ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

小林研一郎&日フィル マーラー:交響曲第5番ほか

2006-09-29 | コンサートの感想
今日は、小林研一郎&日フィルのコンサートへ。
最初行く予定ではなかったのですが、たまたまチケットを譲って下さる方がいたので、久しぶりに地元大宮でコバケン得意のマーラーを聴くことができました。

☆第37回さいたま定期演奏会
<日時>2006年 9月 29日 (金) 午後7時開演
<場所>大宮ソニックシティ
<曲目>
■モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466
■マーラー:交響曲第5番
<演奏>
■ピアノ:横山幸雄
■指 揮:小林研一郎
■管弦楽:日本フィルハーモニー管弦楽団

 

前半は、横山さんをソリストに迎えたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番二短調。
横山さんは、タキシードではなくスーツ姿で登場。
第1楽章の出だしは少し硬い感じがします。なんでもない箇所でのミスタッチもありましたが、圧巻だったのはカデンツァ。
緊張感と美しさに溢れたカデンツァでした。
ところが、「凄いカデンツァだなあ」と聴き入っていた私は、カデンツァの最後の方で思わずあることに気づき、真っ青になりました。
それは、携帯電話です。
いったん電源を落としていたにもかかわらず、開演前にロビーでプロ野球のナイターの状況を知りたくて、電源を入れたままになっていたのです。
「マナーモード」にはしてたはずだけど、ヴァイブでブーブー言ったらどうしよう。ピアニシモの箇所も多いのに・・・。
祈るような気持ちで第1楽章終了を待ちました。

何とか第1楽章と第2楽章の間で、電源をオフにすることができました。
ようし、もう安心して聴けるぞ・・・。
続く第2楽章ロマンツェと第3楽章ロンドは、一層素晴らしい演奏でした。
横山さんの演奏との出会いは、随分前になりますが、中古ショップでゲットしたベートーヴェンの「テレーゼ」の入ったアルバム。
そのとき聴いて感じたのは、「何と瑞々しく響きが美しいピアニストだろう!」
今日初めて実際の演奏を聴いたのですが、印象はまったく変わりません。
落ち着いた抒情が何とも心地よかったです。

さて、休憩時にロビーに出て、立て看板をみてまたまたびっくり。
何とソニックシティホールは、携帯の電波が届かないようになっているではありませんか。
それを知っていたら、あんなにカデンツァであせることはなかったのに・・・。
おおぼけの私でした。(汗)

後半は、メインのマーラーの5番。
オーボエから音をもらってコンマスが音を出します。
うん?音が少しはずれてるぞ。
苦笑いしながらチューニングをやり直しました。
今度はばっちりです。オーケストラのメンバーの顔にも笑顔が・・・。
これは、ひょっとして、冒頭のソロを控えて緊張しているトランペットをリラックスさせるためのコンマスの作戦?

マエストロが登場し、タクトを握りました。
冒頭のトランペットソロに対して、「どうぞ」と合図をするだけの指揮者もいますが、コバケンはしっかり最初のアウフタクトの打点を示します。
やはり少し緊張感を含んだ音色です。でも、この箇所、私は朗々と完璧に吹くのもいいけど、こんな手探りの表現も好きです。
何より真実味が感じられるじゃないですか。

第1楽章が終わって、そのまま緊張感をもったまま第2楽章に入ろうとした矢先、突然
「いいぞ、世界一」という掛け声が・・・。
ホール全体が一瞬凍りつきました。
しかし、気を取り直して、第2楽章が始まりました。
「バカヤロウ」と、ぶちきれてもも仕方ない状況にもかかわらず、緊張を切らさないところがすごい!
この楽章の充実ぶりは、とりわけ素晴らしかったと思います。
私が驚いたのは、オケ全体が強奏する中でも、コバケンは弦楽器に細かく表情を指示しています。すると、かき消されるはずのフレーズがハッキリ聴こえるではありませんか。
マーラーのオーケストレーションの見事さもさることながら、マエストロの音楽作りの秘密を垣間見た気がしました。

第3楽章では、中間部の弦楽器のピチカートがたまらなく美しかった。
続くアダージェットで聴かせてくれたピアニシモの緊張感、これは何と表現したらいいんだろう。弱音の表現力ってこんなに凄かったのかと、改めて思い知らされました。
第5楽章では、楽章とおして続く長大なフーガの表現がさすがに立体的ですね。
そんな中、中間部で一瞬コラール風に響く箇所が大変印象的でした。
ラストは、もう圧倒的なクライマックスを築き、ドーシラソソドでエンディング。
楽章全体の設計が本当に見事です。

マエストロ コバケンの指揮は本当に大好きです。
どんなフレーズでも、マエストロと一緒に呼吸できるから。
まるで客席にいながら、自分でも演奏に参加しているみたいです。
うなり声も、愛すべきパフォーマンスだと思います。

「炎のコバケン」というキャッチフレーズ、半分当たっているけど、決してそれだけではありません。
むしろ、コバケンの芸術は、オペラ的というかドラマティックな描写に特徴があって、全体の造形感覚が非常に素晴らしい。
気まぐれなパッションの爆発を売りにする指揮者ではないのです。

それから、日本フィル。
とにかく熱い。「熱い」という表現は、プロのオーケストラに対して失礼かもしれませんが、それでもやっぱり熱い!
在京のオーケストラの中でも、一番ひたむきさを持ったオケではないでしょうか。
今日も、第1楽章は、少しミスもあり粗っぽいところもありました。
しかし、例の掛け声のあと、ぐんぐん集中力を増したオーケストラは、楽章を追うごとに余分なものをそぎ落として、中身のつまった充実した音楽に変貌していきます。
これは、以前私が日フィルの定期会員の時代に聴いた、マエストロ コバケンとの「復活」なんかでも、いやというほど感じさせてくれたものです。

終演後の大きな拍手に応えて、何と第5楽章のラスト30秒(本当は1~2分?)をもう一度聴かせてくれました。
いい演奏だったなあ。
最近、いいコンサートに恵まれている感じがします。

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ポリーニ のモーツァルト:ピアノ協奏曲第17番、第21番

2006-09-24 | CDの試聴記
昨日は、午後から会社の後輩が出演するオーケストラの定期演奏会を聴きにいってへ、そのあと、今期初めての野球観戦に東京ドームへ行ってきました。
コンサートでは、私の後輩はチェロを弾いていたのですが、表情が真剣そのもの。(本番のステージですから当たり前ですよね・・・(笑))
普段仕事で見なれた顔とはまったく違った表情を見せてもらいました。
演奏も、一本筋の通った熱い演奏で感動させてくれました。

その後の東京ドームでは、祝日ということもあり超満員。

     

結果も私の贔屓のチームが快勝してくれて、最高のゲームでした。
まだ終戦とは言わしませんぞ。(何と往生際が悪い・・・)
とくに、大怪我・大手術を克服してがんばっている濱中選手がホームランを打ったシーンでは、彼の勝負強さを改めて感じるとともに、どん底の時代から、文字通り血の滲むような苦労をしてリハビリに取り組んできた彼の姿を想像すると、思わず目頭が熱くなりました。
やはり、球場で試合を見るのは最高ですね。
あの一体感というか、今起こっていることを全員で共有している感覚、もっというと一期一会の感覚はライブでしか味わうことができません。

