ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ドレスデン国立歌劇場 R.シュトラウス:歌劇『ばらの騎士』

2007-11-28 | オペラの感想
ずっと縁遠い存在だった「ばらの騎士」が、やっと9月に私に微笑んでくれました。
きっかけは、チューリッヒ歌劇場の素晴らしい来日公演。
「夢よ、もう一度」というわけで、急遽ドレスデンの最終公演のチケットを入手しました。
この日の席は3階席で、少々舞台は遠いけど、センター付近のとても見やすい席でした。
ただ、元帥夫人役で出演予定のアンゲラ・デノケは、インフルエンザのため来日中止。
おまけに、指揮者も、準・メルクルから音楽総監督のファビオ・ルイジに急遽交代という、まさに前代未聞の事態。
大丈夫?
結論から言ってしまうと、そんな不安を吹き飛ばすような素敵な公演でした。



<日時>2007年11月25日(日)15:00開演
<会場>NHKホール
<出演>
■元帥夫人:アンネ・シュヴァンネヴィルムス
■オックス男爵:クルト・リドル
■オクタヴィアン:アンケ・ヴォンドゥング
■ファーニナル:ハンス=ヨアヒム・ケテルセン
■ゾフィー:森 麻季
<演奏・演出>
■指 揮:ファビオ・ルイジ
■管弦楽:ドレスデン・シュターツカペレ
■演 出:ウヴェ=エリック・ラウフェンベルク

歌手の中では、まず急な代役で出演したシュヴァンネヴィルムス。
彼女の歌唱・演技は、どんなときも元帥夫人らしい威厳と高貴さを失いません。
第1幕で、オクタヴィアンと戯れている時の幸福そうな表情、その後結い上げた髪型が「老人みたい」とつぶやくあたりから、やがて訪れる老いへの恐れ、そして「夜中に時計を止めてまわった」ほどの何ともいえない寂しさ、このあたりの微妙に変化していく心境を見事なまでに演じてくれました。
また、第3幕の大荒れの場面で登場するシーンでは、言葉は悪いけど、さながら黄門様の印籠のよう。
登場しただけであたりを払う存在感がありましたし、最後の3重唱を感動的に歌い上げた後、静かに退場するシーンでは、大袈裟な演技をしないだけに一層私の心を強く揺さぶりました。

オクタヴィアン役のヴォンドゥングは、もともとチャーミングなメゾ。
強い声の持ち主ではないけど、元帥夫人とゾフィーの間で揺れ動く若者を巧みに演じてくれました。どちらかというと、女装した(妙な言い方ですが・・・)マリアンデルの方が似合っていたでしょうか。
ただ、肝心の「ばらの騎士」の衣裳が、ベルボーイの制服のように見えたのは、いささか残念。

今回のゾフィーは森麻季さん。
栄えある凱旋公演でしたが、少し緊張気味?
透明感のある声なんだけど、周りの歌手たちと比べると、やはり声量不足は否めません。
ただ、この日1階で聴かれたyokochanさんは、「よくとおる声だった」と仰っていましたので、席の関係かもしれませんね。
全体的に少し視線が下がっていたことも、原因の一つでしょうか。
でも、森さんの生真面目さといく分硬い表情によって、「いかにも大切に育てられたお嬢さん」という感じが滲み出ていて、私はむしろ好感を持ちました。
カーテンコールで、大きなブーを飛ばしていた人がいましたが、そんなに酷い出来だったかなぁ。
一流歌劇場の来日公演の晴れの舞台で、同じ日本人が頑張って歌っているのだから、もう少し温かい眼で見てあげたらどうなんだろう。
少し寂しくなりました。

