今季、私の応援している某タイガースが不振にあえいでいます。
勝負事ですから勝ったり負けたりは当然です。
しかし、負け方が悪すぎる!
自分達が横綱であるかのように錯覚しているのではないでしょうか。
ひたむきさ、必死さが一部の選手を除いて伝わってこない。
良い悪いは別にして、球に当たってでも出塁してやろうとか、絶対次の塁を盗んでやろうとか、形は崩れても絶対打球を止めようとか、とにかくこちらの胸に響いてくるプレーがあまりに少ないのです。
もう一度原点に返って、小手先の技術論ではなく、「最後まで熱心に応援してくれる観衆にどうすれば感動を与えられるのか」、真剣に考えて欲しいものです。
少し愚痴が長くなってしまいました。
「感動を与える」とはどういうことか、音楽で見事な回答を出した例が、このリパッティの最後の録音です。
『リパッティ ブザンソン告別演奏会』
<曲目>
■パルティータ第1番変ロ長調BWV.825(J.S.バッハ)
■ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310(モーツァルト)
■即興曲第3番変ト長調D.899-3 (シューベルト)
■即興曲第2番変ホ長調D.899-2(シューベルト)
■ワルツ集(13曲)(ショパン)
<演奏>ディヌ・リパッティ(P)
<録音>1950年9月16日
中でも私の心を捉えて離さないのが、モーツァルトのK.310。
この作品は、ご存知の通り、たった2曲しか書かなかったモーツァルトの短調のピアノソナタの中の1曲。
同年のスタジオ録音も、あらゆる意味で「最高」としか言いようのない演奏ですが、亡くなる2ヶ月前の録音となったブザンソン告別演奏会の演奏は、やはり特別。
悪性リンパ腫と果敢に闘ってきたリパッティでしたが、いよいよ特効薬「コーチゾン」の薬効も切れ、普通の姿勢でいることさえ無理な状態にも関わらず、「聴衆が来てくれるのだから、私はそこで演奏しなければ・・・」と最後の気力を振り絞って登ったのが、このブザンソンのステージ。
そして、バッハのパルティータに続いて、このK.310が演奏されました。
指を暖めるためでしょうか、演奏前にリパッティは少しだけアコードを鳴らすのですが、もうその音から奇跡のK.310は始まっているのです。
第1楽章は、毅然としたテンポで始まりますが、表情はモーツァルトのまさに指示通り。
しかし、第2主題の手前で左手が16分音符を刻みだすと、俄かに音楽は動き出します。おそらくリパッティが意識したのではなく、音楽の流れがこの微妙なアゴーギクを産んだのでしょう。
コーダの16分音符で上昇と下降を繰り返す箇所では、その緊張感に思わず鳥肌がたちます。そして、続くmpの直前でほんの一瞬訪れるごく短いパウゼ。
まさに奇跡のような表現。リパッティがモーツァルトと一体になった瞬間か・・・。
第2楽章では、テーマを奏でる時の表情の優雅さと、展開部で3連符を刻むバスの動きに導かれて奏でる劇的な表現があまりに見事。
「衰弱しきったリパッティのどこにこんなエネルギーがあったんだろう。やはりモーツァルトがリパッティの体を借りて演奏しているに違いない。」と、あらためて思い知らされます。
そして第3楽章。
「憂愁のロンド」の中間部、その直前でごく自然に表現されるリタルダンドに、私は天上へ登ろうとする者が一瞬名残惜しそうにあたりを見渡しているような、そんな思いに駆られます。
つらつら書いてしまいましたが、こんな奇跡のような演奏は、言葉で表現できるわけがありませんよね。
ただ、このリパッティの神のような演奏を聴けば聴くほど、その時点で余命2ヶ月半であった不世出の名手リパッティの置かれていた状況と、母を亡くした年の作品であるというモーツァルト側の状況が渾然一体となってもたらされた、あまりに運命的な演奏のようにも思えてきます。
上手くいえないのですが、何か「特別の演奏」すぎるように感じることがあるのです。
特別ではないK.310を聴きたくなったとき、私はペルルミュテールの演奏を聴きます。
一見飄々としているように見えて、よく聴くとデリケートなニュアンスに富んでいる。そして、端正ななかに優しさが溢れている。
ペルルミュテールのモーツァルトは、そんな感じです。
こちらも、また大変な名演奏だと思います。
勝負事ですから勝ったり負けたりは当然です。
しかし、負け方が悪すぎる!