このことは、音楽もまったく同様ではないでしょうか。
最近、私がつとめてコンサートやオペラに行く回数を増やしているのは、その一期一会の感覚を味わいためでもあります。
ときには信じられないようなミスもあるし、息をすることも憚られるような静寂の中で突然聴こえる聴衆の咳もあります。
一方で、終演後、言葉をかわすのももったいないような凄い名演に出会うこともあります。
これら全てがライブなんですね。

今日採りあげたディスクも、そんなライブコンサートを収録した1枚です。

     

<曲目>
モーツァルト作曲
■ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453
■ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
<演奏>
■マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ、指揮)
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
<録音>2005年5月 ウィーン、ムジークフェラインザール[ライヴ]

このカップリング、実にいいと思いませんか。
30曲近いモーツァルトのピアノ協奏曲の中でも、とりわけオペラ風の雰囲気を漂わせた2曲だと思います。
とくに17番なんかは、全てのフレーズがオペラに出てきそう・・・。

私の大好きな、アシュケナージが弾き振りしたフィルハーモニア管弦楽団とのディスクもこの組み合わせでした。
アシュケナージのピアノは必ずしも好きということではないのですが、このコンチェルトの演奏は素晴らしかった。
アシュケナージは、この演奏のとき、かなり細かめにオーケストラにイメージを指示したのではないでしょうか。オケの演奏スタイルが、アシュケナージのピアノにとてもよく似た印象を受けるからなんです。

今回のポリーニはどうでしょうか。
私はむしろポリーニがウィーンフィルにあわせているように感じます。
いや、ちょっと表現がよくないですね。
モーツァルトを知り尽くしたウィーンフィルを信頼してともに語り合っている、そんな印象です。

相変わらずポリーニのピアノは冴えています。
しかし、透明感はあっても冷たい感じはしません。
ウィーンフィルのメンバーたちと一緒に音楽を楽しんでいる姿が、目の前に浮かびます。
ウィーンフィルのサウンドが、いつも以上にしなやかで生気にとんでいることがその証しではないでしょうか。
第17番の第3楽章冒頭を聴くだけで、「あー、ウィーンフィルのモーツァルト」と感じさせてくれます。具体的にいうと、フレーズの終わりの表情が何ともいえずチャーミングなんです。何でもないようにみえて、絶対他のオーケストラでは聴けないあの表現。
そんな素敵なウィーンフィルに触発されてでしょうか、ポリーニのピアノもいつになく柔らかい。
ポリーニのものと思われるつぶやき・鼻唄が聴こえてくるのも、「あのポリーニが」と考えると、なんとなく微笑ましい気がしました。

はっきりいって、一見サプライズの少ない演奏ですから、つまらないとか、ひらめきに乏しいとか、ポリーニは衰えたというご意見もあるようです。
しかし、子供のように純真にモーツァルトと戯れているこの演奏、私はとても素敵だと思います。
また、ライブだからこそ、これだけ自然に語り合えているのではないでしょうか。
私の大切な1枚になりそうです。
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【私の秘曲集1】 ランゲ=ミュラー :室内楽作品集

2006-09-21 | CDの試聴記
昼間は相変わらず暑いですが、朝夕はめっきり涼しくなりました。
そろそろクール・ヴィズも終わりです。
ネクタイの締め方を練習しないと・・・。(笑)

さて、これから月2~3回のペースになると思いますが、私の大切にしている曲、それもあまり知られていない曲をご紹介していきたいと思います。
題して「私の秘曲集」。

基準は、次のように考えています。
①あまり知られていない(と私が思っている)魅力的な作品
②または、有名な曲だけど珍しいアレンジで演奏されているもの
③何よりも、演奏そのものが魅力的なもの
「えっ、そんなのすでに有名じゃん」と思われるディスクもあるかと思いますが、そのあたりは何卒ご容赦ください。

栄えある第1回目は、デンマーク生まれのロマン派の作曲家ランゲ=ミュラーの室内楽作品です。

        

<曲目>
ランゲ=ミュラー作曲
■ロマンス 作品63(1899)
■3つの幻想的小品 作品39(1891)
■ピアノ三重奏曲ヘ短調 作品53 (1898)
■アルバムのページ(弦楽四重奏曲のための)
<演奏>
■エルベク (Vn)、スヴァーネ(Vc)
■コペンハーゲン三重奏曲
■カール・ニールセン四重奏団
<録音>
1994年11月
(デンマーク Kontrapunkt 32208)

ランゲ-ミュラーは1950年にデンマークで生まれた作曲家。
ランゲ=ミュラーの作品は、200曲以上の歌曲、ピアノ曲、ヴァイオリン等の室内楽、そして交響曲、劇場音楽と幅広いジャンルに亘っています。
どの曲を聴いても、人懐っこい愛らしさと夢見るような美しさに満ちています。

今回ご紹介する室内楽作品も、その例にもれません。
もし、このディスクを聴かれる機会があれば、是非ヴァイオリンとピアノのためにかかれた「3つの幻想的小品」の第2曲を聴いてみてください。
アンダンテ・カンタービレと指示された6分弱の短い曲ですが、本当に美しいです。
ピアノの前奏部分を聴いただけで、誰でもこの曲の虜になってしまうでしょう。ヴァイオリンが奏でるメロディは、まさに人の声そのもの。
そして、ヴァイオリンとピアノの掛け合いの部分は、名作フランクのヴァイオリンソナタを思わせるような趣です。

1曲めのロマンスも、最後の弦楽四重奏のための「アルバムのページ」も、いずれ劣らず可憐な美しさに満ちています。
ピアノ三重奏曲は少し印象が異なります。シューマンの同ジャンルの名曲に良く似た雰囲気だといえば、大体イメージがお分かりいただけるでしょうか。
ヴァイオリンとチェロがユニゾンで動くことが多いのも特徴のひとつでしょう。
これまた魅力的な作品だと思います。

ランゲ=ミュラーの作品は、あまり録音の機会に恵まれていませんが、もっと広く知られていい作曲家だと思います。
きっと、聴く人を幸せにしてくれるから・・・。
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趙静&デプリースト/都響 : オール ショスタコーヴィチプロ

2006-09-19 | コンサートの感想
趙静凄い!