リドルのオックス。
こちらは掛け値なしに良かった。演技・歌ともに抜群。
「ばらの騎士」のオペラ・ブッファとしての魅力を満喫させてくれました。



そして、なんと言ってもドレスデン・シュターツカペレ。
「サロメ」でも感じたことですが、本当に素晴らしい!
強奏部においても絶対金属的にならないし、弱音がことのほか美しい。もちろん、表面的に綺麗という意味ではありません。
たとえば、第1幕の終わりで、元帥夫人が「銀のばら」をオクタヴィアンに届けるよう召使に命じた後、ひとり物思いにふける場面。このとき、元帥夫人をそっと慰めるかのように、とびきりやさしく奏でられる弦。
もう、ふるいつきたくなるような美しさでした。これほどニュアンスに富んだ響きを出せるオーケストラは、シュターツカペレ以外ではウィーンフィルくらいのものでしょう。
このオケは、コンサートで聴いても大変魅力的なオーケストラですが、オーケストラピットに入ると、さらに素晴らしい。
舞台で演じられているその瞬間の空気を感じ取って、変幻自在に音楽を奏でます。
ときに励まし、ときに寄り添い、ときに泣く。
どんなときでも、歌手と一緒に演じることができる素晴らしいオーケストラ。
このオケの魅力を十二分に引き出し、素敵な「ばらの騎士」を聴かせてくれたルイジにも、大きなブラーヴォをあげたい!
ルイジのストレートで真摯な音楽作りが、大きくものを言っていたと思います。

この日、たまたま私の隣に座られたご婦人が、「今まで準・メルクルの大ファンでした。でも、今日初めて『ばらの騎士』を観て、このオペラもルイジも大好きになりました」と終演後、笑顔で話されていました。
まったく同感!ご婦人の感想をきいた私まで、何だかとても嬉しくなりました。

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漆原啓子 ヴァイオリンリサイタル vol.6

2007-11-27 | コンサートの感想
日曜日の「ばらの騎士」の感想をまだ書けないでいる私ですが、その余韻が冷めやらぬまま、今日は漆原啓子さんのヴァイオリンを聴きに行きました。
とても、気持ちのいいコンサートでしたので、とりあえず、そちらを先にエントリーすることにしました。

漆原啓子さんは今年デビュー25周年を迎え、バッハの無伴奏を含む連続コンサートを行なってきましたが、今日がその最終回(第6回)にあたります。
この日最初に組まれたバッハの無伴奏は、有名なシャコンヌを含むパルティータ第2番。

最初は少し緊張気味でしたが、すぐにいつもの漆原さんのヴァイオリンに戻ります。
小気味良いテンポで奏されたジーグが、とても気持ちよかったなぁ。
そして、お待ちかねのシャコンヌ。
漆原さんのシャコンヌは、十分な緊張感をもって響くのだけど、神経質な部分がないので安心して音楽に浸ることができます。
音色も温かく、人を幸せにしてくれるヴァイオリンですね。
軽井沢音楽祭で聴いたときにも、同じ印象をもちました。
とくに中間部でニ長調に転じた後、再びニ短調に戻る箇所の柔らかさ、そしてカンパネラを経てエンディングに導く緊張感が素晴らしかった。
たとえが良くないかもしれませんが、レイチェル・ポッジャーのシャコンヌがデジタルハイビジョンの音楽だとすると、漆原さんのシャコンヌはアナログLPの世界。
少し高めの温度感が、私の心を癒してくれました。

前半の2曲目は、同じバッハでもがらりと趣向を変えて、「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」。
広田さんのオーボエも、喜びに満ちた表情でこの幸福な曲を吹いてくれたので、ホールの雰囲気は一気に弾けました。

そして、後半は「四季」の全曲演奏。
モダン楽器を使った懐かしい響きの「四季」でしたが、その伸び伸びとした演奏は、本当に聴いていて楽しかった。
徐々に「冬」に近づいてくるというのも、いかにも今の季節を反映してよかったのではないでしょうか。
N響の首席コンビ(チェロの藤森さんとコントラバスの吉田さん)の低音パートは、最後まで抜群の安定感で音楽を支えていたし、曽根さんのチェンバロはとにかくリズム感のよさとセンスが光ります。
今日のバックを受け持った「門下生室内合奏団」は、漆原さんの生徒さんの選抜メンバーだそうですが、美女ぞろいで、演奏もこれまた実に清々しいものでした。

聴きおわって感じたのは、「漆原啓子と仲間たち」ではなく、演奏者全員が漆原さんのファンなのです。
だからこそ、こんなアットホームなコンサートになるんですよね。
聴衆も含めて、みんな最高の笑顔でコンサートは終わりました。
だから、今日はブラヴォー!ではなく、グラッツィエ!です。(笑)