自分達が横綱であるかのように錯覚しているのではないでしょうか。
ひたむきさ、必死さが一部の選手を除いて伝わってこない。
良い悪いは別にして、球に当たってでも出塁してやろうとか、絶対次の塁を盗んでやろうとか、形は崩れても絶対打球を止めようとか、とにかくこちらの胸に響いてくるプレーがあまりに少ないのです。
もう一度原点に返って、小手先の技術論ではなく、「最後まで熱心に応援してくれる観衆にどうすれば感動を与えられるのか」、真剣に考えて欲しいものです。
少し愚痴が長くなってしまいました。
「感動を与える」とはどういうことか、音楽で見事な回答を出した例が、このリパッティの最後の録音です。
『リパッティ ブザンソン告別演奏会』
<曲目>
■パルティータ第1番変ロ長調BWV.825(J.S.バッハ)
■ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310(モーツァルト)
■即興曲第3番変ト長調D.899-3 (シューベルト)
■即興曲第2番変ホ長調D.899-2(シューベルト)
■ワルツ集(13曲)(ショパン)
<演奏>ディヌ・リパッティ(P)
<録音>1950年9月16日
中でも私の心を捉えて離さないのが、モーツァルトのK.310。
この作品は、ご存知の通り、たった2曲しか書かなかったモーツァルトの短調のピアノソナタの中の1曲。
同年のスタジオ録音も、あらゆる意味で「最高」としか言いようのない演奏ですが、亡くなる2ヶ月前の録音となったブザンソン告別演奏会の演奏は、やはり特別。
悪性リンパ腫と果敢に闘ってきたリパッティでしたが、いよいよ特効薬「コーチゾン」の薬効も切れ、普通の姿勢でいることさえ無理な状態にも関わらず、「聴衆が来てくれるのだから、私はそこで演奏しなければ・・・」と最後の気力を振り絞って登ったのが、このブザンソンのステージ。
そして、バッハのパルティータに続いて、このK.310が演奏されました。
指を暖めるためでしょうか、演奏前にリパッティは少しだけアコードを鳴らすのですが、もうその音から奇跡のK.310は始まっているのです。
第1楽章は、毅然としたテンポで始まりますが、表情はモーツァルトのまさに指示通り。
しかし、第2主題の手前で左手が16分音符を刻みだすと、俄かに音楽は動き出します。おそらくリパッティが意識したのではなく、音楽の流れがこの微妙なアゴーギクを産んだのでしょう。
コーダの16分音符で上昇と下降を繰り返す箇所では、その緊張感に思わず鳥肌がたちます。そして、続くmpの直前でほんの一瞬訪れるごく短いパウゼ。
まさに奇跡のような表現。リパッティがモーツァルトと一体になった瞬間か・・・。
第2楽章では、テーマを奏でる時の表情の優雅さと、展開部で3連符を刻むバスの動きに導かれて奏でる劇的な表現があまりに見事。
「衰弱しきったリパッティのどこにこんなエネルギーがあったんだろう。やはりモーツァルトがリパッティの体を借りて演奏しているに違いない。」と、あらためて思い知らされます。
そして第3楽章。
「憂愁のロンド」の中間部、その直前でごく自然に表現されるリタルダンドに、私は天上へ登ろうとする者が一瞬名残惜しそうにあたりを見渡しているような、そんな思いに駆られます。
つらつら書いてしまいましたが、こんな奇跡のような演奏は、言葉で表現できるわけがありませんよね。
ただ、このリパッティの神のような演奏を聴けば聴くほど、その時点で余命2ヶ月半であった不世出の名手リパッティの置かれていた状況と、母を亡くした年の作品であるというモーツァルト側の状況が渾然一体となってもたらされた、あまりに運命的な演奏のようにも思えてきます。
上手くいえないのですが、何か「特別の演奏」すぎるように感じることがあるのです。
特別ではないK.310を聴きたくなったとき、私はペルルミュテールの演奏を聴きます。
一見飄々としているように見えて、よく聴くとデリケートなニュアンスに富んでいる。そして、端正ななかに優しさが溢れている。
ペルルミュテールのモーツァルトは、そんな感じです。
こちらも、また大変な名演奏だと思います。