストに指名して録音したベートーベンのピアノ協奏曲全集が大きな話題になっています。
私も聴きたかったディスクなのですが、まだ聴けていませんでした。
それだけに今日の演奏会がとても楽しみだったんです。
実際ステージに現われたときの雰囲気も、フランスの紳士そのもの。
きっと洒落た音楽を聴かせてくれるんだろうなぁ。

まず第1楽章冒頭のオケのフレーズを、カルマーと読響が本当に丁寧に奏でていきます。フレーズの最初と最後に細心の注意を払っていることが良く分かります。そのおかげで、最後まで音のテクスチュアが実に美しい。
そんな見事な前捌きの後、いよいよエマールのピアノが入ってきます。
洒落たピアノ?
いいえ、まったく違いました。
まさに硬派のピアノです。打鍵が深いというんでしょうか、一つ一つの音にとても力を感じました。まさにベートーベンの音楽がそこにはありました。
そして、ピアノが休みの間、彼は身をオケの方に乗り出して、まるでオーケストラの一員であるかのようにオケの奏でる音楽に没頭していました。
その姿がとても印象的で、以前読響マチネーで同じ曲を演奏した小菅優さんの仕草を、つい思い出してしまいました。
第2楽章冒頭のピアノのソロでは、祈りに似た敬虔な雰囲気がとても感動的。客員コンミスである鈴木理恵子さんが、眼を閉じて聴き入っていた姿が印象に残ります。楽章を通して醸しだされる格調の高さが、何よりも素晴らしかった。
第3楽章のロンドでも、一度も上滑りすることなく終始安定した音楽を聴かせてくれました。きっと基本的なテクニックが凄いんでしょうね。ひとつひとつの音がしっかりしている上に、音の粒がそろっているので、音楽がきっちり流れます。
そして最後のフォルテシモには凄みを感じさせるくらいの迫力でエンディング。
本当に素晴らしいベートーベンを聴かせてもらいました。

後半は、シューベルトの「ザ・グレ―ト」です。
前半のベートーベンがハ短調、後半のシューベルトがハ長調と、なかなか今日の選曲も心憎いです。
カルマーの指揮を見るのも音楽を聴くのも今日が初めてでしたが、いい指揮者ですね。「自分の信ずるところを的確にオケに伝え、オケから充実した響きを引き出すことが出来る」そんな印象を受けました。
第1楽章冒頭からテンポが早い。その後はあまりテンポの変化をつけないスタイル。でもスコアを忠実に再現するとこんな感じになるはずです。
まるで、「この曲のどこが天国的やねん。ザ・グレートと呼ばれるくらい充実した気力溢れるシンフォニーや」と言わんばかり。仰るとおりです。
第2楽章も、速めのテンポでありながら実に良く歌う。中間部の何と美しいこと!
第3楽章のスケルツォは、なんと言っても10月に聴いたムーティ&ウィーンフィルが素晴らしかった。でも、ウィーンフィルはこんな形の1拍子系の3拍子はもともと得意中の得意。ほっといても絶妙の揺れをもった演奏ができます。しかし現在絶好調の読響も負けていません。カルマーの踊るような?タクトのもと、素晴らしいスケルツォを聴かせてくれました。
第4楽章は、圧倒的なスピード感と力感を感じさせる、胸のすく快演。
普段はどうしても長さを感じるこの曲が、あっという間の時間に感じるくらい素晴らしい演奏でした。私も聴衆という名のプレーヤーとして、たっぷり充実した音楽を満喫させてもらいました。

ところで、どうしても触れておきたいことがあります。それはカルロス・カルマーの風貌が、今は亡き名指揮者のシノーポリに似ているなあと感じたこと。そしてもう1人、ある人物?にも似ている瞬間がありました。それは、「のだめカンタービレ」に出てくる千秋の師匠ヴィエラ。
そういえば、のだめにも登場する現都響の常任指揮者であるデブリーストが、長年音楽監督をつとめていたオレゴン交響楽団の後任マエストロこそ、このカルマーなんです。
何か縁がありそうな気が・・・。
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平和への祈り~「愛しみの第九」

2005-12-10 | コンサートの感想
4日連続コンサートの第2夜まで終わりました。
第2夜の演目であった「オテロ」は素晴らしい演奏でした。
ただ、順番に感想を書きたいので、まずは第1夜の第九から。
今回の第九コンサートは半額チケットとしてゲットできたのですが、席は10列めのセンターという願ってもないロケーションでした。

平和への祈り~「愛しみの第九」
~アジア・アフリカ青少年教育支援チャリティ・コンサート
~全アフリカITセンター設立に向けて
<日時>平成17年12月8日
<場所>オーチャードホール(渋谷)
<曲目と演奏者>
■クレンゲル:12のチェロのための讃歌
■ロッシーニ(トーマス・ミフネ編曲):歌劇「ウィリアム・テル」断章
■ショパン:ピアノ協奏曲第2番 断章
(演奏)東京都交響楽団チェロアンサンブル 他

■ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調「合唱付」
(演奏)
広上淳一 指揮
東京都交響楽団
ソプラノ/大岩千穂 
メゾソプラノ/加納悦子 
テノール/永田峰雄 
バリトン/三原剛
合唱/藤原歌劇団合唱部


このコンサートは、NPO法人世界青年平和サミットが開催している国際会議、World Youth Leadership Network Global Summitのクロージングイベントとして開催されました。世界青年平和サミット理事長の挨拶の後、前半は都響チェロアンサンブルによるプログラム。
今回のメンバーは、都響のチェロパートに加えて、神奈川フィルの首席チェリスト山本裕康さんや元東京交響楽団の首席チェリスト山本佑ノ介さんも参加して総勢12人のアンサンブルでした。
第1曲目のクレンゲルの曲は初めて聴く曲でしたが、これは隠れた名曲ですね。1920年A・ニキシュの誕生日のために作曲され、ベルリンフィルのチェリスト達によって初演されたそうです。とにかく美しいし、同じ楽器だけで演奏しているとはとても思えないような微妙なテクスチュアが絶品です。大好きになりました。CDではリリースされているのかしら・・・。
第2曲目は歌劇「ウィリアム・テル」序曲の断章。例の美しいチェロの五重奏のあとファンファーレに繫がるアレンジで、なかなか楽しめました。
第3曲はショパンのピアノ協奏曲第2番の第3楽章を12本のチェロで伴奏するというアレンジでしたが、コンチェルトの第3楽章から聴き始めるというのはやはり違和感がありました。

さて、後半はメインの「第九」です。
第1楽章、ちょっと弦楽器と金管が上手く噛み合わないようです。金管が少し遅れ気味なんですね。ティンパニーの強打がなにか浮いてしまっている感じがしました。
第2楽章では、アンサンブルの乱れがより顕著になってきます。広上さんのタクトが必要以上に細かい棒になっているのが、そのことを物語っています。
どうしちゃったんだろう。
この楽章が終了した後、ソリストの入場で少し間がありました。
この「間」をきっかけに、何とか変わって欲しい!
(余談になりますが、今回ソリストは指揮者の前に4人並ぶスタイルでしたが、私はオケとコーラスの間に位置するほうが好きです。)
第3楽章、十分時間をとったあと、広上さんがゆっくりタクトを振り上げます。
おっ、響きが柔らかく溶け合ってきたぞ!深く呼吸できるアダージョになりました。中間部の弦楽器のピチカートによる「3つの音」もとても印象的。4番ホルンの難所である上昇下降フレーズもばっちり決まりました。
さあ、フィナーレだ。
冒頭の全軍突入の部分は迫力満点。そしてチェロ・コントラバスの弱音で始まる歓喜の歌もとてもいい感じです。そして、いよいよソロバリトンが歌いだします。三原さんの素晴らしい声が聴こえた瞬間、何かが変わる予感が・・・。
そしてソロバリトンに続いて「フロイデ」と歌う合唱のなんと素晴らしいこと!
決して空回りすることのない凛とした歌唱が、それまでの空気を一新させました。
こんな素晴らしいコーラスは初めて聴きました。
これは奇跡が起こるかも!
果たして奇跡が起こりました。オケもソリストもコーラスも、一気に音楽として溶け合いました。とくにコーラスが入ると、さらにぱぁっと音楽が充実するんです。
難所であるオケのフーガも、その後の二重フーガも実に見事。
広上さんもありったけの情念をぶつけてタクトを振り、それに完璧にこたえるオケとコーラス。
良かった。最後にきて本当に感動させてくれました。

かくして第1夜は、無事終了。




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シューベルト 交響曲第5番 変ロ長調 D485

2005-12-04 | CDの試聴記
今日は一日中雨が降っています。他の季節と違って身に沁みるくらいの冷たさ。さすがに師走ですね。「おー、さむ!」
こんな日はお酒が一番なんですが、昼からお酒というのもあまりに退廃的になり過ぎるので、コーヒーを淹れて音楽鑑賞と決め込みました。
(ちなみに、コーヒーはお酒と同じくらい好きで、結構こだわりがあるんです。その話はまた後日に)

今日聴いた中で、とりわけ素敵な演奏に出会いました。
それは、エーリッヒ・クライバーが指揮したシューベルトの5番です。
シューベルトの5番は、その第1楽章の冒頭のフレーズを思い浮べるだけで幸せになるくらい好きな曲なんですが、また宝物が1枚増えました。