<日時>2007年11月27日(火)19:00開演
<会場>白寿ホール  
<曲目>
■バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004
■バッハ:ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲ニ短調 BWV.1060
■ヴィヴァルディ:和声と創造の試み Op.8より「四季」
(アンコール)
■ヴィヴァルディ:調和の霊感 op.8-10
■アルビノーニ:2台のオーボエのための協奏曲
<演奏>
■漆原啓子(ヴァイオリン)
■広田智之(オーボエ)
■藤森亮一(チェロ)
■吉田 秀(コントラバス)
■曽根麻矢子(チェンバロ) 
■門下生室内合奏団


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ドレスデン国立歌劇場 R・シュトラウス:歌劇『サロメ』

2007-11-25 | オペラの感想
いろいろ考えさせられるサロメでした。
たとえが悪いかもしれませんが、もしこの公演をCDとして聴いたら、「ドレスデンのサロメ」として記憶に残る演奏だったと思います。
歌手は総じて良かったし、なんと言ってもルイージ率いるドレスデン・シュターツカペレの素晴らしさに関しては、もう最高!



<日時>2007年11月24日(土)5:30PM
<会場>東京文化会館
<出演>
■サロメ:カミッラ・ニールンド
■ヘロデ:ヴォルフガング・シュミット
■ヘロディアス:ガブリエレ・シュナウト
■ヨカナーン:アラン・タイトス
<演奏他>
■指 揮:ファビオ・ルイジ
■管弦楽:ドレスデン・シュターツカペレ
■演 出:ペーター・ムスバッハ

まず主役のカミッラ・ニールンド。
昨年のベルリンフィルのジルベスターコンサートでも、凛とした元帥夫人を見事に演じていましたが、この日は、「妖艶でわがままな姫」ではなく、ひたすら「世間知らずで純粋。だからこそ思い込んだら一直線に突っ走ってしまう令嬢」というイメージのサロメを演じてくれました。
声がリリカルでヒステリックに叫ばない「新しいサロメ」像の誕生かもしれません。
ただ、もう少し声量があれば・・・。
しかし、亡くなったヨカナーンに向かって、(独善的かもしれないけれど)サロメが深い愛情を持って語りかける場面は、ほんと素晴らしかったなぁ。
とくに「愛の神秘は、死の神秘より遥かに大きい」という言葉は、凄みがありました。
タイトスのヨカナーンは、ルックスが「預言者」のイメージに少しそぐわない感じもしましたが、歌は立派。ストレートに言い寄るサロメを寄せ付けない毅然とした強さを感じました。
ヘロデ王のシュミット、ヘロディアスのシュナウトも、それぞれ芸達者で十分な存在感を示していました。
(余談ですが、ヘロデ王がラスト近くで舞台に倒れるシーンで、シュミットの額から血が流れていましたが、これも演技?熱演ゆえのアクシデントのように感じましたので、そうだとしたら大丈夫でしょうか?)

そして、この日何よりも素晴らしかったのは、ドレスデン・シュターツカペレ。
終始サロメに対して優しい眼差しで見守っているような演奏が、とくに印象に残りました。
ヨカナーンを最初にサロメが見たシーンから、「口付けを・・・」とサロメが切望するまでの、微妙に変化する色彩表現の巧みさ。
さらに、ナラボートが自刃した後、オーケストラだけが音楽を奏でる場面では、どんな台詞よりも雄弁だった。
そして、「7つのヴェールの踊り」以降の緊張と陶酔が交錯する音楽造りは、まさにこのオペラを知り尽くした伝統の技。ルイージのセンスのよさも光っていました。



さて、私が冒頭「考えさせられた」といったのは、演出のことです。
舞台は「大きな口」を表している(談:ムスバッハ)ようですが、舞台前面に向かって後方から相当の傾斜がついています。つまり舞台前面がまさに崖っぷちで、登場人物のすべてが「崖っぷちに立たされている」という設定です。
そして、ヘリからはプールに下りるかのような梯子がついており、最初からヨカナーンが座っています。そこから下は墓場だそうです。
この設定はなかなか面白い。