あっ、ちょっと興奮気味なもので申し訳ありません。
昨日聴いた「都響:『作曲家の肖像』Vol.61 <ショスタコーヴィチ>」のお話です。
2階の4列目やや右側の席で聴きました。

<日時>2006年9月18日(月)14;00~
<場所>東京芸術劇場
<曲目>
《ショスタコーヴィチ》
■室内交響曲 ハ短調 作品110a
■チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107
■交響曲第5番 ニ短調 作品47
<演奏>
■チェロ:趙静
■指 揮:ジェイムズ・デプリースト
■管弦楽:東京都交響楽団

           



趙静さん、あの難曲、チェロ協奏曲第1番を見事に弾ききってくれました。
生でこの曲を聴いたのは初めて。
どんな風に弾くんだろうと興味しんしんだったのですが、予想をはるかに上回る超絶技巧です。

とくに第2楽章以降が素晴らしかった。
第2楽章後半、チェレスタの伴奏にのせてフラジオレットで弾くチェロの何と美しかったこと。
何か儚いもの、そんな感覚が私をとらえました。
続く第3楽章カデンツァは、もう息をすることさえ憚れるほどの緊張感。
素晴らしいテクニックもさることながら、彼女の集中力は凄いですね。
終楽章は、文字通り超絶技巧の連続。CDで聴いた初演者ロストロポーヴィチの演奏はもちろん凄かったですが、実演でこんな演奏を聴いてしまうと、もうあ然とするしかありません。

趙静さんは、あたりまえに円満に弾こうなんて、まったく考えていませんね。
どんなフレーズも、ぎりぎりのところで勝負しています。
誤解を怖れずにいうなら、若き日のキョン・ファ・チョンのようなイメージに近いかなあ。
本当は「デュ・プレⅡ世」といいたいところですが、デュ・プレはある部分でもっと豪快で情念たっぷりのところがありました。
趙静さんに、まだ(?)その情念のたぎりのようなものはありません。
しかし、この研ぎ澄まされた鋭敏な感覚、緊張感、ふとしたときに見せてくれる美しい歌、それらを支える圧倒的な技巧、まぎれもなく一級品です。

趙静さんのチェロのことばかり書きましたが、都響のホルンもティンパニもばっちり決まっていました。ただ、ティンパニの活躍場所が、意外に少なかったことにいささか驚きました。印象があまりに鮮烈なので、勝手に大活躍する曲だと思い込んでいたんですね。
実際のコンサートで、しかもこんなに素敵な演奏で聴けて、とてもラッキーでした。

ところで、今回のプログラムは、作曲された時期から言うとちょうど逆になっています。
最初の曲は、弦楽四重奏曲第8番をバルシャイがアレンジした「室内交響曲ハ短調 作品110a」。
第1楽章の主要動機は、作曲者のイニシャルを模した「D.SCH」(D―Es-C-Hの4音)が使われています。
第2楽章は、本家バルシャイの演奏(CD)がちょっとスローテンポだったので、デプリーストの演奏は心地よかった。
この日の白眉は、何といっても第4楽章のラルゴ。
独奏ヴァイオリンが最弱音で長い持続音を弾く中、悲劇的とも神秘的ともとれる音楽が展開していきます。この持続音は異常なくらいの緊張感で、私の眼も耳もすっかり独奏ヴァイオリンにくぎ付けになっていました。
また、独奏チェロの美しさも絶品。

メインの交響曲第5番(私の大好きな曲です)も素晴らしい演奏でした。
第1楽章、こんなフレーズがあったのかと、私にとっての新しい発見がいくつもありました。
中間部でオケ全体がユニゾンで強奏する箇所では、思わず鳥肌がたちました。
そして第3楽章のラルゴも秀逸。冒頭の弦のささやきを受けてハープとフルートが奏でるフレーズでは、思わず目頭が熱くなりました。
そして終楽章は、圧倒的な名演といって差し支えないでしょう。
終演後の大きなブラヴォーと、長く長く続いた拍手が、演奏の素晴らしさを物語っています。

デプリーストの音楽を実際に聴くのは初めてですが、素晴らしいマエストロですね。
音楽の勘どころをすべてきっちり押さえて、すべてのフレーズを十分に歌わせます。
また、全体の見通しがすごくいいんです。
だからこそ、音楽がが活き活きと十分に鳴りきるんだと思います。
それから、デプリーストのタクトに応えた都響のメンバーにも拍手。
素晴らしいアンサンブルでした。
日頃、読響を聴くことが多い私ですが、熱狂的な都響ファンの気持ちがよく分かりました。





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森麻季さん(トップランナー)

2006-09-18 | BS、CS、DVDの視聴記
昨日のNHKのトップランナーに、ソプラノの森麻季さんが出演されていました。
うーん、やっぱり華がありますね。
インタビューに答えて、とても興味深いお話をされていました。
普段の森さんの声は、意外に低くしっとりした声です。
それが、いったん歌を歌いだすと、まったく違う声になるんですね。
不思議なものです。

        

それから、話し方がとっても落ち着いた感じで好感がもてました。
また、説明する時にちょっと難しいかなと思ったら、すぐにたとえ話を出して分かりやすく説明してくれます。
彼女、きっと頭がいいんですね。
舞台でみせるあの知的な雰囲気の秘密を、垣間見たような気がしました。
印象に残った点をいくつか・・・。

■華奢な体のどこからあのような美しい声が出てくるのですか?
腹筋と背筋を使ってポンプの仕組みで声を出すんです。
イメージとしては、お腹だけではなく腰にも息を入れる感じで、内側の筋肉を使って発声しています。
骨格がしっかりしていればそれだけ立派な声がでるのは事実ですが、スピーカーを思い浮かべてください。
重低音をしっかり響かせるにはたしかに大きなスピーカーが必要ですが、私のように高い音で歌う場合は、必ずしも大きな容積のものは必要ないのです。
それから容積が大きくなっても、脂肪がたくさんついてしまうと、響かなくなるんです。
だから細身でも歌えるんです。

■9.11事件のこと
ちょうど渡米中でコシ・ファン・テュッテで歌っている時期でした。日本だったらとても上演は出来ないと思いますが、観客が一人でも来られたら絶対やろうと皆で話していたところ、客席は満員。
お客さんになんとか楽しんでもらおうと無心で歌った。
聴衆もとても喜んでくれて、本当に嬉しかった。
普段なら、「上手く歌えるだろうか」、そればっかり気にしていたのですが、「何とか少しでも楽しんでもらいたい」とその時初めて思ったのです。
音楽って、こんな素晴らしい力があるんだと改めて実感しました。
「人のために、そして人の心に届く歌が歌いたい」と思ったのは、このときからです。

■挫折をどうやって乗り越えたのですか?
東洋人であるという理由で、オーディションに落ちたこともあります。
日本人としての歌い手は必要とされていないと感じて、寂しく感じたこともあります。
でも、「どうして私は歌っているの?」と自分に問いかけた時に、出てきた答えは、「やっぱり歌が好きだ」ということ。
認められなくてもいい。歌いたいなあという気持ちを持ち続けていきたい。
世界一流の劇場でなくてもいい。私の歌を聴いてくださる人が1人でも2人でもいるところで歌を歌っていきたい。
そう思ったときに、私は挫折を乗り越えられたような気がします。


正直に言います。
森麻季さんは華もあるし、歌手として本当に素晴らしい人材だと思っていましたが、少し冷たいというかすましたイメージがありました。
でも、この番組を見ててイメージはまったく変わりました。
9,11の話や、挫折を乗り越えたときの話をしながら、ときに涙ぐむ森さん。
こちらも、ジーンとしてしまいました。
番組の中で歌った、ヘンデルの「涙の流れるままに」の何と美しかったことか。

実演はまだ1回しか聴いたことがありませんが、これからも応援していきたいと思います。

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新国立劇場 ヴェルディ 「ドン・カルロ」

2006-09-17 | オペラの感想
昨日は3ヵ月ぶりにオペラを観て来ました。
演目は、新国立劇場の今シーズンのオープニングを飾る「ドン・カルロ」です。
幸運にも、1階8列目という素晴らしい席で観ることができました。


         

