ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

マエストロ!~カラス・コンサート

2007-06-24 | BS、CS、DVDの視聴記
今日は、(満を持して?)バレンボイムのマーラーの9番をとりあげるつもりだったのですが、ハードディスクに溢れそうになっているDVDレコーダーの整理(汗)をしていて、その中の1プログラムに見事にはまってしまいました。
それは、クラシカ・ジャパンでオンエアしていたマリア・カラスのコンサートです。
コンテンツとしては、1958年のパリのコンサートから1965年のフランス放送局のスタジオコンサートまで、カラスが歌った5つのコンサートの中から10曲あまりをセレクトして収録されています。

一気に最後まで聴いて(観て)しまいました。
素晴らしかった。ただただ、素晴らしかった。
マリア・カラスという不世出の名歌手の本当の凄さを、恥ずかしながら初めて思い知らされた感じです。
私は、今まで長い間、カラスのことを誤解していました。
CDで聴くカラスの声は、輝かしくそして表現力に富んでおり、いつも圧倒されてきました。
しかし、どうしても金属的な響きが気になって、楽しめなかったのです。

しかし、今日実際に歌うカラスの映像をみていて気付きました。
彼女は、はなから美しく音楽を表現しようなんて考えてないんです。
カラスが表現したかったのは、譜面から感じ取った「作曲家の心」、もっというと「作曲家が登場人物に託した熱い思い」だけなんですね。
そう考えると、必要なのは、「単に美しい声」ではなく、「意思の感じられる強く鋭い声」「緊張感と凄みを持った弱音」「聴くものを惹きつけて離さない優しい声」ということになります。
今回の映像をみると、カラスが表現したかったことが、本当にストレートに伝わってきました。

大半を占めるコンサートのライブ映像は当然のこととして、1965年収録のフランス国立放送スタジオ・コンサートの3曲に、私はことのほか大きな感銘を受けました。
マスネやベッリーニをこれだけの存在感をもって聴かせてくれる歌手は、今でもほとんどいないでしょう。
そして、1958年のリスボンライブでは、カラスの女優顔負けの演技力・表現力に圧倒されますし、若き日のクラウスの「いかにもアルフレード」といった純な歌唱も聴くことができます。

とにかく素晴らしい!
この映像は、間違いなく私を「マリア・カラス元年」に導いてくれました。
でも、マリア・カラスを語るときは、やはりプリマドンナというよりもディーヴァと呼びたいなぁ。

***収録曲***
《「レジョン・ドヌール勲章」特別慈善コンサート1958》
■ベッリーニ:歌劇『ノルマ』~清らかな女神
■ロッシーニ:歌劇『セビリアの理髪師』~今の歌声は
■ヴェルディ:歌劇『トロヴァトーレ』~恋はばら色の翼にのって…ミゼレーレ
■プッチーニ:歌劇『トスカ』第2幕より「歌に生き恋に生き」

《ハンブルク・コンサート1959》
■ベッリーニ:歌劇『海賊』~ああ無心の微笑みで…ああ目の前にかかる雲を

《ハンブルク・コンサート1962》
■ビゼー:歌劇『カルメン』~ハバネラ

《フランス国立放送スタジオ・コンサート1965》
■プッチーニ:歌劇『ジャンニ・スキッキ』~わたしのお父さん
■マスネ:歌劇『マノン』~さようなら私の小さなテーブルたちよ
■ベッリーニ:歌劇『夢遊病の女』~おお花よ、おまえに会えるとは思わなかった

《ポルトガル/リスボン公演1958》
■ヴェルディ:歌劇『椿姫』より
第2幕「ああ私はなぜ来てしまったのしから、無分別にも!」
第3幕「さようなら過ぎ去った日よ」「パリを離れて」
[出演]アルフレート・クラウス(アルフレード)

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チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル 1986年来日公演(その2)

2007-06-23 | CDの試聴記
昨日も日帰りで大阪出張でした。
しかし、昨日は、朝方とんでもないトラブルに巻き込まれました。
ニュースでも大きく報じられたJR東日本の架線切断事故です。
しばらくホームで待っていたのですが、まったく埒があかないので、新幹線を使って東京まで行くことにしました。
結果的にこれが大正解。
最寄り駅である大宮駅が新幹線の止まる駅であったこと、そして普段より少し遅く家を出たためにホームで足止めを食うことになり、それが逆に「電車の中で缶詰め」という最悪の事態にならずにすんだことが、本当にラッキーでした。
セミナーも無事に終了して、ほっとしています。