20世紀の大指揮者たち~エーリヒ・クライバー
■シューベルト:交響曲第5番/北ドイツ放送交響楽団 (ライヴ録音)
■ベートーヴェン:交響曲第6番《田園》/チェコ・フィル (ライヴ録音)
■ドヴォルザーク:謝肉祭序曲/ロンドン・フィル
■モーツァルト:交響曲第40番/ロンドン・フィル
■R.シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯/北ドイツ放送交響楽団(ライヴ録音)
■ヨゼフ・シュトラウス:天体の音楽/ロンドン・フィル
■J.シュトラウス:ジプシー男爵序曲/ロンドン・フィル
■J.シュトラウス:おまえ同士/ウィーン・フィル

このディスクは、「20世紀の大指揮者たち」という各々2枚組でリリースされているシリーズの一組なのですが、先日HMVで安くなっていたのでまとめてゲットしました。
第1楽章冒頭のフレーズの何と柔らく自然なこと!またテンポ感も見事で、一瞬にして聴き手をシューベルトの世界へ連れて行ってくれます。
途中のアクセントも絶妙で、シューベルトの素晴らしさを満喫することができます。
第2楽章以降も、第1楽章同様、本当に素晴らしい演奏としか言いようがありません。自然な柔らかさを保ちながら、まったく緩んだところがない。颯爽とした中にいっぱい実が詰まっているような、そんな印象を受けました。
北ドイツ放送交響楽団も、エーリッヒ・クライバーのタクトに、ものの見事に応えています。ライブのよさが全部プラスになっているような感じです。
収録されている他の曲もすべてが名演ぞろいですが、同じ日のライブ録音である「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」が音楽の躍動感という点でとくに見事。
それから一番最後に入っているJ.シュトラウスの「Du und Du(おまえ同士)」が、録音の古さを超えて本当にチャーミングです。
ウィーンフィルの素晴らしさももちろんありますが、このエーリッヒの演奏を聴いていると、「こうもり」を観た方ならきっとあの第2幕の素敵な情景が目の前に浮かぶでしょう。素晴らしい歌手達、シャンパン、何よりも素晴らしいシュトラウスの音楽、私には目の前にオペラの舞台が見えてきます。

ここまで書いてきて、「エーリッヒは、やっぱりカルロスのお父さんなんだ」ということを改めて痛感しました。
颯爽とした演奏スタイル、これしかないと思わせるテンポ、そんな中で自然にかつ魅惑的に息づく音楽。
比較すると、確かにカルロスのほうがより直接的にオーラを出してくるような気はしますが、基本的に2人の音楽の原点は同じではないでしょうか。

ところで残念なことに、エーリッヒ・クライバーは1956年1月に客演中のチューリヒで亡くなってしまいます。命日は1月27日。
それは、奇しくもモーツァルト生誕200年に当たる日でした。


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来年はモーツァルトイヤー(生誕250周年)

2005-12-03 | その他
師走に入って、クリスマス用のイルミネーションも多くなってきました。
画像は丸ビルの中の大きなクリスマスツリーです。旧式の携帯で撮った画像なので雰囲気だけをご覧下さい。
1日から2日にかけては、また大阪出張でした。
1日の夜は顧客との会食が予定より早く終わったので、思い立ってふらりとアインザッツへ。(足元もややふらりでしたが・・・)
前回は、店自慢のカクテルのうちレオノーレ第3番をマスターに作ってもらいましたが、今回はレオノーレ第1番をいただきました。美味しかった!「音楽を聴きながらカクテルを飲む」、これはもう至福のひとときです。
マスターにはいろいろ興味深い話も聞かせていただいたし、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。12月中に、なんとしても、いつもお世話になっているリベラ33さんMICKEYさんと、忘年会 + アインザッツでの2次会を実現させなくちゃ。
それから、マスターに言われてなるほどと思ったのですが、来年は言わずと知れた生誕250周年を祝うモーツァルトイヤー。一方、私も勤続25周年ということで、来年はご褒美?として1週間の特別休暇がもらえるのです。
おー! 250周年と25周年。これは「実際にウィーンでモーツァルトを聴いてこい」という神の啓示に違いありません。
マスターありがとう。これで大義名分がたちました。

さてと、それでは先立つものを貯めなくちゃ。よし、がんばろう。
でも、CDも買いたいし、コンサートにも行きたいし、オペラも観たい!
焼酎だってワインだって飲みたい!ああ、こんなことではだめですね。

早速来週は、何と4日連続のコンサート・オペラウィークなのです。
仕事もデリケートな時期にさしかかっているので、大丈夫かなあ。
半額チケットやモニターチケットを苦労してゲットしたものばかりなので、なんとしても行きたいのですが・・・。
一応、予定を書いておきます。

■12月08日(木) 平和への祈り「愛しみの第九」
 広上淳一指揮 東京都交響楽団 他
■12月09日(金) ヴェルディ 歌劇「オテロ」
 ソフィア国立歌劇場
■12月10日(土) 読売日響 マチネーコンサート
 カルロス・カルマー指揮
■12月11日(日) ヴェルディ 歌劇「椿姫」
 レニングラード国立歌劇場
 
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