「ドン・カルロ」は、オペラ通からヴェルディの最高傑作の呼び声も高い円熟期の名作だけに、数人の主役が頑張っていれば何とか格好がつくような作品ではありません。
6人の主役級の歌手がすべて粒ぞろいでないといけないわけですから、これは難しいですよね。
今日の新国立の「ドン・カルロ」は、そのような難しい条件を見事に克服して、素晴らしい出来だったのではないでしょうか。
NHKのカメラが入っていましたから、後日テレビ放送でも見られると思います。

<日時>2006年9月16日(土)14:00~
<場所>新国立劇場
<キャスト>
■フィリッポ二世:ヴィタリ・コワリョフ
■ドン・カルロ:ミロスラフ・ドヴォルスキー
■ロドリーゴ:マーティン・ガントナー
■エリザベッタ:大村 博美
■エボリ公女:マルゴルツァータ・ヴァレヴスカ
■宗教裁判長:妻屋 秀和
■修道士:長谷川 顯
■テバルド:背戸 裕子
■レルマ伯爵/王室の布告者:樋口 達哉
■天よりの声:幸田 浩子
<指揮>ミゲル・ゴメス=マルティネス
<管弦楽>東京フィルハーモニー交響楽団
<合唱>新国立劇場合唱団
<演出・美術>マルコ・アルトゥーロ・マレッリ

舞台には、大きな石板を複数枚組み合わせて、その隙間が大きな十字架のイメージになっています。
その後もこの石板たちを色々組み合わせて舞台が構成されていきますが、どんな組み合わせになっても、どんなシーンでも、最後まで十字架のイメージは残っています。
シンプルだけど、とても印象的な演出でした。
演出を担当したマレッリは、主人公のひとりであるフィリッポ二世の建てたスペインのエル・エスコリアル宮殿を訪れた際に、このアイデアが閃いたそうです。

第1幕
冒頭、舞台上に静かに横たわっているドン・カルロの背後から響く修道士(実はカルロ5世)の朗々とした歌唱を聴いて、「うん、これはいけるぞ!」と感じました。
有名な「友情のテーマ」もとても素晴らしかったのですが、2人の温度感の違いを少し感じてしまったことも事実です。
ドン・カルロ役のドヴォルスキーは素晴らしい美声で熱い思いを歌に託すのですが、ロドリーゴ役のガントナー が少し優等生的な感じがして、もう少し「男くさい」ロドリーゴを聴きたかったなあ。
ちょっと欲張りでしょうか。(笑)
ガントナーは、1年まえのマイスタージンガーで、役者顔負けの素晴らしいベックメッサーを演じてくれたので、そのときのイメージが強すぎたのかもしれません。

        

第2幕
第2場の異端者の火刑の場面、「天よりの声」役の幸田浩子さんが赤ん坊を抱いて舞台に現われ、まさに「天上の声」そのものの透明感溢れる歌を聴かせてくれました。マリア様のイメージでしょうか。
この幕のラストでは、舞台の一番後ろでは火がつけられた火刑台、舞台中央には赤ん坊を抱いた「天よりの声」、舞台の一番前では呆然と後ろを振り返るドン・カルロがたて一列に並びます。ドン・カルロの運命、おかれた境遇を考えると、大変印象的なシーンでした。

     

第3幕
冒頭の独奏チェロが何とも感銘深い見事な演奏!
続くモノローグ風のコワリョフの歌も、心に沁みる素晴らしい歌唱でした。国王の、王子に対する苦悩、愛してくれない妻に対する苦悩が見事に表現されていたと思います。実はこのアリア、このオペラの中でも私が最も好きなもののひとつだったので、うるうるしながら聴いておりました。
その後、腰を大きくかがめ杖をつきながら登場した宗教裁判長と、国王の激しいやり取りの場面も、お互いの信念のぶつかり合いのようなものが感じられて、大いに感銘を受けました。
宗教裁判長役の妻屋さん、身体は衰えて目も見えないにもかかわらず、小憎らしいまでの気骨を持ち続けた宗教裁判長を、見事に演じていました。
でも、バスとバスががっぷり四つに組んだ音楽って、ワーグナー以外ではあまり聴いたことがありませんが、凄い迫力ですね。
今回の上演では、第3幕に入って、俄然燃焼度の高い充実した音楽になってきたような気がします。
エボリ公女がエリザベッタに告白する場面で歌う「宿命の美貌よ」でも、ヴァレヴスカが迫真の歌と演技を見せてくれました。

第2場では、何といってもロドリーゴが暗殺される場面で自ら歌うアリア。
このオペラ全体の中でも最も美しいもののひとつだと思うのですが、今回も本当に素晴らしかった。
ヴェルディは、死を目前に迎えようとする人に対して、とりわけ愛情に満ちた美しい音楽を書いているような気がします。
「椿姫」の第三幕のヴィオレッタしかり、「ドン・カルロ」のロドリーゴしかり。
単に悲しい表情の音楽ではないんですね。「死への不安」や「死そのものの悲しみ」を突き抜けたような純度の高いもの、言い換えれば天に召されようとしている者への敬意が、そのまま音楽になっているように感じます。

第4幕
エリザベッタの諦観というか心の叫びともいえる美しいアリア「世のむなしさを知る人よ」が最大の聴かせどころです。
第3幕の途中から、黒を基調とした衣裳から純白の衣裳に着替えた大村さんが、もうそれはそれは感動的に歌ってくれました。
彼女の声は、どんなに緊張感に満ちた部分でも決して金属的になりません。
凛とした歌唱と低い音域での豊かな声が、とくに印象に残りました。
すらりとした長身で舞台姿も美しく、今後ますます人気がでるでしょうね。
この日もっとも大きなブラヴォーをもらっていました。

       


全体を通して感じたことは、「ドン・カルロ」という作品に対して、歌手をはじめ関係者全員が、誠実に精一杯の愛情をもって接していたことです。そのことを肌で感じられたことが、同じ時間に同じ場所に居合わせた者として、とても幸せでした。
そして、大村博美さんという、素晴らしいソプラノに出会えたことも、大きな収穫。
また、堅実に全体を統率した指揮者のマルティネス、第3幕のソロ・チェロに代表されるような東京フィルの好演も特筆できます。
私は、「ドン・カルロ」の素晴らしさを十分満喫させてもらいました。



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ショスタコーヴィッチ チェロ協奏曲第1番変ホ長調 作品107

2006-09-14 | CDの試聴記
今日は日帰りで名古屋出張でした。

18日(祝)にショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番(趙静のチェロです)を聴きに行くので、予習をかねてipodに入れて新幹線の中で聴こうと思い、昨夜作業しはじめました。
ipodに入れようと思っていた演奏は、ロストロポーヴィチ&小澤征爾盤です。
しかし、いざ作業をすべくCDを取り出してみて、目が点になりました。
CDの録音面に、何と白いカビが生えてしまっているではありませんか。
話にはきいたことがありましたが、私の所有しているCDの中でこんなことになったのは初めてです。
もう、しばらく声も出ませんでした。
でも、「なってしまったものはしかたがない」と自分を慰めるしかありませんよね。(やっぱり、O型か・・・)
そして、何とか気を取り直してipodに入れたのは、同じロストロポーヴィチの第一回目の録音です。(我ながら、意地っ張りだなあ・・・)
以前、バーゲンのときにボックスセットで購入していたものだったので、実はこの演奏、まだ聴いたことがありませんでした。