さて、新幹線でこの日もずっと聴いていた「チェリビダッケ1986年の来日公演」の続きを。
後半の曲は、ブラームスの4番でした。

『他の誰とも違うブラームス』
ひとことでいうと、こんな印象です。

チェリのブラームスの4番といえば、1974年のシュトュットガルト放送響と組んだDG盤、1985年の手兵ミュンヘンフィルと組んだEMI盤の2枚のディスクを私は聴いてきましたが、EMI盤は録音のせいもあって、とにかく音が重い。
雰囲気は良いのですが、音楽が沈んだ感じに聞こえるのであまり好きではありません。シュトュットガルト放送響とのDG盤のほうが、音楽が澱まず見通しよく前に進むので気に入っていました。
ただ、今回の来日公演の演奏は、造型的にはDG盤というよりもEMI盤に近いのですが、音の響きや音楽の表情はEMI盤に比べてずっと豊かになっています。

第1楽章冒頭、指定どおりの弱音で奏でる弦の美しい旋律と、管楽器が裏拍で刻むリズムの拍動がうまく絡み合って、早くも充実した音楽を聴かせます。そこにホルンの対旋律が加わり、音楽はどんどん充実していきます。
これぞ、まさにブラームス!
その後も、普段聴き取れないような声部が、チェリの生み出す絶妙のバランスの中で見事なまでに浮かび上がってきます。
音楽の求めに応じてデリケートに伸縮するテンポと、徹底的に磨きあげられるフレーズ。
私は、今まで聴いたことのないような豊かな響きに、耳洗われる思いがしました。
分離のいい録音とも相まって、チェリの作ろうとしている音楽が、実によくわかります。

第2楽章に入ると、第1楽章で感じた印象がさらに強くなっていきます。
冒頭のフレーズを、ホルンならびに木管楽器が明快なアーティキュレーションで吹ききったあと、クラリネットと弦が見事にバトンをひきとって繫いでいきます。
そして、リハーサル風景でもとりあげられている練習番号Cで、チェロ&コンバスがドルチェ・センプレで奏でるあたりからは、微妙なアゴーギクも一層顕著に・・・。
深々とした呼吸がなんとも感動的だなぁ。
これだけ息の長いフレージングを徹底するためには、いかにミュンヘンフィルといえども大変な練習をこなしてきたんでしょうね。

しかし、この演奏のクライマックスは、まぎれもなく終楽章のパッサカリアでした。
冒頭、パッサカリア主題の最後の2小節をしっかりディミヌエンドするのが、早くもチェリビダッケ流。
和声進行のストレートな描写と、第1変奏へのスムーズな移行を重要視したのでしょう。
そして、何といっても圧巻は97小節からのフルートソロ。
異常なまでの遅さ。しかも、吹くほどにスピードが遅くなり、この調子でいけばやがて止まってしまうのではないかと思うような、本当にぎりぎりのテンポになっていきます。
ちなみに、このチェリの無理難題を難なくクリアし、神業のようなフルートを吹いているのが、ソロフルートのマックス・ヘッカー。
ライナーノートによれば、彼は病気のためひとり遅れて来日し、何とこのコンサートが最初の出番だったそうです。
まったくそんな背景を感じさせない、それはそれは見事な演奏です。(3分19秒あたり)
このあたりから、チェリとオケの奏者達の秘術の尽くしあいが、聴き手にもはっきり伝わってきて、まるでコンサート会場に居合わせたかのような錯覚を覚えました。

全曲聴き終えて真っ先に感じたのは、「何とも見事なブラームス!」というひとことでした。
ミュンヘンフィルの奏者達が、「チェリとの演奏で最高のブラ4だった」というのも頷けますね。
このディスクを何(十)回も聴いているうちに、チェリビダッケの音楽づくりのヒントが、ほんの少し分かったような気がしました。
でも、まだ自信がもてないので、もう少しまとまった段階で、ブログに書かせていただきたいと思います。


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チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル 1986年来日公演(その1)

2007-06-20 | CDの試聴記
10日ほど更新が滞ってしまいました。
いたって元気にはしていたのですが、セミナーの資料の準備や出張が重なったこともあって、生来の怠けグセが出てしまいました。