しかし、私は今回の上演を見ている間中、「なぜ?」「なぜ?」「違うでしょ!」と思い続けていました。
まず、なぜヨカナーンが最初から舞台に登場しているんだろう。
それによって、サロメがヨカナーンの1mくらいの至近距離から、「ヨカナーンはどこ?彼に会わせて!」と切望するシーンは、滑稽以外の何ものでもない。
また、ナラボートが「ヨカナーンを連れて来い。」と命ずる場面でも、ヨカナーンは自らヘリから立ち上がって、すたすら歩いていくことになる。
このような歌詞・台詞と演出のギャップに、最後まで、ずっと私のフラストレーションは溜まりっぱなしでした。

そして何よりも違和感を感じたのは、ひとつのクライマックスであるはずの「7つのヴェールの踊り」。
前述のとおり、ヨカナーンも舞台にいるわけですから、主役4人が舞台にいることになります。
サロメはヨカナーンに見せつけるために、ヘロデ王を誘惑するというのが一本の軸。一方、ヘロディアスは実娘サロメに嫉妬し、ヘロデ王を女として取り合うというのがもう一本の軸。
ここで、サロメはほとんど踊りません。
代わりにヘロディアスが、ほんの少しだけ踊ります。そして、サロメがヘロデ王の服の一部を脱がせていきます。
この踊りが終わった後、「よくやった・・・」と上気してヘロデ王が語りますが、ヘロデ王は「何でも願いを叶えてあげる。だからサロメよ、踊ってくれ!」と懇願していたわけです。それだけの価値のある踊りだから、そのように言ったはず。今回の倒錯した演出では、まったくそのあたりの辻褄が合わない。

ムスバッハが言いたいことはわかります。
演出家として表現したかったこともわかります。
しかし、オペラには歌手がいて、音楽があって、歌詞があります。
「歌詞をともなった歌を聴きながら、舞台では歌詞の内容と異なる演技がなされている」というのは、私にはまったく理解できません。
残念ながら、私は策に溺れた演出のように感じました。


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ナタリー・デセイ オペラ・アリア・コンサート

2007-11-23 | コンサートの感想
先週、母が大学病院で手術を受けました。
8時間を超える大きな手術になりましたが、お陰様で徐々に快方に向かっており、大阪と東京を行ったり来たりしていた私もようやく一安心といったところです。
執刀いただいた主治医の先生には、本当に感謝の言葉しかありません。
このような状況の中、先週から今週にかけて私が聴いた音楽は、すべてバッハでした。
というか、バッハしか聴けなかったのです。
この間、新たに発見したバッハのすばらしさについては、また機会をみてブログに書いていきたいと思います。

そんなバッハ漬けの生活から、少し現実の世界に戻してくれたのが、21日に聴いたデセイのオペラアリアコンサートでした。

<日時>2007年11月21日(水) 19:00 開演
<会場>東京オペラシティ コンサートホール
<曲目>
■ヴェルディ:「シチリア島の夕べの祈り」序曲
■ヴェルディ:「シチリア島の夕べの祈り」より“友よ、ありがとう”
■ヴェルディ:「椿姫」前奏曲
■ヴェルディ:「椿姫」より“不思議だわ~そは彼の人か~花から花へ”
■ロッシーニ:「セミラーミデ」序曲
■ドニゼッティ:「ランメルモールのルチア」より“あたりは沈黙に閉ざされ”
■ドニゼッティ:「ロベルト=デヴェリュー」序曲
■ドニゼッティ:「ランメルモールのルチア」より 狂乱の場
(アンコール)
■マスネ:歌劇「マノン」より“ガヴォット”
■プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」より“私が街を歩くと”
<演奏>
■ナタリー・デセイ(ソプラノ)
■サーシャ・レッケルト (ヴェロフォン)
■エヴェリーノ・ピド (指揮)
■東京フィルハーモニー交響楽団

デセイに会えるこの日のコンサートを、私はずっと心待ちにしていました。
ヴェルディの序曲に続いて、鮮やかな赤のドレスを着て登場したデセイは想像通り小柄。
しかし、いったん歌いはじめると、たちまちホール全体をデセイのワールドにしてしまいます。
ただ、CDで聴いている印象より少し肉厚な声?