        

さて、新幹線が東京駅のホームを離れると、早速愛用のB&Oのイヤースピーカーを耳にセットし、このいわくつきの演奏を聴きはじめました。
最初は、今日のプレゼン資料に目を通しながら聴いていたのですが、途中でプレゼン資料はパタンと閉じて鞄にしまうことに・・・。
とても、仕事をしながら聴ける演奏ではなかったのです。

凄い演奏。ひたすら凄い演奏。
私は、前述の小澤さんとの演奏も大好きでよく聴いていたのですが、このロストロポーヴィチにとって第一回目の録音は、音楽の起伏の激しさ、桁違い集中力といった点でさらにその上を行きそうです。

とくに凄いのは、モノローグ風の第2楽章を受けて奏される第3楽章。
この楽章は、独立した有名なカデンツァですが、その規模・内容の充実ということでは、ヴァイオリン協奏曲第1番の第3楽章パッサカリアに含まれるカデンツァと双璧ではないでしょうか。
書いたショスタコーヴィチも凄いけど、全身全力で打ち返したロストロポーヴィチもこれまた凄い。まさに、投げも投げたり打ちも打ったり!
フィナーレはアレグロ・マ・ノン・トロッポではありますが、もはや、マ・ノン・トロッポという感じはまったくありません。
緊張感をどんどん増しながらエンディングに向かいます。
この集中力の凄さと、周りを焼く尽くすような独特の熱気は、初演者でもあるロストロポーヴィチならではだと思います。

こんな演奏を実演で聴いたら、もう居ても立ってもいられないでしょうね。
でもこの曲、一応チェロ協奏曲ということになってはいますが、チェロとホルンとティンパニのためのトリプルコンチェルトという印象が強いです。
決まったら、ほんとかっこいいなぁ!

さて、18日はどんな演奏を聴かせてくれるでしょうか。
趙静さん、デブリーストさん、大いに期待していますよ。

<曲目>
ショスタコーヴィチ作曲
■チェロ協奏曲第1番変ホ長調 作品107 ①
■チェロ協奏曲第2番ト短調  作品126 ②
<演奏>
■ロストロポーヴィチ(チェロ)①②
■ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワフィル  ①
■スヴェトラーノフ指揮 ソヴィエト国立交響楽団 ②
<録音>
■1961年2月10日ライブ ①
■1967年9月25日ライブ ②
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グリモーのラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調 他

2006-09-12 | CDの試聴記
ときどき、無性にラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴きたくなることがあります。
ミーハーといわれようと何といわれようと、この曲好きなんです。
取り出すディスクはその時によって違うのですが、今日はグリモーの新盤。

何故グリモー盤?
「また例によって、ジャケットで選んだのでしょう!」という声が聞こえそうですが、決して否定はしません(汗)
でも、今日このディスクに決めたのは、トイレに掛かっているグラモフォンのカレンダーのせいなんです。
なぜトイレにDGのカレンダーが掛かっているのか?
これを語りだすと「語るに涙」でありまして、とっても長くなるので、それはまた別の機会に。

話を戻して、グラモフォンのカレンダーの9月は、そうですエレーヌ・グリモー嬢なんです。
カレンダーの中の彼女とばっちり目が合ってしまい、これは何か聴かなきゃと、ふと思いついたのがこのディスクです。

          

グリモーは若い頃から天才少女ピアニストとして有名でしたが、このピアノコンチェルトも約10年前の1992年に一度録音しているので、この2000年の録音は再録音ということになります。

彼女の演奏を最初に聴いたのは、来日公演の映像でした。
ベートーヴェンのテンペスト等が弾かれていましたが、とにかく音楽が自然で瑞々しいことに大変驚きました。テンペストの終楽章なんかも、まさに疾風のごとく弾ききっていましたが、あざとさがないんですね。
そんな瑞々しい感性は、このラフマニノフの新盤でも大きな特徴になっています。
瑞々しいけど、決して弱くか細い演奏ではない。
音色が美しいことも大いにプラスにはたらいています。

冒頭の短い序奏からして、聴き手の背筋が思わずぴんと伸びるくらい、強い意志をもったピアノの音がします。
必要とみれば、逞しさすら感じさせる力強いタッチで難所をいとも簡単に弾ききってしまうし、その直後、デリカシー溢れる美しい表情も垣間見せてくれる。
なかなか素敵な演奏です。
最強音で、ときに飽和状態になってしまうように感じた箇所があったのですが、これは録音のせいかもしれません。
バックのアシュケナージは、さすがに勘どころを押さえた指揮で、グリモーのピアノを大いに活かした好サポートといえるでしょう。

そして、このアルバムには、ラフマニノフのピアノソロの作品が何曲か収められています。
とりわけ私が気に入っているのが、最後を飾る「コレルリの主題による変奏曲op.42」
大理石でできた彫刻を手のひらで触った時のような、少し冷ややかな感じもしなくはないですが、何度聴いても詩的で素晴らしい演奏に聴き惚れてしまいます。

ちなみに、私のipodに入っているラフマニノフのピアノコンチェルト第2番は、このグリモー盤です。
このことが、私のこのディスクに対する評価だとお考えいただいて差し支えありません。

<曲目>
ラフマニノフ作曲
■ピアノ協奏曲第2番ハ短調op.18
■前奏曲嬰ト短調op.32-12
■練習曲集「音の絵」作品33より第1、2、9番
■コレルリの主題による変奏曲op.42
<演奏>
■エレーヌ・グリモー(ピアノ)
■ウラディーミル・アシュケナージ指揮
■フィルハーモニア管弦楽団
<録音>2000年6、9、12月、ロンドン
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オーケストラアンサンブル豊島 第3回定期演奏会

2006-09-11 | コンサートの感想
昨日は、おさかな♪さんが出演する「オーケストラアンサンブル豊島」のコンサートへ行ってきました。
新宿文化センターへ行くのは、今回が初めてです。
行く道中少し怖い思いをしたのですが、この点はあえて触れないことにします。

<日時>2006年9月10日(日)14:00開演
<場所>新宿文化センター 大ホール
<曲目>
■モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲
■リスト:交響詩「レ・プレリュード」
■ブラームス:交響曲第1番ハ短調
(アンコール)
■モーツァルト:アヴェ・ヴェルム・コルプス
<演奏>
■指 揮 夏田昌和
■管弦楽 オーケストラアンサンブル豊島

まずプログラムをみてください。素晴らしい選曲!
モーツァルトのトレードマークである変ホ長調で書かれた「魔笛」序曲で始まります。
「3」という数字に徹底的にこだわった晩年の名作オペラですが、調性もフラット3つ。
そして、幻想的な「レ・プレリュード」をはさんで、トリはこれまた大傑作であるハ短調のブラ1。
そう、ハ短調もフラット3つですよね。
アンコールは、モーツァルトの最美の音楽「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。
どなたがプランニングされたかわかりませんが、素晴らしいセンスとしか言いようがありません。

冒頭は少し緊張で表情が硬い気がしましたが、魔笛の中間部からこなれてきました。後半はタミーノやパパゲーノの表情が思い浮かぶような演奏。
前半のメインである「レ・プレリュード」は、ロマンティックな雰囲気がよく表現されていたと思います。ハープがことのほか美しかった。実は、この日の午前中に、自宅でブルッフの「スコットランド幻想曲」のCDを聴いていったのですが、どことなく雰囲気が似ているような・・・。