この10日間を簡単に振り返りますと、

◎6月9日(土)14:00~
「仲道郁代 トーク付きピアノリサイタル」

無料チケットが当たり、同時刻の読響マチネを諦めて、調布グリーンホールに出向きました。
前半は、モーツァルト~グリーグ~リスト~ショパン。
後半は、ベートーヴェンの「月光」「熱情」。
ひとことでいうと、知と情のバランスがとれた仲道さんらしい演奏でした。
彼女はピアノも上手いけどトークも本当に抜群です。単なる曲目紹介にとどまらず、なるほどと思わせることをちらっと織り交ぜて話してくれるので、私も大変参考になりました。
ただ、後半の1曲目でアクシデントが起こりました。
月光の第1楽章(もちろん例の静かな美しい部分)で、ある聴衆の携帯がホール中に鳴り響いたのです。幸い演奏が途中で止まることはなかったのですが、さすがに仲道さんも心の動揺は隠し切れません。この曲の最後まで本調子には戻りませんでした。
「月光」のあとのトークでは、さすがに怒ってこのことに触れるだろうと思いきや、「弾き始めて気がついたんですが、椅子の位置が少し横にずれていて、演奏中に落ちそうになりました」と彼女は笑顔で話を切り出すではありませんか。場内は大爆笑。結局、少しも携帯の主を責めようとはしませんでした。
ピアニストである以前に、何という素晴らしい人間性。きっとホールにつめかけた全員が、仲道さんの大ファンになったことでしょう。
清々しいコンサートでした。
7月にクラシカ・ジャパンで放映されますので、契約されている方は、是非ご覧になってください。

◎6月14日(木)
翌日に大阪出張が入っていたので、前日の14日の夜から大阪へ。
リベラさん、MICKEYさん、マスター、T女史のいわゆるE7メンバーと、久しぶりに梅田で楽しく過ごさせていただきました。いつものことながら、本当にあっという間に時間が過ぎていきます。皆さんありがとうございました。
リフレッシュ効果絶大だったとみえて、少々心配していた翌日の仕事もばっちりでした。

◎6月16日(土)
午後、神奈川県民ホールへ。
「何のコンサート?何のオペラ?」と聞かれそうですが、少々違います。
タカラヅカフリークの妻に連れられて、歌劇は歌劇でも宝塚歌劇を観てきました。
宝塚を観るのは2回目です。今回の演目は「ダル・レークの恋」。
3階の天上桟敷でしたが、今回は意外に面白かった・・・。
決して「はまりそう」とは申しませんが(笑)
観劇後、中華街で夕食を食べて帰りました。大変美味しかったけどボリューム満点で、帰りの電車はほんとにしんどかった。

◎6月19日(火)
急遽大阪へ出張が決まり、日帰りで行ってきました。
結構ハードだったので、さすがに疲れました。
無性に音楽が聴きたくなって、新幹線の車中ずっと聴いていたのが、チェリビダッケが1986年に来日した時のコンサートのライブ録音盤。先日アルタスからリリースされたものです。
ブラームスが大変な名演だという触れ込みでしたが、そのブラームスのことは後日書きます。

   

<曲目>
■ロッシーニ:歌劇『どろぼうかささぎ』序曲
■R.シュトラウス:交響詩『死と変容』
■ブラームス:交響曲第4番
■ブラームス:ハンガリー舞曲第1番(アンコール)
■ヨハン&ヨーゼフ・シュトラウス:ピチカートポルカ(アンコール)
■ブラームス:交響曲第4番(リハーサル)
<演奏>
■セルジウ・チェリビダッケ(指揮)
■ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
<録音>1986年10月15日 東京文化会館(ライヴ)

まず、冒頭の『どろぼうかささぎ』序曲。
これが、猛烈に面白かった。
面白かったといっても、トスカニーニやアバドといったイタリア人の演奏とは、まるで違います。
アルコール度数の強いお酒をぐいっと飲みきったときの、体の芯からかぁーっと熱くなるようなあの感覚は、チェリにはありません。
しかし、こんなに格調高く、またバランスよく響いた『どろぼうかささぎ』は、滅多にきけないでしょう。
評価は分かれるかもしれませんが、私はこの演奏好きです。