そして、前半のメインは「椿姫」でした。
前奏曲が終わり、デセイが静かに立ち上がって歌い出します。
「エストラーノ(不思議だわ)・・・」
このつぶやくようなワンフレーズだけで、デセイはヴィオレッタの感情を見事に表現してしまいます。
ひやりとしたのは、「ああ、あの人だったのね・・・」と歌い出す箇所。
一瞬声がかすれて詰まりました。
しーんと静まりかえる場内。風邪でもひいたのでしょうか、喉が本調子ではないようです。
さきほど少し肉厚な声のように感じたのは、そのせいだったのですね。
しかし、彼女の真骨頂はこれからです。
少しかすれ気味の低音を、ヴィオレッタの心の叫びのように聴かせてしまうのです。私は、第3幕で奇跡的に元気を取り戻し、3たび「エストラーノ」と歌ったあと天に召されるヴィオレッタの薄幸の運命を思い浮かべて、胸が熱くなりました。
その後、「ミステリオーゾ(神秘的に)・・・」と何回か歌う箇所でも、ひとつひとつの表現を微妙に変化させて、見事にヴィオレッタの心情を表現するデセイ。
一転して「花から花へ」の部分に入ると、素晴らしくコントロールされた技巧で一気に歌いきってくれました。
まさにディーヴァ!
いつの日か、彼女の「椿姫」を絶対舞台で見てみたい。

後半は、ロッシーニの「セミラーミデ」序曲を経て、ドニゼッティのルチアから第1部のアリア。
デセイ自身、「『狂乱の場』よりずっと難しい曲」と話しているアリアですが、どうしてどうして、素晴らしい名唱。
とくに後半のカバレッタの見事さには唖然とさせられました。
次の「ロベルト・デヴェリュー」序曲は、中間部にイギリス国歌「God Save the Queen」が引用されており、前後のルチアがスコットランドの話であることをあらためて印象づけます。

そして、この日のクライマックスは、プログラムの最後を飾った「狂乱の場」。
私がデセイの魅力にとりつかれたのは、2002年に行なわれたリヨン国立歌劇場の公演をBSでみたときでした。フランス語改訂版で、たしかタイトルも「ランメルモールのリュシー」となっていたはずです。
迫真の演技で聴き手を釘付けにしながら、一方で金切り声を出さずに完璧にルチアを歌いきる歌手がいるなんて、俄かに信じられませんでした。
それが、いまコンサート形式とはいえ、現実の舞台で聴かせてくれたのです。
体調のせいか確かに苦しそうな部分はありましたが、これ以上のルチアを歌える人が他にいるとは、私には想像できません。
それほど、説得力のあるルチアでした。
「歌う女優」を自認するデセイですが、「私がオペラを選んだのではなく。オペラが私を選んだ」という言葉すらも、彼女のステージをみてしまうと、納得せざるをえないでしょう。

また、この日はオリジナルどおりグラスハーモニカ(正確には、レッケルト自作のヴェロフォンという楽器)が使われており、その神秘的な音色が、正気を失ったルチアを優しく包み込んでいました。
←ヴェロフォン(公式HPより)

10月にマイヤーの当代最高のイゾルデを聴き、この日は2曲だけとはいえ当代最高のルチアを聴いたことになります。
ご一緒いただいたyokochanさんとも帰り道で話していたのですが、
「こんな幸運を続けて味わってしまうと、いまにどこかで落とし穴にはまるんじゃないか」と、思わず不安にかられます。
そういう不安は、その日のうちに解消しておくに限りますよね。
というわけで、yokochanさんのお誕生日のお祝いも兼ねて、打ち上げをすることに。
やや賑やかな雰囲気の店でしたが、感動の美酒の霊験あらたかに、酔うほどに語るほどに不安はきれいさっぱりなくなってしまいました。(笑)
しかし、酔いが醒めてみると、「歌う女優デセイが演じるオペラを絶対生で観たい。いや観るんだ!」
また、懲りもせず、そんなことを思う私でした。









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グールドの指揮による「ジークフリート牧歌」

2007-11-11 | CDの試聴記
グールドの指揮したワーグナー。
既出の音源ですが、今回カップリングを変えてリリースされたものです。
私は、このディスクで初めてグールド指揮の演奏を聴きました。
ライナー・ノートによると、「50歳になったら、ピアニストをやめて指揮者になろうと思う。」と、グールドは晩年多くの友人に語っていたそうです。
その言葉にしたがって、トロント交響楽団のメンバーをプライヴェートに雇い、50歳の年に録音したのが、この「ジークフリート牧歌」。