後半は、いよいよメインのブラームスの1番。
パンフレットにも、「難曲である・・・」と団員の方が解説を書いておられましたが、確かに難しい曲だと思います。
しかし、良かった。まぎれもないブラームスの響きがしていました。
冒頭、指揮者とティンパニをずっと見つめていたのですが、まったく気負いがありません。指揮者がタクトを自然に構えると同時に、ティンパニもマレットを少し持ち上げて、目で「いつでもどうぞ」と合図。
力まないけど、非常に雄渾な表情で演奏が始まりました。
序奏のリピート部分で、ティンパニがトレモロで抑揚をつけていくあたりは、思わず鳥肌がたちました。
その後序奏からテーマに入る呼吸がなんとも自然で、私は「この演奏絶対いける!」と早くも確信した次第です。

第2楽章は、木管楽器が良かったですね。「乗り乗り」という表現がぴったり。
そして、何といってもコンサートマスターの美しいソロが印象的でした。
素朴な第3楽章を経て、いよいよフィナーレへ。
前半の「レ・プレリュード」で強く感じた、深い森・幻想的な響きがここで再びよみがえります。
そして、弦楽器も非常に重厚で、ブラームスに不可欠の「うねり」のような表情がなんとも素晴らしい。ヘミオラもばっちり決まり、コーダも妙に煽らない分音楽が立派に聴こえました。
素晴らしいブラームスだったと思います。

アンコールは、「ひょっとするとあの曲かな?」と思ったとおりの曲でした。
合唱を管楽器が受け持つもつのですが、まったく違和感がありません。
エンディングにふさわしい素晴らしいアレンジ、素晴らしい演奏でした。
前回の文京シビックで聴いたベートーヴェンもすばらしかったけど、今回もずしりと手ごたえのある素晴らしいコンサートでした。

それで、この日のサプライズ?は、コンサート終了後に。
おさかな♪さんを中心とした、名づけて「おさかな♪さん オフ会!」
おさかな♪さんにMAIさん、Kさん、光っち先生、隊長さんと私の計6名で、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
アマチュアオケの裏話や、バレエの話、演劇の話等、普段聞くことの出来ない興味深いお話をいろいろ聞かせていただきました。

おさかな♪さん、皆様、本当にありがとうございました。 
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題名のない音楽会 「トリプルピアノ~アレンジ・バトル頂上決戦!」

2006-09-10 | BS、CS、DVDの視聴記
今朝は、愛用の「ipod+B&Oのイヤースピーカー」を連れて、1時間ばかり自宅近くの川のそばを散歩してきました。
散歩しながら聴いていたのは、テンシュテットのベートーヴェン7番のライブ。
久しぶりに、最後までじっくり聴きました。改めて、「凄い演奏」です・・・。
感想は、まとめて後日書きたいと思います。

朝食後、何気なくテレビを見ていたら、「題名のない音楽会」をやっていました。
テーマは「トリプルピアノ~アレンジ・バトル頂上決戦!」
前田憲男・佐藤允彦・羽田健太郎の3名が、それぞれアレンジの技を競うという趣向。
これが、ものすごく面白かった。

         


第1部は、童謡「小さな秋みつけた」をテーマに3人がアレンジに挑戦します。
まず羽田健太郎さんは、ショパン風アレンジ。
「蝶々」をはじめ、ピアノの名曲のモティーフに乗せて軽妙なアレンジを聴かせてくれました。
2番手佐藤允彦さんはバルトーク風アレンジ。
私はこれが一番面白かった。オケコンの第1楽章がモティーフですが、とっても違和感なく聴けました。
違和感がないといえば、前田憲男さんのバッハ風アレンジ。
有名なカンタータBWV147の「主よ、人の望みの喜びよ」にのせて、美しい童謡がごく自然に響きます。
妙に凝ったアレンジではなく、コーラスの箇所をそっくり「小さな秋みつけた」に置き換えているんですが、見事なまでにはまっています。
司会の大木優紀さんがコメントしていた通り、まるでオリジナルの曲かと思うくらい自然でした。
3人とも日本を代表する名アレンジャーだけに、素晴らしい編曲の妙を聴かせてもらいました。

第2部では、映像に音楽をどうやってつけるかというテーマ。
それぞれのテーマは次のとおりです。
■羽田健太郎さん: アポロ月面着陸   (1969年)
■佐藤允彦さん : ベルリンの壁崩壊  (1989年)
■前田憲男さん : 大阪万博 開催   (1970年)

これまた、みんなそれぞれに個性的でうならせてくれました。
とくに佐藤さんのアレンジは精緻かつ大胆で、映像の内容を一層鮮烈に感じさせるような秀作。
たった数分間でこれだけインパクトのある音楽にできるのですから、凄い才能です。

全体でたった30分という短い番組でしたが、とても刺激の強い(もちろんいい意味です)素晴らしい内容でした。

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ステンハンマル ピアノ協奏曲第2番ニ短調 Op23

2006-09-08 | CDの試聴記
昨夜は、上京中のリベラさんのとりもちで、yurikamomeさん、yokochanさんと
横浜でお目にかかることができました。
リベラさん以外はそれぞれがまったく初対面だというのに、飲むほどに食するほどに話題が盛り上がります。
皆さん、音楽を真摯に聴きながらも、一方で心から楽しんでおられるところが印象的でした。
興味深い話も沢山聞けましたし、もう最高に幸せ!

さて、そんな楽しい会話の中で、yurikamomeさんに「是非聴いてください」とお勧めしたのがステンハンマル。
ステンハンマルは、1871年生まれの近代スウェーデンを代表する作曲家で、北欧の空気を実感させてくれるような、清々しさと叙情性に満ちた音楽を書いています。
彼の音楽との出会いは、BISのサンプラーCDの中に含まれていた「交響カンタータ「歌」Op44」の間奏曲。
そっと大事に大事にしまっておきたくなるような、そんな繊細で優しい音楽でした。

その後、ステンハンマルの作品をかなり聴いてきましたが、いまだ駄作に出会ったことがありません。
そんな彼の珠玉のような作品の中から、今日採りあげたのはピアノ協奏曲第2番。

このコンチェルトは、ピアノの不安げなモノローグを受けてオーケストラが応える場面で始まります。
ピアノが美しい主題を弾き始めても、オーケストラはバックで冒頭の不安げなモティーフを演奏し続けます。なかなか詩的な雰囲気ですねぇ。
どこかオペラを見ているような印象を受けます。
第2楽章はスケルツォ。短い序奏の後リズミックな舞曲風のフレーズで始まるのですが、しばらくすると情感たっぷりの音楽に変わります。この憂いを秘めたピアノのソロは本当に美しい。
第3楽章はアダージョ。前の楽章でピアノが奏でた素敵なフレーズを引き継ぎ、まさに憂愁のアダージョと呼びたくなるような美しい音楽が聴けます。
フィナーレは、曲想をがらっと変えて明るさと躍動感に満ちた音楽です。
今まで登場したモティーフを効果的に使いながら曲は進みます。
まるで春の訪れのように私には聴こえますが、いかがでしょうか。