2曲目の『死と変容』。
これは文句なく素晴らしい演奏。
チェリビダッケの作ろうとしている音楽の方向性と、作品のベクトルが完全に一致しています。
すべてが「びしっ」と決まっているといっても過言ではありません。
チェリビダッケ独特の仕掛けや聴かせ上手なところが、まったく作為的に感じませんでした。
蓋し名演です。

次回は、この日のメインであった『ブラームスの4番』を採りあげます。
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ニコラウ・デ・フィゲイレド&西山まりえ/チェンバロ・デュオ 『目白バ・ロック音楽祭2007』

2007-06-10 | コンサートの感想
金曜日の帰り道、目白へ行ってきました。
お目当ては、目白バ・ロック音楽祭。
昨年NHK教育テレビでこの音楽祭のことをとりあげていましたが、規模は小さいながらも、町ぐるみで優しく盛り上げているところが大いに気に入りました。
私の音楽祭初参加(もちろん聴衆としてです)は、チェンバロのデュオコンサートでした。

<日時>2007年6月8日(金)19:00 開演
<会場>自由学園明日館
<曲目>
■バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番
■モーツァルト:4手のためのソナタ ニ長調 K.381 
■ソレール:協奏曲第3番 ト長調 
■ソレール:協奏曲第2番 イ短調
■ボッケリーニ:ファンダンゴ
(アンコール)
■ブランデンブルク協奏曲第6番 第1楽章
■モーツァルト:4手のためのピアノソナタから
<演奏>
■ニコラウ・デ・フィゲイレド(チェンバロ)
■西山まりえ(チェンバロ)


この日は池袋から歩いていったのですが、心配していたとおり、道に迷ってしまいました。
ただ、行ったり来たりしながらも、幸い開演時刻の10分前に会場に着くことが出来たので、まずは良かった。(ほっ・・・)

この自由学園明日館(「みょうにちかん」と読みます)は、大正10年に自由学園の校舎として建てられたそうですが、平成9年に国の重要文化財の指定を受けています。
都心のコンサートホールとは一味違った、本当の意味での「木の香り」がします。
まさに手造り音楽祭には最適な会場でしょう。

開演時刻になり、フィゲイレドさんと西山まりえさんが登場。
照明は落ちているのですが、外はガラス窓なので、まだ薄暮の状態です。
こんな雰囲気もなかなか素敵ですね。

第1曲目はブランデンブルク協奏曲の第6番のチェンバロデュオ版。
軽い!
チェンバロの音って、こんなに軽かったんだ。
強奏部分も、音の響きは拡がりを持ってはいるけど、決して重くない。
弱音部もガラス細工のような繊細さというよりも、羽毛で撫ぜるような質感。
よく知っているつもりでしたが、改めて認識した次第です。
ただ、第1楽章の途中でどちらかが譜面を見失ったんじゃないかと思うのですが、ちょっと危ない状態に・・・。
何とか止まることだけは回避されたのですが、その後も二人の呼吸は微妙に合いません。
第3楽章の最後まで、このアクシデントを引きずってしまったようです。
大丈夫か・・・
一瞬不安が頭をよぎります。

バッハのあと、フィゲイレドさんが笑顔で解説をして、西山さんが通訳してくれました。
西山さんの「夫婦漫才ではないんですが・・・」と前置きして通訳してくれた姿がとても微笑ましく、会場全体がアットホームな雰囲気になっていきました。

そして、前半のメインは、私の大好きなモーツァルトの4手のためのソナタ。
第1音から、一転してまさに別世界の音楽でした。
今まで相当数のディスクを聴いてきましたが、こんなに楽しく生気に富んだ演奏は初めて。
第1楽章では今にもケルビーノがステージに登場して、踊りだしそうでした。
チェンバロ2台で、こんな素敵なモーツァルトになるんだ。
小さなチェンバロの椅子に二人が仲良くお尻を半分ずつ?腰掛けて弾くユーモラスな姿と相まって、もう最高のモーツァルトでした。
そして、外を見ると、すっかり日が落ちて真っ暗に・・・。

後半は、ソレールとボッケリーニ。
モーツァルトですっかり調子を取り戻した二人の名手が、素晴らしい妙技を聴かせてくれました。
ソレールの作品では、音の数がチェンバロにフィットしているように感じました。
比較するとバッハのブランデンブルクは、やはりチェンバロにしては少し音符の数が多かったのではないでしょうか。