さて、鬼才グールドがタクトを握ったワーグナーは、いったいどんな演奏なんだろう。
遅い。それも半端な遅さではありません。
あのクナッパーツブッシュやクレンペラーよりも、さらに5分以上遅いテンポなのです。
晴れてワーグナー夫人となったコージマの誕生日(何とクリスマスの12月25日)のために作曲された音楽であり、前年に生まれた長男ジークフリートへの深い愛情を表現する音楽にしては、あまりにも遅い。
冒頭からして、音楽がまったく横に流れていきません。
クリスマスの朝の7時半、寝室横の階段に15人の奏者が並んで、コージマのために奏でたというこの美しい音楽。
このグールドの演奏では、残念ながらコージマは眼を覚まさなかったのでは?(笑)
2分40秒くらいに、ワルキューレで使われた「ブリュンヒルデの眠りの動機」をフルートが奏で始めて、ようやく全体が動き出します。
「眠りの動機」がトリガになって音楽が動き出しというのもなんだか皮肉な感じがしますが、ここでやっと朝の雰囲気が漂ってくるのです。
そのあとも「音楽の歩み」は極めてゆっくりしています。
そして、この雰囲気のまま終わるのかと思いきや、中間部の強烈なエネルギーの迸りに出会って、私はいささか驚いてしまいました。
今回のオケのアンサンブルが必ずしも精緻でないだけ、逆にインパクトがあります。

ただ、いずれにしても、晴れやかさには程遠い感じがしますね。
この異常に遅いテンポに、グールドはどんなメッセージを込めたかったのでしょうか?
これだけテンポが遅いと、マクロレンズを使ったかのように普段見えないものもはっきり見えます。
そして、すべての音が十分すぎる余韻をもって響いていきますから、意外な色彩感・テクスチュアをともなって聴き手の目の前に現れてきます。
あくまでも私の勝手な想像ですが、単に可愛いだけのジークフリートを描くのではなく、楽劇「ニーベルンクの指輪」に登場する英雄ジークフリートを遠くに見ながら、その場面場面を、この遅いテンポの中でマクロレンズを使ってリアルに描きたかったのではないでしょうか。
中間部の奔流のような高揚感も、そのワンシーンだと考えると理解できます。
ピアノという最強の相棒を持たない指揮者グールドは、自らの目指すものだけを頼りに奏者達の前に立ったのでしょう。
そう考えると、ぎこちなさも微笑ましく感じられます。

想像で色々書きましたが、この演奏については発売予定がないレコーディングだったということですから、単に「テンポによってどんな響きになるか、試してみたかっただけ」ということかもしれません。
しかし、私には、グールドが遺した「貴重なメッセージ」のように感じられてならないのです。

この録音を行なって約1月後、50歳を迎えて間もないグールドは亡くなります。
まさしく、この「指揮をしたジークフリート牧歌」が、彼の最後のレコーディングになったのです。
彼にあと10年寿命が遺されていたら、グールド指揮によるベートーヴェンやシェーンベルク、リヒャルト・シュトラウスのオーケストラ作品を聴くことができたでしょう。
とりわけ、私はバッハの「ロ短調ミサ」や「マタイ受難曲」が聴きたかった。
多くの方が、そう思うのではないでしょうか。

<曲目>
■グールド : 弦楽四重奏曲op.1
■ワーグナー: ジークフリート牧歌 (13楽器によるオリジナル版)
■ワーグナー: 楽劇「神々の黄昏」より 「夜明け」「ジークフリートのラインへの旅」 (グールド編曲によるピアノ版)
<演奏>
■シンフォニア弦楽四重奏団
■グールド(指揮)、トロント交響楽団のメンバー
■グールド(ピアノ)
<録音>
■1960年3月13日 クリーヴランド(弦楽四重奏曲)
■1982年7月27,29日,9月8日 トロント(ジークフリート牧歌)
■1973年5月14日 トロント(ピアノ)
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