私は3種類のディスクを持っていますが、断然のお勧めは、このソリヨム&ヴェステルベリ盤。
この演奏を聴いて、初めてこの曲の本当の魅力が分かったような気がします。
ソリヨムのピアノ独奏も雄渾で素晴らしいのですが、何といってもヴェステルベリ。
例えていうと、外面から見栄えを良くするために磨くのではなく、ヴェステルベリは内側から心を込めて一音一音磨き上げていきます。したがって、完成した音楽が何とも存在感がある音楽に仕上がるのです。
このヴェステルベリというマエストロ、とくに北欧の音楽を演奏させたら、もうどれもこれも他の追随を許さないくらいの素晴らしい音楽を聴かせてくれますね。
ステンハンマルの代表作の1つである交響曲第2番なんかを聴くと、とくにその感を強くします。

ステンハンマルの作品では、このディスクにカップリングされているセレナードも素敵な曲だし、他にも室内楽、ピアノ曲、歌曲にも佳曲がたくさんあります。
それらについては、また、別の機会にご紹介させていただきくつもりでおります。

<演奏>
■ヤーノシュ・ソリヨム(p)
■スティグ・ヴェステルベリ指揮
■ミュンヘン・フィル
<録音>1970年11月


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ヘッツェルのブラームス:ヴァイオリンソナタ全集

2006-09-06 | CDの試聴記
紀子さま ご出産おめでとうございます!
男児誕生ということよりも、無事にお子様がお生まれになったということが何よりも良かった。
心よりお喜び申しあげます。

実は、私にとっても、今日はちょっとうれしいことがありました。
必死で探し回っていたCDが届いたのです。
いろいろなルートで在庫を確認してもらいましたが、結局すべて廃盤だからとの回答。
諦めきれず、中古レコード屋でも時間がある限り見て回りましたが、見当たらない。
それが、「夢よもう一度」ではありませんが、何気なくネット・オークションをみていると、出品されているではありませんか。
早速入札したのは、いうまでもありません。
リミットまでの5日間の何と長かったこと!
結局入札したのは私一人だったようで、幸運にも落札することができました。
また、中古ということもあり値段も安くゲットできました。

その幸運のディスクが、このヘッツェルのブラームスのヴァイオリンソナタです。

早速聴きました。
素晴らしかった。ほんと素晴らしかった。
それしか、言うことはありません。
昔からこの曲は大好きな曲だったので、いろいろな演奏を聴いてきました。
しかし、ヘッツェルの演奏は、どのヴァイオリニストとも違います。
エキセントリックになったり、効果を狙った音は、一音足りともありません。
ウィーンフィルの名コンマスとして鳴らした、あの温かく豊かな音、真摯で豊かな音楽がここにはありました。

たとえば、私が最も好きな第2番の第1楽章。
なんという優しさ、なんという豊かさ。全てを包み込むような、自然で素晴らしい音楽です。
聴きながら、不覚にも涙がでてきました。
またピアノのドイチュとの掛け合いの妙は、やはりソリストの感覚ではなかなか表現できないものです。
ウィーンフィルという稀代の名アンサンブルの中で培われた、というよりも名アンサンブルを引っ張ってきた達人でないと、なしえなかったでしょう。

もう一例あげると、第3番のフィナーレ。
プレスト アジタートと書かれたこの楽章は、第3番の終曲であるだけではなく、全3曲を締めくくる曲です。
だからこそ、たいていのヴァイオリニストは、速めのテンポでテンションを高めながら、ぐいぐいラストへ向けて疾走するのですが、ヘッツェルは違う。
「何をそんなに急ぐの。ブラームスの心の歌が聴こえないの?」といわんばかりに、たっぷり豊かに表現しながら、それでいて最後は自然と緊張感が高まっている、まさにそんな風なんです。

あの名匠カール・ベームが無条件に信頼したコンマスだけのことはあります。
ヘッツェルさん、あなたは何故こんな素敵なアルバムを遺して、52歳という若さで亡くなってしまったのですか。
あなたのベートーヴェンもバッハも聴きたかった。もちろんモーツァルトも・・・。
それから、ウィーンフィルのコンマス席で少し身体を傾けながら演奏するあなたの姿を、一度で良いからステージで見たかった。
残念です。

このブラームスのディスクは、間違いなく私の「宝物」になりました。
それから、このディスクを教えていただいたemiさまにも感謝します。

         

<曲目>
■ブラームス ヴァイオリンソナタ(全曲)
<演奏>
■ゲアハルト・ヘッツェル(ヴァイオリン)
■ヘルムート・ドイチュ(ピアノ)
<録音>
■1992年1月 ウィーン
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モーツァルト 交響曲第39番変ホ長調K543

2006-09-03 | CDの試聴記
先日、初めてのネットオークションでゲットしたウィーンフィルの来日公演ですが、演目はモーツァルトの第39番とベートーヴェンの第7番です。
一言で総括してしまうと、端正なモーツァルト、情熱的なベートーヴェンという感じなんですが、前からこの2曲には何か共通項があるような気がしていました。
①4楽章構成の長調のシンフォニーであること
②第1楽章に印象的な序奏部がついていること
③大変な名曲であるにもかかわらず、ニックネームがつかない作品であること
④とりわけ澄みきった抒情をもった美しい楽章を有すること
(モーツァルトは第3楽章トリオ、ベートーヴェンは第2楽章のイメージです)
ざっとこんな感じでしょうか。
一方、これらのシンフォニーの中に、モーツァルトは「溢れるように湧き出てくる歌」を、ベートーヴェンは「マグマのように熱くエネルギッシュな情熱」を封じ込めているように感じます。この違いが最も大きいかもしれません。

この2曲のうち、今回はモーツァルトの変ホ長調交響曲について、少し書いてみたいと思います。

残念ながら、今回聴くアーノンクールとウィーンフィルの組み合わせの録音はないようなので、アーノンクールが指揮した2枚のディスクをベースにコメントします。
アーノンクールには、1984年にロイヤルコンセルトヘボウと組んで録音したものと、1991年のモーツァルト没後200年の当日にヨーロッパ室内管弦楽団と組んで録音したものの2種類が残されています。
アーノンクールが再録音した作品においては、基本的に演奏スタイルを変えることなく温かな情感を感じさせてくれるので、多くの場合、私は新盤に惹かれています。
(メサイアしかり、モツレクしかり・・・)
しかし、このモーツァルトの39番は新盤もいいけど、旧盤の魅力も捨てがたいところです。
というより、私がこのコンセルトヘボウとの旧盤から教えてもらったことが、あまりに多いからに他なりません。
新盤の、瑞々しさを湛えた素晴らしい演奏は、既に多くの人が語っているところですが、基本的なスタイルは旧盤も全くと言ってもいいほど変わりません。

あの第1楽章冒頭、鮮烈な付点音符の表現、下降音階の驚くべき速さ、そして何よりも、この革新的な演奏をあの美しい響きに特徴があるコンセルトヘボウが行っているということに、心底驚きました。
あの伝統のあるオーケストラに、このような表現をすることを納得させたアーノンクールは本当に凄いと思ったものです。
でも、付点音符と音階は、この曲のキーワードなんですね。
終楽章までとおして聴くと、何故アーノンクールがこの第1楽章冒頭であれだけ強烈なインパクトのある表現をしたかが分かってきます。
このキーワードにを下地にして、オペラのアリアの一節かと思わせるような美しいメロディを随所にちりばめる、モーツァルトはそんな仕掛けをしたんだとこの演奏を聴いて感じました。