ボッケリーニは、ギター5重奏曲からの編曲。
ギターを弾く者にとっては、ジュリアン・ブリームの編曲による「ギターとチェンバロのための序奏とファンダンゴ」として馴染み深い曲でもあります。
この日のトリを飾るに相応しい選曲であり演奏でした。
思わず身を揺らしてしまいそうな弾力性のあるリズム感が、とりわけ印象に残っています。
また、ブリーム編のラストとは異なり、どんどんテンポアップして一気にエンディングを迎えるアレンジ&演奏も心地よかった。

そして、大きな拍手に応えてアンコール。
2人が選んだのは、なんと冒頭弾いたブランデンブルクの6番。
失礼ながら、「大丈夫か」と思ったのは、私だけではないでしょう。
しかし、そんな不安をあざ笑うかのような素晴らしい演奏でした。
「こんなふうに表現したかったんですね」、思わず心の中で呟いてしまいました。
演奏を終えた2人が抱き合って喜んでいましたが、その気持ち、本当によく分かりますよ。
「よーし、ワンスモア チャレンジだ!」とばかりに、アンコール曲にわざわざ選んで弾いたお二人のプロ根性にも脱帽です。

自然で温かく、素晴らしい音楽祭でありコンサートでした。
来年もまた行きたいと思います。
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シューマン 子供のための3つのソナタ op118a

2007-06-07 | CDの試聴記
社会保険庁が揺れています。
年金関係者の間では、記録の欠落・記録の誤りが相当規模で発生しているんじゃないかと、以前から噂されていました。
ただ、あの件数には正直驚きました。
しかし、仮に例の5000万件と1430万件がすべて解決したとしても、まだまだ個別の厚生年金の被保険者記録の誤りは十分ありえる、ということのほうが大きな問題かもしれません。
とくに、サラリーマンで転職や出向が多かった方などは要注意です。

それでは、どうしたらよいのか。
ずばり、「自分の身は、自ら守る。」
これしかありません。
つまり、年金の裁定を受ける前に可能な限り自分でチェックを行い、少しでも疑念があれば、確証がなくても社会保険事務所に出向いて確認を求めることです。
給与明細があればベスト、厚生年金基金に加入していた人は基金の加入記録も有力な援軍になるでしょう。

それから、「年金時効撤廃特例法」についてもひとことだけコメントします。
この法律は、今までの年金流の常識から考えると、大変画期的なものです。
年金には時効の概念が2つあって、ひとつは「基本権」と呼ばれるもの、もう一つは「支分権」と呼ばれるものです。
いずれも5年で消滅時効にかかってしまいますが、基本権を失ってしまうと年金は全く支給されなくなるので、通達でこの基本権は時効を援用しないようになっています。
問題は、後者の「支分権」。
これは「本来○年○月に支払われるべき年金」という意味ですが、こっちのほうは5年で本当に時効を援用するようになっているのです。
たとえば、7年前に年金の受給権を有していた人が、「手続きを忘れていたので、年金をくださいと」いうことで裁定請求したとしましょう。
この場合、基本権は保証されていますから、「5年以上経過しているから、もう年金はまったく受給できません」とはなりません。
しかし、支分権の時効によって、今から遡ること5年分しか年金はもらえないのです。
つまり、この場合、最初の2年分はどんなに頭を下げても泣きわめいても受給できません。
それを、今回の法律では、初めて例外として取り扱おうとしているのです。
その意味で、まずは評価しないといけないでしょう。
加えて、この法律によって救済された未支給年金については、非課税にするというのも画期的です。
ただ、わざと遅らせて手続きをした者に対してまで、この非課税措置が適用されることのないように、十分な配慮が必要だと思います。
本当はもっともっと書きたいことがあるのですが、一応音楽ブログなので、とりあえずこの辺にしておきます。

先週、ひょんなことから、イエルク=デムスが弾くシューマンのピアノ全集を廉価で入手しました。
このアルバム、前から欲しかったんです。
でも、なかなかお目にかかれなくて、なかば諦めていました。
こんなに長く探していたのは、ヘッツェルのブラームスのソナタ全集以来でしょうか。
嬉しくって、1枚ずつ丁寧に聴いています。