第3楽章メヌエットも、最初聴いたときは、CDプレーヤーが壊れたかと思いました。それくらいハイスピードだったんです。しかも伴奏のリズムも短く切って強調していましたから、どうしても激しく躍動的な踊りに聴こえます。
あの美しいトリオもこの調子で行っちゃうの?
いいえ、アーノンクールは役者でした。
トリオはぐっとテンポを落として、実に美しく歌ってくれました。
一度こんな表現を聴いてしまうと、通常の表現で聴くと何か物足りなくなってしまうのは、ちょっと危険な兆候かも(笑)

そして終楽章、躍動感がとても心地よいです。
ただ、リピートの直前に登場する上昇音型はスタッカートのはずですが、あららテヌートじゃないですか。こんなアーティキュレーションは聴いたことがありません。
逆に非常に印象に残りました。
また、管楽器と弦楽器の美しい掛け合いが、本当に活き活きと表現されていたことも特筆されます。

多くの名演奏に恵まれた曲ですが、私のお気に入りの他のディスクも簡単にご紹介しましょう。
■セル/クリーヴランド管
私の中のスタンダード。ベースはアーノンクールに近いかもしれません。
しかし、もっと優しく温かい表現です。
対旋律の扱いの見事さ、第3楽章トリオのクラリネットが奏でるえもいわれぬ美しさはこの演奏が1番だと思います。

■ワルター/コロンビア響
第2楽章の慈愛に満ちた表現は、ワルター以外に絶対聴けません。
ワルターの人間性が最もよく現われた演奏。

■スイトナー/ドレスデン国立歌劇場管
素朴な美しさという点では最右翼。第3楽章トリオでクラリネットを引き継いで弦楽器が奏でる表情のなんという美しさ。

■レヴァイン/ウィーンフィル
数多いウィーンフィルの演奏からは、このディスクを推します。
サプライズのあまりない演奏ですが、「この柔らかな響きを聴いてくれ。それ以外に何を望むの?」と言われそうな美しい演奏です。
あと、ケルテス盤もウィーンフィルとの相性の良さを示す好演。
バーンスタイン盤は、私にはあまりぴんと来ません。終楽章の装飾音符がとても特徴的ですが・・・。

■その他
クーベリック、クレンペラー、ヴァント等まだまだ採りあげたい素敵な演奏も多いのですが、それはまたの機会に・・・。

11月13日の本番が、今から本当に待ち遠しいです。
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藤川真弓&広上淳一/読響 ブラームス ヴァイオリン協奏曲他

2006-09-02 | コンサートの感想
今日は読響マチネーコンサートの日でした。
藤川さんのヴァイオリンを聴くのは、今日が初めてです。

<日時>2006年9月2日(土) 午後2時開演
<場所>東京芸術劇場(池袋)
<演奏>
■ヴァイオリン:藤川 真弓
■指揮:広上 淳一
■管弦楽:読売日本交響楽団
<曲目>
■ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
■チャイコフスキー:交響曲第5番
(アンコール)
■シューベルト:「ロザムンデ」から間奏曲

前半のブラームス。
第1楽章冒頭のオーケストラの序奏が、素晴らしく引き締まった音で始まりました。
そしてオケの演奏を聴きながら、ソロの出番を待つ藤川さんの表情がまたいいんです。
決して視線を下に向けないで、ホールの空間をじっと見つめています。
雰囲気のあるヴァイオリニストですね。
素晴らしいコンチェルトになる予感が・・・。

そしてソロが始まると、たっぷりとした芳醇な音色がホールを包み込みます。
意外なほど小柄な藤川さんですが、ヴァイオリンの音は決して小ぶりではありません。
とにかく中低音がよく響きます。
ブラームスのこのコンチェルトを得意とし、本場でも評価が高いと聞いていましたが、それも良くわかります。
藤川さんの演奏からは、「ブラームスか。ようし一丁料理してやろう」なんて気負いは、まるで感じられません。
自然に向かい合っている印象が強いのですが、それでいて芯に非常に熱いものを感じました。
私の贔屓のプロ野球チームに、同姓の日本最高のセットアッパーがいますが、まさに共通するものがあります。

第2楽章の開始前に、藤川さんはちょっと時間をとって調弦をやり直していましたが、弦の状態が大分気になっていたようです。コンチェルトでこれだけ大胆に調弦をやり直しているのは、ほとんど見たことがありません。
さて調弦も終わり、あの美しいオーボエソロが始まりました。
何と素晴らしい音楽だろう。そして、演奏の見事さにはもう言葉がありません。まさに神業!
蠣崎さんは、間違いなく読響の顔の一人です。
絶品のオーボエに触発されて、ソロもオケも素晴らしく豊かな音楽を聴かせてくれました。
第3楽章では、短いカデンツァのあとの藤川さんと広上さんのアイコンタクトが、とくに強く印象に残りました。
言葉がないのに完全に理解しあっている、まさにそんな感じでした。
充実したブラームスを聴かせてもらいました。

それにしても、藤川さんは素晴らしいヴァイオリニストですね。
そんな藤川さんの録音が少ないのはなぜなんだろう。
その上、ほとんど廃盤になっているそうです。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集なんかも、外盤でしか入手できないようですし・・・。

後半は、チャイコフスキーの5番。
昨年、広上さんの指揮で聴いた「悲愴」が圧倒的な名演だったので、大いに期待しておりました。
そして、今日の5番も期待にたがわない素晴らしい演奏でした。
広上さんの音楽作りの巧みさももちろんですが、そのタクトに見事に応えた読響も素晴らしかった。
今日の読響は、とくに好調だったんじゃないでしょうか。
弦は豊かだけどきりっと引き締まり、管楽器は表情がたまらなく魅力的。そしてブラスは輝きを持っていました。

とくに素晴らしかったのが終楽章。
「流れを損なわないために徐々にテンポを変えていく」という手法を、広上さんは採りません。
ゆったりとしたテンポでたっぷり歌わせたかと思うと、次の場面では急激に早いテンポをとります。聴きながら、私はジョージ・セルの音楽作りを思い出していました。(ドボルザークの8番やブルックナーの8番の終楽章は、まさにその典型。)
この表現法は、劇的な効果を与える半面、音楽が軽く薄っぺらになるリスクを抱えています。当然ながら、もちろんセルはそのような演奏にはなっていません。
そして、今日の広上さんも、そのような愚を犯すことはありませんでした。
音楽の勢い、流れ(つながりといってもいいです)を決して殺さないので、聴き手はチャイコフスキーの音楽を堪能することができたのです。
美しいメロディの裏で細かく音を刻んでいるパートを非常に大切にしているのが、実に良く分かりました。
また、オーケストラを抑えてバランスをとるのではなく、しっかり音を出させてバランスをとっていたので、どんなときも音楽が豊かなんですね。
首席トランペットの長谷川さんが、本当に活き活きとした表情(うれしそうな表情と言ってもいいです)で最初から最後まで演奏していたのは、その好例かも知れません。

ブラームス、チャイコフスキーの名曲をじっくり堪能できた素敵なコンサートでした。
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