<曲目>
■シューマン:ピアノ作品全集(全13枚)
<演奏>
■イエルク・デムス(ピアノ)
<発売>
■1989年

それぞれに味があって、曲も演奏もみんな素晴らしいのですが、とくに気に入ったのがこの「子供のための3つのソナタ」。
何て愛らしいんだろう。
何度聴いても、またいつ聴いても、自然に顔がほころんできます。
シューマンがどんなに深い愛情を持って、可愛い3人の娘のためにこの作品を書いたのか、本当によくわかります。

あまりにも素敵だったので、思わず楽譜を買ってしまいました。
でも、残念ながら私はピアノが弾けません。
それで、無謀にもギターで弾いてみました。
当たり前ですが、ピアノで弾いてるようには上手くいきません。
それでも、聴くだけでは分からなかったような美しさも実感できました。
人さまに聴かせられるような内容ではありませんが、シューマンにほんの少しだけ近づけたような気がして、それがまた嬉しかったのです。

メモリアルイヤーは過ぎてしまいましたが、シューマンの世界も、これからもっと勉強しなきゃ・・・。
コメント (10)
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ブルショルリ/モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466

2007-06-03 | CDの試聴記
昨日は部下の結婚式がお台場でありました。
いわゆるジューンブライドですね。
新郎新婦がともに終始とびっきりの笑顔を見せてくれたこともあって、もう最高に清々しい披露宴でした。
「奥さんを大事にするんやで。本当におめでとう!」

さて、結婚式の話題はこのくらいにして、この一週間よく聴いたのが、フランスの女流ピアニスト、ブルショルリが弾くモーツァルトのピアノ協奏曲第20番K.466。

<曲目>
モーツァルト作曲
■ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
■ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
<演奏>
■モニク・ドゥ・ラ・ブルショルリ(ピアノ)
■ベルンハルト・パウムガルトナー(指揮)
■ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ
<録音>1961年3月

     

不気味なシンコペーションにのせて、暗く静かにK.466が始まります。
控えめとか沈んだとか、そんなイメージではありません。
身をかがめてじっと息を殺しながら獲物を狙う黒豹のような表情です。
続くフォルテで、パウムガルトナーとオーケストラは俄かに牙をむいて聴き手に襲い掛かってきます。まるで夜の女王のアリア(第2幕のほう)のよう。
また、ピアノソロが入る直前でヴァイオリンが奏でる「・レレレレレレレ ドシシー」というフレーズが、こんなに切迫した響きとして聴こえることは、滅多にないでしょう。
こんな緊張感に富んだ序奏をきいたのは初めて。
バウムガルトナー率いるオーケストラのことはほとんど話題にならないようですが、いったい何故だろう。こんなに素晴らしいのに・・・。

そして、そこへブルショルリのピアノが入ってきます。
何と温かく優しいピアノだこと・・・。
オケの序奏が、とにかく緊張感溢れるものだっただけに、一層心に沁みます。
しかし、このような優しい表現で終始するわけではありません。
必要とあらば、オケにも負けないような強烈な一撃を与えてきます。
彼女の表現の幅は驚くほど広い。
カデンツァの少し前(10分過ぎ)からカデンツァの最後まで聴けば、私の言いたいことがきっと分かっていただけると思います。
フランスの女流ピアニストというと、最近ではケフェレックやグリモーを思い浮かべてしまう私ですが、ブルショルリはまるでタイプが違うようです。
かといって、フルトヴェングラーと1954年にK.466の名演を遺した先輩ピアニストであるルフェビュールとも全然違います。
ルフェビュールのほうは「謙譲の美徳」といいたくなるようなノーブルな雰囲気が、聴き手にかえって哀しみを感じさせるようなところがありましたが、ブルショルリはもっと直接感性に訴えかけてきます。
パッションと一瞬の閃き、そして圧倒的なダイナミクス。
私は、すっかりブルショルリのピアノに魅せられてしまいました。

第2楽章・第3楽章も、基本的にまったく同じ印象。
ただ、第2楽章「ロマンス」の6分過ぎに一瞬左右のバランスが悪くなりますが、これは私のディスクだけの問題?
いずれにしても、このブルショルリ&バウムガルトナーの演奏は、私が今後K.466を聴こうと思ったときに、必ず意識するディスクになることでしょう。


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